第八章10 『語りの湯』
魔王は領域の規律を変革することに成功し、幹部たちと共に元アンデッドのシルキーが経営する温泉宿へとやって来た。
そこでこれまでの疲労を癒す面々。
そしていよいよ露天風呂へと向かうことになった。
長い廊下を歩いていくと、暖簾を見つける。
安心した。
どうやらこちらでも男女が分かれて入浴するようだ。トイレも男女種族別だったため警戒は薄かったけど、実際にここに来るまで半信半疑だった。
だってあれだ。
魔物だったら男も女も関係ないって感じになりそうだからだ。
……まあ、少し残念といえばそうなるかもしれないけど、みんなの裸を見る自信無いし。
見せる自信も……まあ魔王のボディビルダーみたいな身体なら見られても平気だけど、あ、あれだ。
つまり道徳に反するとか、そういうことだな。倫理的にマズいんだ、うん。
「こ、ここ……混浴じゃないんですね。混浴だったら、魔王様とあんなことやこんなこと……あぁ、想像だけでゾクゾクします。今夜のお供はこれにしましょう……うふっ」
「……」
サキさんの危険すぎる独り言は聞こえなかったことにしておこう。
「ざ、残念です……身体には自信あるのに」
セイレちゃんまで、何言ってんの!?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何はともあれ露天風呂にやってくる。
しかし入浴前、脱衣所で魔王の装束を外し全裸になると、自分の体形に少々見惚れそうだった。
「……魔王の身体、すげぇな」
「魔王様、お入りにならないのですか?」
「あ、うん……え!?」
デュラハンさんに声をかけられそちらを見ると、魔王の身体とは違った意味で衝撃的だった。
傷だらけで筋肉が隆々とした肉体。ボディービルでもしているのかと疑いたくなるマッチョだ。これはあのモテマッチョ(※ケンタウロス)と遜色ないな。
そして目立つのは痛々しい傷痕。どれだけの修羅場をくぐってきたのか。
「ま、魔王様?」
「――! な、何でもないよ。行こうか」
何とかごまかし、露天風呂へと本当に向かうことにした。
扉の向こうにあったのは、岩で囲まれた風情ある露天風呂。男湯と女湯は木製の壁で仕切られており、天井は当然無く、魔界の夜空が頭上に広がっている。
まずは身体の汗を流し、先に身体を洗ってしまう。
それからデュラハンさんと一緒に湯船につかった。
「ん、はぁ……」
くぅぅぅうう!!
これこれ、これなんだよなぁ……。
体中に沁み渡るっていうか、お湯がつき抜けてくるっていうかさぁ……まさか、魔王になってまで味わえるなんて思ってなかった。
近頃の仕事の疲れも吹き飛びそうだ。
「はぁ……生き返るなぁ」
「ま、魔王様、どこか体調を崩されていたのですか?」
「あぁ、いやいや、この言葉は前の世界でよく使ってたんだよ」
そう言うと、少し空気が張りつめた気がした。
「デュラハンさん?」
「……魔王様、あなたが変わられたことは魔界中で話題になっています。これは以前の噂とは違う方向性のものです」
「そっか……そういえば、例の噂を流した人物は特定できそうかな?」
「難しいかと」
やっぱりなぁ。
噂は出所不明だからこそブランドになる。簡単に突き止められるようでは意味がなく、信憑性もない。調査によると誰に聞いても答えに辿り着くことが無いようで、周到な計画があって噂が流されたと見て間違いない。
気になるのは、ミノ子さんがビースト幹部ラミアから情報を仕入れたということ。
身内に噂を流した者がいるとして、何故ビーストだったのか。
ビーストが動くと見越していた……というのが有力だが、そうなると意図がわからない。
結果論だが、ビーストが事実上の消滅に至ったことは魔王に有利に働いているからだ。
何を考えて噂を流したのか……考えると候補がありすぎる。
敵か味方かわからない以上、情報収集を止めるわけにはいかないか。
「……引き続き頼むよ」
「そのつもりです。……その、魔王様」
「ん?」
「新たな魔王様は評判がよろしいです。しかし、以前の魔王様を望んでいる者もおります故、必ず誰か護衛を付けてください。ハーピーの時のようなことが二度と起こらぬように」
ハーピーの時。
デュラハンさんは不覚をとった自身を責めていた。
確かに危険性は増すだろう。……デュラハンさんの言う通りかもな。
「……ありがとう。そうするよ」
「お願いいたします」
デュラハンさんがお辞儀しているように見えた。
そういえば、この人はどうして魔王に忠誠を誓っているんだろう……。
この際だから――。
「あの、デュラハンさ――」
「ち、違いますよ! サキュバス様と違って、自分は魔王様を心の底から愛しています!!」
「――!?」
訊ねようとしたら、露天風呂を仕切る木製の壁の向こうからセイレちゃんの声が聞こえてきた。
「私だって、魔王様を愛しているわよ!!」
「自分の方がもっとです!!」
「ふ、二人とも落ち着いてください~~。フェニちゃんにエルフ様も、呑気に身体を洗ってないで二人を止めてくださいよ~~!」
ミノ子さんの悲鳴に続き、フェニちゃんの楽しそうな鼻歌も聞こえてくる。
あちらは、ずいぶんと賑やかだな。
「あいつら……魔王様、気に障りませんか?」
「平気だよ。なにより、ちゃんと休んでくれてるってことがわかって嬉しいかな」
「なんと……魔王様は寛大な心をお持ちですな」
デュラハンさんが感心していると、また二人の言い争いが聞こえてくる。
「聞き捨てならないわね! 私は秘書なのよ?! 魔王様にとって最も重要な――」
「愛に階級は関係ありません!!」
「あのぉ……」
二人が争っていると、そこに声が加わった。
「お二人ともぉ、もう少し声を抑えた方がいいと思いますよ~」
この間延びした声、エルさんだな。
「駄目だよエルちゃん、これは、譲れない、から!」
「そうよ! 外野は黙ってて!!」
「でもぉ、この壁の向こうに魔王様いますよ?」
「「――え??」」
一言で静寂が訪れる。
「ですよねぇ、魔王様ぁ」
何で呼んでくるんだ!!
「…………」
ここは一応、咳払いして応えておこう。
「ごほん」
「「――!!」」
ザバアアアン!! と大きな飛沫の音が聞こえてから、ドタバタと露天風呂から立ち去る足音が聞こえてきた。
「……まったく、騒がしい者達だ」
「あはは……」
さすがに心中察すると笑えなかった。
それからしばらく湯に浸かり、デュラハンさんと他愛ない話を交わしていると、デュラハンが少しだけ真剣な表情を見せる。
「――時に話は変わりますが魔王様、サキュバスとセイレーンの事はお考えになっているのでしょうか?」
「いきなりだね……そりゃあ、考えてるよ。でも、考えると余計にね」
「やはりそうですか。……我如きの意見でよろしければ、少し知ってほしいことがあります」
「え?」
驚いてデュラハンさんを見ると、顔は無いものの身体がこちらに向いていた。
「今の魔王様はご存じないと思われますが、我は元々アンデッドに属しておりました」
アンデッド……四天王に数えられる勢力だ。
「アンデッドは不死種族の集団。種が増えることはあっても減ることの少ない種族。なので、種の繁栄には特別な規律が存在するんです」
「特別な規律って、種族の限界値を決めるとか、そういうこと?」
「さすがです。仰られた通り、我々は種族の中においてのみ繁栄を認められてはおりましたが、数が限られていました。更に種族の垣根を越えた愛は禁忌とされていたのです」
垣根を越えるってことはつまり、デュラハンさんとシルキーさんが結婚するみたいな感じだろうか。
「禁忌にするほどのこと、なのかな?」
「ええ。アンデッド族の種族数は決められている。しかし異種族間で結婚し子供を授かれば、母と父の血を受け継いだ混血の魔物が生まれ、どちらの種族で数えるのか問題が発生するのです」
そうか。
種族の人数が決まってるのに、生まれる種族がわからないとなれば……問題になるのか。
でもそれだけで禁忌にするのは、どうなんだろう……。
「あの、デュラハンさん、どうしてこんな話を?」
「……我が父と母は禁忌に手を染めてまで、愛し合ったのです」
「え……つまり、デュラハンさんは二つの種族の混血?」
「母がヴァンパイア、父がデュラハン……我は二つの種族の混血となります。我が父と母はアンデッドを敵に回してまで愛し合った……我がこのような話をしようと思ったのは、魔王様が本当に共にいたいと、心底思える者を正室にしてもらいたいからです」
「デュラハンさん……」
「我が父と母は疎まれながらも、愛し合っていた。我が記憶にも焼き付いております。我には、二人の関係は素晴らしく思えた。ですから、魔王様にも幸せになっていただきたいのです」
禁忌に手を染めた両親……それでも愛を求めたというのか。
でも、きっと壮絶だったはずだ。
デュラハンさんは敢えて語ろうとしていないが、これ以上の苦悩があったに違いない。
それが話せないのは、忠誠心を見せるデュラハンさんにも、俺に対して感じることがあるからだろう。
当然だよな。俺は別人なんだから。
「アドバイスありがとう、デュラハンさん。……今度、もっとデュラハンさんの事を聞かせてよ。デュラハンさんが話したいって思える魔王になれたら、その時にでも」
「魔王様……! 申し訳、ございません」
「いいよ頭下げなくても。それが普通でしょ。自分の過去なんて簡単に語れない。俺だって、あの頃のことは話したくないし……お互い、いつか語り合いたいね」
「――! ありがたきお言葉!!」
「うん、よし!」
ザパッ!
俺は立ち上がり、一つの決心をした。
「じゃあ、そろそろ答えを出してくるよ。二人をこれ以上待たせるわけにはいかないからね」
デュラハンさんの話で、ようやく決心がついた。
俺はそのまま出口に向かい、彼女達に会うことにした。
俺が本当に一緒にいたいのは――。