第十二話 絶望と希望
自室のベッドで、ヒカリは横になった。すると、我慢していた感情が溢れ、涙腺が緩んだ。
(おい、泣いたって何も変わらねぇだろ)
ヒカリは、枕に耳ごと顔を埋めた。そんなことしたってエクスレイドの声は聞こえるが、今はどんな言葉も受け入れられない。確かに、泣いたって事実は変わらない。一週間後、ウィルは結婚する。帝王が取り決めた事で、無になることはあり得ない。そうなれば、今まで以上に、手が届かなくなるのだ。
既婚者を奪うなんて度胸は、ヒカリにはない。ましてや、一国の帝王となる人だ。恋人ができたことがなくとも、常識は持ち合わせている。
「ひかい、みゅ」
アメノが近寄り、枕を握りしめる手を撫でてくれる。だが、その優しさはつらい。彼に好かれることはない、彼と同じ気持ちにはなれないと、余計に実感させられるからだ。
(……俺には、恋なんてわからねぇ。だがな、これだけは教えてやる)
エクスレイドは、無視するヒカリに語り続ける。
(お前の悪いところは、一直線に行動することだ)
ヒカリは、反応を返さない。
(だがな、他人の為に懸命に行動できるのは、お前の良いところだ)
「ひかい、たつけてくれた、みゅ!」
アメノは、ヒカリの魔力によって命を救われた。ウィルもまた、同じように助けられている。そして、ウィルたちを守り、町の被害を広げない為に、一人で未知の魔獣と対峙した。今日は、無罪の人間を助けるために、単身で牢獄に向かったのだ。
(お前の恋は叶わなくとも、武官であることに変わりはねぇ。ウィルの為に、できることがあるんじゃねぇのか?)
それは、ウィルの結婚を祝福することなのか。今のヒカリには、そんなこと到底できない。彼と結ばれることはないと知りながらも、未だ諦めきれないのだ。
「ひかい、しあわてになるみゅ。うそつかあいみゅ!」
頭を動かすと、真剣なアメノと見つめ合った。
「……ありがと、アメノ」
(おい、俺にはお礼言わねぇのか!)
エクスレイドが突っ込みを入れると、ヒカリは力無く笑った。そのとき、扉をノックする音が聞こえる。
「開けるわよ、新米」
その声は、ユリエラだった。ヒカリは飛び起き、涙を拭った。扉が開き、ユリエラがくすりと笑う。
「目、赤いわよ?」
「き、気のせいです」
「そう。……ちょっと、付き合ってくれない?」
こんなことは初めてだった。何だろうと考えながら、ユリエラについて行くと、空中庭園に着く。すると、木刀を構えられた。
「あんたも構えなさい」
ヒカリは鉄の剣を取り出して、構える。ユリエラは、何のつもりなのか。
「……行くわよ!」
掛け声と共に、ユリエラは踏み出し、ヒカリに打ち込む。剣で受け止めて流すも、再び斬り振られるので、後退して避けた。
「ゆ、ユリエラさん! 師匠がいないのに、どうしてこんなことを……」
「退屈しのぎ……いや、鬱憤を晴らしたいのよ。最後まで付き合ってくれたら、あんたが知りたい情報を教えてあげるわ」
二十分ほど、ユリエラと討ち合った。それは、ユリエラの勝利で幕を閉じる。
「やっぱり、まだまだ新米ね」
ヒカリが呼吸を整えると、ユリエラを見やる。
「このことを師匠に知られたら、脳天直撃では済まされませんよ……」
師匠であるクロウがいない城内では、他人と剣を交えるなと言いつけられていた。しかし、ユリエラに誘われ、約束を破ってしまった。
「安心して、クロウは見てないわ」
すると、ユリエラは噴水の淵に腰を掛けた。
「……あんた、ウィル様のこと好きなんでしょ?」
「えっ……」
ユリエラに話した覚えはない。むしろ、アメノとエクスレイド以外には気持ちを打ち明けたことがない。
「ウィル様に向ける視線が、恋するそれと同じに見えたのよ」
ユリエラは俯くと、寂しそうに笑った。
「あんたの気持ち、分からなくもないわ。だから、教えてあげる」
ユリエラは、ヒカリの目を見ながら話す。
「ウィル様には、幼少期からずっと、想いを寄せている女がいるのよ」
その情報も、ヒカリにとっては受け入れ難いものだった。幼少期からということは、その女性は明らかに、ヒカリではない。
「女のことはよく分からないし、一度も見たことがないわ。でもね、ウィル様は忘れられないみたいよ」
ユリエラの話からすると、ウィルが想う相手は、城内にいないようだ。おそらく、帝国の何処かに居るのだろう。また、ウィルの結婚相手は、その女性ではない可能性がある。このことをクロウも知っていたから、あんな表情をしたのかもしれない。
だが、そうだとしてもすぐには断念できない。しかし、諦めなければならないことも分かっている。ヒカリの胸は切ない気持ちでいっぱいになる。
(ゴリラ女子……)
エクスレイドが呼びかけるように呟く。先ほど泣いたのに、まだ涙を流せるようだ。しかし、下唇を噛んで必死に堪える。
「早く諦めた方が、楽になれるわ。……私のようにね」
ユリエラは立ち上がり、寂しい笑顔を見せた。何故、話してくれたのだろうか。クロウに聞けば、お前には関係ない、との一点張りだった。ウィルには聞けないし、ユリエラも今までは、新米だからと教えてくれなかった。
「ユリエラさんも、ウィル様を……?」
「ち、違うわよ!」
慌てて否定したユリエラは、頬を染めながら溜息を吐いた。
「……わかるでしょ?」
(クロウだろ? ……ったく、こいつ面倒な性格だな)
エクスレイドの言葉を伝えると、ユリエラは怒った。もちろん、面倒な性格だとは話していない。
「ちょっと、あんな堅物のどこがいいのよ!」
となれば、残る人物の中で思い当る名前を挙げた。
「レイン様、ですか?」
「……」
恥ずかしそうに頷いたユリエラは、ヒカリの目の前に立つ。この様子では、ユリエラも諦めきれていないことが窺える。
「……でも私じゃ、あの人の力になれないのよ」
レインの部屋があると思われる、城の上層部を見上げる。
「武官に就けたけれど、肉体的な意味でしか守れない。だから、ウィル様しか力になれないのよ」
そのとき、先ほどのレインの言葉を思い出した。それによると、レインのせいで、ウィルは帝位を継ぎ、結婚することになったらしい。それと関係があるのだろうか。
「あんたも知ってるだろうけど、ウィル様は自分を抑えてるのよ。でもそれは、レイン様のためだと思うの」
「じゃあ、帝位を継ぐのも、結婚するのもすべて、レイン様のためですか?」
「おそらくね。だって、私が此処に来た頃、帝王の地位に興味はないと話していたわ」
ヒカリは、地面に視線を落とした。ウィルの為にできることは、諦める以外にもあった。彼の武官として、落ち込んでいる場合ではない。彼の為に、何をすべきか分かったような気がする。
「……ありがとうございます、ユリエラさん」
「お、お礼なんて要らないわ」
頭を下げると、城内に向かって走った。ウィルを様々なしがらみから解放させるために、彼が行動する理由を聞こうと考えた。一介の武官には教えないかも知れないが、レインが兄思いであることは身を持って分かっている。一縷の望みにかけて、ヒカリはレインの部屋に向かった。
呼吸を整い直してから、ノックする。しかし、返答はない。
「レイン様、いますか?」
答える気配はない。扉に耳を寄せ、澄ませても物音はしない。ドアノブに手をかけて回そうとするが、鍵がかかっているようだ。
「殿下の手下か。何をしている?」
振り返ると、第三王子のアウディがいた。殿下とは、ウィルのことを指しているのだろう。ヒカリには、それが嫌味に感じられた。
「れ、レイン様に用がありまして……」
「そうか」
それだけを言うと、何事もなかったように通り過ぎて行った。確か、アウディの部屋は、下の階にあるはずだ。ヒカリと同じく、レインに用があったのだろうか。
その後も反応がなかったため、仕方なく引き返した。