第九章19 『ショコラとスティ』
小さな頃、私はショコラ様のメイドとなった。
捨て子だった私を拾ってくれた国王様のため、そして私の居場所をくれたショコラ様の為にも早く一人前になろうと努力した。
炊事、洗濯、掃除、買い出し、護衛。
ありとあらゆるメイドに必要な技術を身に着ける日々。
そんな日々の中、私はよくショコラ様と街へ出かけた。
『スティ、遊びに行きましょ』
『ショコラ様、お勉強はいいのですか?』
『一段落したの。スティも勉強ばかりで息苦しいでしょ? ほら、一緒に行きましょうよ!』
きゅっ。
『――!』
ショコラ様と手をつないで、私は宮殿の外へと出かけた。
しかし、宮殿の外は人間ばかりで嫌いだった。
――”醜い尻尾の子”――
買い物のために外へ出ると、いつも街中の子供達からそう言われ続けた。メイド服から飛び出る尻尾と、髪から見え隠れする耳が大嫌いだった。
『あ、また尻尾だ!』
『尻尾、尻尾、尻尾のお化け!』
『……』
そんな中、ショコラ様だけは違った。
『あんな言葉、気にする必要ないわよ、スティ。あなたは特別なんだから』
『特別?』
『そうよ。私の特別。だって私の大親友だもん!』
『……!』
その時の笑顔は忘れられない。
屈託のない、眩しい笑顔。
私は、そんなショコラ様の笑顔を見て、彼女に憧れた。
そしていつの間にか、憧れと同時に好意を抱いていた。
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それなのに――、時が経ち、ショコラ様の心を奪う男が現れた。
ある日、ショコラ様がわがままを言って宮殿を出たいと言い出した。私はそれに手を貸して、ショコラ様は街にお忍びで出かけた。
大通りで色々な店を見て回っていると、風変わりな店を見つけたショコラ様が嬉々として店の若い男に話しかける。
『ここは、何をしているのですか?』
『絵を売っています。私は旅をしながら絵を描いていまして』
『へぇ……! 上手ですね!』
『いえ、まだまだですよ』
この時は、まさかショコラ様があの男を好きになるとは思っていなかった。
しかし、この日からショコラ様は頻繁に街へと出かけたいと言い出すようになった。私が駄目だと言っても、他のメイドや兵士たちに護衛を頼んで街へと出かける。
そしてある日の事――何度目になるのか、またショコラ様は画家の店に向かった。
『また来ましたよ』
『ふふっ。絵がお好きなんですか?』
『綺麗なものが好きなの。……あの、一つ訊いてもいいかしら?』
『なんですか?』
『どうして、絵を描いているの?』
ショコラ様の質問に、画家の男は表情を変えることなく柔らかな笑顔で言った。
『私は、誰かを助けたいのです。この絵を見て感動してくれる人が一人いるなら、その一人の為に私は描きつづけたくて』
『素敵ね……。じゃあ、私の為だけに描いてくれませんか?』
『もちろん。何を描きますか?』
『私の事を描いてほしいです!』
ショコラ様はカドラとのやり取りに何度も笑顔を見せる。
その横顔は、私に見せたことの無いような笑顔で、私は何度も嫉妬した。
そして嫉妬したことで、不穏な気持ちを抱えるようになった。
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『ショコラ様、あの男性に身分を打ち明けてみるのはどうでしょうか?』
『急に何言い出すのよ。そんなの……』
『いつまでも騙すような真似をしているのは、ショコラ様らしくありません』
『スティ……わかった。話してみる』
身分を明かすことを持ち掛け、カドラの本性を暴く。
そんな企みを隠し、私はショコラ様に提案した。
しかし、思惑とは別の方向にショコラ様は進展する。
彼の家に案内してもらい、そこでショコラ様はご自身の身分を明かしたのだが、少し驚いただけでカドラは対応を変えたりしなかった。
畏まることなく、一人の女性として接する姿を見て、私は自分の事が嫌いになった。
それから何度も会うようになり、次第に二人の距離が縮まっていった。
歳の近い異性の友人。それはショコラ様にとってとても新鮮だったらしく、弾けるような笑顔を見せていった。
そしてその日がやって来た。
『スティ……私、カドラ様の事が好きです』
『ショコラ様、なりません。国王様がもってきてくださる縁談の話を断っているのに、あのような――』
『あのような……なんですか? スティ、さすがに怒りますよ』
『――! す、すみません』
『決めました。彼に会いに行きます』
『え……』
『止めても無駄です。いくらスティの願いでも、これは私の決めたことですから』
その言葉を聞いて、私は焦った。
ずっと一緒にいられると思っていたショコラ様が途端に離れていくような気がして。
そしてまた、醜い私はショコラ様の為と自身に言い聞かせ、国王様にショコラ様の事を話した。
『男だと?』
『はい。貴族でもない旅人のことを好いているようで』
『報告ごくろう。下がってよいぞ』
国王様に話してから数日後、ショコラ様は彼に会うために出かけようと言い出す。
しかし、出かけようとするショコラ様を待ち構えていた国王様は、エントランスで彼女を引き留めた。
『待ちなさい。どこへ行くつもりだ?』
『お父様には関係ありません。通してください』
『ならぬ。要件を話してもらおう』
そこから口論に発展し、国王様の行動に腹を立てたショコラ様は包み隠さず話した。
それが国王様の怒りを買い、宮殿から出ることを禁じられ、兵士たちに監視されることとなる。
『お父様のわからず屋!! スティもそう思わない?』
部屋に戻ってきて愚痴をこぼすショコラ様に、私は頷くことしかできなかった。
さすがにショコラ様も諦めてくれると思った。
でも彼女は、やはり私の憧れだった。
『スティ、私……やっぱりカドラ様の事が好きで仕方ないです』
『ショコラ様、しかし――』
『絶対に、お父様に反対されても、私は彼しか愛せません』
『どうして、そこまで……』
『本で読みました。”愛に具体的な理由はない”――と。今ならその気持ち、痛い程にわかります! 胸の奥が痛くて、何もしていないことに焦る自分がいて……どうしようもなく、彼のことしか考えられなくなるのです。頼れるのはあなただけなの……スティ、協力してください!』
『……!!』
唯一、ショコラ様を対等の女性として扱った男。
そんなカドラを想うショコラ様の瞳は、輝いていた。
そして数日後、宮殿に報せが飛び込んできた。
『勇者様を名乗る旅人? 面白い方たちがいますのね。……あ、そうです』
『ショコラ様、何を考えているんですか?』
『彼らに協力してもらえば、カドラ様の所へ行けるかもしれません!』
ショコラ様はどこまでも真っ直ぐに、自分の想いに正直に、宮殿を抜け出してまで彼の元へと向かうと言い出した。
そして幽閉された勇者様を利用し、本当に決行した。
カドラの家へと向かう途中ではぐれた勇者様たちのことは気にも留めず、感情のままにショコラ様は彼の家を目指した。
辿り着くと、今から絵を売りに行こうとしていたカドラと出くわす。
『ど、どうしてここに?』
王女の突然の訪問に、カドラは驚きを隠せないでいた。
『お、お話がありますの。家に、伺ってもいいですか?』
頬を赤らめながら、ショコラ様は震える声で尋ねた。
『わ、わかりました……』
家に上がり込み、ショコラ様は何も気にせず椅子に腰かける。
『メリュー、お父さんは話があるから、アトリエで静かにしてなさい』
『はぁい』
小さな青髪の女の子。彼女はハーフだ。
女の子は奥の部屋に入っていき、ショコラ様の対面にカドラが腰を掛ける。
『ショコラ様、どのようなご用件でしょうか』
『それは、ですね……伝えたいことがありまして』
『伝えたいこと、ですか?』
『……私は、あなたを愛しています。どうか、私を妻にしてくれませんか?』
私はショコラ様の後ろからカドラを見ていた。
中途半端な男だったら、きっと斬りかかろうとしてしまったかもしれない。
しかしカドラはショコラ様の告白に驚き、すぐに頷くことはなかった。
『私は、地位も捨てる覚悟です! あなたと一緒なら、どこへでも――』
『それは、難しいお願いですよ』
『え……』
カドラは、ショコラ様の告白にそんな返事をした。
当然、ショコラ様は納得していない。
『どうしてですか? 理由を、教えてください』
『簡単です。ショコラ様は国を愛してます。私の為だけに愛するカスタード王国を捨てられるとは思えません』
『そんなの――!』
『わかりますよ。ずっと、話してきたじゃないですか。あなたがこの国を愛していることは知っています』
『カドラ様……』
『それに、私は……』
カドラは力なく笑い、袖をめくり腕を見せる。
その腕は人間のそれではなく、光沢を帯びた鉄のような腕だった。
『私は半人半魔です。あなたの告白を受けてしまえば、あなたを辛い目に遭わせてしまうかもしれない』
カドラの言葉に、私は驚いた。自ら隠していたハーフであることを明かすのは、相当の覚悟を要すること。
この男は、それを私の目の前で……。
さすがにショコラ様も――。
『だから、どうしたというのですか!』
『ショコラ様……!?』
『私は、そのようなことを気にしません。私は、私を王女としてではなく、一人の女性として扱ってくれた、あなたの事が大好きです。あなたと肩を並べて歩けるのなら、どんな辛い道でも構いません!!』
ショコラ様……そこまで。
『カドラ様は、私の事、お嫌いですか?』
ショコラ様の言葉に、カドラは椅子から立ち上がって首を振る。
『とんでもない! 私も、ずっと――』
『――! なんだ、相思相愛だったんですね。お願いします、カドラ様。どうか、私の想いを――』
ドンッ!!
『お取込み中のところ申し訳ありません。聞き流せないことを耳にしてしまいましたので』
突如、話の最中に家に押しかけてきたのは、執行団の団長スカルピアだった。
彼は複数の執行団員を率いて無作法にも家に上がり込んでくる。
『す、スカルピア、なんのつもりですか!』
『王女様を騙す輩を放置しては置けません。我が国では、ハーフであることを隠す行為は罪。その男を連行させていただきます』
『そんなの――スティ!!』
ショコラ様がこちらを見て叫ぶ。
私なら、この状況を打開することは容易かった。
でも、一瞬だけ――。
この状況を嬉しく思う、醜い自分がいた。
『王女様たちも連行しろ。罪人に裁きを下す』
そのままスカルピアに捕まり、あのような事態になった。
確か、勇者様を助けて倒れたことは憶えてる。
あの後、どうなったのかは不明だった。
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「ぅうん……」
長い夢を見ていた気分だった。
目を覚ますと、そこは宮殿にある救護室の天井で、私は仰向けになっていた。
「あ、ようやく起きたのね。もう、主人を心配させるなんてメイド失格よ?」
「ショコラ様?」
身体を起こすと、ベッドの横にショコラ様が座っていた。
少しだけ疲れが見えるけど、どこも怪我していない。
「よかった……」
「それはこっちのセリフです。傷が深かったから心配したのよ? でも……スティ、ありがとね」
「え……?」
「あなたが身体を張ってくれなければ、私は死んでいたかもしれません」
「ショコラ様……」
「スティはここにいて。後の事は、私が頑張るから」
そう言い残してショコラ様が立ち上がる。
謝りたかった。
何度頭を下げても許されることではないけど、それでも……。
「ショコラ様! 実は――!」
「スティ、あなたは私の特別。特別な大親友。でしょ?」
「――!」
「それじゃあ、勇者様を待たせるといけませんし。行ってきますね」
「……はい。いってらっしゃいませ」
私の大好きな憧れは、決意に満ちた目をしており、凛とした表情でこの部屋から出て行った。
体に力が入らず、私はそのまま、もう一度目を閉じることにした。




