第三話 ゴリラ女子、弟子になる
ウィルは立ち止まると、振り返った。後ろ姿に見惚れていたヒカリも、歩みを止める。
「僕たち、どこかで会ったことはないかな?」
「な、ないよ」
ヒカリは、頭を振って否定した。こんな美しい男性と出会っていたら、覚えているに違いないからだ。たとえ、街中ですれ違っただけだとしても。
「そう」
伏し目がちに向き直り、再び歩き始めた。この世界に、ヒカリに似ている人がいるのだろうか。エクスレイドが、こっそりと笑う。
(ゴリラ女子が増殖したら、女の定義が変わるな。女性……それは力を持て余した――)
辞書を読み上げるような口調に、ヒカリは柄を握る力を強めた。
(わ、悪かった! だから壊すんじゃねぇ!)
(失礼な剣め……)
(ったく、危ねぇな……。そいや、あのネックレスはどうした?」
ヒカリは、寝間着であるスウェットのポケットに入れていたので、腰辺りを軽く叩く。
(よかった。とりあえず、隠しとけよ)
(見せちゃいけないの?)
(そ、それは、この国に伝わる幸せのお守りに似ていてな。他人に見せたら、幸せが逃げちまうんだ。まあ、数百年前の話だが)
「す、数百年前?」
思わず声を出してしまったヒカリは、手で口を押さえる。ウィルが振り返ると、ヒカリは視線を逸らした。ウィルは何事もなかったように前を向き、神殿内の広間に出た。
(数百年もあそこにいたからな。とりあえず、この国の状況を把握したい。こいつの話によれば、昔とは違うようだしな)
ヒカリがいた世界も、数百年の間に様々なものが変わった。技術が進化したり、文化が発展したり、戦争が勃発したかと思えば敗戦して放棄したり……挙げたらきりがない。また、エクスレイドが数百年もあの場にいた理由が気になった。だが、その質問はウィルによって遮られる。
「君に会わせたい人がいる。彼は、信用に足る人だから安心して」
ウィルは、神殿の入口を閉ざした扉を押し開ける。その先では、黒髪で切れ長のつり目をした男性が待っていた。彼もなかなかの美男だが、どこか寄せ付けない雰囲気を感じられる。
「ウィル、あの人は?」
「彼がクロウ。僕付の武官で、会わせたい人だ」
クロウは、右手を胸に添えながら頭を下げる。黒いコートに身を包み、膝丈のブーツを履いていた。大剣を背中に、そしてなぜか木刀を腰に携えている。
「殿下、そちらは?」
「ヒカリだ。この子にも、僕付の武官になってもらう」
「……え?」
寝耳に水とは、まさにこのことだ。ウィルと二人で同棲し、恋を育んでいく妄想をしていたヒカリは、思わず眉根を寄せる。
(おいおい、どういうことだよ! 適格者を武官にするなんて、俺は反――)
「この子は適格者だが、剣の扱いが下手なんだ。上達するまで、教えてやってほしい」
(そういうことなら賛成だ)
掌を返したエクスレイドと、ウィルの毒舌に、ヒカリは気を悪くした。
「そうですか。ならば」
次の瞬間、クロウは木刀を抜き出し、ヒカリの脳天に思い切り打ちこむ。
「ぐふっ!」
ヒカリは歯を食いしばりながら、その場で屈み、両手で脳頂を抑えた。頭が割れそうな痛みに襲われ、生理的な涙が出る。
「クロウ、女の子相手に度が過ぎているよ」
「申し訳ありません。礼儀が悪いので、つい」
(よくやったぜ! ……まあ、ちょっとやりすぎかもしれねぇが)
ウィルは片膝を地面につけ、ヒカリの頭を優しく撫でた。そんな彼の優しさに、また泣きそうになる。そして、ウィルが見てないのをいいことに、クロウを凝視した。
「目上の者への態度。そして剣術。責任をもって教える」
覚悟しろ、と言わんばかりに無表情で見下された。ヒカリは、涙を拭いながら下唇を噛みしめ、怒りを抑える。だが、同時に疑問が湧いた。目上の者というのは、おそらくウィルのことだろう。
王族以外立入禁止の神殿、殿下という呼ばれ方、ウィル付の武官、という単語が脳裏に浮かぶ。ヒカリは、全身から血の気が引くのを感じた。
「す、すみません、ウィル様!」
「ふふ、そんな畏まらなくていいよ」
ウィルは、王族の人間だった。よく考えればすぐに分かることだが、生きるのに必死だったヒカリにはそんな余裕がなかったのだ。
痛みも徐々に治まってきたので、ウィルに支えてもらいながら、ヒカリは立ち上がる。様々な事実が分かり、妄想していた甘い生活は音もなく崩れ去った。
ウィルを先頭に、二人は歩き出した。橋を渡って後方を向くと、神殿が湖の中央に浮かぶ島に建っていたことが分かる。よそ見したらクロウの鋭い視線が突き刺さるので、すぐに向き直った。前方には、巨大な城がそびえ立っている。あれが、ウィルの居城だろう。
(そういえば、使命はいいの?)
(今のままじゃ、魔獣に襲われて死ぬだけだ。技を習得してからでも遅くはねぇ)
確かに、エクスレイドの意見は正論だった。渋々納得しながらも、ヒカリは引っ掛かっていたことを聞く。
(ウィル様が魔獣を浄化していたけど、あれは?)
(あれは浄化じゃねぇ。魔獣が形を維持する力が一時的に消えただけだ。しばらくしたら復活する)
(じゃあ、斬っても斬っても終わりがないってこと?)
(いや、大聖剣で浄化すれば二度と蘇らねぇ。要するに、お前が終わらせるしかねぇんだ。だが……まあいい)
面倒なのか、エクスレイドは話を終わらせた。ウィルは、歩きながらクロウに訊く。
「明日、ヒカリを父上に紹介したい。父上に謁見を申し込んでくれないかな」
「承知いたしました」
その話を聞き、ヒカリは淡い期待を抱く。父上というのは、おそらく王様だろう。そして、武官と言っておきながら、実は将来を考えている恋人として紹介されるかもしれない。やがては王妃に……という幸せな妄想は、流し目でヒカリを見やるクロウによって叩き潰される。
「朝・昼・晩は稽古だ。自己鍛錬も怠るな。休みはないと思え」
会社に置き換えると、一日中仕事・サービス残業・休日出勤……ブラック企業じゃないか! と心の中でツッコんだ。
「返事をしろ、弟子」
「は、はい」
逆らえばどうなるか。先ほどの脳天直撃事件を思い出し、再び頭が痛む。甘い恋物語ではなく、恐怖政治のような師弟関係が始まった。




