第九章13 『夜分遅く』
勇者とモルがショコラ王女の恋愛相談に乗っている頃、エリカは目当ての露天商を見つけることに成功していた。
ハーフの露天商の家に上がり込み、ようやく一息つくことができた。
「悪いわね、こんな夜分に」
「いいですよ、お客さんはお得意様っすから」
兎の耳をぴょこぴょこと揺らしながら、彼女は温かいスープを持ってきてくれる。
朱色の野菜、キャロルの風味がきいた優しい味付けだ。
「でも、驚いたっすよ、昼間のお客さんが訪ねてくるなんて。よくこの場所がわかりましたね」
「ま、まあね。露天商だから店を構えてる近くかなって思ったの」
「そうだったんすね。あ、どうぞ冷めないうちに」
少しだけ罪悪感があった。
この子は救済の使徒の信徒。そして私は救済の使徒が憎む勇者の仲間。
こうして相手を騙すのって、少し心苦しいものなのね。
きっと、シュネーも……。
「そういや、お客さんは信徒の人っすか?」
「……!」
この子、まさかの自白!? 危うく吹き出すところだった。
私はまだ、救済の使徒の信徒とも言ってないのに。
でも、これはチャンスね。
騙すならとことんまで騙して、情報を得ておきましょう。
「え、あぁ、うん。両親がそうだったわ。私も今は旅をしているけど、いずれ正式な信徒になるつもりよ」
「そうだったんすね。私はハーフで苦しかった時期に、寄り木になった場所が救済の使徒だったんですよ」
「…………」
「どうしたっす?」
「な、何でもないわよ」
なんてチョロい……。
も、もう少し情報を引き出せるかも。
「あなたはやっぱり、『痛み』を崇拝しているの?」
「そうですよ。ハーフのほとんどは痛みっすから」
まぁ、ここは読み通りね。
救済の使徒の司祭は六名。それぞれが様々な感覚を救いの手段と示している。
例えば、アットバット遺跡で出会ったあいつは「迷い」の感覚を提示しているように、司祭ごとに感覚が違う。
とりわけ有名なのは「憂い」と「憤怒」、そして「痛み」の三つ。
これらは信徒の数も多く、強大な勢力だ。
まさか、この国に「痛み」の勢力があるなんて……。
「痛みはいいっすよ。憤怒とかだと司祭に殴り飛ばされるらしいっすから」
「……そ、そうなのね」
相変わらず常軌を逸してるわね、こいつら。
「けど痛みの場合、一日に一回、他人に痛みを与えるだけでいいんです。私は今日、あの人間に与えたから大丈夫ですね」
痛みはハーフを中心に信徒を拡大していると聞いたことがある。
差別されてきたハーフたちが、人間に痛みを与えることは罪悪感もないだろう。
「あ、そうだ」
「……?」
「ちょうど司祭様が街に来てるんすよ。挨拶しに行きませんか?」
「――!?」
まさかの言葉が彼女の口から放たれた。
司祭が来てる? 嘘でしょ?
司祭の事は信徒にしか明かされていない機密の情報。
それをまだ信徒でもない私に……この子、色々と危なすぎるんだけど。
もしかして、私の正体を見破った上でフェイクを流してる? ――それはないか。見たところ嘘は下手そうだし。
「さ、さすがに正式な信徒でもない私が行くのはマズいわよ」
「それもそうっすね。……司祭様に殺されかけるのも嫌っすから、今のは聞かなかったことにしてください」
「わかったわ」
もう聞いちゃったけど。
でも司祭本人がいるとしたら、早くこの王国から離れないと。
この際、遺品とか末裔は後回しでいい。痛みの司祭と直接戦うことになったら、きっと勝ち目がない。
なのに、あの馬鹿……!
とりあえず、今は出来る限り情報を集めておかないと。
この子は商売人だから、香草屋の件も何か知ってるかもしれない。昼間は訊くのを躊躇ったけど、今は状況が状況。得られるものは得ておきたい。
「あ、そういえば。今日街で歩いてると香草屋の話を聞いたの。明日にでも行こうかなって思ってるんだけど、どんな店か知ってる?」
「――! そ、それ、行かない方がいいっすよ!」
私の言葉に、彼女はブンブンと首を横に振った。
「実は、司祭様が街に来ているのって、その香草屋が原因なんすよ」
「ど、どういうこと?」
「詳しくは言えないっす。でも、近づかない方がいいっすよ……なんせ、あそこを仕切っているのは『不信』の連中っすから」
不信……それって司祭の一人よね。
嘘でしょ? ありえない。
まさか、一つの国に二人の司祭が集結してるなんて。
「もう少し教えてくれない? ほら、この通り! ね?」
「……仕方ないっすね。本来、カスタード王国に勢力を固めていたのは、うちら痛みの信徒だったんすよ。この国はハーフを認めた多種族国家っすから、痛みにはちょうどよかったっす」
「でも、どうして不信が来てるの?」
訊ねると、彼女は少しだけ言いにくそうにして、耳を近づけるようにジェスチャーしてくる。
耳を近づけるとこそばゆい小声で彼女が話し始めた。
「実は、執行団長のスカルピアと不信が繋がってるらしく、奴が目的のために不信を呼んだと噂されてます」
スカルピア……まさか、ここでその名前が出てくるなんて。
「そういえば、不信の特徴って……」
「ハーフをとことん嫌う連中っすよ。不信のロストが出現したことで、カスタードの信徒や迷えるハーフを救うために司祭様が来たっす」
痛みと不信の不仲は聞いたことがある。
でもまさか、この街で対立を強めているなんて……。
更に気になったのはスカルピアね。
あいつ、国王に忠義を誓ったくせに救済の使徒と繋がっていたのか。
「もしかして、最近街で異変が起きてるのって――」
「間違いなく、不信の仕業っすよ。でも安心してください。司祭様がもうじき行動を開始するはずっす」
行動? そんなの安心なんてできないわよ。
迷いのアビスだけでも苦戦したのに、二つの勢力を相手にするなんて……。
「よかったら、ここにいるっすか? 明日は私も仕事があるんすよ」
「ありがとう。でも、これ以上迷惑はかけられないわ」
「そうっすか。またいつでも来てくださいっす。お客さんなら、大歓迎っすよ」
「ええ、そうするわね」
言っていて胸が痛かった。
きっと次に会う時、あなたは私を憎むでしょう。
だから、これが最初で最後。
……もう、どうしてこんなことになったのよ。
相手が救済の使徒って分かってるのに……騙すのって、本当に辛いわね。