プロローグ
秋月 洸が食堂で昼飯を済まして教室に戻り、自分の席に座るとクラスメイトの高野 桜がワクワクした表情で近づいてきた。高2になりクラスが変わって2週間だが、まだほとんど話したこともなく不審に思っていると、表情そのままの明るい声で話し掛けてくる。
「秋月君、少し話しても大丈夫かな?」
恐らく戸惑った顔をしているであろう洸に遠慮しながら、首を傾げる。結構好みの女の子にお願いをされて断る高校男子などまずいない。洸は頷きながら先を促す。
「いいけど、何?」
「ええと、あのね。秋月君って2S部の部長だよね」
2S部とは、洸が通う高校にあるお菓子を作る専門の調理部の通称だ。なぜこのような奇妙な名前がついているかというと、本当の名称がとんでもなく寒くて痛いからだ。
その学校に正式に登録されている名称を、洸は思い出したくもない。創設メンバーの一人として、なぜこの名前がつくことを阻止できなかったのか今でも悔やまれる。
洸は反対の意思を込めて『菓子部』と呼び、他の部員(全員女子)から呆れた視線を送られているが、気にしない。
「そうだけど、何?」
素っ気ない返事に桜が戸惑うのが分かり、洸は少しだけ後悔した。ぶっきらぼうな物言いなのは自覚しているが、ほとんど話したことのない女の子に対する態度ではないだろう。
「あのね、すっごく図々しいお願いなんだけど、私にケーキの作り方を教えてもらえないかなって」
「――――ケーキ?」
意外な依頼内容に思わず眉をひそめてしまう。そんな洸の態度を見て、桜はひどく焦った表情になる。
「あ、あのね。うちの家の飼っていた犬が死んじゃって、母親がすごく落ち込んでるの。私のお母さん、お菓子を作るのが好きで、私が落ち込んでいると何時もケーキを焼いて慰めてくれるの。だから、私もお母さんにケーキを焼いてプレゼントしてあげたら少しは元気になってくれるかなって思って」
焦っているせいか口調が早く、内容もまとまっていないが、言いたいことは洸も理解できた。
「で、なんで俺に頼むの? 確か高野さんの友達に菓子部のヤツいたよね。そいつに頼んだら?」
同じクラスでかつ、洸と同じ菓子部の菊池 かえでと一緒にいる所をよく見る。
「かえでは、食べる専門だから無理って……。秋月君、去年のバレンタインデー前に2S部のイベントで、みんなにチョコの作り方を教えてたよね。教えてもらった子達からすっごく上手だったって聞いてたの」
確かに、かえでは週1しかない部活でも人の手伝いをし、出来た菓子のご相伴にあずかってばかりで、まともに作っている所を見たことがない。洸はため息をつきながら携帯を取り出し、カレンダー機能を開いた。
「で、いつ教えれば良いの? 今日、明日の放課後なら大丈夫だけど」
「教えてくれるの?」
桜はぱあっと輝くばかりの笑顔を洸に向けたので、内心どきまぎしながら洸は努めて冷静に頷く。
「まあ、新入部員獲得活動だと思って、ご奉仕させていただくよ。高野さんはバレー部だから無理っぽいけどね。部活は大丈夫なの?」
桜はすでに一年生の時からバレー部に入り、二年生の現在では主力メンバーの一人だ。洸の高校のバレー部は県大会常連校にふさわしく、結構厳しいことで知られている。
「うん、今日と明日なら先生が出張で、自主練になってるから大丈夫。
2S部には出来たら入りたいけど、私こそ食べる専門でお菓子なんて作ったことないし、活動時間がバレー部と重なるからなあ」
心底残念そうに言うので、試しに誘いを掛けてみる。
「なんなら、名前だけでも登録しとく? バレー部と掛け持ちということで」
「名前だけ? それでも良いの?」
「ああ、うちの部幽霊多いしね。あと一人増えたら部費が貰えそうなんだ。今回のお礼、それで良いよ」
洸がにっこりと笑うと、桜は少し赤らめながら頷く。
「うん、本当に幽霊部員になっちゃうと思うけど、それで良ければ入部させて下さい」
「オッケ、交渉成立。じゃあ、放課後調理室に来て。買ってきてもらうもののリストとレシピを渡すから」
「わかった。本当にありがとね、秋月君。また後で」
手を振り、桜は自分の席に戻っていった。それを何とはなしに見送った洸が机の中を探り、次の授業の教科書とノートを出していると、前の席の山本 順司が振り返ってニヤニヤした顔で話し掛けてくる。
「良かったじゃん」
「――――何が?」
憮然とした態度で返す洸に、順司は更に笑みを深めて答えた。
「だって、お前高野のこと好きだろ」
「なっ! 何を根拠にそんなこと!」
思わず大きくなった声を懸命におさえながら食って掛かると、順司もそれに併せて声をひそめ、何でも無いように根拠を説明する。
「先週集計した『可愛い女子ランキング』で、お前、高野に入れただろ」
「なんでそれをお前が知ってるんだよ!」
毎年男子内で密かに行われる恒例行事として集計されるそれは、無記名だったはずだ。
「オレ、このクラスの集計係だったから。秋月の字、書き方の手本みたいに綺麗じゃん。いっぱつで誰が書いたのかわかるよ」
書道の先生だった祖母にたたき込まれたことが、こんな所であだになるとは……。へこみそうになる心を奮い立たせて、なんでもない素振りを取り繕う。
「お遊びだろ、あんなの。そんな深い考えずに書いたよ」
「でも、結構本気でいいなって思ってるだろ、高野のこと」
なんでお前は俺の微妙な気持ちまで推量出来るんだ! と思わず心で叫びながら睨み付けると、洸の心を読んだように気持ち悪い笑いを浮かべながら順司は言葉を続けた。
「高野ってセレクトがリアルなんだよな。特別美人てわけじゃないし、体育会系で化粧とか全然してないから目立たないけど、よく見ると結構可愛いし、話すと性格良いの分かるから実はポイント高いよね。クラス一緒になって数週間で適当に考えて選べる人選じゃないっしょ。女興味ありませんってクールな振りして結構見てるね、秋月も」
図星を突かれたことより、「話すと~」のくだりが非常に引っかかる自分が、己が思っているよりずっと桜のことが気になっている事実に内心驚きながら、洸は悔し紛れに順司に仕返しを試みる。
「なら、お前は誰を書いたんだよ。俺の書いたのを知っているなら、お前のも教えろ。不公平だろ」
洸の要求に、順司はぺらっと答える。
「うん、オレは3組の佐々木 玲奈を書いたよ」
学年で1、2を争う美人と評判の名を聞き、洸の眉間にはシワが寄る。
「適当に書いたのが丸わかりじゃないか」
「当たり前だろ。こういうお遊びで、本気の女の名前を書く方が間抜けなんだよ」
「――オレのことだと言いたいのか」
「明言を避けておこうかな、お前を敵に回したくないし。
でも、こんなアンケートに下手に書き込んだら、彼女の良さを気づいていなかった他の男にも宣伝することになるんだよ。わざわざライバル作るなんて、間抜けのやることだろ」
確かに順司の言うことにも一理あり、思わず納得しそうになる。
「じゃあ、お前は彼女がいても他の女の名前書くのかよ」
洸の疑問に順司はニヤリと笑った。
「オレの彼女、他校生だもん。この投票には書けません」
あ~あ~、そうですか。独り身の洸には僻むしか出来ず、そっぽを向いてため息をついた。そんな洸に順司は追い打ちを掛ける。
「高野がケーキをプレゼントしたい相手、本当に母親だと思ってる?」
「――――何が言いたい」
睨み付ける洸に意地悪そうな笑みを投げ、順司は言葉を続けた。
「女の子が慣れないお菓子作りをするんだぜ、男の為ってのが一番自然じゃない?」
「高野が嘘を突いてるってのか?」
「さあ? でも、好きな人にあげるから教えてって、関係ない男に言いにくいと思わない?」
「――――――知るか!」
あいつはそんな嘘は突かない! そう反論したかったが、そこまで言い切れるほど桜のことを知っている訳ではない洸は、口をつぐんでそっぽを向くしか出来なかった。