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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
番外・失夏――恋する始まりのフォアシュピール
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☆56 大吟醸 (1)



――10月18日。軍上がりのT氏が、大日本帝国の首相に就任した。


 新聞にその大事ニュースが一面に報じられた時、青火はフンと鼻をならした。


荒れ狂う情勢下での首相の座は、さぞやこの男にとって居心地が悪かろう。今の状況で権力を手にして大喜びできる阿呆だとすれば、それはそれで大物である。

 冷めた感想を抱きながら、青火は朝刊を畳んでしまい込んだ。いつ読み返すとも分からないからだ。

色々と考えさせられるこれについて月之宮の人間と語らう機会は、その日のうちにやってきた。

夕方に、五季が長男に頼まれて訪れたからだ。


「久々にみんなで飲むから、青火さまを呼んでこいといわれたんだ」

 息を切らした五季は、快活にこう言った。

宴会の知らせを社の方にもしてこいと使いにされたらしい。


「そうか」

 不思議なもので、そこに酒があるときくと乾きを覚える。

 青火は、悪くない提案に乗り気になった。

この際だ。秘蔵していた日本酒も持っていくことにするかと、社の木箱を探していると、


「んもう、先に行かないで下さいと言ったではありませんかっ」

一升瓶を選びおえたころに、鳥居の方から耳を打ったのは少女の声だった。

 またか、と青火がため息をつく。土産をまとめて境内へと出ていくと、五季に道中で置いてかれたことを抗議している、袴をハイカラに着た華族の娘が見えた。


「体力が足りないのだ、千恵子は」

「わたしに、和服で階段を駆け上がるような女子になれというのですか!?」

 あっはっは、と笑う五季に、その婚約者である千恵子嬢は目を潤ませた。


 霊力の多さは誇れる月之宮五季と、

一般人の妾との子で異能も弱かった日之宮千恵子を婚約させたのは、周囲の大人たちの打算だ。

ダメ元で幼少に対面させられた2人であったのだが、今じゃオシドリさながらの仲睦まじさだと噂になっている。


「モガのワンピースみたいに膝を出してみればどうだ?階段でも動きやすくなるかもしれぬぞ」

「なんて恥ずかしいことを言うのです!五季さまは、めくれてわたしの下着が露わになってもいいのですね!?」

「……それは嫌だ」

「なんで顔をそらすのですっ」


 ビミョーな男心が分かっていない千恵子は頬をふくらす。

目を宙に浮かせた五季は、どうやら想像しただけでくるものがあったらしい。

これでいて、互いに恋仲だという自覚がないのだから呆れてしまう。


「先に向かってしまうぞ、ほら」

 青火が、懐中時計や財布を袂に突っ込んで声を掛ける。大吟醸の瓶を抱えてスタスタ歩きだした。


「もう、また置いてかないで下さいね」

 千恵子が桜色の唇をへの字にした。勿論、これはしょうがない婚約者に言っているのだ。

「女とはそういうものだと兄者は話すぞ」と悪びれずに五季は笑う。

「どうせ双子の方でしょう」

「残念ながら、これは一守兄さんの言葉だ」


 彼らは、和やかな会話をしながら赤い鳥居を潜って外界に出た。

丘を下って電信柱が並んでいる道を歩いていくと、目深に帽子を被った学生が自転車をすいっと走らせていった。

さして時間がかかるわけでもなく、月之宮邸の玄関までたどり着いた青火が、西洋風のドアにノックをしようとすると。


「誰かいないか?青火さまをお連れしてきたぞーっ」

 ガチャリ。

 五季は、ステンドグラスのはめられたドアを迷わずに開けた。

どうして鍵を掛けていないのだと不用心さに固まる狐。背が低い中年のメイドが、廊下から慌ててこっちにやってきた。


「まあ、坊ちゃま!」

「宴会の支度はできてるか?」

「……急な支度にコックも慌てておりますから、くれぐれも厨房には手を出さないでくださいませ」

 メイドは、ほうれい線を引きつらせた。

以前のあんころ餅の大惨事は、使用人の間でトラウマとなっている。


「さすがに、俺だってそれくらい学ぶさ」

 憮然とした面持ちになった五季に、隣にいた千恵子が指先を口元にあてた。くすくす笑っている。

 メイドは、頭が痛そうに溜息をつく。

 顔立ちはともかく姿勢がとても綺麗な彼女は、客間まで案内した。

デパートガールなんて比べものにならない作法の出来は、長年の貫録があった。


 今宵の宴会は座敷でやるらしい。

狐がまだ絨毯じゅうたんでは落ちつけないのを、この家の人間は知っているのだ。

 床の間にはピンクの菊が可憐に活けられてあり、どっしりとした平たいテーブルの上には鍋の用意が整えられつつあった。

その近くでは首輪をつけた三毛猫が、寝たふりをしてご馳走のおこぼれにあずかろうと機を伺っている。滑らかな毛皮でいいぐあいに太っていた。

 軍服のズボンを履いた人物が、ちゃっかり者な愛猫をしずかに撫ぜていた――どこか憂いをおびた雰囲気の成人男性は思索にふけっているように思われる。


「一守兄さん」

 月之宮家の長男は、五季の呼びかけに顔を上げた。そうしてこちらに気が付くと眦をゆるめた。


「……やあ、久しぶりだな。青火」

 次期当主、月之宮一守。

この家で最も容姿に恵まれた美人な彼は、嬉しそうな笑みを浮かべた。



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