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スポンジを焼きます 1

 翌日の放課後調理室に行くと、桜はすでに持参したエプロンを着け、椅子に腰掛けレシピの紙を読んでいた。


 某有名なリボンがついた猫が描かれたエプロンはずいぶん可愛らしいが、高校生の桜には少し幼い感じがする。


 洸が入ってきて、エプロンを見ているのに気がついたのか、桜は頬を赤らめた。


「エプロン、これしか持って無くって。小学生の調理実習の時に使ってた物なんだ」


 中学も高校も、このあたりの学校の調理実習の時には、指定の割烹着を買わされて使う決まりだ。さすがにそれは使いたくなかったらしい。


「そのわりに、ずいぶん綺麗だね」


 あせやすい赤や黒も綺麗な発色のまま残っているエプロンを見ながら言うと、桜は決まり悪げに苦笑する。


「――全然使ってなかったから。お料理してないのが良く分かるよね」

「じゃあこれからたくさん使って、その猫を消し去ってくれ」


 憮然とした顔で言うと、桜は小さく噴き出した。


「秋月君、このキャラ嫌いなの?」

「口のない無表情が不気味で苦手なんだ。妹が好きで、家に恐ろしいほど溢れているから余計駄目になった」


 真剣な顔で返す洸を、桜はクスクス笑う。


「秋月君、年の離れた双子の妹さんと弟さんがいるもんね。小さい子って、好きになるとそればっかりになっちゃうから、お兄ちゃんは大変だ」

「全くだ」


 頷きながら、自分に幼い弟妹がいることを桜が知っていることに少し驚く。

 まあ、かえであたりから聞いたのか。部活内では、みんなに知られていることだ。




「じゃあまず、材料を揃えて量ろうか」


 洸も持参したエプロンをし、手を洗いながら声を掛けると、桜は「ちょっと待って」と自分の鞄をガザガザとさぐり、携帯電話より一回り小さいシルバーの機器を取り出した。


「作っている間、ボイスレコーダーで録音しても良い? 細かい説明を紙に書く暇なさそうだけど、全部覚えられる自信がなくて、お父さんに借りて来ちゃった」

「えっ、あ、あぁ、いいよ」


 洸が戸惑ったように頷くと、桜がしゅんとした顔をする。


「ごめん、やっぱり嫌だよね」

「いや、嫌じゃないんだけど、そんなことしたことがないからちょっと緊張するかな、っと。確かに書き取る暇ないから、良い案だと思うよ」


 洸が笑って頷いたので、桜はほっと息をつく。


「ありがとう、嫌だったら本当に言ってね」


 そう言いながら、桜はボイスレコーダーを録音モードにして、隣の島の調理台に置いた。




 桜も手を洗い、タオルで水分を拭き取ったのを見て、洸はてきぱき指示をする。


「じゃあ、改めて。レシピ通り、まず材料を揃えて量って下さい」

「はい! 先生」


 微妙に固い声の洸にあわせるように、桜も生真面目そうに返事をした。


 桜が小麦粉やら砂糖やらをはかりで量っていると、洸は戸棚から卵を取り出す。


「卵、前もって冷蔵庫から出しててくれた? もしかして」


 桜が申し訳無げな顔で聞くと、洸は首を振って否定した。


「これ、昨日買った卵だから今日使う分だけ冷蔵庫にしまわず置いといたんだよ、どうせ室温に戻すなら、この季節1日ぐらい常温でも問題ないしね」


 桜は目をぱちぱちさせ、口を開く。


「……あの後、買い出しに行ったの?」

「ああ、在庫が少なくなってたしね」

「行くなら、私も一緒に買い出し行きたかったな」


 口を少しとがらせ、拗ねたような口調の桜に、洸はどきりとする。が、


「生クリーム、どんなの買えばいいのかアドバイス貰えたのに」


 と言葉が続き、変な期待をした洸は内心がっくりした。そしてそんな自分に嫌気がさす。

 ――ああ、もう分かった。自覚してきたよ。俺のこいつに対する感情は、とっくに『ちょっと良いな』を越えている。


「――じゃあ今日この後、買い出しに行く? 俺もスーパに寄りたかったから付き合うよ」


 昨日、保育園から帰ってきた弟妹らが「おなかがすいた! ごはんまだ~」と言いながら、朝食用のバナナを全部食べてしまったのだ。

 幼児のバナナ好きを侮ってはいけない。朝食にバナナがないと知った双子の4歳児は、自分たちが悪いにもかかわらず「バナナがない~~! バナナ! バナナ!」と大泣きし、朝から洸の体力をごっそり奪ってくれた。

 あんなことはもうこりごりだ。そのためにも帰りにバナナを買わなければいけない。


「本当? そうしてくれると嬉しいけど、本当に買い物の用事があるの?」


 桜が申し訳無げな顔で見上げるので、洸は力強く頷く。

 バナナは絶対必要なんだ、別に桜と一緒に買い物がしたい、という下心など1ミリたりともありはしない。


「ありがとう! 嬉しい、助かるよ」


 明るい顔で両手を合わせ礼を言う桜に、洸が微妙に後ろ暗い気分になった。




 桜は洸の指示通り水を入れた鍋を弱火に掛け、ボールに卵を割り入れた。そしてハンドミキサーの低速で軽くほぐすと、人肌に温まった鍋の中にボールを浮かべる。軽く泡だったのを確認し、洸は桜に砂糖を入れるようさらに指示した。


 洸は鍋の中とボールの卵液の中にそれぞれ温度計を入れながら、桜に注意する。


「ボールの乳液が37℃、鍋のお湯が60℃ぐらいになったら、ボールを鍋から外して。それ以上熱くなると卵が凝固――固まっちゃうから」


 桜はフムフムと頷きながら、ハンドミキサーでまんべんなく混ぜている。


「え~っと、基本的なことだと思うんだけど、さっぱりわからないから教えて下さい。

 ――なんで卵を温めるの?」

「一番の理由は泡立ちやすくなること。卵ってドロッとしているけど、ほらっ湯せんを掛けたのはさらさらしてきただろ」

「だいぶアワアワになってわかりにくいけど、たしかにドロッとはしてないね」

「あと、強いて言えば砂糖が溶けやすくなるから……かな。あっ、湯せんはずして――ボールをお湯から出して。乳液が37℃になった」

「あ、はい」


 桜が頷いてボールを鍋から持ち上げ、ボールの底の水分を拭き取り、コンロの火を止めた。


「ハンドミキサーは最初は高速にして、ある程度ボリュームが出たら中速に切り替える。白っぽくツヤが出てきたら低速に切り替えてもったりするまで充分に泡立てて」

「ハンドミキサーをそうやって切り替える理由は?」

「高速だと大きい泡が、低速だと小さい泡が出来るから、まず高速で大きな泡を作ってボリュームを出し、だんだん低速にしてって泡を小さくするんだ。

 泡が大きいと焼いた時、きめが粗いスポンジになるし、小さい泡の方がつぶれにくいからね。小さいシャボン玉より大きいシャボン玉の方が消えやすいだろ」

「――なるほど」


 桜は納得したように頷く。洸は説明が終わると、湯煎で使った鍋の中に牛乳とバターが入った容器を浮かべる。


「バターが溶けたら取り出すの?」

「いいや、バターは60℃くらいで生地に混ぜるのが一番混ざりやすいんだ。バターも熱い方がさらさらしてるだろ。あんまり熱すぎてもせっかく作った泡を壊すから、湯せんに使ったお湯で保温しとくのがちょうど良いんだ」

「へえ~~、って私さっきから感心してばっかね」

「高野が感心する説明が出来て光栄です」


 洸がすまして答えると、桜はくすぐったそうに笑った。









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