第二十一話 敵地への侵入
瞼を閉じているはずなのに、視界が白い。開けると、そこには愛しい人がいた。
「おはよう、ヒカリ」
カッと目覚め、上半身を起こす。頬を火照らせながら、まさか、と思い布団を捲るが、ちゃんと服を着ている。あの後、何が起こったのか。確か、先にウィルが寝ていたような。
「お、おはようございます」
「……僕が、何かしたと思った?」
「い、いえっ……」
(期待しやがって、まったく……)
(うっさい!)
二人のやりとりに、アメノも目が覚める。眼を擦りながら「おはようみゅ」と挨拶した。
「君が起きないから、カーテンを開けさせてもらったよ」
「すみません……」
次期帝王であるウィルにそんなことをさせるなど、言語道断である。だが、彼は優しく、そういうことを気にしない。ウィルが旦那になったら、こんな朝を毎日迎えるんだろうな。と妄想が広がりそうなところで、馬の鳴き声が聞こえた。
「馬車、みゅ?」
「うん、あと十分で出発するみたいだよ」
「あ、ありがとうございます!」
服の替えなど勿論ないので、せめて髪を梳かそうと櫛を入れた。そのとき、昨夜の出来事を思い出す。自分たちを救うため、あの場を逃がしてくれた剣士・クロウを。
(師匠……)
(いつまでもくよくよすんな)
「ひどいみゅ。悲しいのは当たり前だみゅ」
(わかってねぇな……。いいか、あいつが魔獣になったということは、いずれは戦わなくちゃいけねぇ。今受け止めておかなきゃ、いざ対戦ってなったときに、お前瞬殺されるぞ)
エクスレイドなりの慰め方なのだろう。確かに、このままではクロウに対峙できない。
(ましてや、あいつは最強って言われるほどの、実力の持ち主だ。そんな奴が魔獣になったんなら、アウディよりもっと手強いはずだ)
(……そうだね。覚悟、しなくちゃね)
ヒカリは、下唇を噛みしめた。そう、いつどこで遭遇してもおかしくないのだ。昨晩、クロウがあの場にいたなら、近くを徘徊している可能性だって大いにあり得る。
準備を整えたヒカリは、エクスレイドの代用に使っていた剣を手に取り、大剣・ナイアレイを見つめる。クロウが愛用していた物だ。それを片手に取ると、思ったよりも重くなかった。それは、ヒカリが力持ちであるからで、本来なら男性が両手で持ち上げてようやく浮くほどの重量である。
ヒカリは、いずれ大聖剣ガウェインを扱わなくてはならない。それまでに、大剣での戦い方に慣れておく必要もある。だが、それだけではない。師匠の意志を継ぐため、という意味でも、帯刀することに決めた。最強の剣士が使っていた、大剣・ナイアレイを。
『弟子、頼んだぞ』
そんな声が、大剣から聞こえた気がした。
「頼まれました、師匠」
クザン山脈行の馬車の前で、ユリエラとウィルが待っていた。どうやら、見送りに来てくれたらしい。
「ウィル様、この剣ですが……」
「いいよ、持って行って。クロウもそうしてほしい、って思うだろうし」
「ありがとうございます」
ウィルの許可を得たところで、頭を下げた。そしてユリエラが、ヒカリの両手を包み込むように握る。
「いい? 絶対に帰ってくるのよ。向こうでくたばったりしたら、許さないから」
「わかりました」
「あんたが帰ってくるまでは、私がウィル様も守るから。そこは安心していいわ」
「クロウよりはとても頼りないけど、ありがとう」
「ウィル様……あの化け物と比べないでください……」
ユリエラが目を細めると、ウィルはくすりと笑った。だが、それはどこか儚く見える。
「山脈を越えたら、そこは敵地。何があっても僕は干渉できないから……気を付けるんだよ」
「大丈夫、僕が守るみゅ」
「ヒカリのことを頼んだよ、アメノ。エクスレイドも」
(俺、後付けかよ!)
ウィルが魔獣化するまで、一カ月を切っている。それまでには帰還して、ウィルの願いを実現してあげたい。だからヒカリは、ガッツポーズを見せた。
「ささっと行って、ささっと帰ってきます!」
「ふふ、そう簡単にいけばいいんだけど……無理はしないようにね」
ウィルは、ヒカリの頭を撫でた。距離がぐっと近づき、心臓が高鳴る。このまま、ずっとこうされていたいと思ってしまうが、ダメだ。ウィルが手を退けたところで、馬車へ振り返り、乗車した。
「ウィル様も、ユリエラ様もお気をつけて」
「ばいばい、みゅ!」
小窓から顔を出し、ヒカリとアメノは手を振る。馬車は動き出し、彼らとの距離は離れていく。
「気をつけて、はこっちのセリフよ! まったく……」
「…………」
馬車の姿が消えても、その場に立ち尽くすウィル。
「ウィル様?」
「……ああ、ごめんね。僕たちも行こうか」
乗車してから一時間で、クザン山脈に到着した。元々乗っていたのはヒカリだけだったので、馬車が去ってから、周囲には誰もいない。整備されてない道を、木々を縫うように歩いて、ようやくたどり着いた。アマテラス王国へ続く、坑道の入り口に。
大小様々な岩石によって塞がれているが、端の方に人っ子一人が匍匐前進で通れるほどの穴がある。だが、一般人が見たら、入ろうとは思わないほどの大きさだ。ヒカリなら、お腹を極限にへこませれば、何とか入れるかもしれない。
「ぼく、先に行くみゅ」
「危険だから、私の後の方がいいんじゃない?」
「ううん、平気みゅ」
そう言うと、ヒカリの胸元から飛び出し、穴に向かって走っていた。その様子は、どこか楽しそうにも受け取れる。アメノが先行するので、ヒカリはその後をついて行く。ナイアレイとエクスレイドを腰から外し、先に穴へ通してから、体を入れる。アメノが大剣を引っ張りながら、先へ進んでいくが、中は暗くて埃っぽい。
「帰りもここ、通らなくちゃいけないんだね……」
面倒だな、と思いながらも、ひたすら腕で這い続ける。
「ヒカリ、大丈夫みゅ?」
「うん、アメノは?」
「楽勝だみゅ!」
(俺はひたすら引き摺られて痛いけどな)
エクスレイドに気づかれないことを良いことに、意地悪気な笑みを浮かべながら、穴を進んでいく。
「もう少しで、広いところに出るみゅ」
「分かるの?」
「ここ、通ったことあるみゅ」
「ええっ! じゃあ、王国から来たの?」
「うーん、たぶんそうだみゅ」
(たぶんって何だよ……)
広間に出ると、奥へと灯りが続いている。土だらけの顔を拭い、布でアメノの体も綺麗にしてから、大剣を腰に帯びた。
「奥の方、ちょっと明るいね」
入り口から此処まで、どれくらいかかったろうか。体感では一時間強だが、もしかしたらもっと短いかもしれない。肩甲骨を回しながら、先を見据える。
「あともう少しみゅ!」
(気を付けて行けよ)
もう、アマテラス王国の領地であってもおかしくはない。できる限りの忍び足で、光が差す方へと進んだ。幸いなことに、途中で兵士に遭うことなく、無事に外へ出られた。
どんなところかと思えば、帝国と大して変わらない風景だ。目の前には森が広がり、整備された道が広がっている。ここを進めば、近くの町に出られるかもしれない。ただ、帝国と比較すると、空気が美味しい気がした。深呼吸すると、新鮮な空気が肺に入る。
(まずは、城の場所を突き止めねぇとな)
「そうだね」
帝国と同じように、聖剣は王族が管理している可能性が高い。となれば、王族に接する必要がありそうだ。だが、エクスレイドのように上手くいくとは思えなかった。あれは、エクスレイドが在る場所に転送されたから、手にできたのだ。盗み入るなどをしない限りは、帝国と同じく、王族の許可が要るに違いない。
そのとき、甘い香りが漂う。
「何だろう……」
「みゅ?」
香りを辿った先に、誰かがいるのかもしれない。
「こっちみゅ」
アメノが指す方向に、歩いていく。草木をかき分けて進むと、そこには赤一色の花が乱れ咲いた、森の広間に出た。香りの原因は、花だった。
花畑の中心に、長身の美男が跪いている。青髪青眼の男は、物憂げな表情で何かを見つめていた。白いマフラーを首に巻き、緑色の着物を着ている。
(小便……てわけじゃなさそうだな)
(ちょ、変なこと言わないでよ)
「あなたは?」
気配を察したのか、男は振り向いた。立ち上がると、地面に置かれ、花に隠されていた二本の槍を手に取る。
「えっと……」
「町の者じゃないな、まさか……」
槍先が、ヒカリを捉える。
「帝国の手先か」
否定できないヒカリは、その場から動けない。それほどの覇気を、男は漂わせている。花畑の中にいるというのに、香りが感じられないほど、感覚が麻痺していた。アメノは顔を出すも、声を発せられない。それほどの恐怖を、この男に感じている。
(おい、ネックレスを見せろ)
(な、何で……)
(いいから、早く!)
「無言は承諾の証……ならば、此処で果てろ」
「ま、待って!」
懐をまさぐり、取り出したネックレスを見せつけた。
「……なぜ、それを持っている?」
「小さい頃から、持っていたの」
男はヒカリを直視し、嘘でないことを悟ると、槍を下ろしかける。
「……名は?」
「ひ、ヒカリ」
次の瞬間、男は槍を手放した。
「……本当か?」
「う、嘘はついてないよ」
一歩、男が歩み寄る。
「ヒカリ……」
男が駆け出したので、逃げようとするが、躓いて後転する。しかし、男が背中に右手を回し、宙を浮いた手を左手で掴んだお蔭で、転ばずに済んだ。潤んだ目が、ヒカリを見つめて放さない。
(ど、どうなってるの、エクスレイド!)
(いや、この展開は予想外なんだが……誰だ、こいつ)
そのまま引き寄せられ、逞しい胸に顔を埋められる。
「怪我はないか? 今まで、何処にいた?」
「え、えっと……」
「なぜ、俺の前から消えた? この二十二年間ずっと、どんな思いで探していたか」
二十二年……それは、両親がヒカリを拾った時と同じタイミングだ。つまり、三歳になるまでは此処で、過ごしていたということになる。だが、人違いということもあり得る。
「いや、今はどうでもいいな。……立派に成長したな、ヒカリ」
力強い抱擁に、拒めないでいるヒカリ。彼から漂う、爽やかでほんのり甘い香りは、どこか懐かしさを覚える気がした。
「しばらく、このままでいさせてくれないか。再び会えた喜びを、噛みしめていたい」
背中に回された手は、ヒカリの腰を掴む。もう一方は後頭部を包み、男の方へと寄せる。ヒカリの頭上に頬を寄せたまま、動かない。つい先ほどまでは、威圧的な空気を醸し出していたのに、まるで別人のように思えた。
(この人、誰だろ……)
(三歳の時の恋人ってか?)
(そう……なのかな?)
(ま、何にせよ幸運だな。お前のこと、知ってるみたいだしな)
ヒカリの力なら、無理に引き剥がすことはできるだろう。だが、それで彼を怒らせ、戦闘に持ち込まれたりしたら死んでしまう。今は、されるがままに、身を預けることにした。




