残したい思い
家に帰った俺は、久しぶりに何も考えず眠ることができた。
気がつけば翌日の朝。
スマホを見ると着信履歴に「鷹森さん」の名前が残っていた。
折り返して電話をかける。
『はい?』
『家の準備ができましたので、ご自宅の前に車が来ております。準備が整い次第、そちらへ向かってください』
『分かりました』
電話を切り、顔を洗い、軽く身支度をして外に出る。
玄関の前には黒塗りの車と、その後ろにトラックが止まっていた。
車の方に近づくと、ドアが開き、一人の女性が降りてきた。
「御影さんですね?」
「はい」
「私はハンター協会の姫野です。引っ越しの準備が整い次第、こちらで作業を進めますがよろしいですか?」
「え、ああ……どうぞ」
「では私たちは先に新居へ向かいます。業者には伝えておきますので、車でお待ちください」
「分かりました」
姫野さんは、整った顔立ちにスーツ姿がよく似合う女性だった。
可愛らしさと芯の強さを併せ持つタイプで、どこか完璧主義者の匂いがした。
しばらくして彼女が戻ってきて、運転席に座り、車が動き出す。
「新居って、ここからどれくらいですか?」
「三十分ほどですね」
それを最後に、車内は静まり返った。
会話が途切れるのは気まずいが、俺には話す話題がなかった。
もともと人付き合いが得意じゃない。社会から距離を置いていた時間が長すぎた。
「Gift」で会話スキルでも上げられればいいのに――そんな逃げ道を考えてしまう。
三十分後、車は都会の一角に入った。
お洒落なカフェが並び、通りを歩く人々の服装も洗練されている。
「……ここ、どこですか?」
「自由が丘です」
なるほど。お洒落で穏やか、それでいて静かな空気の街。
胸の奥が少しだけ高鳴った。
「こちらのマンションです」
彼女が指をさした先――そこには、見上げるほど高いタワーマンションがそびえていた。
「これ、ですか?」
「はい」
地下駐車場へと車を進めると、広々とした空間が広がり、車のエンジン音が静かに響く。
ラウンジに入ると、制服姿の女性スタッフが立っていた。
「失礼します」
「お客様ですか?」
「今日から入居する御影真一です」
「確認いたします」
スタッフが端末を確認してうなずく。
「確認できました。こちらの方は?」
「ハンター協会の姫野です」
「では、こちらにサインをお願いします」
姫野さんが書類にサインをして、俺たちはエレベーターへ。
「これが部屋の鍵です」
「ありがとうございます。……ちなみに俺の部屋って何階なんですか?」
「五十五階です」
表示された数字を見て、思わず二度見した。
「最上階、ですよね?」
「はい」
ゴクリと喉が鳴る。
一気に自分の生活レベルが変わっていくのを肌で感じた。
怖いくらいに。
エレベーターが止まり、長い廊下を抜けると扉が一つ。
「こちらです」
確かに、一つだけだ。
「ワンフロア全部……?」
「はい」
鍵を回して中に入ると、そこは広大なリビングが広がっていた。
天井が高く、二階まで吹き抜け。家具も照明もすべて完璧に整えられている。
「……これが、家?」
「はい。ハンター協会が買い取って、内装はプロのコーディネーターに依頼しています」
呆然と立ち尽くす俺。
まさか「住む場所を用意してほしい」と言っただけで、こんな空間を与えられるとは思わなかった。
「家賃など諸経費はすべて協会負担です。ご心配なく」
「なるほど……」
「何か?」
「いや、さすがにここまでしてもらっていいのかって」
「問題ありません。御影さんはZ級ハンターとして、世界で最も未知数の存在です。会長も“未来への投資”と考えています」
「……そうですか」
少しだけ、あのとき会長を脅したことが頭をよぎった。
まあ、あとでちゃんと謝ろう。
「それじゃあ、私はこれで失礼します。荷物はもうすぐ到着すると思います」
その前に、俺はふと思い出して姫野さんを呼び止めた。
「あの、ひとつお願いが」
「なんでしょう?」
俺はマイクロ・ポータルを展開し、空中に小さな渦を開く。
次々と地面に落ちていくのは、古びたカバン、財布、写真、指輪、そして血の染みた布切れ。
「……これは?」
「新宿の虹ゲートに巻き込まれたとき、最初にワープした場所で見つけたものです。被害に遭った人たちの遺品です」
姫野さんの表情がわずかに曇る。
「全てですか?」
「はい。全部は戻せないと思いますけど、せめて遺族のもとに返したくて」
「……そうですか。全てを特定するのは難しいと思いますが、協会で引き取ります」
「ありがとうございます」
二人で地下駐車場まで運び、車のトランクに詰め込んでいく。
「こんなに積むのは初めてですね」
「なんか、すいません」
「御影さんが謝ることではありません」
彼女は小さくため息をつき、それから穏やかな声で言った。
「Giftは誰にでも平等に与えられるものではありません。
でも、あなたは力を得ても驕らず、最後まで“人”を思っている。……それが一番の才能かもしれません」
「そう、ですかね」
「はい。正直、会長への条件を聞いたときは、選ばれたことを誇示する人間かと思っていました。でも違いましたね」
その言葉が、心の奥に静かに染みていった。
「では、こちらは私が責任をもって対応します」
「お願いします」
「はい、随時報告いたします」
そう言って姫野さんは車に乗り込み、静かに走り去っていった。
部屋に戻ると、ほどなくして業者が到着し、荷物を運び込んでいった。
ふと駐車場のことを思い出す。
姫野さんが言っていた――俺の駐車スペースも隣にあるらしい。
「……車、持ってないんだけどな」
俺は苦笑しながら天井を見上げた。
「免許、取るか……」
そう呟いて、ソファに沈み込む。
新しい生活の始まりを、まだ信じられないまま感じていた。




