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第十八話 帰国の途

「……どういうつもりかな」


 静かな怒気を含めた声が、部屋にしんと響く。上半身を寝台から起こしたウィルは、周囲に立つ三人を見まわした。


「……レイン様が、望まれたのです」


 静寂を破ったのは、ユリエラだった。守るべき主であるレインが、長年抱いていた気持ちを代弁するべく、顔を上げる。


「ずっと、自分はウィル様の足枷だと、責めていました。ウィル様がレイン様のために帝王に従い、身を削ってまで研究に携わる姿を見るたびに、自責の念に胸を痛めていました。そして、決意されたのです。ウィル様が望まぬ、帝位継承式と結婚式を切っ掛けに、ウィル様を自由にすると」


 彼女は、長年仕えていたのだ。この場にいる誰よりも、レインの気持ちを知っている自信がある。


「今に至りますのは、レイン様の提案が発端です。人が警戒心を抱きにくい結婚式で、ウィル様を誘拐し、国外へ連れ出す……。私たちは、レイン様の命に従い、協力したのです。勿論、それだけではありません」


 ユリエラは、隣に立つヒカリとクロウを、見やる。あくまでユリエラは、レインの命令に従っただけ。でなければ、レインのもとを離れることなど、絶対にしない。

 クロウは、その場で膝をつき、頭を垂れた。


「申し訳ございません」


 彼が目線をウィルに向けると、互いの視線が絡み合う。


「お逃げください、殿下」


 ユリエラと同じように、いや、それ以上に長い年月を、主のウィルと共に過ごしてきた。常に冷静で、ウィルのどんな言動も指摘せず従ってきたクロウでも、胸に抱えていた思いがある。ウィルを自由にしたい。研究をやめさせたい。ウィルを襲う発作を目の当たりにするたびに、そんな思いが強くなっていくのを、ひしひしと実感していた。


 そして、やっと到来したのだ。ウィルを帝王から離し、どんなしがらみからも解き放てる好機が。ウィルに拒まれようが、クロウは自分の思いを初めて、口にした。絶対に、これを逃したくはない。


「……君も?」


 ヒカリは、俯いたまま思いを巡らす。ウィルが置かれている状況を知り、その苦悩から逃がしてあげたいと思った。好きな人が苦しむ姿なんて、誰も見たいはずがない。そして、邪な思いがあることにも気付く。いや、気付かぬふりをしていた。ウィルには好きな人がいるから、その人と結ばれるべきだから、結婚を破棄させなくちゃいけない。それを理由に行動していたけれど、本音は違う。ただ、好きな人が結婚するのを、阻止したかった。イリーナに奪われたくなかった。純粋に好きだからこそ、誰にも取られたくなかったのだ。


「はい」


 このまま、帝国に戻らないでほしい。そう思ってはいるけれど、分かっている。ウィルは、国に帰る気だ。大切な人を、血が繋がる唯一の兄弟・レインを、置いて逃げるような人間ではない。


「……君たちは、本当に主思いだね。でも、考えてみてほしい。君たちにとって大切な人間が、牢獄に一人捕らわれ、生涯をそこで孤独に過ごすとしたら……君たちは、どうする?」

「助け出します」


 間髪入れずに答えたのは、ヒカリだ。そう考えるだけで、耐えられなかった。もしウィルがそんな立場にあるなら、聖剣エクスレイドを抜いてでも、どんなに危険な存在に狙われてでも、必ず救出する。


「それと同じだよ。だから、分かってほしい」


 ウィルは布団を退かし、三人の目の前に立った。ユリエラは、下唇を噛みしめる。レインの命令を実行できなくて、悔しいわけじゃない。レインの元に戻れるという、喜びのあまりに。


「殿下……」

「でも、ただ帰るだけじゃない。レインの薬の供給ルートが分かったら、父上に離反する。研究も止めさせて、魔獣のない世界に変えていく。逃げたくなるような国ではなく、誰もが過ごしたいと思えるような国を築く」

「お言葉ですが、ウィル様。魔獣のない世界は、大聖剣がなければ……」


 帝国では、大聖剣について知られていない。というのも、王族が意図的に隠してきたからだ。昔はどの町の民も知っていたが、時と共に風化していき、消えた。今はもう、王族とその関係者のみが知りうる、隠された歴史である。


「そうだね。でも、それを手に入れられる人がいる。……ね、ヒカリ」


 目を大きく見開いたユリエラは、文字通り、開いた口が塞がらない。


「あ、あんたが?」

「はい……」

「弟子の腰を見ろ」

(ち、近づくなよ……!)


 そこには、王族護衛官にしては貧相な鞘に収まった、聖剣エクスレイドが提げられている。


「エクスレイド、よくしゃべるみゅ」

(こいつ、余計なこと言いやがって……)

「え、話すの?」

「そうなんだ……」

「何だと!」


 クロウだけが大げさな反応を見せるも、すぐに元の表情に戻った。


「師匠、話したいんですか?」

「……」


 何もなかったようにやり過ごすクロウ。


「ふふ。そうなんだ」

「で、殿下……!」


 二人を余所に、ユリエラは挨拶を試みる。


「こ、こんにちは、エクスレイド様」

(うおおおお、顔近づけるんじゃねええええ! おいゴリラ女! 早く退け!)

「美しい女性だね、と言ってます」

(言ってねえええええ!)


 頬を染めるユリエラは、丁寧にお礼を述べる。エクスレイドがひとしきり泣き叫ぶと、ヒカリは深呼吸した。


「ウィル様。私、アマテラス王国に行きます」

「ちょっとあんた、自分が何言ってるのかわかってるの? 敵国よ、て・き・こ・くっ! 行けば死ぬわよ!」

「……それなら、クザン山脈の抜け道を使うといい」

「う、ウィル様! 本気ですか!」


 クロウに止めるよう、視線をやるユリエラは、見事に無視される。


「大聖剣ガウェイン……あれには、向こうにある聖剣が要るんだよ。君も知っているよね」

「は、はい、レイン様から何度もお聞きしました」


 レインは、自分に大聖剣が扱えたらいいのにと、呟いていた。そうすれば、魔獣を切り裂き、研究成果も斬り刻み、兄上を自由にしてあげられるのに、と。


「ですが、抜け道はゼノンが塞いだと……」

「それは嘘だ。今も開いている。一人が通れる大きさだ」

「な、なんで……」


 確信をもって話す姿に、実際に見てきたのだと推測できる。


「……行かせる気満々ってことなのね。それも、用意周到なようだし」


 心配してくれるユリエラに、ヒカリは俯いた。敵国に行くことを、恐れていないわけじゃない。それに、ウィルから離れることを平気だと思えるほど、心は強くない。剛力の持ち主ではあるが。


「ヒカリは、僕の希望だよ。だからこそ、死なせるわけにはいかない。そのために、僕の目が届くところに置いて、クロウに稽古をつけてもらったんだ」


 ヒカリの胸が、痛んだ。そう、ウィルは自分の悲願を叶えるために、ヒカリを傍に置いた。そこに恋愛感情はないのだ。それを客観的に見れば、都合よく利用されている女に過ぎない。加えて、ウィルには好きな人がいる。勝ち目など、はなからないのだ。でも――


「大丈夫です。絶対に帰ってきますから、待っていてください」


 それでもいい。久しぶりに、恋に落ちたのだ。どんな立場だろうが、好きな人には全力で尽くしたい。今は、彼に必要とされているのだから、期待以上に応えたい。ヒカリは、帰れる根拠もないのに、笑みを浮かべて言い切った。


「あんた……」

「さすが、俺の弟子」

(さすが、剛力の持ち主)


 エクスレイドの余計な一言を無視し、ヒカリは胸を張る。隣で自慢気に淡々と頷くクロウに、ユリエラは引き気味に、目を細めた。


「信じているよ、ヒカリ」

「はい」


 天使のような微笑を向けられ、心が晴れやかになっていく。今の自分なら、何でもできそうな気になれる。


 宿を出て、途中にある村まで同行することになった。そこから馬車が出ており、クザン山脈へと行けるらしい。


「あんたに、私が持っている情報のすべてを教えてあげるわ」


 ウィルの後方を歩くユリエラは、隣に並ぶヒカリに、アマテラス王国について話し出した。相変わらず上から目線だけど、血が繋がった姉のように、親身に接し、心配してくれる。自分には血が繋がった人は、いない。家族というものの温かさを知り、嬉しく思う。


「二十二年前に、向こうが攻めてきたのよ。クザン山脈を通ってきてね。戦を止めるために、ゼノンがクザン山脈の坑道を崩落させたの」

「原因は?」

「文献には、こう書かれていたわ。帝国が保持する遺物を回収するためだってね」


 ウィルの結婚式で、ガイストが曝け出した黒い玉を思い出す。あれが出す黒い靄に触れた人間を、魔獣にするという遺物だ。ゼノンがヒカリを庇い、それにやられてしまったことも脳裏に浮かぶ。人を死に陥れるほどの、危険な遺物を欲しがるなんて、向こうの王もガイストと変わらない思考の持ち主なのだろうか。


 ようやく、気付いた。エクスレイドを狙う人間の正体に。

 ウィルは、エクスレイドを抜くなと、ヒカリに約束させた。刀身が目に触れれば、ヒカリが殺されてしまうからと。しかし、殺しに来る人間が誰なのかは、まったく分からなかった。けれど、今なら自信を持って言える。


 ――ガイストだ。彼は遺物を大切に扱い、壊されることを恐れているのだ。つまり、それを行える唯一の武器、大聖剣ガウェインを恐れていることに繋がる。ガウェインに必要な聖剣エクスレイドの使い手である、ヒカリを殺せば恐怖に怯えることもない。全力で殺しに来るはずだ。


 もし、アマテラスの王の思惑も同じなら、絶対に知られてはならない。まあ、知り合うこともないだろう。


「っく……」


 目の前で、ウィルがよろけた。とっさに走ったヒカリが、その体を支える。


「ウィル様!」

「ごめん……だ、大丈夫……」


 額から汗が噴き出している。片腕を抑えながら、痛みに歯を食いしばっていた。顔面から色味が引いていく。これは、ヒカリが一度遭遇したあれと同じだ。ウィルの発作が、再び起きた。あのときも腕を掴み、苦悶の表情を浮かべていた。この発作は、腕が痛むらしい。ヒカリは、半ば強引に、ウィルが掴む腕の袖を握り、肩へ上げていく。


「ダメだっ、ヒカリ……!」


 捲りあげると、その光景に悪寒が走った。指先から肘まで、黒一色に染まっている。


「う、ウィル様……」

「ちょっと、これは……?」

(……こ、こいつ……!)

「ダメだ!」


 肩に力を入れ、ヒカリから腕の自由を奪う。同時に、ウィルのもとへ駆けつけたクロウが、踵を返した。光の速さで剣を抜き、弧を描きながら振り下ろす。すると、割れた苦無が地面に落ちた。


 クロウが前方を睨み付けると、ユリエラもウィルの前に立ち、柄に手を添える。あの苦無は、ウィルめがけて飛んできた。その愚行を犯した人物が、一人の女性を連れて向かってくる。


「いかがお過ごしかな、殿下」

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