第4話[新]140馬力の獣
2025.6.5 修正版投稿。
演出なども強化しました。
2025.6.22
大きな部分で描写の追加や修正しました。
床も天井も、そして壁すらも――
そのコンビニから続く奥の通路は、まるで現実との境界を越えた遺構のようだった。
天井から下がる蛍光灯はどれも古く、かすかな明かりをこぼしながら、静かに彼らを導いていく。
そこはただの裏口ではない。
どこかで時間が止まったような、けれど何かが眠っているような、そんな空気があった。
巨大な鉄の扉が、その先を阻んでいる。
店員2はニコニコしながら両手でその取っ手を掴み、声を上げた。
店員2「さぁー! ついたー! ここだよ!!」
ギギギギギ……と重厚な音が響き、鉄扉が開く。
そして――そこに現れたのは、
まばゆいチャンピオンイエローのスイフトスポーツだった。
ガレージの奥に静かに置かれたそのマシンは、まるで夜の檻の中で獣が目を覚ましたように、
光を浴びて浮かび上がるように輝いていた。
伊藤「……これが……中古……!?」
運転席には既に鍵が挿さっていた。
バケット仕様のスポーツシート。
レーシングタイヤのパターン。
リアに取り付けられた控えめなウイング。
伊藤の目が、獲物に食らいつくように、そのディテールをなぞっていく。
店員2「カッコイイでしょー!! 私が整備したんだよー!!」
店員「あ、綺麗にしたのは私……。でも鍵はついてる。タイヤもレース用。
……そろそろ夜だけど、すぐにでも飛べる……。」
店員2「お! いいね〜! せっかくの夜の中!!
すぐに飛ぼううッッ!!!」
そのテンションの高さに、カナタも思わず笑ってしまった。
伊藤は、何も言わずに近づいていく。
そして、そっとドアを開けた。
バケットシートの質感、ドアを閉めたときの剛性感。
すべてが“自分の車”になる瞬間の、独特な重みを感じさせる。
その様子を見て、店員2がふわっと笑顔を見せ、彼に小さく抱きついた。
店員2「……運転よろしくね! 君の運転、楽しみ〜☆」
店員「……はしゃいでないで、伊藤くんのスイスポ行きますよ? 姉さん。」
スイフトスポーツ(スイスポ) ZC33S。
軽量なコンパクトボディに140馬力のターボエンジンを積んだ、
スズキの“走れるコンパクトスポーツ”。
キビキビとしたハンドリング。
日常の街乗りから、峠、サーキットまで対応するオールラウンダー。
だが、それは“ただの便利なコンパクト”ではない。
軽やかで、でも芯のある走り。
――この小さな車には、140馬力の“獣”が眠っていた。
そして何より驚かされたのは、その加速だった。
クラッチを踏み込み、アクセルを軽く煽る。
ドンッ!!
蹴り出すような初速。
タイヤがアスファルトを削る感覚が、ハンドルを通して伝わってくる。
伊藤「……これ、ホントに“コンパクトカー”……?
……ちげぇな……これ、“走るための弾丸”だ……!」
その言葉に、店員2がにっこりと笑った。
店員2「でしょ〜!? あなたに似合ってると思ったんだよっ!!」
伊藤「……整備した……?」
スイスポの横にしゃがみ込み、車体の下へと顔を覗き込む。
彼の目が光を捉えた瞬間、息をのんだ。
伊藤「……ホントだ……車高調入ってる……!
スタビも強化されてるじゃん……!」
指先でそっとリアのサスペンション周りをなぞる。
工具の跡、締め直されたボルト、わずかに硬化されたブッシュ類――
そのすべてが「本気の足回り」に変貌している証だった。
伊藤「こりゃ、ただの中古車じゃねぇ……
これ、ガチで走るやつだ……!」
カナタ「えっ……そんなにすごいのか?」
伊藤「車高調は減衰調整付きだし、フロントもキャンバーつけてある。
ブレーキラインもステンメッシュだ。これ……
誰かが本気で仕上げた、峠仕様のスイスポだぞ……!」
店員2「へっへーん♪ 正解っ☆ そこまで見抜けた人、初めてかも!」
店員「……パッドも換えてます。ハードな下りにも耐えられるように。」
伊藤は思わず立ち上がり、運転席のドアを開ける。
メーター類はシンプルながら、視認性の高いレイアウト。
細かく位置が調整されたバケットシートが、彼の体をぴたりと包み込んだ。
伊藤「こいつ……絶対、峠に合う。
コーナーで突っ込んでも、ロールせずに粘れるやつだ。
最高だよ……マジで。」
店員2「でしょ!?そう思ってた〜!!
伊藤くんには、こういう“走れる小さい獣”が似合うと思ってたんだ〜っ♪」
伊藤「マジで……惚れるわ、この車。」
カナタ「いや……惚れてんの、車だけか……?」
伊藤「それは……ノーコメントで……」
店員2「きゃっ、もう〜☆」
その場の空気が、すこしあたたかくなる。
けれど――
このマシンが、やがて本物の戦いの中に飛び込んでいくことを、まだ誰も知らなかった。
エンジンを切ったスイフトスポーツの車内に、微かな風が吹き込んだ。
夜の空気はまだ冷たいはずなのに――
その一瞬、伊藤の鼻先をくすぐるように、ふわりと甘くて淡い香りが通り過ぎた。
伊藤「……なんか……すごく、桜の匂い、しないか……?」
ハンドルに手をかけたまま、彼は小さくつぶやいた。
春の夜に咲く、一瞬で消えるような香り。
それはどこか、記憶の中の風景に似ていて、言葉にならない想いが胸を締めつけた。
(……この匂い……なんだろう……
……なんか、好きだ……
いや、たぶん……いちばん……)
カナタ「春だからじゃねぇの?
このあたり、山桜多いって言うし。」
伊藤「……いや、でも……」
その香りは、“ただの桜”じゃなかった。
風と一緒に運ばれてくる、誰かの気配。
それは優しくて、あたたかくて、でもどこか遠くて。
――まるで、ずっと前から知っていたような、“誰かの存在”の記憶。
店員2「あっ!ごめーん!
さっき運転席に入ってたから、制服に桜の香り残ってたかもっ♪」
そう言ってぴょこんと顔を出す彼女のツインテールが、
ふわりと跳ねて、夜の空気をもう一度甘く染めた。
カナタ「お前……香水か?」
店員2「んーん、違うよ。草の匂いと桜の花びら、ちょっと混ぜたような……春の空気?
なんかついちゃってたら、ごめんねーっ!」
伊藤「…………いや、全然……むしろ……アリ。」
店員「姉さん、意味わからない発言しすぎです。
……でも、それで気づくのもすごい。
――このスイスポ、匂いも含めて“あの人”に合わせてるから。」
伊藤「……え?」
店員「……ふふ、なんでもないです。」
その瞬間、スイスポの車内は静かになった。
ただ、甘い桜の香りだけが、
いつまでも、そこに残っていた。
カナタ「ところでさ、スイスポって何?
スイフトじゃねぇの?“スポ”って何が違うんだ?」
店員2「えぇぇぇ!?知らないの!?
……よぉし、君に教えるね……!“スイスポ”とは何なのかを!!」
カナタ「お、おう……」
店員2「“スイスポ”はね!
正式には『スイフトスポーツ』!つまり、スイフト界の速いやつ担当!!」
カナタ「はえ〜……」
店員2「普通のスイフトはね、どっちかっていうと“街乗り・通勤・買い物”みたいな大人しい子なの。
でもスイスポは違う!もうね……『走るために生まれてきました!』って顔してる!!」
伊藤「実際、ターボエンジンに6速MT、専用サスとブレーキ、軽量化シャシー……。
全然別物だよ。中身はガチ。」
店員2「そうそう!車体は軽い!馬力はある!足回りは締まってる!
まさに“コンパクト界のスポーツマン”って感じ〜!」
カナタ「つまり……スイフトの、筋肉モリモリバージョン?」
店員2「その通りっ!!いい例え〜!
そしてね、このZC33S型は140馬力で、車重970kgくらいしかないの!
つまり1トン切ってんのよ!?
馬力ウェイトレシオで見たら……下手な大排気量より軽快に速いの!」
カナタ「えぐ……それって、86より軽い……?」
伊藤「だな。でもトラクションもちゃんとある。コーナーなら互角以上に走れる。」
店員2「そう!しかも、見た目コンパクトなのに、中身が化け物なのがスイスポの恐ろしいとこ!!
見た目でナメてくる相手をね、スイスポでブチ抜くのが最高なのよ〜!!」
カナタ「……なんか、ちょっと惚れてきたわ……スイスポ……。」
店員2「でしょ〜!?
伊藤くんの相棒になってくれてよかったよ〜……
うん、すっごく似合ってる!」
店員2「それにさぁ……このチャンピオンイエロー……!」
夜の照明を受けて輝くそのスイフトスポーツに、店員2が手を添える。
店員2「……この色でさ、いつかスーパーカーを倒す日が来たら、カッコよくない?
例えば……R8とか、ガヤルドとか〜?」
伊藤「ははっ、いきなりすげぇ名前出すな……」
カナタ「……いや、アレは無理だろ。
キツすぎるかもな。普通に考えて……馬力も駆動力も全部違ぇし……」
店員2「ふふ〜ん、そうかなぁ〜?
たしかにスペックじゃ勝てないよ?
でもさ――軽さと運転のキレで、食えるとこだってあるんだよ?」
伊藤「……でも、スイスポでR8やガヤルドに挑むってのは……正直、命がけだぞ……」
店員「でも、それでも立ち向かえる人が、たまに勝っちゃうんです。
それが……この世界。」
風が静かに吹く。
桜の香りが、またふわりと漂ってきた。
カナタはその風の中で、自分の赤い86を見た。
ボロで、馬力もない、旧世代のFR車。
でも――走りたくて、戦いたくて、今ここにいる。
カナタ「……たしかに。
最初から無理って決めたら、どこにも届かねぇもんな。」
伊藤「勝てるかどうかじゃなくて、“戦えるか”か。
面白くなってきたな……!」
店員2「そうそう〜!
さぁ、次はどこで走る? そろそろ、このマシン……夜風に当てたいでしょ?」
スイスポのターボが、静かに熱を帯び始める。
その小さなボディには、140馬力じゃ語りきれない可能性と、野心と、誰かの願いが詰まっていた
スイスポのドアを閉めた伊藤が、ふと何かに気づいたように立ち止まった。
夜風がすっと通り抜けた、その一瞬。
ふわり、と。
まるで舞い散る花びらのように、
かすかな、でも甘くてやわらかい香りが鼻先をかすめた。
伊藤「……なんか……また、桜の匂い……」
声に出した瞬間、胸の奥で何かがゆっくりと溶けていく。
さっきも感じたはずの香り。
けれど今度は、風ではなく、人から届いたような気がした。
ふと横を見ると、そこには笑顔のまま、スイスポのリアに寄りかかる店員2がいた。
草のような柔らかさのある制服の袖が、そよ風に揺れている。
カナタ「……え?お前、なんか香水つけてんの?」
店員2「ん〜……香水ってほどでもないんだけど……
春っぽいの、ちょっとだけね?」
カナタ「ちょっとどころじゃなく、めっちゃ桜の匂いするぞ。」
伊藤「……“この車に似合う香り”って言われたら、俺……この匂い選ぶかも。」
店員2「えへへ〜……うれしい♪
でもね、この香り……風が吹いてるときしか、ちゃんと届かないんだよ。
だから、気づけた人は……ラッキーかも?」
彼女は冗談めかして笑いながら、指先で自分のツインテールの毛先をくるりと巻いた。
その動きに合わせて、またひとひらの香りが漂う。
桜、草、そして春の風。
それらが混ざった、不思議でやさしい匂いだった。
伊藤(……この匂い、たぶんずっと忘れない……)
けれど本人は、その想いにまるで気づいていないかのように、
何気なく歩き出す。
その背中から、また微かに――春の香りが流れていった。
店員2「じゃあ、このチャンピオンイエローで行く?
――夜の峠へ!」
その言葉に、空気が一気に熱を帯びた。
エンジンキーが回される音が、コツン、と響く。
伊藤「……いくか。
――4人乗せて!」
ブオンッッ!!!
ターボが目覚める音。
スイフトスポーツの咆哮が、夜の静寂を突き破った。
軽やかな車体が、4人分の重量を乗せてもなお獣のように敏捷だった。
カナタ「おい、まじで4人乗りかよ……!? 重くねぇ?」
伊藤「関係ねぇ!軽く振ってやるよ、このスイスポで!!」
店員「安全運転でお願いします……!一応、公道ですので……!」
店員2「でも速く!スイスポのポテンシャル、峠で全部出しちゃって〜!!」
夜のR288。
ヘッドライトが1本の線となって闇を切り裂く。
前輪がグリップを掴み、後輪がギリギリでラインに乗る。
4人乗りでも、伊藤の右足と左手が“このクルマを戦える状態”にしていた。
山肌をなぞるように続く連続コーナー。
カーブを抜けるたび、誰も喋らない。
それでも、確かに全員の心がひとつの方向を見ていた。
――前へ。もっと速く。
もっと遠くへ。
伊藤「……踏み抜くぞ、スイスポ。
チャンピオンイエロー、行け!!」
風が、吹いた。
まるで桜の花びらを伴って、夜の空を滑っていくように。
この瞬間、スイフトスポーツはただの“コンパクトカー”ではなくなった。
連続する中速コーナー。
ガードレールがわずかに視界をかすめ、山肌の影がライトに浮かび上がる。
エンジンは唸り、タイヤがアスファルトを掴んで離さない。
4人分の重量を乗せて、スイスポはそれでも獣のように喰らいついていた。
助手席でカナタが叫ぶ。
カナタ「いや……重くない!!」
シートに体を沈めながら、彼は驚いていた。
4人乗車とは思えない安定感。
横Gは確かにあるのに、不快さがない。
むしろこのクルマに合わせて、走りがチューニングされてるような錯覚すらある。
店員「ふふ……スイスポって、ファミリーカーでもあるからね……。
4人乗ってても走れるように、最初から設計されてる。」
伊藤「まじかよ……!
ってことは、これは“重いから遅い”んじゃなくて――“重くても曲がれる”ってことか……!」
店員2「正解〜!! しかも、その状態で踏み抜ける人が運転してれば最強☆」
伊藤はフロントタイヤをギリギリまでコーナーに寄せ、
アクセルオンのタイミングをズラすことで、荷重移動とトラクションの両立を試みていた。
スイスポは、それに応えた。
ギュルッ――とわずかにリアが滑りかけるが、すぐに回収。
まるで4人を“守る”ように、車体全体がバランスを取り戻す。
カナタ「くっそ……このスイスポ、マジで……やれる……!」
伊藤「舐められねぇぞ、これでR8とかぶち抜いてやりてぇな……!」
店員2「へへ……そのうちできるかもねっ!」
店員「まぁ……そのときはタイヤだけ換えてからにしましょう。今のはエコタイヤです。」
全員「ええええええ!?」
スイスポのリアがわずかに横に流れたその瞬間、全員の声が重なった。
そしてその空気を、伊藤がニヤリと笑って切り裂く。
伊藤「安心しなよ……!
あのカナタの86も、純正エコタイヤだぞ……!!」
カナタ「ちょ、お前バラすなよ!!!」
店員2「えっ!?あの86で今まであんなに走ってたの!?すごっ!」
カナタ「う、うるせぇ……タイヤ高いんだよ……!!」
伊藤「いや〜、あれで今まで生きてたの、奇跡だろ。
俺、正直お前のタイヤ見たとき“それで勝てるなら神”って思ったからな?」
カナタ「余計なこと言うな!!」
店員「でも、それでオープンカップ出ようとしてたって、実は凄いことです……。
……それは“走る理由”があるってことですよね?」
一瞬だけ、車内が静かになった。
エンジンの回転音。
タイヤが路面を拾う音。
そして、後部座席からふんわりと漂う、桜と草の風の香り。
それでもカナタは、まっすぐ前を見て、答えた。
カナタ「……ああ。
だから俺は、あの86で勝ちてぇんだよ。」
伊藤「だよな。
……じゃあ、そろそろ見せるか――純正コンビの意地ってやつを!」
スイスポのタコメーターが一気に跳ね上がった。
4人乗り、純正タイヤ、軽量ハッチバック。
けれどその車は、まるで牙を剥いた小型獣のように、夜の峠へと切り込んでいった――!
スイフトとは違う。
ペダルを踏んだ瞬間、**ドンッ!!**と蹴り出すような加速。
その出足は、もはや「コンパクトカー」とは思えない。
**鋭く、獰猛で、まるで獣が地面を蹴るような“本能的な加速力”**だった。
後部座席ではカナタがわずかに身体を浮かせ、店員2が興奮した声をあげる。
店員2「キビキビ動くね!この車……素敵っ……!
伊藤ありがとう!ここから飛ばすから、しっかり捕まってな!!」
伊藤「任せとけ……
こいつは、飛ぶために生まれてきたんだよ……!」
パァァァァァァァン!!!
シフトダウンからの加速で、スイスポが吠えた。
マフラーから響く乾いた咆哮は、夜の森に轟き、峠の静けさを引き裂いた。
その夜――
4人を乗せたスイフトスポーツは、福島の峠を駆けていた。
青い星空と、しんと静まり返る森。
その中で、黄色の光跡が生き物のように駆け回っていた。
カーブのたびに、伊藤の右足が微妙にブレーキを入れ、すぐさまアクセルに戻す。
ハンドルは無駄がなく、ステア操作がすべて車体に伝わっているのがわかる。
「まるで、峠全体がこの車のものになっていく感覚」――
スイスポは、伊藤の意志に反応していた。
ワインディングのR、G、傾斜、バンク……
すべてを読み取り、次の一手を先に差し出してくれるようだった。
店員「音もいい……タービンがよく吹いてる。
レトルクが粘ってて……峠向きです。」
伊藤「……うん。まだ全然踏んでねぇのに、
曲がる。速い。しかも、コントロールできる。」
スイスポは小さな獣だ。
だが牙は鋭く、今や夜の峠の支配者だった。
静かなブーストタービンの唸り――
その中に、猛獣の咆哮が潜んでいる。
伊藤はふと息を吸い、アクセルをさらに踏み込む。
その瞬間、スイスポが“獣”から“弾丸”へと変貌した――!
伊藤がかつての86で鍛えたコーナーワーク。
その経験が、今このスイスポに注ぎ込まれていた。
軽快なボディは、インベタのラインを正確にトレースし、
FFらしくフロントからスッと引き込まれながら、
ほんのわずかなアクセル調整で、ラインを描くように曲がる。
伊藤(すげぇ……こいつ、
“オレの考えの半歩先を走ってる”みてぇだ……!
チューニングしてねぇのに……こんなに自由に走れるのかよ……!)
店員「……そうですね。
チューニングはまだ何も手を加えていません。」
伊藤「すげぇ……それでこの動きかよ……!
……お!あそこ!あそこのパーキングで降りよう!!
なんかさ……カルピスソーダの缶、めちゃくちゃ飲みたくなった!!」
そのテンションのまま、伊藤はハンドルを切ってスイスポをパーキングに滑り込ませた。
ブレーキ操作はやさしく、車体の挙動も静かに収まる。
夜の峠。青白い自販機の光。
その下で、伊藤は夢から覚めたように車を降り、4人に笑いながら声をかけた。
伊藤「お疲れさん!
お礼がしたいんだ。あの缶コーヒーじゃなくて、今日はカルピスソーダな気分でさ!」
缶を片手に戻ってきた伊藤は、ピンク髪の店員2に缶を差し出す。
伊藤「はい!サービスしてくれたお礼だよ!!
……本当にいいのか? そこのピンク髪の店員さん──」
店員2「いいんだよ〜☆ 持ってって!!
私たちの車よりはキビキビよ〜く動いてくれると思うよ!!」
店員「……大事に、可愛がってあげてくださいね。」
そしてカナタがポケットから取り出したチラシを開く。
淡い文字で、こう書かれていた。
《86オープンカップ 参加募集》
店員2「君さ〜、よかったらそれに出てみない?
君が出たら面白いと思うよ!!」
陽気で華やかなその声に、
まるで背中を押されるように、カナタは自然と返していた。
カナタ「……ああ!待ってろよ!オープンカップ!!」
その声は夜の峠に響き、
どこか遠く、春の風に乗って消えていった。
――ここから、86伝説が幕を開けるのであった。
伊藤「……ところで、お前ら二人、マジで誰?」
店員2「は〜い☆ ただのバイトで〜すっ♪」
店員「……その車、大事にしてね。」
その笑顔はあくまでも柔らかく、
でも、どこかで何かを知っているような気配を漂わせていた。
店員「あ、、、これ、、、良かったら……」
小さな紙袋をそっと、カナタの胸元に押しつけるように差し出した。
包みは柔らかく軽い。
けれど、その中に潜んでいるのは確かな重量感──いや、“覚悟”だった。
カナタ「……なんだこれ?
このステッカー……"TRD"? いや……これ、社外じゃねぇ。
まさか──」
袋の中から取り出したのは、金属の光沢を帯びた一枚の薄いパーツ。
小ぶりなECUユニットのようでもあり、インテークパイプと繋がる補助機構のようにも見える。
カナタ「これ……
まさか、86のレスポンス強化キット……?
吸気とスロットルの反応、リニアに変えるヤツじゃ……!」
店員「……うん、それ。
テスト用のプロトタイプなんだけど、今のあなたの86には……合うと思ったんだ。」
カナタは息を呑む。
目の前の店員は、ただの自販機の前にいたスタッフにしか見えなかった。
けれど今、その手から差し出されたキットには、技術者の鋭さと、なにか信じる力が宿っていた。
カナタ「……いいのか?
……本当に、これを俺に?」
店員は静かに頷く。
店員「これはね、今のあなただから渡せるの。
誰でも扱えるものじゃないから……きちんと“付き合って”あげてね。
君の86と。」
──その瞬間、物語は静かに動き出していた。
“赤い86”が、本当の意味で目を覚ますまで、あとわずか。
翌日。伊藤自動車──。
鉄製のシャッターがゆっくりと開く。
まだ朝焼けも完全には昇りきっていない時間。
静まり返るガレージに、赤い86の車体が静かに滑り込んできた。
車を降りたカナタは、手に握ったチラシを見つめていた。
その角には、こう記されている。
『86オープンカップ開催日:4月12日』
カナタ「……明日か。」
短く呟いたその声に、伊藤が反応する。
伊藤「カナタ。……何か、してもらいたいことはあるか?」
彼はツナギ姿のまま、グリースのついた手で工具を片付けながらこちらを振り返った。
目の奥には、友としての覚悟と、メカニックとしての矜持が宿っている。
カナタ「……そうだな。」
86のボンネットに視線を落とし、深く息を吸う。
カナタ「まず、トラクションコントロール。完全に切ってほしい。
──電子制御に頼ってたら、たぶん明日の峠じゃ置いていかれる。
……俺の手だけで、こいつを制御したい。」
伊藤「……了解。」
彼は無言のまま頷くと、手元のノートPCに手を伸ばした。
専用ツールを接続し、電子制御系統のマップを開く。
伊藤「今、86の純正セーフティは残ってる。
けど、出力の変化とともにトラコンが介入してブレーキ入る。
それを解除するだけで……お前、たぶん、滑るぞ?」
カナタ「滑ったって構わない。
限界で走るからこそ、“俺とこいつ”が分かり合えるんだ。」
伊藤は苦笑した。
伊藤「本当にお前は……。
ま、わかってるよ。そういうヤツだって。」
そして再びキーボードを叩きながら、カナタの方をちらりと見た。
伊藤「……で、もうひとつは? さっき“ベッド・イン”って言ったか?」
カナタ「ああ。」
手袋を外し、カナタは一歩、86のブレーキに近づく。
カナタ「新品のパッドとローター……
さっき換えたばかりだろ? だったら、馴染ませ作業しておきたいんだ。」
伊藤「ブレーキベッド・インか。了解。」
伊藤は納得したように頷いた。
伊藤「新しいパッドに熱入れて、摩擦面均一にしておかないと、本番で引きずったら終わりだもんな。」
カナタ「……ああ。
明日は、峠の下りもある。
少しでもズレたら……この86、吹っ飛ぶ。」
伊藤「……いいさ。俺がやるよ。」
そう言って伊藤は、工具棚の奥から温度センサー
付きのテストパッドを取り出す。
伊藤「まずは低速20回、次に中速で踏んで温度を300度まで。
止まらずに走り続けて、ブレーキを焼き切らないように。」
カナタ「頼んだ。」
伊藤「……任せろ。お前のためだしな。
──この86、明日、世界で一番“人間に近いマシン”にしてやるよ。」
ガレージに響く、キーボードの音とリレーのカチカチという作動音。
その奥で、赤い86は静かに待っていた。
明日、己の限界を超えるその時を。
エンジンをかける。
軽やかな始動音とともに、TRDマフラーが低く唸った。
カナタ「頼むぜ、相棒。今日こそ……見せてやる。
“非力なこのマシン”でも、やれるってことを……!」
伊藤の手によって電子制御はすべて解除され、
ブレーキも完璧にベッド・イン済み。
カナタの86は、今この瞬間、最も“素の状態で戦える”86となっていた。
──トラクションはない。
──アシストもない。
──だが、その分だけ、ドライバーの魂がダイレクトに届く。
それこそがカナタの求めていた、“マシンとの対話”。
86のライトがふっと灯る。
カナタは、グローブをそっとはめた。
カナタ「さあ、行こうか。
赤い戦闘機……お前と、初陣だ。」
踏み込む。
アクセルが低く唸り、エンジンが答える。
朝日を背に、赤い86がコースへと滑り出していく。
その姿は、まるで滑走路を駆け出す一機の戦闘機――
その日、カナタと彼の86は、伝説への第一歩を踏み出した。
やばいぞ...この展開....!
店員2 じゃあ〜⭐︎ここからは私が次回予告をするねー!
次回 第5話初出陣
スイスポは気に入ってくれたかな?次回もお楽しみに〜⭐︎




