第六章5 『その悪魔、サタナキア』
魔王の秘書サキュバスが失踪した。
これにより舞踏会は延期となり、魔王城が騒然としている。
その失踪の真相は少し時を遡り、ある悪魔の来訪に始まっていた。
「……魔王様、少しは元気になられたみたい。ふふっ」
執務室に資料を置き、私は自分の仕事に戻るため、廊下を歩いていた。
その途中、大慌てで城の中を走るサキュバスのメイドと出会う。彼女は私の部下だ。
「何事ですか?」
「それが、た、大変なんです! 牢にいたビースト達が!!」
その言葉だけで、私を動揺させることは簡単だった。彼らを閉じ込めておくという魔王様の提案は、確かにビーストとの軋轢を少なく解体できるが、脅威は拭えない。
「――! すぐに向かいます。あなたは早急に城の護衛衆たちに通達を」
「は、はい!!」
疑うことなく、私は牢へと確認に走った。
魔王城の牢屋は地下にあるため、階段をかけ下りていく。
しかし、その途中でようやく気づいた。
「……そ、そういえば、先程のメイド、どこか変な魔力を」
階段の踊り場で立ち止まり、私は彼女が気になって引き返そうとする。
だが、すでに遅かった。
あたりの異様な雰囲気と、自分の立っている場所が不安定であることに気付く。
「これは……」
「逃がさぬぞ。サキュバス」
聞き覚えのある声に振り向くと、先程まではいなかったはずなのに、そこには恐ろしい迫力を放つ男が立っている。
壁に腰掛け、こちらをニヤリと見てくる悪魔。
私は正体を知っていた。
「サタナキア様……これは何の真似ですか?」
魔界四天王の一角、悪魔。
彼らは伝統支配をベースとした支配構造で、下級悪魔、上位悪魔、大悪魔の順に地位を得る。
サタナキアはたった三名しかいない大悪魔に数えられる、悪魔の支柱。
そんな男がここにいるのは、問題がある。
彼がここにいるということはつまり――。
「領域侵犯、これをどう説明いたしますか?」
「説明もなにも、必要ないだろう。俺が会いに来たのは、お前だ」
何をわけのわからないことを……。
「失礼ながら、私は魔王様の秘書です。それに、上位悪魔の身分ですが私はフルーレティ様の傘下。あなたに接触する権利はないはずです」
「ないだろうな。だけど、お前が頷けば理由になる」
「――!?」
しまった。サタナキアは……!
ドクン――。
「く、ぬぅ……」
サタナキアの瞳が光ると、次の瞬間には身体の自由が奪われていた。
彼は誘惑の悪魔。女性を意のままに操る瞳を持つ。
こうなってしまえば、抵抗する力も入らない。
腕や足は動かそうとしても動かせない。
口や目だけはかろうじて動くようだ。
「こ、このようなことをしてしまえば、大悪魔の地位がなくなるだけですよ。それに、このような真似をルシファー様が命令するとは考えられません。あなたの罪が露見すれば、あなたは大悪魔としても――!」
「リスクのない行動はない。これは魔王様の言葉だ。全て承知の上だ」
私の反論にサタナキアは笑う。
「それに、お前が自分の意思で秘書をやめたことを証明すれば、今回の件は不問のはずだ。俺には、お前を従えることが可能。利口なお前なら、わかるだろう?」
私に辞表を書かせるつもりですか……。
確かに、以前なら辞表も不自然だった。しかし、魔王様のよからぬ噂が蔓延してる今なら、周囲から不自然に認識されない。
「なにが、狙いですか……」
「決まってる。魔王の椅子だよ。俺は下級悪魔の味方だからな」
その為に、ここまでして私を利用しようとしている。
意図がわからない。
悪魔の狡猾さを理解しきってるからこそ、今の発言が本心でないことは明白だ。
魔王様の椅子を狙う。悪魔がそんなことをしても意味がない。本当の狙いは別に……。
「さあ、ついてこい。お前は逆らえない」
「転移魔法、いつの間に……」
……そういうことね。
「もしかして、先程のメイドは、あなたの仕業?」
「俺様が屈服させた。お前をおびき寄せるためにな」
用意周到……きっと、コロボックルの通達はようやく魔王城に届く頃でしょうね。
サタナキアは領域に侵入した後、転移で魔王城にやって来た。
そして手頃なメイドを操り、私を騙す。
きっと、この行動には勝算がある。
私はここで抵抗しても意味がないはず。
唯一、気になるのはサタナキアの本心。
彼は何のために、ここまで積極的な侵略行為に及んだのか。本当に魔王様の椅子を狙うのなら、私を連れ帰らずにこのまま攻め込むはず。
護衛衆が厄介と見てる。その可能性は捨てきれない。
でもそれなら、計画を実行には移さない。
いずれにせよ、こうなってしまえばどうしようもないでしょうか……。
せめて、魔王様には私の意思が伝わるようにしなくては。
「わかりました。ついていきます。但し洗脳は解いてください」
「そんなの信じるわけ――」
「私は強い人が好きです。あなたも知ってるでしょう? 魔王様は、私には物足りなくてつまらないのですよ。ちょうどよかったです」
「……」
サタナキアは驚く素振りを見せない。
彼はジッと、私を見てくる。
あの男には「嘘を見破る力」もある。
だけど、洗脳されて嘘も見破られるなんて、魔王様の秘書失格……。
今の言葉にはトリックがあり、嘘だと見破られることはないはず。
その内容は『私は(性欲の)強い人が好きです。あなたも知ってるでしょう? 魔王様は、私には物足りなくてつまらないのですよ。ちょうどよかったです』ということ。
だって魔王様、まだ一緒に寝たいって言ってくれないし……少し奥手なところも素敵ですけど。
「嘘じゃないみたいだな」
よし、とりあえず誤魔化せた。
「手間が省けた。……辞表、ここで書けるか?」
「誰かに見られるんじゃ……」
「抜かりない。ここの空間は今、サタナキアの陣だからな」
やはり、予想通り。
ここは普段から人通りの激しい場所。
誰も通らないから不思議だったけど、既に敵の渦中にいるってことね。これじゃあ、両手を上げるしか方法はない。
さっきの判断は正しかった。
悪魔は陣を使う。陣のなかにおいて、悪魔は自身の力を高めることができ、自分を匿うことも出来る。
ここでは私が不利。逃げることは出来ない。
それなら、私は何よりも生きる選択をしないといけない。
あの方のためにも、死んではならない。
「書けましたよ」
辞表を渡すと、サタナキアはそれを一読し、一回で頷く。
「こんなもんか。そいじゃ、来てもらうぜ。お前には仕事があるからな」
魔王様、申し訳ございません。
今回の件、あなたの力には、なれそうにありません。
でも、願うなら、あの時のように――。




