大規模ゲート
──2023年7月5日。
世界が、終わりかけた日だった。
その日、渋谷の空が裂けた。
黒と虹色が混ざる“裂け目”が、ビル群の真上に浮かぶ。
渦を巻く光。音が吸い込まれるような静寂。
風が止み、時間そのものが凍ったようだった。
《ゲート》──ニュースで何度も見た災厄の象徴。
だが、映像で見たそれよりも、はるかに禍々しい。
まるで空が“死にかけた生き物”みたいに、うねっていた。
俺は、その場にいた。
バイトの面接帰り、汗で背中が張りついたまま、スクランブル交差点を渡っていた。
「……二十三歳でこれかよ。そろそろ就職考えないとやばいよな」
そんな独り言を呟いた瞬間、誰かが叫んだ。
「──なんだ、あれ!!?」
見上げた先、空が裂けていた。
巨大な光の穴。脈動するように色が変わり、ビルのガラスに虹色の反射が走る。
街がざわめき、誰かが泣き出し、車が急停車する。
携帯を構えた人間もいた。けれど誰も、何もできない。
音が消え、俺の鼓動だけがやけに大きく響いた。
ゲートの縁から、光が流れ出す。
それは美しく、そして──致命的に恐ろしかった。
逃げなきゃ、と思った。
けれど、足が動かない。
体の芯が冷たくなって、呼吸の仕方すら忘れる。
「……やばい、逃げろ!」
誰かの声に我に返った瞬間、アスファルトが波打った。
渋谷の街全体が生き物のようにうねり、看板が落ち、車が宙に浮く。
視界が光で満たされた。
耳鳴り。熱。痛み。
世界が、裏返った。
──次に目を開けたとき。
俺は、渋谷にはいなかった。
灰色の空。赤く光る地平線。
焦げた鉄と血の匂いが混じる風。
遠くで、耳をつんざくような咆哮が響く。
「……どこだ、ここ……」
喉が乾き、手のひらが震える。
恐怖よりも、現実感のなさが勝っていた。
さっきまでいた街の喧騒が、まるで夢だったように遠い。
そして気づく。
この世界には──人の声が、ひとつもなかった。
灰の風が頬を打った。
あの街の匂いは、もうどこにもなかった。




