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第十一話 帝国祭・後編

 服を着替えたヒカリは、民の服装を片手に、颯爽と部屋を出た。目指すは、男性が囚われている牢獄だ。行き方は、帝国祭から帰還する道中でメイドに聞き、調査済みである。

 ヒカリには時間がない。一時間後、帝王のスピーチが始まるのだ。そして、次期帝王が発表される。そのときには、武官として第一王子ウィルの傍にいなくてはならない。


(ウィル様、どんな気持ちなんだろう……)


 帝位継承者の中で、最も有力なのが第三王子アウディだ。彼は、帝王から任された研究において、成果を出している。それゆえに、帝王に気に入られているのだ。一方で、ウィルの研究は進捗が芳しくない。挨拶に伺った際、帝王に急かされていたことを思い返す。


(早く終わらせて、ウィル様のもとに戻らなくちゃ)


 大階段を足早に下り、別の塔に繋がる渡り廊下を歩いた。そこから少し離れた場所で、誰かが空を見上げている。よく見ると、それはクロウだった。反射的に、渡り廊下の屋根を支える石柱に隠れた。


(まずい、見つかったら……!)


 そこで、ヒカリは気付いた。囚人を脱獄させ、それが知られたらどうなるのか。ウィルの武官が脱獄を手伝ったという噂が広まり、彼に対する印象が悪くなるに違いない。また、ウィルが次期帝王に選ばれた場合、それが取り消される可能性もある。

 ヒカリは、こうと決めたら一直線に行動してしまう。それゆえ、そんな簡単なことにさえ気付けなかった自分が嫌になる。


「いきゃない、みゅ?」


 胸元から顔を出したアメノは、心配そうにヒカリを見つめる。


(好きな奴のためなら、無実の人間を見捨てられるのか? お前は)


 エクスレイドの言葉に、ヒカリは拳を握りしめた。想いを寄せるウィルに、嫌われたくないし、迷惑を掛けたくない。やめようと考えたが、やはり納得がいかなかった。ヒカリはあの現場を目撃しているのだ。此処で引き返したら、罪悪感に苛まれるだろう。


 優しいウィルなら、その行動を咎めないはずだ。ゼノンは、冤罪事件にウィルが関わっている、と話していたが、ヒカリは決めている。自分の命を狙った男の話は信じない、と。


 再び歩き出したヒカリは、もう一度クロウを見やる。彼は気配に鋭いが、珍しく此方には気付いていなかった。一時間もすれば、長年続いていた次期帝位継承争いに決着がつくのだ。クロウも考えることがあるのだろう。


 別の塔に入ると、床が赤い絨毯から石畳に変わった。気が引き締まるヒカリは、地下に続く階段を忍び足で下りていく。灯された蝋燭が、一定の間隔を開けて壁に掛けられているため、薄暗い。耳を澄ませるが、足音以外は聞こえない。


「あれ……?」


 様子を窺いながら階段を下りきると、殺風景な部屋に着いた。鉄製の机と椅子が置かれており、重厚な扉が閉じられている。ドアノブを握ったが、鍵が掛けられているため、開かない。


(……誰もいねぇ。ま、今日ぐらいは浮かれてもいいってか?)

(そういうものなの?)


 セキュリティが甘いと考えるも、今日は年に一度の帝国祭なのだ。牢番にとっては、仕事をしないでいい日なのかもしれない。

 ヒカリは机の引き出しに入っていた鍵を取り出し、扉を開ける。すると、じめじめとした臭いが鼻を掠める。先には廊下があり、壁の代わりに檻が取り付けられている。そこで、奇妙な光景を目にする。


(これは……)


 男性を探しに、廊下の突き当りまで歩くが、どの檻も無人だ。罪人は此処に収監されると聞いたが、何故誰もいないのか。そのとき、後方から二人の男の笑い声が聞こえた。


「よし、終わりだ! 俺たちも祭りを楽しもうぜ」

「待て、牢の見回りを終わらせてからだろ」

「ったく、誰もいねぇのにやる必要あるのか?」


 彼らに見つかれば、詰問されるだろう。脱獄の手伝いに来たとは言えないし、まだ実行していない。しかし、無人の牢獄にいたことが城中の人間の耳に入れば、よからぬ噂などを立てられるだろう。結果、ウィルに迷惑を掛けることになる。


(隠れなきゃ……!)


 人が入れるのは、牢屋の中に設置された、錆びたベッドの下しかない。しかし、どの檻も鍵がかかっている。


(お前なら、素手で格子を取っ払えるだろ)


 エクスレイドの言う通り、その手があった。だが、一本だけ抜ければ異変に気付かれ、牢の中を捜索されるかもしれない。そして、ヒカリが力持ちだと知られれば、必死に隠していた苦労が無駄になる。


 そのとき、後ろから手を回され、口を塞がれた。後頭部で、筋肉質な胸板の持ち主であることを実感する。


(まさか、ゼノン?)


 後ろにいる人物に視線をやると、銀髪の男性が立っていた。眼光を鋭く、扉の向こう側にいる男たちを射る。


「黙れ」


 冷めた声音に、ヒカリは抵抗をやめる。まさか、あの二人の男と吊るんでいるのだろうか。男は近くの牢の鍵を開け、音を立てずに入った。壁際に寄り、男たちの動向を窺う。

 二人は、奥までは来なかった。遠ざかっていくことを確認すると、男が手を離したので、ヒカリは少し距離を置いた。よく見ると、なかなかの美男である。美男に耐性がないヒカリは、ウィルたちを見慣れているとはいえ、緊張してしまう。


「あ、ありがとうございます」

(お前、心臓の鼓動が早くなってるぞ……)

(な、なってないから!)


 どんな形であれ、窮地を救われた。ヒカリが礼を述べると、男は怪訝な表情を浮かべる。


「何故、此処に居る?」


 牢の入口には男が立ち、逃げられる場所がない。そのまま距離を縮められ、冷たい壁に背中が当たる。

 正直には言いたくない。だが、誤魔化せる理由が見つからない。そもそも、この男は何者なのだろうか。城の中では、見かけたことがなかった。この国の人間の髪色は、黒か赤、あるいはその中間であることが多いのだ。銀髪を見かけたら、印象に残っているはずである。


「答えろ」

「……助けに来たんです」


 嘘を吐けば、命はないかもしれない。ただでさえ、無数の針で突かれるような刺々しい雰囲気を感じているのだ。


「誰を?」


 男の眼差しは、全てを見透かすように感じられた。


「……無実の人を」


 正直に話したヒカリに、男は伏し目がちになる。何か知っているのだろうか。


「残念だが、此処にはいねぇ」

「何処にいるのか、知っているんですか?」

「分からねぇ。だが、一つだけ言えることがある」


 男はヒカリに背を向けると、鉄格子に手をかけた。


「町の噂、分かるか?」


 ヒカリは、オムライスを作ってくれたお婆さんの話を思い出す。兵士に罪人として連行される者の多くが犯罪行為を否定する、というものだ。


「あれは、兵士によって罪をでっちあげられ、捕まった人間だ」

「えっ……」


 到底、信じがたい話だった。だが、ヒカリはその一部始終を目撃している。


「な、何でそんなことを?」

「知らん。ただ、冤罪で捕まった人間は五十三人いる。いずれも、経歴などに汚点はない」


 冤罪で捕まった人間以外にも、本当に罪を犯した人間がいるはずだ。だが、この牢屋には一人もいない。だからと言って、他の場所に牢屋があるとも聞いていなかった。


「お前は、ウィルの武官だろう? 早く行け、スピーチが始まるぞ」


 その言葉に、ヒカリは男性を見つめた。身分について既知であるならば、城に仕える人間に違いない。城外の人間は、ウィルに新たな武官が就いたことを知らないからだ。


「あなたは?」

「……ケンシス」

「ありがとう、ケンシス」


 牢獄を出ると、腰に提げたエクスレイドが呟いた。


(……数百年で、あっという間に変わったな。昔は後ろめたいことなんか、何一つなかったってのに)


 遠い昔を思い出すような口調で、エクスレイドらしくない。


(そういえば、さっきからあんまり話さないよね)


 ゼノンに会ってから、エクスレイドの口数は減った。そのことに、ヒカリは気付いている。いつもなら様々な挑発を吹っかけられるので、心配していた。


(……ゼノンの話が気になってな)

(エクスレイドが鵜呑みにするなって言ってたじゃん)

(……ああ、そうだったな)


 ヒカリは城内に入り、階段を駆け上がって、ウィルのもとへ向かった。今は自室にいるだろう。何かと準備に追われているかもしれない。部屋の前に立ち、扉をノックした。しかし、返事はない。心配し、ゆっくりと扉を開ける。そこには、景色を眺めるウィルがいた。無表情で、物思いに耽っている。

 声を掛けようか、迷った。そのとき、アメノが飛び出し、ウィルに駆け寄った。


「いる、みゅ!」

「……ああ、来てくれたんだね」


 微笑んだウィルは、窓際から離れると、テーブルに置かれた紅茶のポットを持とうとする。


「わ、私が紅茶を淹れます!」

「ふふ、じゃあ甘えようかな」


 ウィルはソファーに座ると、アメノの頭を撫で始めた。


「ありがとう、美味しいよ」


 ヒカリが淹れた紅茶を一口飲むと、ウィルは一息ついた。今、どんな気持ちなのだろうか。一見では、緊張している様子もなく、いつもの彼である。だからこそ、ヒカリは心配になる。ウィルは、自分の気持ちを顔に出したり、言葉にしたりしない。どんなときも常に微笑み、立ち振る舞いも変わらないのだ。

 彼の心情を察したい。だが、今のヒカリには難しいことだ。それでも、今は帝位継承争いに触れないほうがいいことは分かる。別の話題を振ろうとしたとき、カップを落とす音が聞こえた。


「ウィル様!」


 ウィルは両手を握りしめながら、前屈みになった。苦悶に満ちた顔を隠すように、俯いている。ヒカリは傍に駆け寄り、片膝をついた。


「……ごめんね、せっかく淹れてくれたのに……」 

「そんなこと、どうでもいいです! 今すぐ主治医を……!」


 ヒカリが立ち上がった瞬間、ウィルはその手を掴んだ。


「これは持病の発作なんだ……だから、必要ないよ」


 痛みが収まったのか、ウィルは微笑んだ。だが、額には薄ら汗が浮かんでいる。


「もう大丈夫だよ……」

「で、ですが」

「殿下、失礼しま――!」


 クロウも慌てて駆けつけ、目を見開いた。


「まさか、また……」

「問題ないよ。もう時間だね、行こうか」

「此処に居てください。自室で休まれ――」

「行くよ」


 語気を強めたウィルは、立ち上がり、自室を出て行った。先ほど苦しんでいたとは思えないほど、しっかりとした姿で。


「師匠、ウィル様の持病とは何ですか?」

「……行くぞ」


 肝心なことに限って、クロウも教えてくれない。持病の詳細が気になるが、とりあえずはウィルの後を追った。そして、帝王が待つ最上階に向かう。城のバルコニーで、民衆に向けてスピーチを行うらしい。

 既に、帝王、第二王子レイン、第三王子アウディと、その武官たちがいた。ヒカリは、ある人物と目が合う。


(あれ、ケンシス……)


 どうやら、アウディの武官であるらしい。ケンシスは、何事もなかったかのようにただ前を向いている。しかし、ゼノンが見当たらない。おそらく、気配を消して傍観しているのだろう。


 帝王が外に出ると、スピーチが始まる。その様子を、城内から王族が見守った。ヒカリは、脳内でもう一度状況を整理する。ウィルとレイン、アウディの二派が対立しているのだ。そのため、ウィルとレインのどちらかが次期帝位に選ばれればいい。しかし、アウディが帝位を継いだ場合は、争いに敗北したことになる。加えて、アウディは帝王に気に入られており、最有力候補である。

 それでも、ヒカリは願わずにいられなかった。


(どうか、ウィル様が選ばれますように)


 元いた世界で遊んでいた乙女ゲームでは、誰もが王になるべく行動し、それが叶ったときには喜んでいた。ヒカリは、ウィルが同じように、心から悦ぶ姿を見たい。

 そう願っているうちに、スピーチが終わった。ウィルは相変わらず、緊張した様子を見せず、帝王を見据えている。


「皆の衆、今此処に、次期帝王を呼ぼう」


 アウディは、自信満々でにやついている。


「……第一王子ウィルよ、此方に来い」


 次の瞬間、ヒカリは全身の力が抜けた。ウィルが選ばれたことが、とても嬉しかった。外も民の歓声で満たされている。

 ウィルに声を掛けようとしたとき、異変を感じた。彼は、静かに目を瞑っている。そして、ゆっくりと歩き始めた。隣にいるクロウを見やると、俯いている。二人の様子から、嬉しさは伝わらない。


「死んだ帝妃の愛する息子……あいつは生い立ちで決めたようだな」


 そう呟いたのは、アウディだった。そして、踵を返して行く。


「……もう、容赦はしない」

「で、殿下あ! 待ってよー!」


 アウディ、フェーリッヒ、ケンシスがその場を去っていく。だが、それよりも何故、喜ばないのかが気になった。しかし、そんな疑問も頭から飛んでしまうほど、衝撃的な事実が述べられる。


「一週間後、ウィルの結婚式を催す。正式な帝位継承式は、その後に行う」


 言葉を失った。ヒカリは、事態を把握できなかった。いや、したくなかったのかもしれない。クロウに聞いた話では、ウィルに婚約者はいないはずだ。では、相手は誰なのか。


(お前の恋も終わったな、ゴリラ女子)


 エクスレイドに反論する元気もない。婚約者がいないと聞いて以来、ウィルが結婚するなど考えたことはなかった。思わず、涙腺が緩みそうになる。


 元々、釣り合うはずがないのだ。一国の王子と一般人。適格者という肩書きがあっても、高貴な地位にある彼と結ばれる可能性は少ない。だが、はい諦めますよ、とは割り切れなかった。ヒカリにとっては、久しぶりの恋なのだ。彼の一挙一動に胸をときめかせ、嫌われないよう努めてきた。しかし、報われることはない。そう思うと、何とも言えない気持ちになる。


 無気力のまま、クロウの方を向く。無表情の彼から、珍しく落ち込んでいることが窺えた。ウィルも、不可解な面持ちで帝王を注視する。もしかしたら、初耳なのかもしれない。


「……僕のせいだ」


 レインが呟くと、その場を駆け出して逃げた。ユリエラが驚き、その後を急いで追う。何故、ウィルが帝位を継ぎ、結婚することがレインに関係あるのか。今のヒカリにはわからなかった。


「師匠……」

「……」


 呼びかけに、クロウは答えない。民の歓声に包まれる中、二人が戻ってくる。


「国の将来が楽しみだ」

「父上……」


 帝王が去ると、ウィルは呆然としたまま動かない。


「殿下……」

「……僕は大丈夫だよ。だから、そんな顔はしないで」


 微笑んだウィルに、クロウは俯いたまま無言を極める。


「付き合わせちゃってごめんね、ヒカリ。どんなことになっても、君が強くなるまでは支えるから、安心して。クロウ、ヒカリの稽古を頼んだよ」


 そういうと、ウィルは颯爽とその場を去っていく。どんなときも、他人の心配ばかりするウィルは、どんな気持ちを抱いているのか。分かっているのは、喜べる出来事じゃない、ということだ。


「……行こう」


 ヒカリは、クロウの後についていく。そして、空中庭園に辿り着くと、レインを追ったはずのユリエラがいた。噴水の淵に座り、足を組み、放心状態のようだ。ウィルが結婚する、というショックから立ち直れそうにないヒカリは、それを見過ごすことしかできなかった。

 クロウに引っ張られて、ヒカリはいつもの場所に着く。その後、クロウによって稽古が行われるが、全くと言っていいほど、ヒカリの身に入らなかった。


 次期帝王の披露・結婚式の開催を機に、様々な歯車が回り始める。

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