第一話 ゴリラ女子、剣士になる
ひんやりとした感触に、違和感を覚えて目が覚める。全身が冷えていることに気付き、反射的に起き上がった。
(まさか、おねし――!)
スウェットを触っても濡れていなかったため、安堵した。そして、あることに気付く。
(……ここは?)
辺りを見回すと、見慣れない場所にいた。巨大な石柱が並び、天井は高く、古ぼけた絨毯が広間の中央に敷かれている。小さな子供の天使像は朽ちており、所々に転がっている青い鉱石が淡く輝いていた。厳かで、神聖な雰囲気を醸し出している。
ヒカリが立ち上がると、何かが石畳の床に落ちた。それは、小さな本と銀色のネックレス。
(これがあるってことは、現実なのかな)
頬を思いっきりつねると、肉が潰れそうな痛みに襲われたので、やめた。とりあえず、夢ではないらしい。
(寝ている間に、両親に運ばれた……わけないか)
先ほどの出来事を思い出したヒカリは、溜息をついた。もし両親の仕業じゃないなら、自分がいなくなって心配しているだろう。いや、両親だと思っていた人は、本当の両親ではなかったのだ。やはり、心配していないのかもしれない。自分がいなくなって、清々している可能性だってある。
ヒカリには、どこにも居場所がないように感じられた。家に戻りたいなんて、思えない。絶望を味わうヒカリは、天を仰いだ。
(このまま死ぬなら、せめて最後に、恋を――)
「誰か、いるのかな」
凛とした声が、広間に響いた。とっさに立ち上ったヒカリは、天使の像に隠れる。男性のようだが、何者だろうか。像から少しだけ顔を出す。
「此処は王族以外立ち入れないはずだけど、君は?」
ヒカリは、その男と目が合った。胸が高鳴るのを、久しぶりに感じる。高身長かつ容姿端麗な男は、どこか儚げで、美しい。紺色の髪、紅色の瞳、黒を基調とした王族を思わせる服装。乙女ゲームの攻略対象の中でも、トップを張れるクラスだと思った。アイドルで言えば、センターがふさわしい。
(かっこいい……)
一目惚れしているヒカリは、男の険しい表情に気付かない。男は、黒い手袋を填めた手を、腰に提げた剣の柄に添える。
「名乗らないなら、仕方ないかな」
そこでヒカリは、男が剣を抜こうとしていることに気付いた。
(まさか……!)
ヒカリは、地面を勢いよく蹴り、視界に入った扉に向かって全速力で走る。男も追いかけて来るが、気にしちゃいられない。勢いよく扉を閉めると、横に立っていた像を馬鹿力で押し倒し、扉を塞いだ。向こう側から、扉を叩く音が聞こえる。
「ど、どうやって……!」
男が驚く様子を気にする余裕はない。ヒカリは、出口を探して奥に続く廊下を真っ直ぐに走った。だが、最奥には小部屋があり、中央には青く光る剣が刺さっている。出口らしきものは、見当たらない。
(このままじゃ、殺される……)
その場にへたり込むと、どこからか声が聞こえた。
(おいおい、嘘だろ? 女かよ……)
残念感が漂う声に、ヒカリは眉を顰めながら、周囲を見回す。青年のような声をしているが、周囲に青年が隠れられそうな場所は見当たらない。
「だ、誰!」
怖くなって、ヒカリは声を上げる。すると、恐る恐る返答された。
(お前……聞こえるのか?)
「じゃなきゃ話さないから!」
声の主は、溜息をついた。
(適格者が女なんて、ついてねぇな)
「あなた、男が好きなの?」
(ば、馬鹿っ! そんなわけあるか!)
慌てる声の主に、少しだけ安心したヒカリは、意を決して話しかけた。
「お願い、逃げ道を教えて。男に追われてて、このままじゃ殺されるから!」
必死の頼みに、声の主は答えてくれた。
(助かりたいなら、俺と言う名の剣を取れ)
「……それって、下ネタ?」
(下ネタって何だ)
ヒカリが説明してあげると、声の主は全力で否定した。
(ちっ、違う! お前、俺を何だと思ってんだ!)
「青年?」
(せ、青年じゃねぇが、まあいい。俺は、ラ……エクスレイドだ)
「私はヒカリ。とりあえず、さっきの続きを聞かせて」
お前が中断させたんだろ、とでも言いたげに間を置くと、エクスレイドは話し始める。
(お前の目の前にある剣は、大聖剣の片割れ・エクスレイドと呼ばれている)
「……ん? ということは、あなたはその剣ってこと?」
(そうだ)
ヒカリは青い光が漂う剣を見つめながら、右手を顎に添える。
「ここ、現実じゃないの? 夢?」
(なに言ってんだ。ここはボーグ帝国だろ。で、お前は……)
エクスレイドは、間を置いた。
(お前、知らねぇのか?)
「知らないも何も、目が覚めたら此処にいたから」
(じゃあ、そのネックレスは?)
「私が小さい頃に持っていた物らしいんだけど、覚えてなくて」
エクスレイドは、一呼吸置いた後に、もう一度質問する。
(お前が住んでいた国の名は?)
「日本」
(……聞いたことがねぇな)
驚いたヒカリは、下唇を噛みしめる。ここが知っている世界ではないと分かり、孤独感が急に押し寄せた。
(安心しろ、助かる方法はある)
「ほ、本当に?」
(まずは、今から来る奴に適格者だと示せ)
「適格者? ていうか、そんな方法で本当に助かるの?」
(ああ。俺を抜いて、手に取ればいい。お前以外に抜ける奴はいねぇから、この難を逃れられるはずだ)
ヒカリは、半信半疑で、おそるおそる剣に歩み寄る。
(あと、元の世界に戻る為には、使命を果たす必要がある)
「え、使命?」
面倒な臭いがしたヒカリは、エクスレイドの前で立ち止まった。そして、怪訝そうに見つめる。
「使命って、何?」
(この世界に蔓延る魔獣を浄化することだ)
「ちょい待ち。魔獣って?」
不穏な言葉を聞いたヒカリに、エクスレイドは溜息をつく。
(説明すると長くなるからな。……簡単に言うと、人間の敵だ)
「う、うん」
魔獣と言う名前からして、敵だという予感はしていた。聞きたいのは、もう少し深いことだったが、話を進めることにする。
「どうやって浄化するの?」
(大聖剣で魔獣を討てばいい。だが、まずは大聖剣を完成させなきゃいけねぇ。そのためには、もう一つの片割れ・マリアージュを探して手に入れる必要があるんだ)
「ちょい待ち! 戦ったことないのに、なんで私が?」
(……大聖剣を扱えるほど、力持ちな女。それがお前を選んだ理由だ)
「……さっき、男がよかったみたいなこと言ってたよね」
(そ、そんなこと言ってねぇよ!)
ヒカリは、気持ちを仕切り直した。
「使命を果たしたら、元の世界に戻れるんだよね」
(ああ、魔獣がいねぇ世界になったら、どんな願いも一つだけ叶えてやるよ)
その言葉に、ヒカリは思いついたように尋ねる。
「力持ちじゃない、並の女性にもなれるってこと?」
(それもできるが、そんなことでいいのか?)
「そ、そんなことって……まあいいや」
ヒカリの口角が、自然と上がる。
(力が無くなれば、『ゴリラ女』とはおさらば。そしたら、恋だってできるかも)
(へえ、ゴリラ女、恋人できたことがないのか)
「こっ、心の呟きも聞こえるの? デリカシーなさすぎでしょ!」
(安心しろ、俺の声はお前以外には聞こえねぇから。それに、ゴリラ女って、何か強そうだな。お前にぴったりじゃねぇか)
言い返したいのは山々だが、遠くから足音が聞こえる。足早に近づいてくることから、先ほどの男に違いないだろう。ヒカリに迷っている時間は、もはやない。
「わかった。やるよ!」
ヒカリは、剣の柄にゆっくりと手を伸ばす。天井の隅で、黒い影が蠢いているのを知らずに。




