第1話
(ど、どうしよう……)
僕は焦っていた。
家の敷地で転送魔法の練習をしていた僕は、長年の間1度も成功した事のなかった生物転送に成功した。ただ、それによって転送されてきたのは『人間』。僕と同い年くらいの少年だ。
許可もなく勝手に見ず知らずの人を呼び出してしまったことに、僕は強い自責の念を感じていた。
「あ、そうだ。 君、どこの国の人? 名前は? 種族は?」
とりあえず、現状で僕が1番最善の手だと考えたのは、呼び出してしまった彼についての情報を知ることだった。
自分でも若干声が震えているのが分かる。ついでに、心臓もドクドクとうるさいくらいに暴れているが、表情には出ていない……と思う。
僕が焦ったまま彼と話せば、彼にも不安を与えてしまうかもしれないと思ったからこそ、表面上は軽い感じに接している。
「ちょ、ちょっとまって」
少しどもりながら少年が返事をした。それを聞いた僕は思わず目を見開いてしまった。そして、もしかしたら不安にさせただろうかと申し訳なくなる。
「まず、ここが何処だか教えて貰ってもいい?」
「あ、ゴメンね。ここはガラードの北側にあるクルジオ家の領地『ベネタル』です」
僕はそう言って、なるべく簡潔に、だけどわかりやすく今の場所を説明したはずだった。だけど、彼は何か意味の分からないもの、知らないものを聞いたかのように呆けている。
(あれ? 伝わらなかったのかな?)
不思議には思ったが、今は少年を一刻も早く元の場所まで戻すことが先決だ。
「魔法を使ってそこに呼び出したんだけど、どこ出身だか教えて貰ってもいい?」
出身地さえ分かれば返すのは簡単だろう。転送魔法で送るという手もあるし、家の権力を使って馬車などで連れて行って貰うという手もある。
そんなことを考えていた僕の耳に飛び込んできた言葉は、予想外のものだった。
「東京……日本の東京都だけど……」
「トウキョウ? 聞いたことないなぁ」
『トウキョウ』なんて地名の場所はあっただろうか? 少なくとも僕の記憶の中には存在しない。どこか辺境の地なのだろうか。それか、別の大陸の可能性も……
そんなことを考えていると、少年がキョロキョロと辺りを見だした。彼の目には抑えきれぬ好奇心が浮かんでいて、意外とこの状況を楽しんでいるように見えた。
(うーん、これは僕の手には負えないかなぁ。本家に頼ってみよう)
そういえば、と思い出す。まだ、彼の名前を聞いていない。それに、こちらも名乗っていなかった。
「あ、僕の名前はセルジュ・クルジオって言います」
彼は突然の自己紹介に驚いたようだった。確かに自分でも少し無理矢理すぎた気はしている。
「セルジュ・クルジオ……。どっちが名字?」
はて、『ミョウジ』とはなんだろうか? どっち、と言うことは名前に関しての事を聞いているのだろうが、何分聞いたことがない言葉だったので意味が理解できない。だから、ここは素直に聞き返してみることにした。
「ミョウジ? 何ですかそれは?」
「あ、いやなんでもない。俺の名前は神谷奏汰」
見事なまでにはぐらかされた! けど、こんな簡単に流してしまえるという事は特に重要な事ではないのだろう。ならいいかな。
「カナタ君ですね。申し訳ないけど、僕の家に来てもらえる? 今回の事は少し予想外で、僕の手には負えなくて」
「あ、あぁ。わかった」
少し言葉足らずだった気もするけど、カナタ君は素直に頷いてくれた。
「ありがとうカナタ君。こっちだよ」
「あ、奏汰でいいよ。堅苦しいのは好きじゃなくて」
どうやらカナタ君、いや、カナタはかなり積極的というか、フレンドリーな人のようだ。今まで周りにこういうタイプの人間がいなかったので少し新鮮に感じる。
さて、気を取り直して家へと向かうことにする。家はここから徒歩で数分も掛からない場所にあるので意外と移動は楽だ。そもそも、この場所が家の敷地内なのだから家まで時間がかからないのも当たり前なのだけど。
クルジオ家の領地はかなりの広さを誇る。国内の貴族の中でも1位2位を争う程の領地の広さだ。それは、僕たちの血筋が特殊な魔法『転送魔法』を使えることや、転送魔法を使った遠国との貿易を可能としていることに関係している。転送魔法は使える人間が限られている。そのため、価値を知っている人からしたら、転送魔法を使えるというだけで喉から手が出るほど欲しい人材に映るだろう。
そんな特に意味の無いことを考えながら歩いていると家が見えてきた。ついでにその家から走ってくる小さい影も。
「セルジュー。凄い煙だったけど、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。それよりゲルダ。イリアさんはいる?」
「いるよー。やっと成功……したんだね。おめでとさん」
「ありがと」
僕が生物転送に成功した事を知って喜んでくれていたゲルダだけど、後ろに付いてきているカナタのことが見えたのか何かを察したような顔になる。恐らく、この事について『イリアさん』に話があることも分かったと思う。それを伝えるためかゲルダは家の中へと走って行った。
ちなみに、ゲルダはクルジオ家本家、当主イリア・クルジオの息子だ。だから、クルジオ家分家の僕より立場が上なのだけど、いつも今日のように友人のように接している。と言うか、クルジオ家はそこまで規律に厳しくないので話し方とかは特に注意されたりはしなかったりする。
「それじゃあ行こう」
カナタにそう言って僕は歩き出す。
初めての生物転送。だけど、人間を転送してしまうという予想外の事態で、正直今も僕の心は混乱の真っ只中だ。クルジオ家現当主であるイリアさんに助けて貰えればいいんだけど……。
不安な気持ちを抱えたまま歩みを進める。ふと後ろを振り返れば、カナタはなんだか期待に満ちた顔でいて、ずいぶんと楽しそうだった。多少で良いからその楽しさを分けてくれないかと、不安ばかりを抱えていた僕はそんなことを思った。