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第二十話 出立前夜

 紅茶が冷めた頃、黒い雨は通り過ぎていた。水はけが悪い地面でも、水たまりは残っておらず、雨が降った痕跡はどこにもない。まるで、一時の悪い夢のようだ。


 結局、クロウは来なかった。それでも、ウィルは窓際に立ち続け、視線を逸らさない。此処にいる誰よりも、クロウの帰還を信じている。


 村長が、村人の安否確認に外出した。扉を閉める音が大きく、ユリエラが別室から扉を開け、リビングへ駆け込んでくる。


「帰って……」


 ヒカリが頭を横に振ると、ユリエラは謝り、ウィルを見やる。彼は、外に出ようとドアノブに手をかけていた。


「ウィル様、危険です!」


 空は暗くなり始めている。夜になり、魔獣と戦うことになれば、昼間よりも圧倒的に不利になる。魔獣は、昼夜問わず目が利くからだ。これは、この国の常識である。


「君たちは、此処にいて」


「私も行きます!」


「ちょ、ちょっと! あんたも止めなさいよ!」


「あの子を頼むよ、ユリエラ」


 村を出て、先ほどの場所へと向かった。道中は互いに言葉を交わさず、左右を見ながら歩く。クロウが、倒れているかもしれないからだ。


 途中で見つかるはずがなく、先ほど戦っていた場所に到達した。そこは、逃走した時よりも、凄惨な戦が行われていた爪痕が残っている。地面が抉られ、焦がされ、凍結し、長くしなった鎖の痕が幾重も、刻みこまれている。


「ヒカリ、後ろを向いて」


 前方にいるウィルの言葉に、何かを見つけたと理解したヒカリは、近づく。師匠に関係があるなら、弟子として見過ごすわけにはいかない。そう考えた結果だった。


「ダメだ!」


 その景色が視界に入った瞬間、ウィルの手が両目を覆った。


「うそ……」


 体中、鳥肌が立つ。一瞬だけ目にした光景は、何度も脳内で反復される。


「……クロウ」


 身体に力が入らず、よろけそうになるヒカリを、ウィルが支える。気持ちを抑えきれず、涙が溢れる。


「し……ししょ……っ……」


「……後は、僕がやるよ。君は少し、休んだほうがいい」


 ウィルの逞しい腕に身を預けながら、何度も頬を拭う。本来なら、武官である自分がやらなくてはいけないのに、できないと思ってしまう。できるわけがない、と思ってしまう。


「そこで、座っていて」


 ウィルの指示に従い、力なく腰を下ろした。そして、あの場所に戻っていく彼の背中を見て、ヒカリは思い出す。


『弟子、頼んだぞ』


 クロウの言葉が、聞こえた。そう、このままではいけない。ウィル一人に任せてはいけない。ウィルのことを任されたなら、ここで座っていてはダメだ。


「私も、やります」


 ウィルと隣に、ヒカリが立った。そしてもう一度、あの光景を目にする。


「無理はしないで」


 肩から千切れた、クロウの利き腕が転がっている。血濡れたそれは、愛用していた大剣・ナイアレイを握りしめていた。




 見つかったのは、利き腕と大剣のみ。腕は火葬し、大剣は持ち帰った。あの状況を見て、クロウが勝利して、無事に逃げられたとは思えなかった。魔獣に殺されたか、あるいは、魔獣に変わったか。


 不幸中の幸い、魔獣に遭遇することなく帰還できた。ユリエラは村の入り口で待機しており、二人の姿を見て安堵した。同時に、大剣が目に入り、あの後のクロウについて、大方察した。


「今夜は宿に泊まってほしいと、村長が」


「わかった。じゃあ、村長に礼を伝えに行こう。君は、ヒカリをお願い」


「はい」


 ユリエラの案内で、ヒカリは宿屋に行く。その間も、ヒカリは大切に、大剣を抱えている。


(普段から俺のことも、そうやって扱ってくれるといいんだがな)


 エクスレイドの冗談も、無視した。精神的に、余裕がなかったのだ。


「ヒカリ」


「……はい」


「ここが、あんたの部屋よ」


 ユリエラは扉を開けて、中に入った。貧相なベッドと、テーブルが置かれた、殺風景な部屋だ。


「……ねぇ」


 ユリエラは、ヒカリの目の前に立つ。下から覗き込み、光のない瞳を見つめる。


「あんた、ウィル様の武官でしょ?」


 無反応のヒカリに、ユリエラは続ける。


「誰が一番つらいか、わからない?」


 クロウと二十年以上連れ添った、ウィルが一番つらいはずだ。そんなこと、わかっていた。けれど、あまりにも喪失感が大きく、他人を思いやれる余裕がなかった。


「ウィル様に気を遣わせて、どうすんのよ。クロウが怒るわよ」


 確かに、と思った。クロウなら、自分よりもウィルを気遣うはずだ。同じ立場にあるヒカリも、そうでなければならない。それが武官の仕事でもあり、クロウに頼まれたことでもあるから。


「あの子は?」


 戻ってきたウィルが、ユリエラに問う。


「今は寝ています。アウディのことについては、此処に連れてくるときに話しました」


「そう、ありがとう」


 ユリエラが頭を下げ、部屋を出ようとした。


「明朝に、此処を発とうと思う。見張りは要らないから、今日は寝るといい」


「いえ、魔獣が襲ってくるとも限りませんので」


「今日は眠れそうにないんだ。だから、大丈夫だよ」


「でもっ……」


「これは命令。逆らわないで」


 そう言われては、従うしかない。ユリエラは、再び礼をし、自室に戻っていった。


「失礼するよ」


 扉を閉め、ベッドに座るヒカリの隣に、腰を下ろした。


「クザン山脈行きの馬車は、明朝に来るみたいだよ」


「あ、ありがとうございます」


 クロウのことでいっぱいいっぱいで、すっかり忘れていた。この村で、ヒカリはウィルたちと別れ、アマテラス王国へ向かわなければならない。


 密室の中、手を伸ばせば触れそうな距離で、ベッドに腰掛けている二人。クロウのことで悲しいはずなのに、鼓動が高鳴る自分に、嫌気がさす。ウィルを好きだと、改めて実感してしまう。


「少しだけ、エクスレイドに聞きたいことがあるんだ。いいかな」


 ウィルの目的が分かった。エクスレイドと話すために、この部屋に来たのだ。寂しいと思ってしまうが、ヒカリは力強く頷く。


「はい、大丈夫です」


(おい! いいなんて言ってねぇぞ!)


 ヒカリが通訳となり、エクスレイドの声をウィルに伝えることになった。


「じゃあ、早速」


(その前に、俺の質問に答えろ)


「……わかったよ」


(この国にある遺物は何個あんだ? それぞれの効果も教えろ)


 上から目線の態度に、ヒカリがエクスレイドを睨み付ける。相手が次期帝王だというのに、変わらずに接せるのはエクスレイドくらいだろう。


「全部で三種類あるよ」


(そんなに残ってたか……)


 エクスレイドは、三つも残っていたことに、強く後悔する。


「父上が持つ黒球は、魔獣生産系。アウディの黒杖は、魔獣操作系。そして僕のは、魔獣強化系だよ」


(……そうか、今は持ってねぇのか)


「触れた人間は、魔獣化するからね。おいそれと持ち歩いたりしないよ。今は城の地下にある」


 地下室に籠っていたのは、執務のためではなく、研究のためだった。ウィルが地下室に行ったと知ると、レインが悲しそうな顔をするのは、それが原因だったようだ。


「次は、僕の番だね」


(ああ)


「黒い雨の降水範囲と、その他に人間に被害をもたらす現象があれば、教えてほしい」


 エクスレイドと言えど、たかが剣だ。そんなことまで分かるのだろうか、と疑問に思う。


(馬鹿にすんな、一通りの災厄は経験済みだ。ま、降水範囲は知らねぇがな。見た通り、降るのは短時間っていうことしかわからねぇ。で、人間に被害をもたらす現象ってやつは、数え切れねぇほどある。だが、それは遺物があってのことだ。今は三つしかねぇなら、起こり得るのは黒い雨と、あと二つだな)


「でも、僕は使わないし、黒杖も今はアウ……魔獣の腹の中だ」


(だから安心ってか? あれが人間の所為によるもんだと思ってんなら、勘違いもいいところだ。いいか、あれは遺物が限界を超えた結果だ。人間から得た負の感情が積もりすぎて、遺物が耐えきれなかった結果、放出したんだ。お前はわかってたと思ったんだがな)


「本で読んだのは、黒い雨が降ったという歴史だけだよ。だから、そこまでは……」


(お前のことなんかどうでもいい。だが、お前らのやってることは聞かせてもらうぞ。この国で秘密裏にやってる研究は、何が目的だ?)


 ヒカリも、気になっていた。帝王が心血注いでまで熱中する研究について、遺物を調べていること以外、確証を得たものは何もない。ウィルとアウディに研究させていること、冤罪の人間を実験に使っている疑惑があること、それにウィルが関わっているというゼノンの話を聞いただけだ。


「父上は、アマテラス王国を支配するためだと話していたよ。兵力で負けているから、強力な魔獣を増やして兵力を増強する、と」


「そのために、罪のない人を捕まえて実験しているのですか?」


 今のはヒカリの疑問をぶつけただけだが、エクスレイドは黙ったまま、ウィルの答えを待つ。


「……そうだよ」


 辛辣な表情を浮かべながら、頷いた。ウィルがそんなことにまで加担しているとは、思いたくなかった。そして、ゼノンの話は事実だったことが判明する。思えば、ゼノンはいつも、真実を教えてくれたのかもしれない。だが、何故そんなことを話してくれたのか。彼が亡くなった今、その答えを知ることはできない。


「最強の魔獣を生み出す研究と、遺物の力を蓄えるために」


(……悪魔だな)


 ウィルを悪魔といったも同然だが、ヒカリは何も言えなかった。人から取れるものを絞り尽して利用した挙句、最後は殺す。まさに、悪魔の所業である。

 だが、ウィルはそれを止めようとしているし、被害を抑えようと努めていることもわかる。アウディより研究の進捗が遅いと指摘されたのも、それゆえだろう。


(で、お前らが分かっていることは?)


「魔獣の強さは、体型の大きさで決まる。体型の大きさは、基礎戦闘力によって変わる……そこまでだよ」


(要するに、知識は俺と同じ程度ってわけだな)


「最後に、聞きたいことがある」


(何だ?)


「僕は、あとどれくらいで魔獣になるかな?」


「えっ……」


 発作の時に抑える、漆黒の腕を想起する。手を掴めば呑み込まれてしまいそうな、闇の色に染まっている腕を。


(遺物を使ってりゃ、その主も影響を受ける。つまり、ウィルの発作は魔獣進行化によるものってわけだ)


 唾を呑み込んだ。ゼノンが魔獣化していく過程が脳裏を過った後、ゼノンがウィルに置き換わった映像が上書きされていく。


(俺の見たところじゃ、一カ月だな。それも、遺物を使わなければの話だ)


「助かる方法は、ないの?」


「いいんだ、ありがとう」


 二人にお礼を告げるウィル。自分の命の期限を知って、なぜ平然としていられるのだろう。ウィルが人間でいられるのは、長くて一カ月。短い、と思った。今はこうやって話せるけれど、一カ月経てばもう、敵に変わる。ヒカリ自身の手で、彼を斬ることになる。


 好きな人をこの手で殺すなど、考えたくもない。だが、魔獣となった人間を元に戻す方法はない。ならば、そうなる前にせめて、ウィルの大願を果たしてあげたい。魔獣のない平和な国を築く……そのためには、いち早く大聖剣ガウェインを手に入れなければならない。


「全部、夢だったらいいのにね」


 初めて、ウィルの弱音を聞いた。普段、そういったことは口に出さない彼は、背中を抱きつきながら眠るアメノを撫でる。


「僕が生まれてきたことも、夢だったらいいのに……」


 悲しい事を口にした彼に、ヒカリは寄り添った。


「失礼します」


 彼を抱きしめた。次期帝王を相手に、一端の武官にしては大胆な行為であるが、こうせずにはいられなかった。


「話してくれませんか、思っていることを全部、私に」


「……君は、優しいね。でも、僕は、誰かに慕われるような、愛されるような人間じゃない」


 両肩を掴み、ヒカリをそっと剥がした。


「僕がしてきたこと、君は知らないでしょう?」


 自嘲気味に話し始める。


「数え切れないほどの人を苦しめて、殺してきたんだよ」


「でもそれは、自分の意志じゃないですよね?」


「それでも、この手で殺した事実に変わりない。立ち向かってくる人も、無抵抗の人も、泣き叫んで命乞いする人も、たくさん見てきた。そんな人たちを容赦なく、斬り捨てたんだよ」


 肩を掴む力が強くなる。きっと、当時の出来事を振り返り、見るも無残な光景を思い出しているに違いない。


「そんな僕でも、大切な人はいてね。せめて、その人たちを守りたくて、どんなことにも手を染めた。研究で見知らぬ人間を実験体として使い、非道の限りを尽くしたこともある」


 人間から負の感情を取り出すために、何を行ったのか。そんなこと、想像したくもなかった。


「数人のために万人を殺して、僕の心は壊れかけていた。でも、その時に知ったんだ。殺さずに生きる方法をね」


「大聖剣ガウェイン……」


「そう。どんな遺物も、魔獣も浄化して、この世から消し去れる唯一の剣。それがあれば、もう研究に加担することなく、誰も殺さずに済むって思ったんだ。それが僕の、希望になった。でも、僕にエクスレイドは抜けなくて、アウディやレインもダメで……そんなときに、君が現れた」


 ウィルが顔を上げた。


「こんな人間が世界平和を謳うなんて、馬鹿げてる。自分でもそう思うけど、お願い、ヒカリ」


 真剣な眼差しに応えるべく、ウィルを見つめた。


「この世界から、遺物を、魔獣を一掃して、世界を平和に導いてほしいんだ。クロウが支えてくれた夢、民が願う幸せの形をどうか、叶えてほしい。それは、君にしかできないんだ」


 好きな人の願いを、断れるはずがない。たとえ自分がどうなろうとも、何としても叶えたい。


「お任せください、ウィル様」


「ヒカリ……ありがとう」


 そう言うと、気が抜けたのか、ウィルはヒカリに身体を預けた。顔が肩に乗せられ、寝息が聞こえる。色々あって、疲労が募り、眠たかったに違いない。逆に、ヒカリの体中は煮えたぎるように熱くなった。何しろ、こんな状況は初めてなのだ。ベッドの上で、二人きり。美男に身体を預けられ、その後は押し倒し――


(やめろ、気色悪い)


(ちょ、邪魔しないでよ)


 押し倒した後の妄想は、止めた。エクスレイドに筒抜けであることを思い出し、ため息を吐く。


 そういえば、村長は今晩は冷える、と話していた。近くにあった毛布を片手で引き寄せ、ウィルの背中に掛ける。少しでも寒くないように、と。


(大丈夫です、ウィル様。武官の仕事は、主を守るだけじゃありません。どんな命令も実行するために、いるのですから)


 自分は、ウィルの使い捨ての駒に過ぎない。それでも、彼のために成し遂げたいと思う。そんな自分に呆れながら、彼には絶対に聞こえない、心の中で呟いた。

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