第十三話 消えた王子
「ヒカリ様、急ぎ謁見の間にお向かいください」
「わかりました」
エクスレイドを腰に提げ、飛びついて来たアメノをコートの下に隠し、走り出す。帝王による招集がかかったのは初めてだ。ウィルの帝位継承式に関することだろうか。
駆けつけると、そこには見知った顔が勢揃いしていた。ヒカリの目についたのは、玉座に佇む帝王に向かって、片膝を着いているユリエラだ。
「……揃ったか」
帝王が、招集をかけた人々を凝視する。ユリエラの後方にはクロウ、アウディ、フェーリッヒ、ケンシスが立つ。
(ウィル様がいない……)
(これから、何を始めようってんだ?)
ウィル・レイン・ゼノンは、その場にいなかった。此処に集まった人員で、何をさせるつもりなのか。帝王は、重々しく口を開く。
「……レインが失踪した」
その言葉に、心臓が止まるかと思った。皆は既に知っているようで、反応を変えることはない。しかし、ユリエラは俯いたまま、顔を上げようとしなかった。
「申し訳ございません、ガイスト様……」
床に敷かれた赤い絨毯を濡らしながら、ユリエラが謝罪する。彼女が今、どんな気持ちでいるのか考えると、胸が締め付けられた。
「謝罪など要らぬ。欲するは、連れ戻すことのみ」
帝王ガイストは、ゼノンを呼んだ。すると、彼は玉座の隣に姿を現す。
「主らには、レインの捜索を命ずる。ゼノン、状況を教えよ」
「レイン殿の部屋に荒らされた痕跡はねぇ。調査部隊によりゃあ、魔法が使われたわけでもねぇらしい。言うまでもねえが、バルコニーから飛び降りたってこともな」
魔法を使えば、魔力を使った跡が残るらしい。しかし、レインの部屋では検出されなかった。ゼノンが帝王に一瞥を投げると、頷く。
「この手口、二十一年前と似てんだよ」
「二十一年前……?」
「お嬢ちゃんは知らねぇか。幼いウィル殿が昔、失踪してな。そんときの状況が、今回と似ていやがる」
それは初めて聞く内容だった。一体誰が、王子を誘拐するという大胆な行動に出たのだろうか。同時にヒカリは、少しだけ安堵する。ウィルが戻って来たなら、レインも戻って来る可能性は高い。
「当時と同じなら、話は早ぇ。アマテラスの奴らが攫ったっつーことになる。ま、模倣犯の可能性もあるがな」
(あまてらす……?)
(おいおい、この前言っただろ。マリアージュがある、隣国だ)
アウディは、ゼノンの見解を鼻で笑った。
「面白い冗談だ、ゼノン。あの山脈を奴らが越えたとでも?」
「いや、越えるのは難しい。アマテラスに通じる唯一の洞窟も、既に埋めたしな」
クロウは、声を抑えながらヒカリに説明してくれる。
「国境には山脈がある。……クギリ山脈だ」
その山脈には、帝国と王国を往来できる唯一の洞窟があったらしい。だが、今は帝国の手によって埋められ、両国が往来するには山脈を越えるしかない。しかし、頂上は雲を突き抜ける程高く、越えた者は一人もいないそうだ。
また、帝国と王国は現在、冷戦状態であるらしい。二十一年前の事件が起こるまでは、互いに関わることも、敵意もなかった。しかし、事件後は帝国が王国を攻め、以降は冷戦状態が続いているそうだ。どちらがいつ戦を仕掛けてもおかしくない。そんな状況でヒカリは、マリアージュを探したり、魔獣を浄化したりするのだ。エクスレイドが強さを求めるのも分かる。
「ならば、既に此処にいた可能性があるな」
アウディは、ヒカリを注視する。
「……そういえば、レインの部屋の前にいただろ」
嫌な予感がした。疑われているらしい。
「聞きたいことがありましたので、行きましたけど……」
体が強張る。だが、正直に言えば疑いだって晴れるはずだ。
「声を掛けても、返事はありませんでした」
アウディを真っ直ぐに見つめて返答すると、畳み掛けるように言葉を投げられた。
「俺には痕跡を消しているように見られたが」
「……え?」
皆の視線が、ヒカリに集まる。ユリエラが頭を振り、それを否定した。
「違うわよ! ヒカリはレイン様に用事があって行ったの、知っているわ。私と話した後、レイン様のもとに向かったのよ。アウディ様はそれを見たに過ぎない!」
「立場を弁えろ」
王子であるアウディに向かって、武官のユリエラが口語を用いた。それを指摘したクロウでもさすがに、帝王の前では木刀を振りかざせない。
「それだけではない。剣術の腕も無ければ、特筆すべき長所もない……そんな女が何故武官になれた? 殿下の武官にはクロウという立派な武官がいるにも関わらず、だ」
(この流れ、不味いな)
(でも本当のことは話せない。どうすればいいの……)
アウディは、口角を上げる。
「聞けば、レイン殿に嫌われていたとか。疑うのが当然だと思うが?」
返す言葉はなかった。というより、武官になった理由は絶対に話せない。自分が適格者であること、エクスレイドを持っていることは告げてはいけない。エクスレイドを狙う者によって、魔力の扱いが初心者である今のヒカリでは、容易く殺されてしまうからだ。そして、ウィルとの約束を守る為にも、ヒカリは黙った。
そして、レインに嫌われていたのは事実だ。実際、ウィルに怪我を負わせたことを知られ、頬を殴られたことがある。そして、レインに盾突く発言をし、胸倉を掴まれた現場をユリエラは見ていた。
「……レインを何処にやった?」
「弟子はやっていません」
クロウが否定するも、帝王ガイストはヒカリを睨む。
「……その者を捕え、拷問にかけよ」
扉から入ってきた兵士は、槍を使い、ヒカリを床に押さえつける。
「私は何もやってません!」
「新米っ!」
帝王は無視を決め込んだ。ユリエラが立ち上がり、兵士を止めようと走るが、クロウが肩を掴んで止めた。その中で、アウディは皮肉っぽく笑う。
(本当にやってないのに……!)
(いや、丁度いいだろ。暴れるなよ、ゴリラ女子。あいつの居場所が分かるかもしれねぇ)
帝国祭で捕えられた男性を思い出した。もしかしたら、彼のもとに辿り着けるかもしれない。そう考えたヒカリは、大人しく従うことに決める。
「新米……」
ユリエラの視線を背中に受け、ヒカリは兵士に腕を掴まれながら連れて行かれた。しかし、エクスレイドの作戦は失敗した。ケンシスと初めて出会った、無人の地下牢獄の一室に入れられる。そして、壁に繋がれた手錠を掛けられた。
兵士が牢獄から去ったことを確認すると、壁に背中を預ける。
「あの人もいない。作戦はダメ。残るは……拷問、か」
身震いした。ドラマや映画で見た、窒息寸前まで顔を水に浸からせたり、鞭などで痛めつけられたりされる場面を思い浮かべる。恐怖心を和らげるため、ポジティブな方向に考えてみる。もしかしたら、美男による囁き付きの、甘い拷問の可能性もあるのだ。両手を縛り上げられ、指が身体を這っていく様を妄想する。ヒカリは、にやりと笑んだ。
(そんなわけねぇだろ! あー気持ち悪い)
「ちょ、完全に否定しなくてもいいでしょ」
(こんな状況でよくんなこと考えられるな……ったく。んなことより、此処から抜けねぇとな)
牢屋を見渡すが、窓はない。外に逃げるとしたら、檻を壊して脱走するしかないのだろうか。
(そうだ、あのネックレスはどうした!?)
「ここにあるよ」
ポケットから取り出すと、エクスレイドは安心した。
(……ならいい。しまっとけ)
言われるままに従い、ヒカリは顔を上方へ向ける。そして、状況を整理した。一連の流れはまるで、噂の冤罪事件と同じである。
(レインを探して連れ戻さねぇと、首斬られるな)
「そ、そうだね……。ウィル様に迷惑かけたくないし、探さなくちゃ」
そして、去り際に見たユリエラを思い出す。主であり、想い人であるレインが行方不明になったのだ。武官としてレインを守ることが、彼女の気持ちを支えていた。それが、彼女の生きる証でもある。しかし、レインは何処かに消えた。職務に対する責任以上に、自分自身の情けなさ、不甲斐なさ……複雑な思いを背負っているだろう。
「絶対に見つけ出さなくちゃ」
ヒカリは、レインの部屋を訪れたことを思い出す。物音も何も聞こえなかったことから、あのときには既に、部屋にいなかったと推測できる。
「どこにいるんだろ、レイン様……」
魔力は武器を媒介にする。そして、魔力を纏った武器で攻撃したり、回復したり、補助、防御などを行う。つまり、瞬間移動で城から脱出する、といった便利な使い方はできない。
(此処を出てから考えるか)
手首に力を入れた。手錠は簡単に外せそうだ。しかし、力のままに壊せば、力持ちだとばれる可能性がある。いや、そう考えても意味はない。ウィルはもうすぐ、結婚する。もはや結ばれる可能性はないのだから、知られても問題はない。そのはずだった。
自分が何をしたいのか、もう一度考える。ウィルを様々なしがらみから解放してあげたい。その中には、結婚も入っている。なぜなら、ユリエラの話によれば、ウィルには本命の相手がいるのだ。そして、結婚相手は本命ではない。
両想いの可能性はゼロ。それでもヒカリは、ウィルを嫌いになれない。ならばせめて、武官としてウィルの幸せを願おう。それを実現するべく行動することを、改めて決めた。
(……お前、使命を忘れてるだろ)
「わ、忘れてないから!」
(はぁ……まぁいい、手錠を引き千切っちまえ)
エクスレイドの指示通り、手首に力を込め、左右に引っ張る。すると、手錠は簡単に外れてしまった。
(次は、この檻を引き抜き壊すか、握り潰し――)
飛び出したアメノが、牢屋の角にある壁の隙間を指す。
「……かぜ、みゅ!」
人差し指を立てると、かすかに冷気が当たる。もしかしたら、抜け道が隠されているのかもしれない。周囲を確認し、エクスレイドを手に持った。
(お、おい! 何する気だ!)
思い切り振りかぶり、エクスレイドを壁に突き刺す。音を立てて崩れた先には、一人が潜れるほどの穴が現れた。
「よくやったね、アメノ!」
「ひかい、あいがとう、みゅ!」
(剣使いが荒すぎるだろ……)
アメノが嬉しそうに、ヒカリのコートの中に戻る。そして、穴を這って潜り抜けていく。坂になっているため、徐々に地上に近づいている気がした。しばらく這っていると、かすかな光が見られる。今は、昼時だ。出口を見つけたことに喜ぶ。しかし、出口に近い場所で、道を塞ぐかの如く岩が出っ張っている。道の三分の一も妨げられれば、狭くて通れない。
「行けない気がする……」
(痩せた女なら楽だろ。だが、お前はお腹が引っ掛か――)
「外に出たらその立派な剣を二つ折りにしましょうか」
(わ、悪気はねぇ! 冗談だ、冗談)
だが、此処まで来たのだ。今更、戻るわけにはいかない。
「岩を思い切り押し込めば……」
ヒカリが岩に手を掛けた時、光量が少なくなる。まさか、抜け出したことがばれたのだろうか。出口を見上げると、誰かが穴から覗き込んでいる。
「……何してんの?」
それは、城下町で出会ったシュウだ。彼は呆れたように息を吐き、穴に入って手を伸ばした。
「……ん」
「あ、ありがとう」
引っ張り上げられたヒカリは、穴から出た後に一息ついた。お腹が岩に引っ掛かったものの、何とか抜け出せた。エクスレイドがふと笑ったので、睨みついて黙らせる。
「ありがとう、シュウ」
シュウにお礼を言うと、現在地を確かめた。どうやら、城壁の外に出たようだ。
「何であそこにいたの?」
「い、いろいろあって……」
シュウは目を細めた。そして、ヒカリのぼさついた髪、土まみれのコート、湿った靴を観察する。そして、眉根を寄せた。
「……何かから、逃げた?」
「な、何でわかるの!」
(このバカゴリラ女子……!)
エクスレイドが呆れると、ヒカリは貝のように口を閉ざした。国民であるシュウには、第二王子レインが失踪したことを話してはいけない。しかし、帝王ガイストは、ウィルには話すなと言っていた。ならば、国民に広めてもいいのだろうか。
「……力になれると思うけど」
「何で言い切れるの?」
「……この国、ほぼ全部歩いてるから。地理には詳しいよ」
まるで、ヒカリがこの国について詳しくないことを見透かすかのように話す。シュウは肩についた土埃を払った。
今のヒカリは、犯罪者扱いされている。情報は公開されていないだろうが、念のため城下町には行かないほうがいいだろう。また、この国の何処にどの街があるのかはわからない。魔獣から救った街は、道を覚えていないし、徒歩で行くには遠いことだけは分かる。
(今は、こいつしか頼れる奴がいねぇからな。話してみるか)
(そうだね)
他言しないことを約束し、シュウにすべてを話した。レインがアマテラス王国に連れ去られ、容疑者として牢獄に捕えられていたことを。
「……そんなことしないのに」
「え?」
「何でもない」
背負っていたナップザックから、地図を取り出す。そして、この城がある位置から指を動かし、レインが居そうな場所を割り出した。
「ここが、一日で行ける場所」
城を中心とした円を、指で描いた。その中には、森林、廃墟、一つの街がある。ヒカリが最後にレインを見たのは、昨日の夕方に行われた次期帝位発表時だ。つまり、攫われてから一日も経過していない。
「この何処かにいる」
「でも、全部を回っていたら、もっと遠くに行かれるかも……」
「ん。行くのは、森林か廃墟だけ。それ以外は兵士が調べるはず」
ヒカリは、地図からシュウに顔を向けた。
「何でそんなことが分かるの?」
「街には常駐の兵士がいるし、もう連絡が回ってるはず」
地図を見る限り、北に廃墟、南に森林がある。シュウはどちらに行けばいいか、迷っているらしい。そのとき、忍び笑いする声が聞こえた。シュウは、目を細めて嫌悪感を滲みだしている。周囲には、高い城壁、広大な草原、点々と生えている大木。一つ一つ目を凝らすと、背中に誰かが手を置いた。
「なっ!」
驚きながら振り返ると、長い髪を一つに結んだ男性がいた。優しそうな笑みを浮かべ、にんまりと笑っている。
「初めましてじゃな。僕はクサナギじゃ」
手を差し出されたので握手すると、クサナギはシュウを見つめた。
「……何で此処に?」
「そんな顔されると悲しいの、シュウ」
「……チッ」
舌打ちを鳴らしたシュウに、クサナギは嬉しそうに微笑んだ。
「詰めが甘いの、シュウ。もっとよーく考えるべきじゃ」
「話、聞いていたんですね……」
「まあの。じゃ、誘拐の線で考えてみるかの。ヒカリ、お前さんなら連れ去る目的は何じゃ?」
「……金目当てでしょうか?」
「甘いのー。もう一度考えてみるんじゃ」
初対面だが、シュウの友人らしい。彼に従い、ヒカリは考えてみる。
金目当てではないなら、何が目当てなのだろうか。レインは第二王子である。連れ去るとしたら、ウィルやその他王族に何かを要求することが目的だとは思うが、金以外に何があるのか。捕らわれた人を解放したり、帝位継承をやめさせたり、そういったことを求めるのだろうか。
「……ウィル様の帝位継承を取り消す、とか?」
「正解。さすがじゃのー、その可能性が高いんじゃ」
クサナギは拍手する。
「じゃ、次は犯人像を考えてみるかのー」
「連れ出すの、一般人には無理。あの城、一般人は入れないし」
「レイン様の部屋に、荒らされた形跡はなかったそうです」
シュウは前屈みになり、ヒカリを見つめた。
「……レインを連れ出しても問題ない人は?」
「問題がない人……」
脳裏に、クロウ、ユリエラ、アウディ、フェーリッヒ、ケンシス、帝王、ゼノンが順に浮かぶ。そして、最後に思い浮かんだ人の名を、言葉にする。
「まさか、ウィル様……?」
ヒカリは頭を振った。ウィルとレインの仲が良いことは分かっている。彼が弟を攫うはずがない。それにウィルは、レインのために帝位を継承したり、結婚を拒否したりしないのだ。しかし、ウィルを信じきれない自分に気付く。レインの為に行動する理由が分からないからだ。
「さあの。じゃが、王族の可能性は高い。それに、要求があるなら遠くには行かんじゃろ。城の様子は常に把握したいじゃろうし」
犯人の立場になって、考える。レインを連れ出すとしたら森林と廃墟、どちらだろうか。
「……廃墟。森より、隠せる場所が多い」
「そっか、入り組んでいそうだから、犯人にとっては逃げやすいかも」
「決まりじゃな」
ヒカリが立ち上がると、二人に頭を下げた。
「ありがとう、二人共!」
「……俺も行く」
「……え?」
「じゃ、僕もついて行くかのー」
「……は?」
ヒカリはシュウを、シュウはクサナギを凝視する。
「城下町に美味しい団子、あるから」
「僕を釣ろうなんて十年早いんじゃ、シュウ」
「……チッ」
どうやらクサナギは団子が好きらしい。しかし、釣られなかったので、シュウは舌打ちする。クサナギはヒカリの肩を掴むと、にっと微笑んだ。
「ヒカリの足手まといにはならん」
(ま、人数は多い方がいいだろ。何かあったら、お前が守ればいい)
確かに、この二人がいなければ、レインの居場所を推測できなかった。それに、相手がウィルや王族関係者ならば戦闘に発展しないだろう。途中で魔獣と出会っても、小型魔獣なら何とか対処できる。それに、エクスレイドに魔力の扱いを教わったので、不安が残るものの問題はないと考えた。二人くらい守れなくて、ウィルの武官が務まるわけがない。
ヒカリは頷き、二人と共に、廃墟に向かった。