第十章3 『女帝からのラブレター』
※魔王視点です。
勇者一行が緊張状態にあるヘルリヘッセを目指す一方、魔界の魔王は相変わらずのんびりとした生活を送っていた。
しかし、それも今日この日までだった。
昼、俺は仕事の真っ最中だった。
セイレちゃんが所用で外出していて、仕事部屋にはデュラハンさんと二人きり。彼はいつも通り無言で扉の手前に佇立している。
「ふんふんふ~~ん」
思わず鼻歌交じりに仕事をしてしまう。
コンコン。
そんな中、扉をノックする音が響いた。
「魔王様、急遽ご相談したい案件があります」
扉のノックに続いてサキさんの声が聞こえてくる。
それに対し、護衛担当のデュラハンさんがこちらに身体を向けてきた。
「魔王様、いかがなさいますか?」
「通して大丈夫だよ。一段落してるから」
「入ってもよいぞ」
デュラハンさんの言葉に扉が開かれ、一礼してサキさんが入室してくる。
「失礼いたします」
入室してきたサキさんはどこか緊張した面持ちで、こちらを見てくる。
なにやら良くないことが起こった。そんな雰囲気だった。
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「え? ヘルリヘッセに動き?」
後日に控えたセイレちゃんとの挙式にウキウキする心を抑えつつ仕事をしていると、入室してきたサキさんが真剣な顔で報告する。
「はい。たった今、スライム族から報告がありました。どうやら人間が連合軍を組織し、ヘルリヘッセの奪還に向けて動いているようです」
ヘルリヘッセ……。
確か、俺が魔王を代わる以前に魔王軍が制圧した街の名前だ。
人間たちとかなり大きな戦闘を行い、魔王も傷を負ったと聞いている。
それもそのはずだろう。魔王は四天王に協力を仰ぐことなく、魔王の軍隊だけで戦いを挑んだというのだから。
「魔王様、ここは防衛に向けての対応が必要かと思われます」
「……そうだね」
はぁ……これから魔界の調整って時に余計なことを……。
しかし黙っているわけにはいかないのも事実だ。
もしヘルリヘッセを人間に落とされた場合、最悪のシナリオが続きかねない。
ヘルリヘッセが陥落すると、魔王の威厳は削がれることになる。つまり四天王への発言力も失われ、アンデッドと魔女の掌握が不可能になるということだ。
人間の士気が上がってしまうことも厄介だな。
ヘルリヘッセを取り戻したとなれば、人間はきっとそこを拠点として更なる攻撃に転じるだろう。そうなれば魔界と人間界の対立が確定的となり、多くの死者が出る。
そんな結果になれば、天界と戦うことも出来ない。
一矢報いることもなく、奴らの掌の上で踊らされて終わりだ。
それが一番、癪だ。
「対応となると、どうするべきかな?」
「考えられるのは戦力の投入ですが……現在あの場所は魔王軍が村を設置していますから、非戦闘魔族が住んでいます。まずは彼らの避難が優先されるかと」
「……そうだね。その指示は早急に出しておこう。不穏な動きがある以上、軽視は出来ない。避難は以前まで村の設置を担当していたエルフ・シルフ族に一任する」
「かしこまりました。では、戦力の投入はどういたしましょう。魔王領域の防衛もありますから全てを投入することは出来ないかと」
「そうか……」
単純な話じゃないよな。
俺達が出払っている隙にアンデットや魔女に攻め込まれたら、領域を失う。
そんなことになったら、魔王の威厳はおろか魔界を支配することは不可能。
どうすべきか……。
そういえば最近のシュネーさんの報告によれば、勇者は砂漠王国で功績を残したと聞いている。
奴らが次に向かう場所は……これをシュネーさんに調べてもらうか。
もし、この戦場に奴が足を運ぶとすれば、ヘルリヘッセで起こる戦いを優位に操作できるかもしれない。
ここは一つ、あいつを利用するべきか?
直接話すことが出来れば……。
「――魔王様!! ご報告が!」
思案に耽る中、扉が勢いよく開かれ、サキさんの部下が入ってくる。
「何事か! 魔王様は会議中であるぞ!!」
デュラハンさんが怒鳴り、サキさんの部下は畏縮するが、頭を下げて言葉を続けた。
「し、失礼しました。しかし、早急にご報告しなければいけないことが……」
サキさんはこちらを見る。
俺が頷くと、サキさんは彼女に報告するように促した。
「実は、魔王様のご婚約に異議を申し立てる御方から、文が届きまして……」
「異議? 見せていただけますか?」
「こちらになります……」
サキさんが文を受け取ると、その差出人の名前を見て目を丸くした。
「サキさん?」
「差出人は、アンデッドを統べる女帝『ヴァンパイア』からのものです」
「――!」
「女帝、ヴァンパイア……」
アンデッドについては少しだけ調べたことがある。
不死の軍団、アンデッド……。
アンデッドは四天王でも魔女に次いで厄介な勢力だ。
「こんな大事な時に」
サキさんがポツリと吐き捨てる。
戸惑うのは珍しいが、当然か。まさかあちらから干渉してくるとは思ってもみなかった。
しかも婚約への異議って……。
「サキさん、内容は?」
「少し、お待ちください」
サキさんはゆっくりと文を開き、文章に目を通していく。
目を通していくと、信じられないものを目にするように驚愕しているのが傍から見ても分かった。
「サキさん?」
「ヴァンパイアの要求が記されています。その内容は『自身を正室として迎え入れ、セイレーン並びに側室となるサキュバスの処刑』です」
「……は?」
その言葉を聞いて、俺は頭が真っ白になる。
処刑? セイレちゃんやサキさんの?
そんなの……無茶苦茶だろ。
「この要求が満たされない場合は、アンデッドの精鋭を連ね、全勢力をもって魔王領域に攻め入ることになる。と書いてあります」
「どんな冗談だよ……」
「女帝は、冗談を言うような魔物ではありません」
サキさんの言葉に血の気が引いた。
ただでさえヘルリヘッセの問題があるのに、アンデッドまで……。
「くそっ……」
どちらの問題も無視できない。
だが、アンデッドの要求に応じることが出来ない以上、戦闘は避けられないものとなる。
だからといってアンデッドに全てを集中することも出来ない。
どうすれば……。
そうやって悩んでいると、甲冑の音がカシャンと鳴った。
「魔王様、アンデッドの件は我に一任していただけませんか?」
部屋の緊張感を破ったのは、控えていたデュラハンさんの一言。
彼は真っ直ぐにこちらへと身体を向け、そう言い放つ。
「デュラハンさん……」
「連中のことは我が理解しております。我が部隊を率いて必ずや止めてみせましょう」
「デュラハン、そんなの不可能よ。あなたが一番分かっているはずだわ。ヴァンパイアの恐ろしさも、アンデッドの強さも。ここであなたを失うわけにはいかない」
サキさんが珍しく反論していた。
アンデッドは不死の軍団。戦力だけで考えるのなら魔界随一だろう。なにせ、相手は死なないのだから。
「魔王様……どうか」
だが、デュラハンさんはこちらに身体を向ける。
首から上があれば、真剣な眼差しを向けられていたことだろう。
「わかった……信じるよ。デュラハンさん」
「魔王様!?」
「悔しいけど、こうするしか対処の仕様がない。アンデッドに戦力を傾けるのはヘルリヘッセ以上に危険なんだ」
もし奴らと戦争をしたなどと魔女に難癖をつけられてしまえば……最も厄介な魔女を相手取ることになってしまう。
加えて、ヘルリヘッセを陥落させてしまえば魔王の威厳はなくなり、支配下に置いた悪魔とビーストを従える権限も失いかねない。
間違いなく、魔界での統治は上手く進まなくなるだろう。頓挫する可能性もあり得る。
だから、最善はこれしかない。
「……デュラハンさん。出来るだけ足止めをしてほしい。そして一撃目は絶対にこちらから仕掛けないでほしいんだ」
「一撃目? どうするつもりですか?」
サキさんが首を傾げるのも無理はない。
ついさっき、咄嗟に思い付いたのだから。
「デュラハンさんの部隊にコロボックルさん達を同行させるんだよ。彼らの力で、証拠を獲得しておく」
「成程……魔王様の意思でないことを伝えるためですね」
「そういうこと」
コロボックル族とは、魔王領域の幹部のこと。
主に領域侵犯を見張っていて、領域の境界付近で暮らしている。
彼らは小さくて視認されにくい特性を持っており、もう一つ特別な力があった。
それは彼らの使う「記憶抽出」という力。目で見た光景を他者にも見えるよう、映像で抽出することが出来る力だ。これにより領域侵犯の証拠を納めることが出来るという。
「それともう一つ、絶対に生き延びて。まだ、デュラハンさんと話したいこといっぱいあるんだ」
「魔王様……」
「……以上が俺からの命令だよ」
フラグだと言われてしまいそうだけど、それでも言いたかった。
「わかりました。必ず、あなたを守るために戻って参ります」
黒い鎧の騎士デュラハンさんは、膝をついて剣を床に刺す。
その立ち居振る舞いは、彼の変わらぬ忠義を示していた。
「必ず、此度の任務を成功させてみせます」
「……うん。頼んだよ」
こうしてヴァンパイアの件をデュラハンさんに一任し、こちらはヘルリヘッセの防衛に集中することとなった。
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あの日以降、魔王城は一気に忙しくなった。部隊編成やら物資の調達、住人の避難は滞りなく進み、あとは現地へと向かうだけだ。
今回は悪魔にも要請し、戦力を充分にそろえることができた。
サタナキアの部隊は既にヘルリヘッセへと向かっている頃だろう。
「……」
魔王城の自室から、城前に並ぶ魔物たちの数を見て緊張感が走る。
数千の大軍。あれが俺の一言で動くのだから、考えただけで怖い。
「魔王様、大丈夫ですか?」
「セイレちゃん……うん。大丈夫だよ」
俺の装束を着つけてくれていたセイレちゃんが不安な表情をしていた。
表情に恐怖が滲み出ていたのかもしれない。
「魔王様は、自分が命を懸けて守ります」
「……そんなの駄目だよ。命は大切にしないと」
「魔王様……」
こんなきれいごとを言っているけど、俺はきっと数えきれない人間の命を葬ることになる。それも、号令一つで。
だがそれはこちらも同じことで、あそこに集まった中で死ぬ者もいる。
彼らには魔物であろうと家族がいる。そして悲しむ者がいることだろう。
……一人でも多く、生かさないと。
コンコンコン。
「魔王様、失礼します」
着付けの途中でサキさんの部下が部屋に入ってきた。
「あ、まだ駄目です。今は着付け途中なので――」
「す、すみません! すぐに退室を――」
「あ、いいよいいよ。用件は?」
出て行こうとするメイドさんを呼び止め、用件を尋ねる。すると彼女は手に持っていた手紙を見せてきた。
「シュネー様から報告が」
「――! こ、こっちにちょうだい!」
差出人の名前を知り、すぐに手紙を受け取った。
ここまで焦っているのは、数日前、勇者へと一つの通達事項をしたからだ。
あいつは、どう出るか……。
手紙をめくり、中身に目を通す。
『例の公約通り、面会は可能です。以前、彼からも面会の要求がありました。前回の件もあって、こちらが有利に事を進められるかと思われます』
「……!」
その内容を見て心の中でガッツポーズをした。
「魔王様、それって――」
さすがに、セイレちゃんに黙っているわけにはいかないか。面会時の護衛も必要だし……信用できそうな人には教えておこう。
「実はね――」
セイレちゃんに全てを教え、その上で今回の作戦を伝えた。
「魔王様……本気、なのですか?」
「そうだよ。……シュネーさんに返事を送っておいて」
「かしこまりました」
メイドさんに返事を頼み、準備は整った。
これでヘルリヘッセの大戦をコントロールできる可能性が生まれた。
「出来るだけ早急に人間の意思を挫くことが出来れば、ヴァンパイアの件も対応できる」
「そ、そうなれば、デュラハン様も――」
「うん。あいつと口裏を合わせれば、不可能じゃない」
そう思って少しだけ心が軽くなるのだが、相手は馬鹿勇者だ。
そう簡単に事は進まないだろうが、可能性が無いよりはマシだ。
「魔王様……いい顔です」
自然と頬の緊張も解けてきた。
大丈夫だ。俺ならやれる。もう一人じゃないんだ。
バサァッッ!!
俺は着付けてもらった新しい装束に備わっているマグマ色のマントを翻し、腰に剣を差す。
セイレちゃんを見ると、少し頬を染めてこちらを見つめていた。
「よし、じゃあ行こうかセイレちゃん。みんなが待ってる」
「はいっ……!」