第十九話 無情の雨
「アウディ……」
苦無を放ったのは、紛れもなく彼だ。殺しに来たと察し、ウィルが目を細める。
「遅いな、殿下のは」
彼は、分かっているらしい。ウィルの病が何なのかを。遅いというのは、進行状況のことだろうか。
「……っ」
咳き込むウィルの口から、血が吐かれる。こんな状態で、戦えるわけがない。針で刺されるような雰囲気を醸し出すアウディが、近寄ろうとする。クロウは迷いなく、剣先を向けた。
「おやめください」
「邪魔だな、殿下の犬は……」
二人に目をやると、苦虫を噛み潰したような顔のフェーリッヒが、銃を突きつける。銃口は、各々の額に向けられた。
「ごめんね……」
一触即発の状況に、アウディは高らかに笑う。
「ハハッ、どちらが速いかね」
「こっちだよ」
ウィルが呟くと同時に、クロウは剣を振り上げ、銃を分断した。ユリエラは屈み、フェーリッヒの足元に飛び込んで、姿勢を崩しにかかる。
「ちょっ」
「クロウ!」
手を離れたもう一丁の拳銃を、振り抜きがてら一文字に裂く。瞬く間に、フェーリッヒを無力化した。
「ほぅ、さすがだ」
余裕を見せるアウディに、ウィルが憐れむ。
「まだ、自分を許せてないようだね」
「……馬鹿も休み休み言え。殿下を……貴様を許せないということくらい、分かっているだろう?」
ウィルを気遣いながら、ヒカリは彼の背中に手を回して支える。アウディの過去に、何かあったのだろうか。
「二人を殺したのは、貴様だ」
「僕の母上も、だよ」
自虐しながらも、視線を外すことなく、アウディを見据える。
「魔獣化すれば、元に戻らない。被害を最小に抑えるためには、斬るしかなかった」
「違うな……捕獲すればすべては上手くいった。特効薬を創り、それを使えば――」
「死なずに済んだ。……そう言いたいのかな?」
ウィルの口から、笑みが零れる。
「そもそも、君が持ち帰ったサンプルが原因なんだよ」
「自分は悪くない、とでも言いたいのか?」
「そうじゃない。君は責任を、罪を逃れようとしているんだよ。サンプルがなければ、シャーロットがそれに触れなければ、助けようとした君の母親と、偶然通りかかった母上も魔獣化することはなかった。違うかな?」
ウィルも肉親を失くし、つらい思いをした。アウディがあんなことしなければって、何度も考えた。けれど、彼一人が悪いわけではない。代々からこの国で行われている研究が、元凶であることを熟知している。だから、彼を責めるようなことは一切しなかった。
不謹慎にも、ヒカリはウィルに同情する。事情も失くした数も違えど、親がいないのは同じだと。
「やはり、解せんな」
懐に手を伸ばし、アウディは漆黒の杖を取り出した。途端に、悪寒が走る。
「だ、ダメ、殿下……」
ユリエラに抑えられたフェーリッヒが、泣きそうになりながら、頭を左右にめいいっぱい振る。しかし、アウディは目もくれない。ヒカリは、ゼノンが魔獣化していく姿を思い出す。
「責任転嫁もいいところだ」
「違う、事実だよ」
「黙れ」
冷笑しながら、杖を掲げる。
「いや、俺が黙らせてやろう……永遠にな」
「やめて、殿下っ!」
杖の先から、黒い靄が増殖する。クロウとユリエラはバックステップで距離を取り、拘束を解かれたフェーリッヒが走り出す。杖を奪おうとするが、その身から離れることはない。
「お願いっ、離して!」
「離せ、邪魔するな」
「いやっ! だって殿下は、恩人だよ! 絶対に助け――」
杖で思い切り振り飛ばされたフェーリッヒは、地面に倒れて、気を失う。
「あ、あれ、何よ……」
「で、でかいみゅ!」
ユリエラの足が震える。それは、見たことがない大きさの、黒い生物だった。ケラケラと笑う二体の巨大な男女が、各々の首に鎖を巻き付かれている。それをアウディが体に巻き付け、手綱のように掴み、二人の間に浮遊している。完全に、魔獣と化してしまった。
「大型魔獣……」
魔獣は、体の大きさで強さが決まる。そして、目の前にいるのは、今までに見たことがない大きさだった。五階建てのマンションほどの身長は、太陽を遮り、四人に影を落とす。
「こ、こんなのと戦えって言うの……?」
ユリエラだけではない、誰もが死を予感した。ヒカリも、死の恐怖に体が震えてしまう。魔獣の笑い声が、鼓膜を揺らす。絶望とは、このことを言うんだと思い知らされたとき、柔らかな声が聞こえた。
「大丈夫だよ」
立ち上がるのは、ウィルだ。剣を手に取り、立ち向かおうとする。
「う、ウィル様……」
「約束は守る。君を生かして、アマテラス王国へ行かせる」
その言葉と微笑みで、安心させようとしてくれる。怖いのは、ウィルも同じはずなのに。
「その必要はありません」
クロウは、魔獣を見上げながら話す。
「俺一人で十分です」
剣を構える姿に、頼りがいを感じる。さすがは最強の剣士、と任せたくなってしまう。でも――
「私も、戦います」
「ボクも戦うみゅ!」
今斬ったとしても、いずれは復活してしまう。つまり、ヒカリは再戦しなければならない。それなら、今ここで戦っておき、敵を知るべきだと考える。頼もしい仲間たちに冷静さを取り戻しつつあるヒカリは、立ち上がった。アメノも、ヒカリの胸元から顔と小さな手を出し、ぐっと握りしめる。
だが、事態は一変する。湿り気を帯びた臭いが、辺りを漂い始めた。常人には気付かないが、聖剣エクスレイドは知っている。その臭いが、何を示すのかを。
(屋内へ逃げろ、ヒカリ!)
ゴリラ女、と呼称するエクスレイドが、名前で呼ぶ。それが、事態の緊急度を実感させた。
(な、なに?)
(二十分後、黒い雨が降る! それに触れたら、魔獣化するぞ!)
次の瞬間、アウディだった魔獣が両手を振り下ろした。地面が揺れ、ヒカリは態勢を崩す。その瞬間、魔獣が口を開き、ヒカリを呑み込もうとして接近する。ウィルがヒカリを抱き、その場を離れた瞬間、巨大な体躯が滑り込んできた。
間一髪を救われ、お礼を言うヒカリ。殿下を守るべき立場なのに申し訳ないと思いつつも、そんなことを気にしている場合ではない。近くに家はないか、と問う。
「目的地の村があるけど、どうして?」
「今から二十分後に、黒い雨が降るんです! それに触れたら、魔獣化するって……!」
「黒い雨……そこまで進んでいたのか……」
「ウィル様……?」
ウィルとヒカリへの追撃を防ぐため、アメノは巨大な蔦を地面から放出し、魔獣の体に巻き付けた。それは容易く粉砕されてしまうが、一瞬の拘束時間で、クロウが蔦を伝い、首元まで辿りつくと、白刃を煌かせた。女の首が、もげ落ちていく。同時に、ユリエラは男の方へ駆けて行き、地面を蹴って体を伝い、心臓部へと突き刺した。
これで仕留めたと思いきや、アウディだった魔獣が絶叫する。泣き叫ぶように聞こえるそれは、黒い靄を増殖し、失くした一部を再形成する。すべて、元通りに再生してしまった。
「全員が逃げたら、魔獣も追ってきて、村を巻き添えにしてしまう。だから、君とクロウとユリエラで、あの子を連れて逃げてほしい」
ユリエラは今の話を聞き、意識を失ったフェーリッヒのもとへ駆けつける。
「殿下が逃げてください」
二人の隣に着地したクロウは、前に立ち、構える。
「俺一人で十分です」
「君は強い。確かに強いけど、強さだけでどうにかなる問題じゃない」
今から全力で走っても、二十分以内に着くかどうかわからない。ここに残れば確実に、魔獣化してしまうのだ。
「信用してください」
「ダメだよ。君を見捨てるわけにはいかない」
「見捨てるんじゃない。信じてください。必ず、帰りますから」
クロウは、よろめく魔獣を前に、後ろを振り返った。
「弟子、頼んだぞ」
「師匠……」
「走ってください、殿下。道は俺が拓きます」
ウィルが言葉をかける前に、駆けだしたクロウ。しかし、踏み止まっては、クロウを信用していないことになる。ウィルは、覚悟を決めた。
「……行こう」
クロウが魔獣の目を引き付けている隙に、四人は全力で駆け抜けた。ヒカリは後ろを振り返らず、ただひたすらに走り続ける。
クロウの第一印象は、怖い人だった。木刀で頭をかち割ろうとしてくるし、高圧的な雰囲気を纏っているから、彼が近くにいると気が抜けない。けれど、実は師匠と呼ばれたかったり、剣と話してみたかったりと、可愛らしい一面もある。冷静でいて、強くて、少しばかり暴力的なところもあるけれど、心根は優しい人なのだ。そんな彼に、剣術や作法など、もっと教わりたいことがある。だから、帰ってきてほしい。いや、帰ってくるに決まってる。そう、思い込んだ。
暗雲が立ち込めるなか、一行は村にたどり着く。そして、ウィルは村人全員に声をかけた。彼らは皆、新たな帝王となるウィルの言う通りに従い、家屋の中に入る。ウィル一行もまた、村長の家に入れてもらった。気絶したままのフェーリッヒを、ベッドに横たわらせてもらい、傍にはユリエラがつく。
ヒカリは、窓から村の入り口を眺めていた。クロウが来たら、すぐに扉を開けに行く算段だ。その後ろで、ウィルもまた同じことを考えていた。拳を握りしめながら、ただひたすらに願っている。村長が気を利かせて淹れてくれた紅茶を、飲むこともなく。
しかし、現実は無情だった。
「あっ……」
クロウの帰還を待たずに、黒い雨は、窓を打ち始める。




