第十五話 結婚式前夜
ウィルが、ヒカリの部屋を訪れた。彼に気付いて立ち上がろうとした瞬間、きつく抱きしめられる。突然の出来事に、胸が高鳴った。
「う、ウィル様っ」
「ありがとう、ヒカリ」
攫われたレインを救出したことに対し、感謝される。好きな人の役に立て、素直に嬉しかった。しかし、諦めようと努めるヒカリにとっては、胸が締め付けられる思いだ。筋肉質な胸元に顔を埋めれば、その温かさをもっと感じていたくなる。
「は、離してください……」
気持ちとは裏腹な言葉で、ウィルから距離を取る。
「疑われ、牢に入れられて……君にはつらい思いをさせてしまったね」
「……そんなことはないです」
正直言えば、ウィルが結婚し、実は本命の相手がいる、という話を聞いた時の方が心苦しかった。
「あれから、レイン様の体調は問題ないでしょうか」
「ああ、もう大丈夫だよ」
安堵したヒカリは、レインから聞いた話を思い出す。ウィルは、帝王から研究を強いられている。それからも解放したいと考えるが、レインの病の治療法を見つけない限り、難しいだろう。
また、ウィルの想い人を見つけ出したい。本音を言えば探したくはないが、彼の幸せの為に行動すると決めたのだ。
「何度か戦って、君も強くなったね」
「そんなことはありません。ですが、今こうして生きていられるのは、ウィル様の御蔭でございます」
久しぶりに恋をして失恋したのも、ウィルに出会ったせいだ。心の中でそう毒づき、惨めになる。
「君は、僕の希望だからね」
真剣に見つめられ、恥ずかしいヒカリは目を逸らす。
「あの、ウィル様……」
「……ああ、ごめんね。そうだ、君に伝えなくちゃいけないことがある」
ウィルは寂しそうに目を細めた。
「明日、婚約者とその一行に謁見するんだ。君にも来てもらいたい」
平常を装うウィルだが、ヒカリには分かっている。それが望まぬ結婚であることを。
「承知いたしました、ウィル様」
頷いたヒカリは、彼を部屋の外まで見送った。自室に戻ると、バルコニーに一人の男が立っていることに気付く。
(気を付けろ、ゴリラ女子!)
「ぜっ、ゼノン!」
「そんな身構えなくてもいいぜ、お嬢ちゃん」
部屋に上がり込んだゼノンは、ソファーに腰を下ろした。
(こいつ、何しに来やがった?)
エクスレイドも警戒し、緊張した空気の中で距離を取るヒカリは、彼の言葉を待つ。
「お前には教えておくべきだと思ってな」
「……何を?」
「レインを攫った奴、知りたくねぇか?」
結局、レイン失踪事件の黒幕や、冤罪で捕まった男性を魔獣化させた人物の正体を掴めてない。だが、ゼノンから貰った情報の信頼性は何とも言えない。しかし、エクスレイドは遺物研究について思うところがあるようだ。
「ただし、俺も知りてぇことがある。教えてくれねえか?」
「え?」
「何で忠告を聞かねぇんだ」
帝国祭の時にゼノンは、さっさとアマテラス王国に行くべきだ、と忠告した。しかし、ヒカリは従わなかった。
「素直に聞き入れたら、牢に入ることもなかったろ」
「私はウィル様の武官です。アマテラス王国に行く理由はありません」
「……分かってねぇとでも思ってんのか」
ヒカリが適格者であることは、ウィルとクロウだけが知っている。水の魔力については、二人に加えてユリエラ・シュウ・クサナギのみ。ゼノンは、気配を消して観察していたのだろうか。
「お前はアマテラスに行かなくちゃならねぇ。だが、そうしねえのはウィル殿を慕っているからだろ」
(……ご名答、だな)
言い当てられたヒカリは、無表情を保とうとする。
「その恋に落ちちゃいけねぇ。さっさと引き返しな、お嬢ちゃん」
「ぶ、武官が主を好きになるだなんて、ありえません!」
ゼノンにそんなことを言われる筋合いはない。しかし、この話を続けると本音を吐露してしまうかもしれない。怒りに身を任せないよう、深呼吸した後、話題を切り替えた。
「レイン様を攫った人は、誰ですか?」
「……第三王子アウディだ」
「じゃあ、あの男性を魔獣化させたのも……?」
「アウディ殿の研究の成果さ。遺物研究のな」
(王子が遺物を研究するとはな……)
つまり、アウディがあの黒い腕輪を装着させたのだ。だが、ゼノンはあの時、ウィルも関わっていると話していた。それを指摘しようと口を開ける前に、ゼノンは立ち上がる。
「王子たちには気を付けろよ、ヒカリ」
扉を開けたゼノンが去った。そして、レインの部屋を訪れた事を思い出す。あのときにアウディが来たのは、ヒカリを犯人に仕立てる為の証拠作りだったのだろうか。ならば、ゼノンの話も信用しやすい。
翌日、ヒカリはウィル・クロウ・兵隊らと共に、城門の前に居た。しばらくすると、白馬に乗った美しい女性と、彼女を囲む兵隊、先頭を歩く女剣士が現れる。タイトなドレスを纏い、ふんわりとした巻髪を風に靡かせる女性は、優しげな雰囲気を漂わせていた。体型はほっそりとしており、同性のヒカリでも守ってあげたくなるような気持ちになる。
(あの人がウィル様の婚約者……)
女性に見惚れながら、ヒカリは自分に勝てる場所がないと嘆く。そもそも、ウィルと結ばれるはずがないのだから、比較すること自体が無意味である。そう考え、ヒカリは気を取り直した。皆が軽く挨拶を交わした後、城内へと招き入れる。謁見の間に向かい、婚約者を名乗る女性が帝王とウィルに自己紹介した。
「お初にお目にかかります。私はイリーナと申します。隣に居る者は私の武官、エリエールでございます」
女剣士エリエールは、頭を下げた。赤く長い髪を背中に回すと、ヒカリを睨んだ。体型はわりとがっしりしているが、筋肉質というほどではない。自分に似たものを感じるヒカリは、軽く頭を下げる。この女性も、力持ちなのかもしれない。
柔和な笑みを浮かべたイリーナに、帝王ガイストは頷いた。
「遠路遥々ご苦労。ウィル、この者らを部屋に案内してやれ」
「承知いたしました」
ウィルは、いつもの優しい笑みを浮かべて、イリーナ達を案内する。そのとき、ヒカリはエリエールと目が合い、再び睨まれる。
(何かしたかな……)
初対面の人間に、嫌われる理由は分からない。だがヒカリは、ウィルの後をついていく。そして、婚約者イリーナが居住する部屋に着いた。
「あの、ウィル様……」
「何かな?」
イリーナが目配せするので、武官たちは退室する。ヒカリも、クロウに連れられて部屋を出た。廊下で待機していると、中から声が聞こえる。どうやら、イリーナとウィルは面識があるようだ。
「幼い頃、ウィル様に助けていただきました。あれから……」
「君が、あの時の女性か。こんな形で再会するとはね」
二人の楽しそうな会話に、耳を塞ぎたくなる。他人事なら、リア充爆発しろ、と心の中で呟く程度で終わる。だが、諦めようとしても未だ好きな人相手に、そんなことは思えない。自分以外の女性とウィルが二人きりで話す場面など、今まではなかった。こんな胸中で、いつまで聞けばいいのか。そのとき、隣にいるエリエールが小言で呟く。
「正直、あんたが邪魔だ。ヒカリ殿」
「え……?」
「弟子が、何かしたか」
クロウが間に割って入るが、エリエールは続ける。
「イリーナ殿の邪魔をしたら、許さない」
「そ、そんなこと……」
しない、とは言えなかった。この結婚をどうにか止められないかと、方法を模索しているからだ。イリーナは、男性を魅了する美貌と、守ってあげたくなる性格の持ち主だ。しかし、ウィルの本命ではない。
しばらくしてから、ウィルが部屋から出て来た。クロウとヒカリは彼の後を追い、エリエールが代わりに入室した。彼女の視線を痛い程背中で受けながら、ヒカリは肩を落とす。
結局、何もできないまま、結婚式前夜を迎えた。帝王に直訴すれば、薬の供給を絶たれてしまう可能性がある。そうなれば、レインは死んでしまい、ウィルを悲しませてしまうだろう。だからと言って、皆で逃亡しても薬を定期的に入手できなければ、やはりレインが亡くなる。薬の供給ルートを確保した状態で、かつウィルが研究や結婚を強いられない環境を作るには何をすべきなのか。
帝王の殺害、という最悪の案が思い浮かぶ。だが、そんなこと出来るわけがない。常にゼノンが傍にいるし、そんな大罪を犯せば適格者としての使命を果たす前に、死刑になるだろう。そんなことは、エクスレイドが望まない。
今、ウィルの為に出来る事が何か。思考を巡らしてもいい結果は出ないので、彼の元を訪れた。話を聞けば、少しは気が和らぐだろうか。
「何の用かな」
「今思っていることを、お聞かせください」
「……というと?」
彼は首を傾げると、ヒカリは思い切って口に出した。
「ウィル様には想い人がいますよね?」
「……何故、知っているのかな」
「その人について教えてください。探し出して、連れてきます」
好きな人の想い人を連れて来る。それが、ヒカリにできる精一杯のことだ。
「連れて来て、どうするつもりかな?」
「ウィル様に会わせます」
「それで、僕は幸せになれる……そう考えているのかな」
ウィルは、呆れたように息を吐いた。
「無理だよ」
はっきりとした口調で、ヒカリの提案は拒否された。
「僕が彼女を消したからね」
遠い過去を思い出すように、ウィルは俯いた。
「な、何故ですか……」
「君には関係ないよ。結婚に反対しているなら、明日は来ないでほしい」
「ウィル様……」
「……出て行ってくれないかな」
拒絶されたように感じ、涙を目に溜めながらその場を去った。
好きな人を消した、とは恐らく、殺したということなのだろう。ならばヒカリには、ウィルの為に出来ることがない。薬の出所を調べるというのは、帝王を調査するという事だ。それは危険である。また、二人の王子の行動を束縛する帝王を、殺すことも難しい。
(お前にできることはねぇ。だからもう、この国に残る理由もねぇはずだ)
エクスレイドとしては、早くマリアージュを探して、魔獣を浄化したい。その気持ちも分かるが、本当に何もできないのだろうか。苦しい状況に立たされているウィルを見過ごすなど、今のヒカリには耐え難いことだ。この国を発つ前に、それを少しでも緩和したい。ウィルの為に、何かしてあげたい。
自室に戻ったヒカリは、バルコニーに出て夜風に当たる。そこから、式場の大聖堂が見られた。なかなか眠れないヒカリは、ウィルに拒まれた悲しみや、何もできない自分に苛立ち、溜息を吐く。