虐げられた悪役令嬢は、家族と婚約者から捨てられてもなおドアマットのように扱われ続け、誰もが彼女を見下したが――やがて落ちぶれた彼らの末路を見届けながら、唯一手を差し伸べてくれた美貌の青年から溺愛される
1 虐げられる日常
「セレスティア、またそんなに遅れて。姉のドレスの裾が汚れたらどう責任を取るつもり?」
鋭い声が響いた。侯爵家の大広間に立つ姉・イザベルは、いつものように私を睨みつけていた。彼女は麗しく、聡明で、誰もが「侯爵家の誇り」と讃える存在だ。その隣に立つのは私の婚約者――いや、名ばかりの婚約者である王太子アーネスト殿下。
「まったく、君は本当に気が利かないな。イザベルのような完璧さを少しでも見習うべきだ」
殿下の冷たい声に、胸がちくりと痛む。私は唇を噛み、深く頭を下げた。
「申し訳ございません……」
謝罪の言葉はもう癖になっていた。幼い頃から何をしても咎められ、言い訳は許されない。逆らえば「悪役令嬢」としての悪評を拡散されるだけ。だから私は、まるでドアマットのように黙って耐えるしかなかった。
2 婚約破棄の宣告
その日が訪れるのは、思いのほか唐突だった。
「セレスティア・ローゼン侯爵令嬢。今日をもって、君との婚約を破棄する」
盛大な舞踏会の場で、アーネスト殿下は一片の情けもなくそう告げた。周囲がざわめく。けれど私は驚かなかった。むしろ「やはり」とさえ思った。殿下の視線は最初から私ではなく、姉イザベルだけを追っていたのだから。
「殿下、どうか……理由をお聞かせ願えますか」
勇気を振り絞って問えば、彼は冷笑した。
「理由? そんなもの、君が悪役令嬢だからに決まっているだろう。君はイザベルを妬み、陰で彼女を貶めようとしてきた。証人もいる」
証人と呼ばれたのは、私を侍女のように使っていた取り巻きたちだった。彼女たちは臆面もなく嘘を並べ立てる。
「セレスティア様は私たちに命じて、イザベル様の靴に泥を――」
「宝飾品を盗もうともしました!」
ありもしない罪状に、私は言葉を失った。反論すればするほど、卑しい女として映るだろう。結局、私は沈黙したまま婚約破棄を受け入れ、会場を追われた。
3 家族からの追放
屋敷に戻っても、温もりはなかった。父も母も、私の顔を見るなり吐き捨てる。
「役立たずの娘め。これ以上家に泥を塗るな」
「イザベルの足を引っ張るくらいなら、二度と戻ってくるな」
言葉は刃より鋭く、心臓を抉った。最後には身の回りの品だけを押し付けられ、門の外へ追い出される。
行き場もなく、私は夜の街をさまよった。これまで尽くしてきたのに、誰も手を差し伸べてくれない。涙は枯れていたが、胸の奥にぽっかりと空洞が広がるばかりだった。
4 絶望と邂逅
「お嬢さん、こんなところで何をしている?」
不意に声をかけられ、振り返ると、月明かりの下に青年が立っていた。銀の髪に碧眼、見たこともないほど整った顔立ち。旅装をまとい、優雅に微笑んでいる。
「……私は、家を追い出されました。行くあてがなくて」
絞り出すように告げると、青年は一瞬目を細め、それから柔らかく手を差し伸べた。
「ならば、私が導こう。あなたのような人が独りでいるなど、あまりにも惜しい」
その温かさに、私は思わず縋るように頷いていた。
5 小さな庇護
青年は自らを「リオン」と名乗った。職業は旅人だという。彼は宿をとり、食事を分け与えてくれた。
「こんなに……優しくしていただいていいのでしょうか」
震える声で尋ねると、リオンは笑った。
「当然だろう? あなたは誰よりも大切にされるべき人だ」
胸が熱くなる。これまで誰からも「価値がない」と言われ続けてきた私にとって、その言葉は奇跡のようだった。
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6 小さな安らぎの日々
リオンと過ごす日々は、夢のようだった。彼は旅人だというが、所作の一つ一つが洗練されており、とてもただの流浪人には見えない。
「セレスティア、今日は街を散歩しよう。あなたに似合う花を見つけたい」
彼はそう言って市場に私を連れ出し、白百合の花束を手渡してくれた。
「こんなに綺麗なものを……私には似合いません」
つい口癖のように否定すると、彼は困ったように眉を寄せ、私の手を包んだ。
「どうしてそんなことを言う? あなたほど美しい人はいないのに」
心臓が跳ねた。誰からも否定され続けた私にとって、彼の言葉は甘くて痛い。信じたいのに、信じる勇気がない。けれど、その優しさが少しずつ心の傷を癒していった。
7 家族の失墜
そんな穏やかな日々の最中、衝撃の噂が舞い込んだ。
――ローゼン侯爵家が財政破綻の危機に瀕している、と。
イザベルが王太子妃としての地位を得ようと奔走する一方で、裏では不正な金の流れが発覚。取り巻きたちも次々に裏切り、侯爵家は信用を失っていた。
「セレスティア様、本当に追い出されてよかったですわね」
宿屋の女将が噂話を耳にしてそう告げる。私は驚きと共に、胸の奥に冷たいものを感じた。
かつて私を「不要」と吐き捨てた両親と姉。彼らが落ちぶれていく姿を、私は遠くから眺めるしかなかった。けれど、不思議と憎しみよりも虚しさの方が勝っていた。
8 婚約者の末路
さらに数日後、もう一つの噂が駆け巡った。
――王太子アーネスト殿下が、隣国との条約交渉に失敗し、婚約者イザベルと共に王から叱責を受けた、と。
国の将来を危ぶむ声が広がり、民からの信頼も急速に失われているという。
「……あの方が」
かつて私に冷笑を向けた彼の姿を思い出す。あれほど自信に満ちていた殿下が、今や足元を崩されつつある。
リオンはそんな私を横目で見て、静かに言った。
「あなたを踏みにじった者たちは、いずれ自らの業で崩れ落ちる。復讐は必要ない」
その声は確信に満ちていた。
9 正体の告白
やがて、私の疑問は抑えきれなくなった。
「リオン様……あなたは本当にただの旅人なのですか?」
問いかけると、彼は少し困ったように笑みを浮かべ、そして真剣な眼差しを向けてきた。
「やはり隠し通せなかったか。――私はリオン・アルフォンス。隣国ルクセリアの皇太子だ」
頭が真っ白になった。目の前にいるのは、ただの優しい青年ではなく、国を背負う存在。
「ど、どうして……そんな方が私に……」
震える声に、彼は一歩近づいてきた。
「理由は一つ。あなたに心を奪われたからだ」
その瞳は真摯で、冗談ではなかった。
10 溺愛の言葉
「あなたが虐げられ、誰からも認められなくても……私は見ている。あなたの優しさも、強さも、すべて」
リオンは私の手を握り、唇をそっと寄せた。
「セレスティア。あなたは私の妃として、必ず幸福にならなければならない。私はそのために存在する」
頬が熱くなり、涙が溢れそうになった。これまでどれほど尽くしても、誰からも愛されなかった私に、彼は惜しみない言葉を注いでくれる。
「……私などが、本当に……?」
「あなたでなければならない」
その断言に、心が揺さぶられた。
11 逆転の舞台
やがてルクセリア王国の招きで、私は公式に迎え入れられることになった。
その式典には、没落しかけたローゼン侯爵家とアーネスト殿下の姿もあった。彼らは青ざめた顔で私を見つめ、愕然としていた。
「セ、セレスティア……まさか……!」
イザベルの声は震え、殿下は歯噛みした。
「俺を差し置いて、隣国の皇太子の隣に立つだと……?」
私は静かに彼らを見返した。もう怯えることはなかった。
「……私はただ、ようやく自分を大切にしてくれる人に出会えただけです」
そう告げたとき、リオンは私の肩を抱き寄せ、堂々と宣言した。
「彼女は私の妃となる。虐げられていた彼女を救えなかったお前たちに、もう口を挟む権利はない」
会場に響くその声は力強く、誰も逆らえなかった。
12 真のシンデレラ
こうして私は、誰からも見下される「悪役令嬢」から、隣国の未来を担う妃へと歩み始めた。
かつて私を踏みにじった人々は没落し、孤立していった。だが、私はもう振り返らない。
リオンがそっと囁く。
「これからは、あなたを世界で一番大切にする」
その言葉に、私は微笑んで頷いた。
――虐げられた悪役令嬢は、ようやく愛を手にしたのだ。




