生クリームを選びます 2
「う~ん、やっぱり秋月君と一緒に買いに来てもらって良かった! 1人で来てたら絶対見当違いなもの買ってた自信があるよ、私。ありがとうね」
にっこり笑って礼を言う桜に、洸は少しほっとする。どうやら一緒にスーパーに来たこと自体は迷惑ではなかったようだ。
と、ここまで考えて自分の卑屈さに再び落ち込む。どれだけ後ろ向きなんだ、自分は。
会計を済ませ、持参のマイバックにバナナ等を詰めていると、隣で買ったものを袋に入れていた桜がクスリと笑う。
「マイバック、持参なんだ。慣れてるね」
普段は気にしないが、クラスメイトの女子に指摘されると恥ずかしくなるが、洸はなんとか表情を変えずに頷く。
「ここの店、袋持参するとポイントカードに加算されるんだ」
ポイントカードを勧められた時、それはお得だと喜んで会員に加入したが、こうして人に説明すると、自分がひどくみみっちい男に思えて情けなかった。そんな洸の気持ちに気がつかないのか、桜は感心したように頷く。
「それはいいね! ここ学校に近いもんね。2S部の買い出しに使うのに便利だろうし、私もポイントカード作っておこうかな。結構お母さんに学校帰りに買い物頼まれるし」
そう言いながら、買い物を詰める台に張られたポイントカード募集の広告を興味深そうにのぞいている。
「…………高野、菓子部の買い出し行ってくれるつもりなの?」
洸の言葉に、桜は目をぱちくりさせながら首を傾げる。
「えっ。買い出し、当番制とかでしょ。部の活動自体はバレー部と時間が被るから、ほとんど出られなさそうだけど、せめてそういったお仕事はちゃんとやるよ」
ぐっと拳を握って、頑張るよとアピールをする桜に洸は思わず苦笑した。
「大丈夫だよ、買い出しほとんど俺が行ってるから。自分の買い物があるから何時もついでに買ってるんだ。だから、高野も気にしなくて良いよ」
すると、桜は目に見えてガックリする。
「じゃあ、私が出来ることほとんどないんだ。せっかく2S部に入るのに……」
桜があまりに残念そうななので、洸は思わず声を掛けた。
「――放課後にイベントとかちょくちょくするから、それの準備を手伝ってくれれば良いよ。高野が昨日言ってたバレンタインデーの手作りチョコ講座みたいなのを勧誘目的でやるんだ。準備するの昼休みだから、高野も大丈夫だろ」
「ほんと! 私も何か手伝えるの!? 今度は何時なのかな?」
「今度は来週の水曜日、焼きドーナツを作ります」
「それ、まだ食べたことない……。うぅ、私もイベント参加したかったなあ」
「俺からしたら、焼いてる時点で『ドーナツ』じゃない気もするけどね。ただドーナツ状の焼き菓子だと思うんだけど、こういう菓子の流行モノは集客力があるから」
残念がる桜に、洸は淡々と返す。
母親になるべく内緒にしたいそうなので、今買ったクリームとイチゴを調理室に持って行くべく再び学校に向かうことになった。
「高野さんは帰っても大丈夫だよ、調理室の鍵は渡せないからどうせ俺が行くし」
自転車にまたがりながらそう言うと、桜はぶんぶん首を振る。
「とんでもないです、私の我が儘でここまで秋月君に迷惑掛けて……。せめて一緒に行かせて下さい。――――このご恩は一生忘れません。私に出来ることがあったら何でも言ってね」
「別にそんな手間でもないから気にしなくて良いんだけど、そうだな……。じゃあ、さっき落ち込んでた理由聞いても良い? 俺なんかまずいことやったかな?」
途端、桜の顔が引きつって赤らむ。せっかく元の雰囲気に戻ったのに、蒸し返すのはどうかと思ったが、自分が落ち込ませた原因ならば、その理由を知りたかったのだ。もう二度と同じ事で桜を落ち込ませることがないように。
桜は顔を真っ赤にさせながら躊躇していたが、意を決したように口を開く。
「――――秋月君は何にも悪いことしてないです。ただ私が……ちょっと変な妄想してたから、恥ずかしくなって……」
「妄想?」
予想外の言葉に思わず復唱すると、桜は更に顔を赤くした。
「う、うん。男の子とスーパーで買い物って、なんか新婚さんみたいだなって妄想してました。だから、秋月君に『照れる』って言われて正気に戻ったというか、こんなに付き合ってもらって秋月君に迷惑掛けてるのに、馬鹿みたいな妄想で喜んでる自分が情けないというか」
桜の「新婚さん」の言葉に自分も顔が赤くなるのを感じながら、洸はほっとする。桜は自分と一緒にこうしていること嫌がっていないことが分かって。それどころが少しは楽しんでくれているようだ。
「迷惑なんかじゃないよ、楽しいよ」
洸がそっけない口調でそう言うと、桜は驚いたように目を瞬かせた。
「楽しい? ほ、ほんと?」
「うん、楽しいよ」
「ど、どのあたりが?」
どう説明しようかとぐるりと頭を巡らせ、「ちょっともう一つクリームについて蘊蓄語って良い?」と質問し、了承を得る。
「――さっきいってた植物油脂のクリームなんだけど、植物油脂だから乳脂と違って常温では液体だ。だから、硬化――常温でも固形にするため融点を上げる必要があるんだ」
「う、うん」
突然説明し始めた洸に戸惑いながらも、桜は相づちを打つ。
「で、硬化の仕方なんだけど、油脂を構成している「脂肪酸」という物質はムカデのような形をしていて、炭素をムカデの身体みたいにずらっと横長く並んで、水素原子がムカデの足のように炭素にそれぞれくっついてるんだ」
そう説明しながら洸は自転車を止めて、拾った棒で地面に化学式を書き始める。
H H H H H H H H H H
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H-C-C-C-C-C-C-C-C-C-C-
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H H H H H H H H H H
※化学式の炭素と水素の一部分だけ抜粋しています。
「これがステアリン酸の化学式。水素原子が完全に揃っているから安定していているため、融点は69.3℃で常温では常に固体の状態だ」
そして、今度は水素原子を2つ消して、そこの炭素原子を二重結合に書き換える。
H H H H H
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-C-C-C=C-C-
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H H H
「ところが、このステアリン酸から水素原子が1箇所欠けてオレイン酸になると、融点は13.0度に下がる。さらにもう1箇所欠けてリノール酸になると、融点はマイナス5℃になって、氷点下でも凍らなくなる。脂肪酸は、水素の数で融点が変化する性質があるんだ」
洸は興味津々に化学式を見ている桜に向き直る。
「つまり、逆に融点の低い植物油脂に水素を添加すれば、液状の油脂を人工的に固体の油脂に変えることが出来るんだ。マーガリンなんか、まさにこの方法で作られたものだね」
「おぉ! なるほど! マーガリンが植物油なのは知ってたけど、そんなふうに作ってたんだね。まさしく化学だ、面白い!」
きらきらと目を輝かせて洸を見る桜に、洸は質問する。
「この話、面白い?」
「うん! 面白いよ。化学がすごく身近に感じる。秋月君も面白いと思ったから、教えてくれたんでしょう」
「――うん、俺も面白いと思った。でも、今まで菓子部でこの話をして、高野みたいに面白がってくれる人はいなかったよ」
「う、う~ん。確かにちょっと興味のない女の子には面白い話ではないかも……」
返答に困りながら頷く桜に、洸は屈託なく笑う。
「そう、今日話したスポンジの説明も、他の部員にすると何時も『ウンチクうるさい』って嫌がられる」
「私は! 私は楽しかったよ」
必死に言いつのる桜に、洸は破顔一笑する。
「うん、俺も楽しかった。自分が面白いと思ったことを話して、一緒に面白がってくれる人がいるのは嬉しいよ。だから、今日高野にケーキの作り方教えてて楽しかったし、全然面倒なんかじゃなかった。納得、してくれた?」
洸の質問に、桜も大きく頷き笑い返す。
「うん!」