第一章3 『まだ続いていく』
不思議な、夢だ。
落ちているようで浮遊していて。
歩いているようで止まっている。
黒い黒い黒い空間の中に自分が一人、認識させられる。
何も移さない眼。
無音を謳う耳。
感覚の無為を演じる皮膚。
無味を生み出す舌。
嗅ぐことすら許さない鼻。
自分の手には何も残らない。
正しく言うならば手なぞ存在していないのだが。
そこにただただ。
質量が。
思いが。
想いが。
あるのみである。
そして、自分の手元に何もなくなったのならば自分は一体何なんだろう。
渦に飲み込まれた自分には一体――――
※ ※ ※ ※
「………むぅ」
あっさり起きてしまった朝になんだか妙な感慨を覚える。
しかしそれは考えれば考えるほど煙を巻かれる。
こういうのはたいてい考えるのをやめた方がいいのはよく知っているので考えるのをやめることにした。
そして、バァン!と戸が開け放たれる。
「………え?」
翔太を起こしに来たであろう紀乃は片手に持っていたフライパンを派手な音と共に落とす。
彼女の顔には僅かに動揺が見て取れる。
翔太にはなぜ彼女がそうしているのかがわからない。
そしてふと手元にある目覚まし時計を見る。
時刻は五時半。
――――ゴジハン?
翔太は中学になってから自分で起きれたことはない。この時間帯におきれたことは奇跡と言って近いだろう。
彼女はガシャガシャと音がしそうなロボットのような歩き方でリビングへ戻っていった。
無音の部屋にいつもより早く設定した目覚ましの甲高い音が響いた。
※ ※ ※ ※
今日はいつもと少し違った。某「朝の情報番組」の星座ランキングが軽快なBGMと共にテレビから流れていた。
因みに紀乃は一位だった。いつもの通り表情はピクリとも変わらなかったが。
そして翔太は最下位だった。悲しかった。
「そんなあなたにはピンクのハンカチ!」
無縁だった。というかピンクのハンカチなんか男が持ってたら明らかに笑われる…
目の前にあるはちみつのトーストを齧った。なにか納得がいかなかった。
「ぁ~~うー」
早起きしたせいか時間を持て余してしまう。特に何もすることがないのだ。
お弁当を詰める紀乃を横目に途端に自分が情けなくなってくる。
「俺も手伝うよ」
おもむろに立ち上がり台所のシンクに向かう。
「あっ、いいよ…にいさん………!」
紀乃は止めるが翔太は聞かない。自分にも何かできるのでは、という感情がメラメラ心から溢れてくる。
それから5分後のこと。
「ガシャーン!パリィン!!ブシャア!!!」
台所はひどい惨状になり果てていた。紀乃は巻き込まれまいとリビングに避難中。
ひとつ目のガシャーンは手にあった皿を落とした音。
二つ目のパリィンは後ろの皿を巻き込み落とした音。
三つ目のブシャアは水道管がやばくなった音だ。
プロじゃないと直せないような状況に絶望する。
すると、ピンポーンとインターホンから音が鳴る。手が付けれないので出れない。どうせ、宅配か何かだろう。後でにしてもらおうと決意し………
「ピンポンピンポンピンポーン」
連続してインターホンの音が鳴る。
明らかに宅配ではないのは明らかだった。
やがて、あきらめたのかその音が鳴りやむ。
「はよあけろやぃ!!!」
バァンとドアが開け放たれて同時に怒声が聞こえてくる。まぎれもなく希逸だった。びくっと肩を震わせると走ってくる人影を見つめる。
そこには完全装備の希逸がいた。
「ふぅー………助かったぜぃ」
すっかりきれいになった台所を見渡し、額の汗を拭った。
「お前がやったんじゃないんだからな………」
隣から半眼が向けられる。
今この場にいるのは5人。
翔太、紀乃、希逸、紗枝、優花里だ。
紀乃が希逸にメッセージを送り、希逸が駆け付け、紗枝・優花里が騒ぎを聞きつけてきた結果だ。
翔太を除き四人で後片付けに追われた。
翔太は戦力にならないと論外扱いされた。
そして何か思い出したように翔太は「あ」と呟く。
「今日、用事あるか?」
「ない」
いつものやり取りが交わされた。