第十六話 嵐の前の静けさ
城門広場から大通りを進めば、大聖堂に着く。道端には民が群がり、タキシード姿で馬に乗るウィルに、祝福の言葉や花を投げていた。彼の隣にはクロウがついて、周囲を警戒している。後方には兵隊がずらりと並び、足踏みを揃えて歩く。
ヒカリは、その光景をバルコニーから見下ろしていた。民と同じ気持ちを抱けず、おめでとうの言葉すら出てこない。ウィルの好きな人を連れて来ることが、今のヒカリに出来ること……そう考えていたが、相手は既に亡くなっていたのだ。ウィルの手によって。
何故、好きな人を殺したのか。ヒカリには到底理解できない。それに、ユリエラから聞いた話によれば、ウィルはその人を未だに想っているというのだ。となれば、後悔しているに違いないだろう。
(おい、さっさとマリアージュを探しに行こうぜ)
エクスレイドも分かっていた。ヒカリに出来ることはない、と。結婚を止めるなど、一人では無理だ。それに、城内の人間は式の準備で忙しい。また、いつもに比べて城に常駐している人は少なかった。城を出るには、絶好の機会だ。
「……だめみゅ。ヒカリ、後悔するみゅ」
アメノは、袖を掴んだ。
(んなこと言ったってな、後悔しねぇ方法なんかねぇだろ。あの王子様が美女と結婚することは、決定事項だ。結婚を止める手段なんざねぇ。仮に止めたとしても、ゴリラ女子が捕まって首斬られるだろうが)
ヒカリが死ぬことだけは、何があっても避けたい。適格者が現れるのに、数百年かかったのだ。ヒカリが死に、次の適格者が現れるときまで、数百年以上も待たなければならないだろう。最悪の事態を考えれば、その間に魔獣が増殖し、人間を喰い尽くす可能性もある。そうなれば、適格者の出現を待つどころではない。この世界から人類が消えていることも十分にありうる。
エクスレイドの気持ちも分かるし、出来る限り早く、魔獣を浄化したいとも考えている。そうすれば、街が襲撃されず、ウィルが死地に赴くこともない。遺物も破壊できれば、無罪で捕まった人々を救えるはずだ。
「ぼくが守るみゅ!」
(お前、守られてばかりじゃねぇか)
「で、できるみゅ!」
アメノは飛び出すと、小さな手を上げた。すると、花瓶に刺さっていた三本の枝が宙に浮かぶ。
「アメノ、そんなこともできるの!?」
「植物なら操れるみゅ……」
(な、なんだ、やればできるじゃねぇか)
そのとき、扉をノックした音が聞こえる。
「失礼するよ」
「みゅ!?」
(お、おい!)
アメノが驚くと、開きそうな扉に枝が突き刺さった。その隙間から、目を見開いたレインが動きを止める。
「……れ、レイン様……」
ヒカリが冷や汗を垂らしながら、アメノを見つめる。当の本人は既に、ソファーの後ろに隠れていた。扉を開けたユリエラが、枝とヒカリを交互に見る。
「ちょっと、新米! レイン様を亡き者にしようと――」
「ち、違います! 今のは手違いと言いますか、えっと……」
「……まあいい、君が僕を嫌いだということはよくわかった」
「そういうわけではないのですが……」
雰囲気が悪くなりながらも、入室したレインの服装に、ヒカリは眉根を寄せた。結婚式に出席するはずだが、彼は礼服を着ていない。
「…………」
「レイン様」
「……わかってるよ」
躊躇いを見せながらも、レインがヒカリの前に立つ。
「……兄上を助けたいんだ。力を貸してほしい」
(どういう風の吹き回しだ?)
レインは、ヒカリを嫌っているはずだ。危険を冒してレインを助けた事もあるが、頼られる日が来るとは思わなかった。
「兄上を自由にしたい。その為には、君の力も必要なんだ」
「あの、一体何を?」
「式場から、兄上を攫って」
レインの表情は真剣だ。ユリエラは知っていたのか、無言を貫く。
「そして、此処から遠い場所へ連れて行ってほしいんだ」
「ま、待ってください! そんなことをしたら、レイン様は……」
「もうこれ以上、苦しめたくないんだ。兄上の足枷として生きるのはごめんだ」
ユリエラに持たせていた資料を取り、ヒカリに突き出す。
「……僕は戦えない。軍を派遣することも、肩書きに合った権力もない。けれど、それ以外の大抵のことならできる。でも、一人でこれを実行するのは無理だ」
ウィルを幸せにする為に、ヒカリにもまだ出来ることはあった。これを拒否すれば、後悔するに違いない。しかし、了承すれば、王族誘拐の大罪を犯すことになる。
(やめろ、ゴリラ女子。どうなるかわかってんだろ)
エクスレイドが止めに入る。だが、今までは黙って見つめるだけだったレインが、行動を起こそうとしているのだ。
「……分かりました」
(おい、お前っ……)
「礼を言うよ、ヒカリ」
エクスレイドの溜息をよそに、ヒカリは資料を受け取った。
「ですが、どうやって攫うつもりでしょうか?」
ウィルと二人きりになれたとしても、彼は断るはずだ。催眠ガスか何かで意識を失わせるのであれば、否応なく誘拐できるだろう。
「それを見れば分かるだろうけど、潜入は無理よ」
資料を広げると、建物の設計図が掲載されている。あちこちに小さな丸印が書かれていた。これは、警備兵の配置を示すのだろう。道という道に置かれており、隙はなさそうだ。
「けれど、一カ所だけ侵入できる場所があるわ」
ユリエラは、とある場所を指さした。
「ですが、そこって……」
「そう、私も無理だと思っていたから、相談しようと思ってたの」
「でも、その必要はなくなったようだ」
レインは、ソファーの下を見やる。そこには、首を傾げたアメノがいた。
「……みゅ?」