第九話 帝国祭・前編
帝国祭当日、外は騒がしかった。自室のバルコニーから覗くと、風船が空に舞い上がったり、人の群れが行き交っていたりすることがわかった。賑わっている様子に楽しそうだなと思いながら、ウィルとのデートを妄想する。人混みの中で、迷わないようにとウィルに手を掴まれる、ベタな場面を想像する。
(気持ち悪いぞ、ゴリラ女子)
「う、うっさいわ。妄想は乙女の嗜みなんだから、邪魔しないでよ」
にやけていたヒカリは、エクスレイドによって現実に引き戻された。脳内での妄想・考えることはすべて、口に出さなくてもエクスレイドには、ばれてしまう。溜息を吐きながら部屋に戻ると、ノックする音が聞こえる。
「僕だけど、開けてもいいかな」
妄想の相手であるウィルが、ヒカリの部屋を訪ねた。凛とした声に高揚しながら、ヒカリは扉を開ける。
「おはよう、ヒカリ」
「おはようございます!」
ウィルが朝早くから訪れるのは、珍しい。少し期待しながら挨拶を終えると、畳まれている服を渡された。
「これは……?」
「民の服装だよ。これを着れば、武官だとは気づかれないはず。初めての帝国祭だし、稽古ばかりで疲れているだろうから、羽を伸ばしておいで」
「ですが、ウィル様は」
今日は、帝位継承者が発表されるはずだ。第一王子であるウィルは、緊張しているに違いない。
「自室で本でも読もうかな」
ウィルは優しげな笑みを浮かべる。しかし、ヒカリにはどこか寂しそうに見られた。思えば、今までのウィルの微笑みからは悲哀を感じられる。なぜ、いつもそんな笑顔を見せるのだろうか。どうすれば、ウィルを心から笑わせられるのだろうか。そう考えた時にヒカリは、先ほどの妄想を思い出した。だが、それを実行する勇気はない。けれど、後悔はしたくない。
「君にはクロウをつけるから、安心して――」
「う、ウィル様も、一緒に行きませんか!」
ヒカリは、思い切って口に出した。血が煮えたぎるように身体が熱くなり、ウィルの目をまともに見られない。男性を誘ったのは、生まれて初めての出来事だった。
ウィルは驚きながら、くすりと笑った。
「ごめんね、昔のことを思い出したんだ」
どうやら、思い出し笑いのようだ。過去にも、同じようなことがあったのだろうか。ヒカリが考える前に、ウィルは扉を開けた。やはり、行きたくなかったのだろうか。
「女性からのお誘いを、断る理由はないからね。ちょっと待っていて。準備してくるよ」
扉が閉められると、ヒカリはその場に立ちつくす。嬉しさのあまり、笑顔を隠せない。
(今日はお祭りだろうが、適格者にはそんなもん関係ねぇ。使命を果たす為にもだな……って、おい!)
ヒカリは着替える前に、エクスレイドを布団で巻いた。柄から剣先まで隠せば、エクスレイドの視界は真っ暗で、何も見られない。
(お前、行く気満々だろ! 稽古はいいのかよ!)
「帰ってきたらやるよ」
(俺は大大大反対だ! 人が多い場所に行けば、適格者だってバレる確率が上がるだろ!)
エクスレイドは、全力で否定する。ヒカリは、その理由を何となくわかっていた。
「女性、苦手だもんね」
(……そ、そんなことはねぇ!)
「初めてエクスレイドを触ったとき、呻き声を上げたり、何か呟いていたりしてたの知ってるから」
(……なら話してやる。女がいかに恐ろしいかってな。奴らは俺の――)
そのとき、扉をノックする音がし、クロウが声を掛けた。
「まだか?」
「今、行きます!」
ヒカリは着替え終わり、布団を剥いでエクスレイドを腰に携える。
「みゅ!」
アメノはジャンプして、ヒカリの肩に飛びついた。
「よし、一緒に行こうね」
(おい、俺の話は終わって――)
「お待たせしました、師匠!」
ヒカリは、黒いコートの下に民の服を着た状態で、クロウと共に裏門へと向かった。
裏門から迂回し、城下町の入口に辿り着いた。やはり、人で溢れ返っている。年に一度の帝国祭なので、どこもかしこも賑わっていた。城門広場には屋台が出ており、服装や装飾品のお買い物や、洋風の食事を楽しめそうだ。
好きな人とのお出掛けに、ヒカリの頬は緩んでいた。先ほどの妄想みたく一対一ではないが、これもデートに入るだろう。民に面が割れているウィルとクロウは、帽子を目深に被っている。眼鏡をかけて髭をつけ、王子と従者とは思えない完璧な変装だ。
「皆、楽しそうだね」
ウィルは、久しぶりに城下町を歩く。第一王子という立場だからか、民の楽しそうな様子に安堵している様子だ。彼の前をクロウが歩き、周囲を警戒しつつ、人を掻き分けてウィルが歩きやすいよう道を作る。ヒカリは、ウィルの後ろをくっつくようについていく。距離の近さに鼓動が鳴り止まないが、これ以上離れてしまうと見失いかねない。
「人多すぎだろ……おえっ……」
エクスレイドが今にも吐きそうな声音で、愚痴を溢す。ヒカリが答えようと下を向くと、ウィルとヒカリの間に人が割り込んだ。
「あっ……」
すかさず、ウィルが人の横から、手を伸ばした。
「腕を掴んで」
「は、はい!」
ヒカリはウィルの腕を掴み、彼の力に引き込まれるように人を退け、二人の距離が縮まる。腕を差し出してくれたことに、ヒカリはときめいた。
「あの、ありがとうございます」
頬を染めたヒカリは、俯きながら礼を言う。
「いいよ。……腕、いいかな」
「あ、すみません!」
ヒカリは腕を離した。そのとき、ウィルの黒い手袋を嵌めた手が視界に入る。欲を言えば、もう少し掴んでいたかった。
(手、繋ぎたかったな……)
(ゴリラ女子が手を繋いだら、あいつの手、握り潰されるだろ)
(エクスレイドも握り潰しましょうか?)
(や、やめろ!)
心の中で漫才のようなやり取りをしていると、胸元に隠れているアメノが、ひょっこりと顔を出した。
「あち、みゅ!」
(あっちに何かあるってよ)
アメノの視線の先には、薄暗い路地がある。そちらを見ているうちに、前を歩いていたはずの二人の姿が消えた。背伸びをしても、どこにいるか検討がつかない。
ヒカリは、迷子になった。とりあえず、二人を探す為に歩こうとした。しかし、アメノがどうしても気になるようなので、人混みの流れに逆らって路地に辿り着く。その先に、地面に座り込んだお婆さんがいた。
民が困っているなら、それを助けるのも武官の役目なのかもしれない。そう考えたヒカリは、思い切ってお婆さんに話しかけた。
「どうしたんですか?」
「なに、そこの溝に屋台の車輪が嵌ってね。どうにも動かないのさ。お店を出す予定だったんだけどねえ」
お婆さんが指した先に、傾いた屋台がある。手で押しながら移動できるタイプのものだ。調理器具を積んでいることから、食事を出すつもりだったらしい。そこには、帽子を被った青年がいて、屋台を観察している。
「シュウさん、いいよ。せっかくの帝国祭なんだ、私に構わず楽しんでくるといい」
「……俺、おばさんのオムライスが食べたいから」
シュウと呼ばれた青年は、ヒカリを見やる。
「あんたも手伝って」
ヒカリが近寄ると、シュウは眉間に皺を寄せる。
「お、怒ってる?」
「怒ってない。これ、癖だから」
よく見ると端正な顔立ちをしているシュウは、地面と屋台の隙間に手を入れる。屋台の下部分を掴み、ぐっと持ち上げようとするが、屋台はびくともしない。ヒカリも同じように、屋台に手を添える。
(お前ならいけるだろ)
エクスレイドが余計なことを言った。だが、それは正論だ。もっと力を出せば、溝から抜け出せそうだ。しかし、力持ちだとは絶対にばれたくない。
ヒカリは周囲を見回した。シュウとお婆さん以外の人は、見当たらない。大通りを歩く人々も、路地を覗く者はいないようだ。それを確認すると、ヒカリは隣にいるシュウの手元を見つめた。シュウが力を入れるタイミングで持ち上げれば、知られることもないだろう。
(……今だ!)
ヒカリは力を込めて持ち上げた。
「え?」
思わず言葉が出たシュウは、軽々と屋台が持ち上がったことに驚く。全身の力を込めてもびくともしなかったのに、今は羽のように軽い。
溝から屋台を出した二人に、お婆さんが驚いて駆け寄る。
「まさか、出せるとは思わなかったよ。ありがとう、お二人さん」
お婆さんがしわくちゃの笑顔を見せるので、ヒカリも笑った。一方、シュウは眉間に皺を寄せながらヒカリを見据える。すると、ヒカリからお腹が鳴る音が聞こえる。ヒカリも驚くと、その正体はアメノだった。胸元から顔を出したアメノは、じっと屋台を見つめる。どうやら、お腹が空いていたらしい。
「あらまあ、可愛いねえ。そうだ、オムライスを食べていって。今作るからねえ」
「うれち、みゅ!」
アメノの姿に驚きながらも、お婆さんは調理の準備にかかった。この国の人間は、アメノがどんな生物なのかを知らないらしい。シュウも、アメノをじっと見つめている。
「なんで此処に……」
「アメノを知ってるの?」
「知らない」
ぶっきらぼうに答えるシュウは、屋台に備え付けられていた椅子を二つ取り出し、座った。用意してくれた椅子にヒカリも座り、お婆さんがオムライスを作る過程を覗く。そういえば、お母さんも作ってくれたことがあると、懐かしむように思い出した。だが、今も元の世界に戻る気はない。戻ったって、ヒカリに居場所はないのだから。
「お待たせ」
卵がふわふわのオムライスは、優しい味がした。おかわりしたくなるほど美味しい。アメノも小さなスプーンを手に、息を吹きかけて冷ましながら、少しずつ食べている。幸せそうな表情に、ヒカリも安心する。
「最近、この辺りはどう?」
シュウは食べ終えた皿を渡しておかわりを頼むと、お婆さんに聞いた。ヒカリも初めて城下町に来たので、普段の城下町がどのようなものなのか興味がある。
「そうだねえ、不思議なことがよく起きているよ」
お婆さんは手際よく、フライパンに溶いた卵を広がらせる。
「兵士に連れて行かれる人間は、大抵が悪さをした人間だろう? なのに、罪を認めない人間が多くてねえ。最近は特にそうだよ」
「そう。他には?」
「あちこちで魔獣が出ているねえ。辺境の村なんかは壊滅寸前さ。ウィル様以外、誰も動こうとしないからねえ」
ヒカリは、魔獣から町を救ったことを思い出す。確かウィルは、誰も動かないのは事情がある、と言っていた。そこでヒカリは、自分が迷子になっていたことを思い出す。もしかしたら、ウィルとクロウが探しているかもしれない。
「あ、すみません、もう行きます」
アメノが食べ終わったので立ち上がると、お婆さんはにっこりと笑った。
「また食べにおいで」
ヒカリはお婆さんとシュウに頭を下げると、大通りへと戻って行った。お婆さんは、ヒカリの後ろ姿を見つめるシュウに、オムライスが乗った皿を渡す。
「役に立つ話がなくて、ごめんなさいねえ。でも、シュウさんが探している人、見つかるといいねえ」
「……ありがと」
シュウはスプーンを片手に、オムライスを口に放り込んだ。