紙束の重み
その日の午後も、私は可能な限り見て回った。
午前中は農地と水路。午後は市場周辺。
倉庫。街道の舗装。荷車の車輪。
干し草の保管方法。
見えるもの全てが、改善対象に見える。
分析。構造。強度。効率。
頭の中では、常に数字と線が走っている。
「お嬢様……そろそろ」
夕日が、石造りの家々を赤く染め始めていた。
護衛の声に頷く。確かに、時間だ。
領主館へ戻る頃には、午前中とは比べ物にならない程、メモ紙は増えていた。
数十枚。いや、百に近いかもしれない。
紙束は分厚くなり、護衛一人では持ちきれず、途中から別の者にも分担してもらった程だ。
私は満足感と同時に、奇妙な静けさを感じていた。
やるべき事は、まだ山ほどある。
今日一日で、確実に“種”は撒いた。
屋敷へ戻ると、護衛達はそのまま執務室へ向かった。
私は自室へ戻ったが、落ち着かない。
紙束は、どう受け止められるのか。
――執務室。
伯爵は、再び机に積み上げられた紙束を見下ろしていた。
「……これが、午後分か」
報告を終えた護衛が頷く。
「はい。一日で、この量にございます」
伯爵は、ゆっくりと紙を手に取った。
市場の屋根改修案。
雨水排水経路の再設計。
倉庫内の棚配置変更による保管効率向上。
街道の轍軽減の為の砂利敷設案。
荷車の車輪補強構造。
それぞれに、寸法。
材料。工程。必要人員。簡潔だが、具体的。
「一日で、これだけの量を……?」
思わず、呟きが漏れる。
これは偶然ではない。
体系的だ。思考が整理されている。
感覚ではなく、理論。
伯爵は紙束を揃えながら、静かに考えた。
記録係を増やす。それだけでは足りない。
「これは……」
彼は椅子にもたれ、指で机を叩く。
「実行部隊が必要だな」
ただ書き留めるだけでは、意味が無い。
実行しなければ、ただの紙切れ。
無闇に職人へ渡せば、混乱を招く。
順序がいる。優先順位がいる。
費用計算がいる。
「文官を付けろ」
護衛が、顔を上げる。
「専属でだ。娘の案を整理し、取捨選択し、実行可能な形に落とし込む者を」
これは、遊びではない。
改革だ。しかも、伯爵家の跡取りによる改革。失敗は許されない。
「……しかし、伯爵様」
「分かっている」
伯爵は、部下の懸念を先読みする。
神童。
二つ持ち。未知のスキル。
それだけで、周囲はざわつく。
そこへ改革案の山。妬みも生まれるだろう。
反発もあるだろう。
止める理由にはならない。
むしろ今動かなければ、機会を失う。
伯爵は最後の一枚を机に置いた。
静かな確信が、胸に宿る。
娘はこの領地を変える。
ならば父として、領主として。
その才を、最大限に活かす。
「明日からだ」
小さく呟く。
紙束は、ただの紙切れではない。
未来への設計図だ。そしてその設計図は。
静かに、領地全体を動かし始めていた。




