本当の名前
まだ暗闇の中だった、零が放つエーテルで空は暗く染められていた。
裂けた黒雲の隙間から差す光が、崩れた山頂をまだらに照らしている。
御影は膝をついていた。
右肩は裂け、脇腹からは止まりきらない血が流れ続けている。
呼吸をするたびに胸が焼けるように痛む。
それでも、立つ。
数歩先。
零が、片膝をついていた。
黒いエーテルは霧散し、空はわずかに青を取り戻している。
「……まだ、立つか」
零はかすれた声で言った。
御影は刀を支えに身体を起こす。
「お前が立ってるならな」
ふらつきながらも構える。
零は静かに笑った。
「人間らしいな」
瞬間、空気が裂ける。
最後の激突。
零の刃が闇を引き裂き、御影の刃が光を走らせる。
未来視が再び展開する。
無数の可能性。
だが、もう複雑な読み合いはない。
互いに限界だ。
未来は単純だった。
斬るか、斬られるか。
俺は踏み込む。
痛みを無視する。
未来を視るのではなく、信じる。
光牙が唸る。
『行け』
零の瞳が揺れる。
「なぜだ……」
刃が交差する。
火花。
そして――
俺の刀が、天黎の胸を浅く裂く。
同時に、零の刃が俺の脇腹を掠める。
互いに距離を取る。
血が地面を濡らす。
呼吸が荒い。
もう一撃で終わる。
零が最後の構えを取る。
「未来は……変わらない」
俺はゆっくりと刀を握り直す。
「変えるんだ」
踏み込む。
時間が引き延ばされる。
零の未来視が、最後の可能性を探る。
だがそこに――
“自分が救われる未来”は、存在しなかった。
その瞬間の迷い。
俺の刃が、真っ直ぐに振り下ろされる。
閃光。
衝撃。
零の身体が大きく後方へ吹き飛び、崩れた岩壁に叩きつけられる。
土煙が上がる。
静寂。
俺はその場で立ち尽くす。
足が震えている。
刀が、手から滑り落ちた。
数秒後。
煙の向こうで、天黎がゆっくりと倒れ込む。
黒いエーテルは完全に消えていた。
俺は、重い足を引きずるように歩く。
一歩。
また一歩。
そして、倒れている男の傍に膝をついた。
「……天黎」
その名を呼ぶ。
零ではなく。
“終わり”ではなく。
千年前の名。
天黎の瞳が、わずかに開く。
「……なぜ、その名を」
「お前は零じゃない」
御影は息を整えながら言う。
「全部、見せてもらった。晴明とのことも。」
天黎は苦く笑う。
「愚かな記憶だ」
「違う」
御影は首を振る。
「信じたんだろ、人間を」
沈黙。
風が吹く。
朝日が、二人の間を照らす。
「……信じた」
天黎は小さく呟く。
「だが裏切られた」
「一度裏切られたからって、全部を終わらせる理由にはならない」
「綺麗事だ」
「そうだな」
御影は笑う。
血が口元から流れる。
「でもな、綺麗事を言う奴が一人もいなくなったら、本当に終わる」
天黎は御影を見る。
その目は、もう“終末”の色ではない。
ただ、疲れている。
「未来視で、俺の未来は見えたか?」
俺が問う。
天黎はゆっくりと首を横に振る。
「見えなかった」
「なら、まだ可能性はある」
俺は手を伸ばす。
血にまみれた手。
震えている。
「一緒に来い」
天黎はその手を見つめる。
「……私は多くを壊した」
「だから作れ」
「私は人間ではない」
「関係ない」
御影は強く言う。
「俺も半分はモンスターだ」
沈黙が落ちる。
やがて天黎の口元が、わずかに緩む。
「……本当に、馬鹿だな」
「知ってる」
「私が見た未来ではこんなことはなかった」
「未来なんてものは視た所で無数の可能性があるんだ、これは天黎が視れなった可能性の一つだ」
「そうか、私はこの力が全てだと思っていた、でも違ったんだな」
「ああ、今度は天黎のことをお前自身の口で教えてくれ」
そうして、天黎はゆっくりと手を上げる。
御影の手に触れようとして――
力が抜けた。
身体が崩れる。
「天黎!」
御影が抱き止める。
天黎の呼吸は浅い。
「未来は……お前に託す」
「勝手に決めるな」
「もう……視えない」
瞳から光が薄れていく。
「だが、今は……少しだけ……悪くない」
朝日が完全に雲を払い、山頂を照らす。
天黎の身体が、光の粒子となって崩れ始める。
「待て……」
御影の声は震えている。
天黎は最後に微笑む。
「……ありがとう」
光が弾ける。
静寂。
風だけが吹いている。
御影はその場に崩れ落ちる。
血は止まっていない。
意識が遠のく。
だが空は、青い。
黒雲は消え、朝日は眩しいほどに輝いている。
御影は空を見上げる。
「……終わったぞ、天黎」
そのまま、ゆっくりと倒れる。
意識が闇に沈む直前。
どこかで、光牙の声がした。
『よくやった』
朝の光が、二人の戦いの痕を静かに包んでいた。




