七夕の夜の花火
今日は特別な日だ。
俺、日野大輔は大量の花火を抱えて庭へと降りる。
見上げると、空には天の川が流れている。
今日は七夕。
取りあえず、花火を地面に置いて縁側に腰掛ける。
胸ポケットから煙草を取り出し、百円ライターで火をつける。
ついでに、仏間に置いてある大きな蝋燭にも火をつけた。
煙を吐き出しながら、ロウを何滴か用意しておいたブロックに垂らして据え付ける。
蝋燭の火だけが温かく朧気に庭を照らす。
しばらく、のんびりと煙草を吸う。
「さて、と、始めるとするか」
煙草を灰皿でもみ消して立ち上がる。
目の前には山のように積まれた花火…。
さすがに、十万円は買い過ぎだったか…。
改めて見ると、馬鹿みたいな量だ。
考えていても仕方ない。
俺は適当な花火に火をつける事で、独りぼっちの花火大会が始まった。
「綺麗だな…」
つい呟いた。
しかし、色鮮やかな花火に見とれていたのは、最初だけだった。
一人きりでは、どんなに綺麗な花火でも楽しいものではない。
それでも、俺は一人花火を続ける。
蝋燭と花火の色だけが庭を染める。
俺は煙草に火をつけ、縁側に座ったまま、花火をする。
完全に適当である。
「そんなんじゃ、花火が勿体ないよ」
垣根の向こうから、呆れたような声が聞こえてくる。
「……有理紗?」
突然の来訪者に、俺は咥えていた煙草を口から落としてしまう。
目の前にいたのは、前に付き合っていた有理紗だった。
愕然としてしまう。
「花火が見えたから、つい来ちゃった」
「来ちゃったって…お前…」
ペロッと舌を出す有理紗に俺は呆れ返る。
そうだ。
確かに、こんな性格だったな。
有理紗に会うのは二年振りだった。
忘れていた記憶が甦ってくる。
「たくさん、買ってきたのねー」
「ああ。十万円分だぞ。凄いだろ?」
「えーっ!それって、無駄遣いじゃない?」
「まあな」
ニヤリと笑って有理紗に返した。
何だか楽しかった。
こんなに話したのは、二年振りだった。
はしゃぎながら、有理紗は手持ちの花火を振り回していた。
煙と共に火薬の匂いが鼻につく。
ある程度広い庭なので家に火がつく事はないのだが…。
「うおっ!有理紗、危ないって!」
「大丈夫、大丈夫」
飛んでくる火の粉を避けながら、有理紗に注意する。
それを有理紗はケラケラと笑い飛ばす。
まったく…。
有理紗は昔と変わらず、良く笑っていた。
打ち上げ花火やロケット花火を次々と打ち上げていく。
あれだけ有った花火は見る見るうちに無くなっていった。
俺も有理紗程ではないにしろ、火をつけていく。
ついでに、もう、何本目になるかわからない煙草にも火をつける。
「これが最後か?」
「…みたいだね」
残ったのは、線香花火だ。
後は全部やり尽くしたようだった。
それでも、色々な花火セットの中に少しづつ入っているのだから、その量は結構なものになる。
数えてみると、百本ぐらいある。
「……」
「……」
集めたら、小さな山が出来てしまった。
俺達は、無言でその山を見つめる。
山のような線香花火…何てシュールな光景だろう…。
「何ていうか…あまり、見た事がない光景だよな?」
「た、確かにね」
さすがの有理紗も困惑しているようだ。
目を白黒させている。
それでも、このまま見つめている訳にもいかない。
「やるか」
「そう…だね」
一瞬、俯いた後、有理紗は寂しそうに笑顔を見せた。
わかっている。
楽しい時間の終わりが間近に迫ってきている事を…。
最初の一本に火をつける。
「大輔…この二年、色々とあったね」
「ああ」
一本…また一本と、線香花火に火をつけていく。
「煙草…吸い過ぎちゃダメだよ」
「ああ…」
それは、別れのカウントダウン…。
いつの間にか、月は雲に隠れ、お互いの姿を映すのは、蝋燭の明かりと線香花火の光だけ…。
気が付けば、線香花火は残り二本になっていた。
有理紗と俺…一本づつ分け合う。
一本の蝋燭で同時に火をつける。
有理紗は花火に火がついたのを確認すると、フッと蝋燭の火を消した。
「……」
「……」
俺達はこの時間を惜しむように、沈黙していた。
口を開けば、落ちてしまいそうで…。
ただ、黙って線香花火を見つめる。
「…ッ!」
俺の火種が先にポトリと落ちる。
時間だ…。
「今日は…楽しかったよ」
「俺もだ」
ずっと、黙っていた有理紗が線香花火を見つめたまま口を開く。
俺も有理紗の言葉に同意する。
本当に楽しかった。
この時間がずっと続いてほしい。
だけど、それは無理な話だ。
「会えて嬉しかった。じゃあ…バイバイ」
有理紗が別れの言葉を告げると同時に、線香花火の火種が落ちた。
俺の視界を闇が遮る。
雲がゆっくりと晴れて、月光が辺りを照らしていく。
有理紗の姿は…なかった。
それは、花火を始めた時と同じ…俺は独りぼっち…。
当然だ。
何故なら、有理紗は二年前の今日…交通事故で死んだのだから…。
俺はあの日以来、ずっと家に引きこもった。
二年という長い時間を掛けて、ようやく俺は有理紗を失った痛みを、完全ではないにしろ癒す事ができた。
だから、俺は有理紗の命日である七夕に、あいつの好きだった花火を盛大に手向けてやろうと思ったのだ。
まさか、花火につられて出てくるとは思わなかったが…。
まったく…。
有理紗らしい…。
あいつはいつだって、俺の予想を遥かに超える事をやってのける。
それに、今日は七夕だ。
こんな不思議な再会があってもいいだろう。
俺は口元を弛ませて、ニヤリと笑う。
「楽しかったな。なあ、有理紗」
俺は空に向けて呟いた後、煙草を取り出して口に咥える。
『煙草…吸い過ぎちゃダメだよ』
有理紗の言葉を思い出して苦笑する。
煙草を戻して、俺は胸ポケットに直した。
「禁煙するか」
大きく伸びをして、俺は笑った。