第二十二話 本当の家族
抱擁を解かれると、男は屈み、ヒカリと視線を合わせた。爽やかな柑橘系の香りが、鼻を掠める。なぜか、その匂いに胸が締め付けられた。
「つらかったな」
寂しそうに微笑みながら、頭を撫でられる。しかし、ヒカリから見たら、ちょっとおっかない美男でしかない。目の前の人間が、どんな思いでそんな表情を、そんな行動をするのかは理解できない。本当に、恋人だったのだろうか。だが、三歳でそんな関係を築けるとは思えなかった。
「あの、名前は?」
聞けば、この男のことを思い出せるかもしれない。勇気を出して、口にした。
「……」
彼は、目を見開く。が、それは一瞬のことで。驚きは切なさを含んだ眼差しに変わり、力なく口角を上げた。
「……マサハルだ」
(やっぱり、聞いたことねえな)
エクスレイドは、長年帝国の神殿に閉じ込められていたのだ。知るはずもないだろうと期待はしていなかった。そしてヒカリも、何も思い出せなかった。いや、そもそも本当に、マサハルはヒカリを知っているのだろうか。
疑っていることを口に出しては言えないので、マサハルの次の行動を待つ。下手に動いて殺されでもしたら、ウィルを、帝国を救えなくなる。
マサハルは背筋を伸ばしながら、手を差し出した。
「帰ろう、ヒカリ」
大きくごつごつとした手に、小さな手を添える。緊張して手汗が滲み出ているため、控えめに乗せた。下手に掴んでは、マサハルの手を握り潰してしまうかもしれないからだ。
彼に連れられて、森の中を歩いていく。どこを見ても同じ景色で、目印等もないのだが、その背中に迷いはない。ヒカリを気遣いながら、目的地へ進んでいく。その道中、複雑な思いが湧いた。
まず、ウィルのことが過る。彼に残された時間は少ないからこそ、てきぱきと行動したい。さっさとマリアージュを入手して、帝国へ帰還し、すべての魔獣を浄化したいのだ。しかし、マサハルから逃げられるとは思えなかった。この手を離せば、どうなるのか。先ほどの殺意を実行に移されるものなら、間違いなく死ぬだろう。だから今は、彼について行くことに決める。
そして、その先にはおそらく、家族がいる。血の繋がった、ヒカリの家族だ。仮に此処で住んでいたとして、どういう経緯であの世界に転移したのかは知らないが、捨てた事実に変わりはない。だから、会うのが怖い。自分が嫌われていると考えれば、なおさらのことだ。そんな気持ちを、マサハルは理解しているのだろうか。否、分かるはずがない。汲み取ってくれるなら、帰ろうなんて言わないだろう。
森の入り口にたどり着くと、そこには立派な白馬が待機していた。手綱は大木に繋がれており、ご主人様の帰還を確認すると、その方向へ歩き出そうとする。しかし、その背後にいる女性を視認した途端、足取りが止まった。
「ソラ、問題ない。彼女はヒカリだ」
ご主人様であるマサハルの言葉を理解したのか、白馬のソラはヒカリに視線を向ける。
「さあ、乗って」
マサハルに支えられながら、鞍を着用したソラに跨る。とても大人しく、乗り心地はいい。馬に乗ったのは、数年前の家族旅行以来だ。といっても、本当の家族との旅行ではない。嫌なことを思い出した、と自己嫌悪に陥り、忘れるように頭を振った。
「どうかしたか?」
「な、何でもないです」
ヒカリの背後にマサハルが乗り、両腕でヒカリの身体を挟むように手綱を取った。ソラを方向転換させると、森を抜け、大草原へと駆けだした。
そこは、帝国と同じ世界とは思えないほど、広大で緑豊かな場所である。野生の動物が思い思いに過ごしており、草木はそよ風に揺れ、居心地が良さそうだ。太陽を浴び、色鮮やかに育った黄色い花々は、各所で乱れ咲いている。だからこそ、ある違和感が生まれた。
「魔獣は、いないんですか?」
「ああ、ここには一匹たりともな。稀にクザン山脈を降りてくるが、そこは警備隊に任せている」
「でも、復活しますよね。大聖剣ガウェインじゃないと……」
「奴らは形成した場所で再生する。つまり、この国に侵入することはまずないと言っていい……が」
冷たさを纏った視線が、ヒカリに向けられる。
「奴らに、何を吹き込まれた?」
先ほどからのやり取りで、分かったことがある。マサハルは、帝国を敵視している。ヒカリが帝国に捕らわれていたと勘違いし、更に怒りを募らせていた。しかし、その誤解を正直に解こうものなら、自分の首を絞めかねない。ウィルを好きなんて言ったら、この首が刎ねるかもしれない。
(今考えていること、絶対に言うんじゃねえぞ)
エクスレイドにも釘を刺され、ヒカリは唇を固く閉じる。
「……いや、悪かった」
彼からすれば、それを聞くのは今のヒカリには酷だ、と考えた。帝国から逃げてきたばかりだというのに、思い出させるような行為をしてしまったと、反省する。事実は、正反対なのだが。
「あれが、ヒカリの故郷だ」
丘を上ると、花や植物が溢れる街が眼下に広がった。山河を後背に、鮮やかな花畑が街のいたるところで咲き、人々の目を楽しませている。木造建築の屋敷が並び、中央には格式高い城がそびえ立つ。街の四方の端には朱雀門があり、そこから城へと広い道が伸びている。
だが、懐かしさなど微塵も感じない。本当に、此処で暮らしていたのだろうか。
ソラを歩かせ、南方の朱雀門に着く。すると、門の真ん中で一人の男が腕を組んでいた。緑の羽織を肩に掛け、白い着物をスマートに着こなしながら、マサハルとヒカリを見据える。黒い鼻緒の下駄を履く男は、ふと息を漏らした。この門の兵士なのだろうか。
「……会議は無事に終わりました」
嫌味も含めながら、マサハルに報告する。よく見ると、武器も装着していないため、兵士ではなさそうだ。
「すまない。今日の予定はすべて、後日に回してくれ」
「……承知いたしましたが、その女性は?」
「ヒカリだ」
どうやら、マサハルと知り合いらしい。男は、さらに目を細める。
「失礼ですが、本物でしょうか?」
「疑うなら、ついてこい。今から、ナツキに会わせる」
「……承知いたしました。予定の調整後、そちらにお伺いいたします。」
一礼すると、ヒカリも同じように頭を下げる。どうやら、マサハルの部下のようだ。ということは、マサハルはそれなりに偉い立場にいるのだろうか。
「こちらをどうぞ」
男は、羽織を手に取り、マサハルへと渡す。
「これは?」
「その者を民に晒せば、噂されましょう。貴方の婚約者だ、と」
「こ、婚約だと……」
「好奇の視線を向けられてもよろしいのでしょうか?」
どうやら、ヒカリを隠すためにと気を遣ってくれたようだ。ヒカリを名前で呼ばない時点で、本物だと信じていないのは痛いほど分かるが。
そうして、瑞々しい香りを纏った羽織で身を隠すことになった。陽の光が差しているため、中は薄暗い。
ソラに揺られながら、ナツキという人物について考える。その名前からして、男性にも女性にもとれた。また、今の会話からして、ヒカリを知っている可能性が高そうだ。ならば、家族なのかもしれない。
羽織を退けられ、視界が開ける。そこは馬小屋のようで、ソラから降り、藁の敷かれた地面に飛び降りる。人気はなく、マサハルに導かれるまま、小屋を出た。その先は石畳の階段につながっており、上っていく。
木製の扉を開けると、豪華絢爛な広間に着いた。この広さからして、おそらく、丘で見た城に違いない。ナツキは、此処で働いているのだろうか。
「お帰りなさいませ、殿下」
壁の修繕を施していた男性が、マサハルに向き直って、礼をする。殿下、と呼びながら。
「その穴、またクサナギがやらかしたか」
「……はい、今年で五十二回目でございます」
ヒカリの背筋に冷や汗が流れる。まさか、マサハルは、アマテラス王国を統治する王様なのだろうか。それとも、この都を統べているだけなのだろうか。どちらにせよ、この城の主であることに変わりはない。とんでもない人に見つかったのかもしれない。
もし憶測が正しければ、この国の王も、遺物を求める第二のガイストなのだ。遺物を見つければ、悪用する可能性がある。つまり、ウィルのような反乱分子がいない限り、その手下もまた同じ考え方をしていることになる。となれば、マサハルもまた、遺物を手に入れたいはずだ。
いや、それよりも。ヒカリとマサハルの関係が、気になる。恋人であったなら、ヒカリは未来の王妃ということになるのだ。
とっさに、ウィルが脳裏に浮かんだ。胸が、ざわついて止まない。
ヒカリは、城の最上階にある、謁見の間へ案内される。するとそこには、二人の女性と、見覚えのある男性が退屈そうに立っていた。
ヒカリは、驚いて二度見する。しかし男性は、シュウは顔を背けた。帝国にいた人物が、なぜ王国の謁見の間にいるのだろうか。今すぐに聞きたいが、向こうは知らない振りをしてほしいようだ。服も和装に変わっており、そちらのほうが着慣れているように見える。
白い羽織に腕を通し、腹までV字に開いた緑色の着物は、朱雀門にいた男と正反対である。ズボンはひざ下丈で、そこから足元までは白い包帯を巻いている。
「早いな、アキラの奴……」
どうやら、先ほどの男はアキラというらしい。彼が必要な人間の招集をかけたようだ。あの雰囲気から感じとられたように、仕事は完璧かつスピーディーにできる男らしい。
「……ひ、かり……」
(い、嫌な予感がする……)
薄い緑色の羽織を頭から掛け、豊満な谷間を晒した着物を着こなす女性は、硬直している。右脚側にスリットが入り、妖艶さを醸し出している。
「ああ……ヒカリ……私のヒカリ……!」
「お、おい!」
「な、ナツキ様!」
(逃げろ、ゴリラ女子!!)
白髪のおしとやかな若い女性は、止めようと手を伸ばすも既に遅く。黒髪を花飾りで結った、妖艶な女性・ナツキは走って、ヒカリを強く抱きしめる。
「無事でよかったわ、本当に……!」
(う……うええっ……ごほっ、ごほっ……)
谷間に顔を挟まれ、息苦しい。男性にとっては夢のような場面で、ただ固まるしかないヒカリに、マサハルは離すよう伝える。
「ヒカリには、俺たちの記憶がない」
「そんな……」
「だから、過剰な接触はよせ。怖がらせるだけだ」
(よ、よく言ったぜ、マサハル……)
ナツキは渋々、手を離す。そして、ヒカリの表情から心情を察知し、目を伏せた。
「……私のことも、忘れてしまったのね」
「す、すみません……」
「羽虫共……絶対に許さないわ……」
最後の一言だけ、やけに小声で聞き取れなかった。しかし、ナツキは微笑みながら安心させるよう、ヒカリの両手を包むように握る。
「私は、ナツキ。貴方の姉よ」
「ほら、シュウも」
「なんで自己紹介なんか……痛って……」
マサハルの拳骨を頂いたシュウは、頭部を手で押さえる。
「はあ……シュウ。この国の第四王子。あんたの弟」
「えっ……」
「驚くのも無理はない。ヒカリは、俺たち四兄弟の次女だ」
口が開いてしまう。その言葉が事実なら、ヒカリは王家の血を継ぐ人間なのだ。そして、マサハルは長男、ナツキは長女、ヒカリは次女で、シュウは次男となる。この人たちが、ヒカリの家族である。しかし、この場に両親らしき人物はいない。今は、何処かへ出張でもしているのだろうか。
(やっぱり、そうだったか)
(どういうこと? エクスレイドは、知ってたの?)
(……ま、その話は後でしてやる)
いつから気付いていたのだろうか。ヒカリには見当もつかないが、そんなこともお構いなしに、マサハルは紹介を続ける。
「そこにいるのは、ナツキ付き武官のエリカ」
「よ、よろしくお願い申し上げます、ヒカリ様」
おどおどした様子のエリカは、頬を赤らめながら、深く頭を下げた。白い着物に銀の胸当てを着用し、ナツキとは正反対で、露出は最低限に留めている。彼女の肩には、鷲に似た鳥が佇んでいた。
そして、開いた扉の向こう側から、二人の男性が入室する。
「で、僕はクサナギじゃ。シュウ様のお世話役ってところかの」
クサナギは、ひらりと手を挙げた。シュウと同じく、初対面ではないが、クサナギもまたそれを装っている。帝国にいたことが知られたら、問題視されるからなのかもしれない。そこで、先ほどのマサハルと男のやり取りを思い出す。あの話に出ていたクサナギとは、彼を指していたらしい。
彼に合わせて、ヒカリも無言で頭を下げた。すると、クサナギの隣を歩いていたアキラは、ナツキの様子を一瞥した後に、深く頭を下げる。
「先ほどはご無礼を働き、申し訳ございませんでした。私はアキラ。この国の宰相を務めております。以後、お見知りおきを」
それを見たマサハルは、安堵したように口元を緩ませた。アキラは、ヒカリを本物だと認めたようだ。
一通り紹介が終わると、マサハルはヒカリの手を引く。
「今日はもう疲れただろう。部屋に案内しよう」
すると、マサハルの腕を華奢な手が掴み、
「兄様、私からヒカリを奪おうというの?」
「いや、そういうわけでは――」
「それなら、私が案内するわ。行きましょう、ヒカリ」
微笑みながら半ば強引に、ヒカリの手をとるナツキ。渋々離したマサハルは、呆れたように息を吐く。
「こりゃ暫くは、妹離れせんよ。諦めるんじゃな」
喉を鳴らして笑うクサナギを、アキラが凝視する。
「前々から申していますが、陛下に向かってその口調はお止めください」
「なんでじゃ。皆、同じ人間じゃよ?」
きょとんと、純粋な子供のような瞳で、アキラを見つめるクサナギ。
「もういいから二人とも、職務に戻れ。シュウ、念のためヒカリの様子を見に行ってくれ」
面倒くさそうに目を細めるシュウは、怠そうに肩を落とす。
「え、なんで俺が……い、痛って……」
「つべこべ言わず、行け」




