☆29 魔術師の謎めいた言葉
武装するには、刃渡り8センチの壁は高い。
そうしてみんなにバレナイように刃物を隠し持つ方法に悩む自分は、見方が変われば相当に危ない発想を真剣に悩んでいる小娘である。
流石に、やたら存在感のある野分を抱えて登校するわけにもいかないので、妥協して、スカートのポケットにナイフに似た鞘付き小刀を入れて学校生活を送っている。希未のコンパスより数段ヤバイものを携帯する女子高生の誕生である。
難点は、少々隠し持つには重いところだな……、と思いながら翌日の休み時間。講義で残った黒板のチョーク後を、私はぐいぐい消していた。英文字を力を込めてキレイにしていると(それなりに腕力があるので、通りすがりの人が驚くぐらいに白墨が拭いさられていく)、クラスの出入り口から、豊かな金髪をした小柄の女学生が大声で呼びかけて来た。
「ちょっと、オカルト研究会!出てきなさいなっ」
相変わらず、よく通る発声をしている。
ノートをカラフルなペンで、装飾していた白波さんが驚いたように顔を上げた。
「え、どーしてけろる先輩が……」
黒板消しを片手に持って手伝ってくれていた希未が、厄介なものを見る目を金髪女学生に向けた。
「うわ、めんどくさっ」
希未の遠慮のない本音が飛び出す。鳥羽君は、ため息をつき、読んでいた漫画雑誌を自らの机に置いた。
「けろ……キャロルですわよ!公衆の面前で辱めることないじゃありませんのっ」
顔を真っ赤にして叫んだキャロル先輩の訂正に、教室に居たクラスメイトの一人が吹きだした。
「様子見に来てやったんですのよ!?」
白波さんが、キャロル先輩の訪問の理由に明るい表情になった。まあ、何だかんだで、自首を促すような空気に取り囲まれていたものですから。
「それは、どーもありがとうございました」
希未がぼそっと過去形で言った。迷惑千万極まりないと考えているのがヒシヒシ伝わってくる。
「よりにもよって、クラスに来るとは……」鳥羽君は呟いた。
全く気おくれもせず、キャロル先輩はずかずかと2年Bクラスに侵入してきた。金髪カールヘアを指先で振り払い、相変わらずのウサ耳ヘアバンドが揺れる。中学生だと云われれば信じられそうなくらい、今日も先輩はキュートで気が強そうだった。
「で。あの魔法陣で、魔王はどんな大それたことをやろうとしたんですの?」
キャロル先輩は、学校中が私たちに訊ねたくとも、聞けなかった質問をズバッとぶつけて来た。
「夕霧君は、何もやってませんよおっ」
先輩に迫られた白波さんが、怯えながらそう言った。一番気が弱そうな人間を狙い撃ちする辺り、かなり頭がいい。
「魔王以外に、あんなマジックサークルを描く奴なんか、この学校にいるわきゃねーですわよ」
キャロル先輩は、断言した。その説は一般生徒に信憑性をもって流布されているんだろう。私たちも最初は夕霧昴陛下が犯人だと思っていたので、人のことは云えまい。
「夕霧君は、むしろあの魔法陣を描いた犯人と友達になりたがって、今も手がかりを探し回ってます」
苦笑まじりに私が言うと、
「は……?」とキャロル先輩は口をぽかんと開けた。
まさか。そんなハズあり得るわけがない、と言いたげな彼女は、度肝を抜かれたらしい。
「アイツ、ペンキの塗られたアスファルトを舐める勢いで狂喜してますからね」
鳥羽君が、諦観の眼差しになった。
キャロル先輩は希未に視線を合わせるが、希未が深くうなづいて彼の言葉を肯定したものだから……顔を引きつらせてしまって。
「魔王が描いたと思ってたから、あたくし笑ってたんですのよ?それが本当なら、あの十字路には得体の知れない黒魔術が出現していることになるんじゃあ……」
「だから、夕霧君が大喜びしてるんです」
私にもそんなことを言われた彼女は、「じょ、冗談ですわよね?」と事件の不気味さにようやく気付いたらしい。
いつしか、談話していたクラスメイトが聞き耳を立てている。雑談を交わしながらも、このやり取りが興味深いのだろう。ざわめきのボリュームが下がっていた。
「……、何のためのオカ研ですのよ。あの魔法の種類くらい特定できやがりませんの?」
ごくりと唾を呑み込み。身震いしたキャロル先輩は、私たちに言った。
「手詰まりです。陛下でも、円と五芒星くらいしか分かんないみたい」
「肝心な時に役に立たねー男ですわね。それくらい、あたくしでも理解できますわよ」
希未がそう返すと、キャロル先輩は理不尽なことを吐き捨てた。……先輩、夕霧君はこういう事件は全く想定してなかったと思うの。
「むしろ、あたくしが気になったのは、あの魔法陣が擬人化されていたことですわ。魔王に詩的なところがあったのかと驚きましたもの」
「……ああ、そういや。あの英文、そーですね」
鳥羽君が、眉を上げて頷いた。
白波さんが、「え、あの文って普通に、これを見るなって書いてあるんじゃないの?」と不思議そうに言ったので、彼は呆れ果てた目を白波さんに送った。
キャロル先輩は、「こんなバカ娘のどこを東雲先輩は気に入ったんですの」と呟く。ここは、曲がりなりにも進学校だ。冷やかな態度をとられても仕方ない。
私は口を開いた。
「【DONOTYOUSEEME】……最後の『me』は自我があることを想定してる言葉なのよ。つまり、殆どの場合は人間が己を指すときに用いるの。
植物や無機物に使われる時は、それを人間に例えているわけ。大抵、文学や詩にしかこういう表現はしないわね」
夏目漱石の名作辺りを翻訳すれば、じゃんじゃん多用されそうだけど。
キャロル先輩は、ちらり、と白波さんを見て補足した。
「絵画に通常は用いられる『look』を使わなかったのも、きっとそれに合わせたんですわ。『see』と『look』の使い分けが曖昧な日本の中高生は何でも『see』で誤魔化そうとしやがりますけど、この場合はもっとロマンチックですわね」
「それがロマンチック、ですか?」
白波さんが、どーもピンとこない。と言う顔をしている。鳥羽君は、「お前は直訳しすぎなんだ」と平坦な声になる。
「白波ちゃん、ちょっと訳して言ってみなよ」
希未に促され、白波さんが堂々と言った。
「私をあなたは見ちゃいけない!」
「うん、中学のテストなら満点なんだろーね」
希未がそう評すると、キャロル先輩が白波さんにヒントを出す。
「その『あなた』が、好きな異性だったらどーですの?」
白波さんが、ちょっと考えた後に。恥ずかしそうに手を口元にあてた。鳥羽君が、さらっとその一文を言う。
「俺を見るのを止めろ。とかな」
なんだか、鳥羽君が言うと伊達男のフレーズになる。
希未がにしし、と笑ったのに気づいて彼は睨んだ。純粋に、親切心から口にした言葉だったらしい。それを横目に見てキャロル先輩は付け足した。
「もしくは、『あなたに私の姿は見られたくないの』や『私は貴方の目にとまらない』、と大胆に意訳することも不可能じゃないですわ。アレンジ次第で恋愛的解釈がいくらでも膨らみますわよね」
そうしたことから、想像の広がる余地のある擬人化された英文をシンプルながら魔法陣に書いた犯人はちょっと詩人めいたところがあるんじゃないか。という推測になるわけだ。
「ロマンティストなのか、それとも暗喩なのか分からないのが、薄気味悪いわね」
私がそう言うと、「全く同感しますわ」とキャロル先輩が同意してくれた。
鳥羽君が、深々とため息をつき。
「白波、お前はどんな奇跡でこの学校に潜り込んだんだよ。……これじゃあ、クララは金メダルとれるぞ」
アルプスの大地に立つレベルでは足りないらしい。
そこまで言うか。天狗の高校生も、相当な珍事だろうに。
「菅原道真が手を滑らせたんですわ」
キャロル先輩の辛辣なコメントが冴えわたる。
白波さんは、半笑いを浮かべている。何でここにいるのか、自分が知りたいというオーラだ。多分、主人公補正です。……とか、真面目に答えたら鳥羽君に私がしばかれそう。
「ねえ、白波ちゃんも云われっぱなしじゃなくてさ、何か魔法陣について感じたこととかないの?」
「ば、バカって言わない?」
白波さんは、おずおずとしている。こんだけケチョンケチョンにされると、意見も出しづらいんだろう。
「何か気づいたことでもあんのかよ」
鳥羽君の胡乱気な視線に。言葉が詰まりそうになりながらも、白波さんは目を瞬かせて呟いた。
「夕霧君が一生懸命調べてるから言いにくかったんだけど。あの五芒星の真ん中のマーク、なんだか漢字に似てるなって……」
「は?」
……漢字?
盲点だった可能性に私たちは顔を見合わせた。ミミズがのたくったような、この模様が……漢字だって?
「あたくし、漢字は詳しくありませんけど、こんな字がありますの?」
キャロル先輩が、私たちに訊ねた。そーいえばこの方、ペラペラに喋れるから日本人のような気がしてたけど、こないだ実はアメリカ国籍だと人づてに聞いた覚えがある。
「……確かにこれ。先入観で気づかなかったけど甲骨文字かも」
私がそう言うと、一同、あり得ないものを見るような目線を白波さんに向けた。
悪魔召喚の魔法陣にあるから、西洋のマークばかり調べていたけれど。その思い込みを捨ててスマホの画像を眺めてみれば、……なんで気づかなかったのよ。自分が信じられない!
「こーこつもじ?」
キャロル先輩が、不思議そうに呟いた。
「漢字の原型の象形文字のことです。見覚えあると思ったら、小学校の授業で黒板に先生が書いてくれたやつだったんだ!」
白波さんの言葉に、金髪の彼女は納得したように、
「あたくしが日本に来たの、ミドルスクールからですもの。普段使いの日本語を習得するので手一杯でしたわ。道理でバカ波にしてやられたわけですわね」
「今、さりげなくバカって!?」
白波さんが、キャロル先輩の暴言に涙目で抗議した。生粋の日本人でもないのに、ボキャブラリーが豊富な先輩だなあ。
「鳥羽、私は今。アホの子の偉大さを知ったよ。知識がない分、頭が柔らかいんだよ」
「そうだな。海綿にも取り柄があったんだな……」
希未と鳥羽君が、暗い顔でぼそぼそ喋っている。
「私はスポンジじゃないもん!」
白波さんが、そんな2人にむうっと頬を膨らませた。
こんな周りの会話を聞きながら、私はオズを訪ねたカカシの心境が痛いほど分かった。
アレンジされた図案だったとはいえ日本呪術の系列だったのに、今まで気づかなかった自分への自己嫌悪である。
剣以外が丸っきり不出来な私を後継ぎに据えなかった爺様は本当に英断だと思う。
兄さんがここに居たのなら一目で看破するくらいできそうだからだ。
……それはともかく、鳥羽君。陰陽師であるはずの私同様、あなたも相当に鈍いのが露呈してきてる気がするのは気のせい?
「……にしても、これが甲骨文字だとしたら、下手すれば解読できなくなる可能性が高いぞ。現存する資料に載ってないってことも充分あり得る」
考え込んだ鳥羽君を、キャロル先輩が笑いとばした。
「何言ってますの、たかが高校生の落書きですわよ」
先輩には、当たり前だけど人間種の犯人像しか頭にないのだ。長命のアヤカシに内々で伝承されているルートだったら、私にとっても鳥羽君にも愉快な話ではない。
「夕霧君、これを聞いたら今度は、甲骨文字のエキスパートを目指し始めるかもしれないわね」
ひとまず、私はそんなことを言って苦笑した。彼がコアな分野に博識になっていく過程が分かった気がする。
「ご両親は大喜びするんじゃない。オカルトよりそっちの方が健全に聞こえるし」
希未がそう返してくる。マニアックさでは似たようなもんだが。
「魔王の嗜好なんざどーでもいいですわ」
そう言い、キャロル先輩は時計を見やった。そろそろ引き上げなくてはならない時間だと気が付いたのだろう、彼女はツン、と顔を背けて。
「いいですこと。魔王のせいで退学になりそうになったら、あたくしに相談しに来るんですわよ。一応はお友達になりやがったんですからね!」
ちょっとだけ、頬を染めながらこう言った。
これを伝えたくって、わざわざ二学年棟に来たんだろう。そんなセリフを言いおいて、先輩はゴージャスな金髪をなびかせて自分のクラスに帰っていった。
「……決め台詞の前に、言葉遣いどーにかなんないかな」
いたたまれなさそうに、希未が呟いた。
「そいつは言ってやるな、栗村」
鳥羽君が、笑いを堪えている。
あれさえ無ければ、青春ドラマな感動が私たちのハートを震わせたんだろうに。不謹慎ながら、うっかり反応しそうになったのは横隔膜であった。




