第九章23 『不信のロスト』
ここは宮殿の謁見の間。
既に兵士はおらず、周りにいた大臣たちは血を流して倒れていた。
そこには玉座に座る国王ガトーと、玉座の周りをゆっくりと歩きながら国王に語り掛ける一人の男。そして玉座から離れた場所には白装束の信徒が数名いるだけ。
信徒たちは顔も真っ青で、今にも倒れそうな姿をしていた。
「外が、騒がしいようじゃな……」
国王が眉をひそめる。それを見た痩躯の男は、国王の耳元へ歩み寄り声をかけた。
「ええ、国王様。愛する民草が、暴動を起こしているのですよ」
「なんだと……!?」
緑色のマントに身を包む男は、目にクマがあり信徒と同じくやつれている。
背が高く、足が長い。どこか影があるような雰囲気で、目つきが悪かった。
藍色の整った七三分けの髪に奥が見えない灰色の瞳。そして何よりも特徴的なのが、彼の左手だった。そこには字や数字が赤い文字で無数に書き込まれており、左手だけ真っ赤に染まっている。
この男こそ、救済の使徒にして司祭を務める男。
”不信のロスト”だ。
「ご安心ください。彼らが怒っているのはあなたではない。世界に怒っているのです」
「世界に?」
「そう。今、この世界は救いを求めている。自分は、それをひしひしと感じています」
ロストはそう言って左手を国王に見せつける。
「ここに記されるのは、確率の計算式。特に、人が抱く恐怖の確立を研究したものです」
「どういうことだ?」
「ふふっ。人は、力を持つ者を恐れます。それは当然ですね。目の前に剣を持った者がいて、自分に力がなければ平伏するしかない。恐ろしいことだ」
「ああ……」
「ではどうして、あなたはハーフを受け入れていたのですか? 彼らは人間よりも高度な運動神経を持つ種族だ。彼らとの共存など、ありえないとは思いませんか?」
その言葉に、ガトーは渋い顔をして頷く。
「そう! 彼らは力を有する。彼らが団結して王国を乗っ取る可能性も、考えられますね。いえ、数字にすれば可能性は極めて高いのですよ」
「あ、ああ……だが、そこまで疑ってしまうのは――」
「ああ、嘆かわしい!! あなたも心という非論理的なものに縛られてしまうのか!! あんなものがなければ、この世界が恐怖に包まれることはなかった。すべての人間が合理的で感情などと言う一過性の紛い物に支配されることが無ければ、世界は闇に呑まれなかったはず!!!!」
「そんなことは……」
「では質問します。あなたはどうして、彼らを信じることが出来るのですか?
その根拠は? 理由は? 考察は?
明確に論理的に具体的に答えていただけますか!?」
ロストは目を見開き、鬼気迫る勢いでガトーに顔を近づける。
吐息がかかるほど近く、寝不足で血走った目が強調される。
「それは……」
「がっかりです! 国王ともあろう者が、この問いの解答を見出せていないのだから!!」
ガトーが言い淀むと、ロストは大袈裟に落胆して見せた。
「確かに、前提としてこの世に善人しかいないのであれば、彼らを信じるという理論は成り立つかもしれません。しかし今も尚、罪は繰り返され、刑が執行されても尚、罪が重ねられる。……今の世界に、救いはないんです」
ロストは目を細めてガトーを見てきた。
そして腕を広げて謁見の間を見渡す。
「ここに横たわっている大臣たちは、先程、他の大臣が他国の間者ではないかと疑い出し、殺し合った。その結果がこれです」
「……そうだ」
「結局、彼らも本音は疑っていた。自分の出世のために他の大臣の足を引っ張ろうと必死だった。それに気づいていましたか?」
「知らんかった」
「そう! そこですよ!
なぜ、実績や信頼も置ける彼らが、彼ら同士を信頼できていないのに、あなたは魔物の血が混ざった半人半魔を信じると言いきれるのでしょうか。
実に不思議だ。実に論理的ではない! 実に無根拠だ!!
何故疑問を持たない! 何故見過ごそうとする! 何故!!」
「信じようと、してしまったからだ」
「つまり、『信じる』などという考え方は間違っているのですよ」
「……」
「人を信じてはいけないのです。
信じてさえいなければ、彼らの命を救えたかもしれない。
信じてさえいなければ、暴動は怒らなかったかもしれない。
何故なら、信じないという行為は未来の対処を可能にするからですよ。裏切者がいるのなら、裏切る前に殺す。そうすれば、裏切者が現れることはない」
ロストは腕を大きく広げ、天井を仰いで声を張り上げる。
「信じなければ、騙されない。そうすることでようやく、罪なき善人たちに救いの兆しが見える!!
そう、救いとは、何も信じないことに始まるのです!!」
「何も、信じないこと?」
「そう、誰も信じなければいい。そうすれば、高確率であなたは救われるのですよ、ガトー国王」
「救い……」
「そう、救いです。あなたも、信じないことから始めましょう。そうですね、まずは他の国を――」
「お父様!!」
バアアアアンッッ!!
ロストの説法が佳境を迎えた時、謁見の間の扉が勢いよく開け放たれ、ガトーの娘、王女ショコラの声が広間中に響き渡った。
そして、彼女に続いて男女が部屋に入ってくる。
「なんとか、間に合ったみたいです」
「よし、見つけたぜ! 救済の使徒!!」
「あれは……わが娘か」
ガトーの言葉に、ロストは大きく溜息をついた。
そして、王女たちを面白そうに見る。
「まさか、勇者が来るとは……信徒の皆さん、退室を。そして周囲の信徒たちに集合の合図を。ここからは、自分一人の方が都合が良さそうですから」
ロストの言葉に信徒たちは頭を下げ、三人に危害を加えようともせずに部屋を出て行った。
「へぇ、随分と粋な計らいだな」
「ふふっ。お会いしたかったですよ、勇者。自分は救済の使徒で司祭を務めている不信のロスト。以後、お見知りおきを」
ようやく到着した勇者一行とロストが睨み合う形となり、ついにカスタード王国を巡る戦いの終止符が近づいてきていた。