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下準備をします

 洸が調理室の壁側のキャビネットで小麦粉などの在庫を確認していると、桜が軽く息を弾ませながら部屋に入ってきた。

 家庭科の実習で使う調理室は、調理台・流し・コンロがワンセットになっている島が8つあり、洸のいるキャビネットとは反対には、大きなガスオーブンが同じく8台鎮座いしている。


「ごめんなさい! バレー部に顔を出したら遅くなりました」


 両手を合わせ頭を下げる桜に、洸は気にするなと首を振った。自主練と言いながら、休む者などいないのだろう。一言許可をもらわなければならない立場なのは推測できる。


「構わないよ。それより、高野さんは何のケーキが作りたいの?」


 レシピを用意しようとして、肝心のそれを聞き忘れていたことに気がついた。ケーキと一言に言っても多種多様だ、作り方だって千差万別なのである。


「え~っと。イチゴのショートケーキを作りたいんだけど、初心者の私じゃ難しいかな」


 上目遣いで両手を胸の前に合わせ、首を傾げ洸を頼りなさげに見る桜は文句なく可愛いが、先ほど順司が言っていたことが頭をかすめ、自然と憮然とした態度になる。


「別に、いいんじゃない。ジェノワーズにクレーム・シャンティイ、一番オーソドックスなケーキだからこそ、本当に美味しく作るのは難しいけど、初心者でも道具が揃ってて、手順さえ間違わなければ大丈夫だと思うよ。初めてなんだし、多少の失敗はご愛嬌」

「じぇ? じぇの……」


 戸惑う桜の様子に、洸は己を罵りたくなった。根拠のない話に勝手に苛立ち、こんな八つ当たりじみたことをするとは。


「ごめん。ジェノワーズは共立てのスポンジ生地のこと、共立てとは、卵の白身と黄身を一緒に泡立てる製法のことだよ。クレーム・シャンティイは生クリームに砂糖を入れてホイップしたもの、いわゆる普通のクリームのこと。フランス語なんだ、聞き慣れない言葉を使ってごめん」


 洸が謝ると、桜は感心したようにはあ~と息を吐いた。


「スポンジって、フランスのお菓子なんだね。『共立て』て言葉もはじめて聞いたよ。これから勉強したいから、色々聞いても良い?」

「ああ、勿論」

「じゃあ、早速。うちのお母さんがケーキを焼く時、何時も黄身と白身を別に泡立ててたんだけど、それだと駄目なの?」

「駄目って訳じゃないけど、別立て――黄身と白身を別々に泡立てる製法のことね、だと軽い食感になるから、しっとりして弾力のある共立てのスポンジの方が、普通のショートケーキに適しているんだ。まあ、好みの問題だけどね、さっぱりしのが好きな人もいるから。あと、別立ての方が作りやすいかな。全卵を泡立てるのは結構大変だし」

「うちのお母さん、絶対後の理由だな。何時も泡立てるの面倒だっていってるもん」


 桜が苦笑しながら肩をすくめると、洸も笑いながら確認する。


「共立てよりお母さんと同じ別立ての方が良い? ここ、ハンドミキサーあるから、共立てでもそんなに大変じゃないよ」

「共立てで作ってみたい、です。共立てと別立てじゃ、どんなふうに違うのか気になるし、言われてみればお母さんのケーキ、お店で食べるのと比べてちょっとパサついてた気がする。しっとりしたケーキの方がお母さんも好きだと思うし」

「了解。じゃあ、これが共立てのレシピ。明日作るまでに頭にたたき込んどいて。手順を覚えているのといないのとじゃ大違いなんだ。お菓子は手早く作る必要があるからね」

 洸はそう言いながら、桜にプリントされた紙を差し出す。




「卵にグラニュー糖、小麦粉、バター、そして牛乳。

 材料って、これだけなんだ。これだけで美味しいスポンジになるなんて不思議……。魔法みたいだね」


 桜は感心したように息を吐く。


「違う、魔法なんかじゃない。お菓子は科学なんだ!」


 洸は思わず拳を固めて断言する。


「――――科学、なの?」


 桜はびっくりしたように目を見開いて、不思議そうに首を傾げた。


「そう、れっきとした科学だ! さまざまな物質が化学反応をし、結合、変性などを経て、お菓子になるんだ。魔法なんていう絵空事の言葉で片付けないでくれ!」


 と、言い切ったところで正気に戻り、手のひらで口を覆う。桜を見るときょとんとした顔で洸を見ている。


「ごめん、おかしなことを言った。気にしないで……」


 普段、しょうもない絵空事ばかり言っている部員に囲まれて、ストレスを感じているせいか、ついエキサイトしてしまった。この手の言動で女子に引かれることが多い洸は、内心落ち込む。

 ――――なんだ、落ち込むということは、俺は高野のこと結構本気で気になってたのか?


 自分の気持ちに今更ながら気がつき、悄然となる。どっちにしろ、今ので引かれてお終いだ。そう自嘲する洸に桜は少し上気した顔で話し掛けてくる。


「お菓子って科学なの? 何それ面白そう、もっと詳しく教えて!」

「――――興味あるの?」

「あるよぉ。私の志望学部、理学部化学科だもん。変性って、卵のタンパク質の変性ってこと?」


 洸は自分と桜のクラスが理系クラスであることを思い出す。確かに桜は化学のテストで上位者だったはずだ。


「う、うん、そうだけど」

「うわ~、ぜひ知りたい! 明日ケーキを焼く時、詳しく教えてもらっても良いかな?」

「構わないけど、そんな話面白い?」


 部活の女子どもにも下手に蘊蓄たれるとうるさがられてしまう。普通の女の子が聞いて楽しい内容だとは決しても思えないのだが。


「うん! 面白そう。お菓子作りって、本を見ても『さっくり混ぜる』とか『角が立つまで』とか普段使わない言葉ばっかりで全然ピンとこなかったんだけど、科学的根拠の上になりたったものだったんだね。うわ~、明日秋月君に作り方教えてもらうの楽しみになっちゃった」

「そ、そう。それなら良かった」


 洸は目をキラキラさせながら頬を上気させ喜ぶ桜に、若干引きながら頷いた。





「じゃあ、まず今日は使う器具を洗っておこう」


 そう説明しながら洸がキャビネットからボールや泡立て器などを出すと、桜が首を傾げて手を上げた。


「せんせ~い、質問良いですか?」

「――――どうぞ」

「明日、使う直前じゃ駄目なの?」

「それでも良いけど、お菓子を作る時はなるべく使う材料以外のものの混入を避けたいんだ、洗った後の水滴でもね。たとえば卵白を泡立ててメレンゲを作る際、器具に油分が残っていると泡立ちが非常に悪くなる。油に卵白の気泡を破壊する作用があるからだ。

 別に使う直前に洗って、しっかり乾かせば良いんだけど、時間がある今日のうちに下準備しておけば、明日楽だろ」

「なるほど、納得しました。――――って、明日もこんな感じで質問しても良いかな?」

「良いけど、あんまり細かくは話せないよ。作業を手早くしないといけないから」

「うん、作業に影響しない範囲でいいのでお願いします。ごめんね、ただでさえ面倒掛けてるのに」


 申し訳なさそうに桜が謝るので、洸は苦笑しながらも首を振って否定する。


「勧誘活動の一環だって言っただろ。高野さん、部活入ってくれるとすごく助かるんだから気にするなよ。それに、分からないところをしっかり聞いてくれた方が、後々こっちも助かるしね」

「ありがとう。きちんと聞いて、次から一人でもちゃんと作れるようにがんばるね」

「ああ」


 洸が頷くと、桜は嬉しそうな顔をして頷き返した。


「そうだ、材料は明日、レシピに書いてある物を持ってくれば良いの?」


 桜が洸に貸してもらったエプロンをし、腕まくりをしてボールやらを洗っていると、思い出したように顔を上げ質問をする。

 洸は全部自分でさせて欲しいとお願いされたので、持ち込んだ椅子に腰掛けぼんやりと洗い物をする桜を眺めていた為、少々ドキリとしながら姿勢を正し、答えた。


「それでも良いし、少し割高になるけど部の在庫を使っても良いよ。小麦粉・グラニュー糖は100g20円、卵も1個20円、バターは10g20円で販売させて頂いております」


 少しふざけた口調で締めると、桜はクスクス笑いながら手を上げる。


「は~い、どんな材料が良いのか分からないし、親にないしょで作りたいから買わせて頂きます。じゃあ、牛乳と生クリームとイチゴを買って持ってくれば良いのかな?」「そうだね、デコレーションは明後日の昼休みにするつもりだから、それまでに持ってきて。牛乳は自販機で売っている紙パックのでも良いよ。ぶっちゃけ入れなくても良いんだけどね」

「――良いの? お菓子って、材料をすごく厳密に計って入れるってイメージなんだけど」

「卵と砂糖と小麦粉はね。バターと牛乳は入れなくてもスポンジの形成自体にそれほど影響はないよ」

「えっ! バターも?!」

「うん、バターを入れる最大の目的は風味付けだからね。ロールケーキなんかじゃ入れないレシピも珍しくないし。牛乳に至ってはスポンジの水分量を増やすために入れるだけだから、実は水でも構わないし、全く入れなくても問題ない。オレの持っている本でも入れていないレシピの方が多いんじゃないかな」

「へえ~~、意外に自由なんだね。もっとガッチガチに固定されてるのかと思った」

「そうでもないよ。好みによって砂糖をもっと増やしたり、小麦粉の一部を米粉やコンスターチに変える人もいるしね」

「……逆に砂糖を極端に減らしても良いの?」

「それはオススメしない。砂糖を入れる目的は甘味付けだけじゃないんだ。砂糖には水分を保持する保水性という性質もある。極端に減らすとパサパサしたスポンジになる」

「うん! ダイエットのために砂糖半分にしたってお母さんが言ってたケーキ、確かにパサパサしてた!」

「ーーダイエットするなら、ケーキ作らなきゃいいんじゃ……。まあ、最初は変に変えずに基本をきっちり作ってもらうよ」

「はい! よろしくお願いします。先生」


 桜がおどけたふうに敬礼すると、洸もそれにあわせて鷹揚に頷く素振りをした。




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