ショートショート習作3 「マッチ」「鼠」「転ぶ」
「マッチはいかがですか・・・。明るく、よく燃えますよ・・・。」
雪が深々と降り続く、寒い寒い夜だった。私は街の片隅に立ち、道行く人々へマッチを売り歩く。年の瀬の迫るこの季節、人々はせわしなく行き交い、なんとかマッチを売ろうと声をかける私には目もくれずに通り過ぎてゆく。
このままでは手元のマッチを売り切ることなどできそうもない。ほんのわずか人の流れが途切れたところで、私は深くため息をついた。
第一こんな商売を選んだのが間違いだった。開発がどんどん進むこの街では、家々に電気が行き届き、住人はろうそくも暖炉も必要としなくなっている。その日食いつなげればいいと適当に選んだ日雇い仕事だが、考えてみればマッチなんか売れるわけもない。我ながら自分の不明さにあきれてしまう。
ちょっと一服つけて気分を変えよう。私は建物の陰に入り、懐から煙草を取り出した。一本ぐらいならいいだろうと、売り物のマッチを一本だけ擦って、咥えた煙草に火をつける。
ゆっくり、深く吸い込んで、紫煙を宙に吐く。先程のため息と見分けのつかない白い煙が風に吹かれて散っていった。
一本吸うと中々やめられない。二本、三本と続けざまにスパスパやってしまい、足元には吸い殻が散らかる。当然、売り物であるはずのマッチも、同じ本数火がつけられては足元に転がることになる。
すっかりやる気をなくして煙草を吸い続けていた私だが、ふと視界の端になにやら蠢くものを捉えた。
ガス灯の明かりがほとんど届かない路地の片隅に目を凝らすと、ちょろちょろと右往左往する何かがいる。
鼠だ。この寒空の下、エサでも探しているのか、盛んに路地を行ったり来たりしている。
(近くにゴミ捨て場があるわけでもないのに、バカな鼠だなあ)
ふとそんなことを考えてしまうが、自分の置かれた状況と照らし合わせてみると、案外あの鼠を笑えるものでもないことに思い至り、私は苦笑してしまう。
徒労を続けるその姿に親近感でも覚えてしまったか、私は吸っていた煙草を投げ捨て、鼠のそばに寄ることにした。
抜き足差し足、音をたてないように雪を踏みしめ、少しづつ近づいていく。鼠はエサを見つけたのか、なにやら建物の壁に顔を押し付けるようにしている。こちらには気づいていない、あと一歩、もう一歩・・・。
と、あと三歩といったところで鼠は急に身を捩らせ、真後ろに近づいていた私に目を向けてきた。
(ありゃ、気付かれた)
私は心の中で独り言ち、歩みを止めた。ほんのわずかな落胆とともに、次の瞬間には走り去るであろう鼠と目を合わせ、それ以上近づくことをあきらめる。
しかし鼠は逃げ出さない。戸惑う私を意に介さず、体をこちらへまっすぐ向けると、細い鼻をこちらへ突き出し、クンクンと何かをかぎつけるような動きをする。はて、そんなに何が匂うのか。
鼠と正対したまま動きを止めていた私だったが、鼻を引くつかせる鼠を見て、ポケットに昼飯の残りのパンを突っ込んでいたことを思い出した。
「なるほど、これに気付いたわけね。」
鼠に語り掛けるようにつぶやいて、私はポケットからカチカチになったパンを取り出した。鼠は一層色めき立ち、自らこちらに近づいてきた。
元よりこんな軽石みたいになったパンを食べるつもりはない。私は取り出したパンを荒く千切り、一かけらを鼠に向かって放った。鼠はパンのかけらに飛びつくと、すぐさま私のそばを離れ、猛然とかじりつき、あっという間にパンはなくなってしまった。そしてかじり終えた鼠は、またもこちらへ近づき、期待するように目を向けてきた。
業突く張りだなあ、などと私は考えながら、またパンを千切り、鼠に投げてやる。鼠も先程と同じように一寸離れてからパンをかじり、かじり終えるとまた寄ってくる。そんなことを何度か繰り返した。
最後のパンを鼠がかじり終えると、もう何もないよ、というように、私は鼠に向けて掌を広げてみせた。しかし鼠はまだ期待しているようで、足元までやってきてうろちょろし始めた。しまいには足を登ろうとする仕草まで見せる。
(さすがに気持ち悪いなあ)
私はそんなことを考えながら、足を振って鼠を蹴散らそうとする。さすがに踏まれては敵わないと奴も離れはするが、足を振るのをやめるとまた足元へ寄ってくる。
「もう何もないんだけどなー・・・」
私は足元の鼠を邪険に扱いながらも、パンくずぐらいは残っていないかとポケットをまさぐった。その時だ、私は不覚にも、マッチの売上の入った小さな袋を取り落としてしまった。それを見たネズミは何を思ったか、袋に素早く食いつくと、先程と同じように私のそばから離れた。
「あ、こら!それは違う!」
私は慌てて追いかけ鼠に手を伸ばす。すると奴は私の急な動きに驚いたのか、袋を咥えたまま路地を駆けだした。
いくらショボいアガりといっても、売り上げた金を全て持っていかれては困る。鼠に盗まれました、なんて言い訳が通用するはずもない。私は逃げる鼠を猛然と追いかけ始めた。
路地の角を曲がると、鼠が建物の中に入るのが見えた。逃してなるものかと建物の入り口前まで駆け、そのまま入口をくぐる。すぐ横の看板が一瞬だけ目に入るが、意に介すことはなかった。
建物の中は暗くジメジメとしている。なんだかツンと鼻に来る匂いもしているようだが、頭に血が上った私は気に掛ける余裕もない。 長めのマッチを一本擦って火をおこし、鼠が逃げたであろう物音のするほうへ肩を怒らせながら歩いていく。どうも奴は突き当りの部屋にいるらしい。扉の開け放たれた部屋へはいると、マッチのぼんやりとした明かりの中、隅の方で鼠が身を潜めていた。私は後ろ手に扉を閉め、奴が逃げられないようにする。
「手間かけさせやがって。」
新しく二三本まとめてマッチに火をつけながらそういい、鼠を追い詰める。すでに観念しているのか、咥えていた袋は放り出している。そしてチューチュー言いながら、隅に小さく空いた穴に身を捩じるように潜り込ませ、奴は部屋から逃げていった。
私はやれやれと溜息をつきながら、袋を取り上げようと歩みを進めた。とその時、足元がつるりと滑り、私は派手に転げてしまった。持っていたマッチが散らばる。
「なんだってのよ、もう!」
踏んだり蹴ったりとはこのことだ。泣きたいような気持ちで起き上がろうとすると、手にはべとつく何かが触れた。どうやらこれに足を取られて滑ったらしい。怪訝に思い手についたそれの匂いを嗅いでみると、建物に入ったときに匂ったものと同じ匂いがする。それも数段強く。
「これって・・・油?」
手についたそれは確かに油だ。そういえば建物の横の看板には・・・。
そこまで考えたとき、目端にぼんやりとした明かりと、トクトクとなにかが流れ出す音が聞こえた。どちらも同じ方向から聞こえてきて、私はそちらに目を向ける。そして私は大きく目を見開いた。
先程転げたときに手放してしまったマッチが床にある。まだ火は着いたままだ。そしてそのそばには、同じく転げたときの衝撃で横倒しになったであろう、大きな樽があった。あろうことか、その樽の口から油がどんどん流れ出している!それもマッチへ向かって!
私は金切り声を上げながら、マッチへ手を伸ばしたが、もう遅かった。油がマッチの火に触れ、まばゆい光と轟音とともに大爆発を起こした。
衝撃と熱風で身を焼かれ、意識を急速に失っていく私の脳裏には、建物の横に置いてあった看板が浮かび上がっていた。その看板にはこう書かれていたのだ。
「油屋」と・・・。