松島編第4話 先生の帰還
静まり返るピット。
それは、1台のスイスポの終焉であり――新たな戦闘機の誕生の瞬間だった。
そこに現れたのは、風に揺れる赤いロングコートと、鮮やかな赤いBMW M3 E92の轟音だった。
バックファイアと共に停まったその車のドアが開き、颯爽と降り立ったのは――
古賀加奈子。
腹切カナタと伊藤翔太が中学時代に通っていた学校の元担任教師。
今は教育の現場に戻り、山吹花たちの担任を務めているという。
古賀「カナタくん!伊藤くん……!久しぶりね……!」
その声に振り向いたカナタの目が、一瞬だけ過去を思い出したように揺れる。
カナタ「あ……!先生……!」
伊藤「古賀先生……!ほんとに、先生かよ……!」
花「え?ちょっと待って……二人の先生だったの……!?」
古賀は小さく頷くと、優しく微笑んだ。
古賀「うん。二人ともずっと元気にしてるかなって思ってて……でも、まさかこんな所で再会できるなんてね。今は花ちゃんのクラスを見てるの。」
花「なっ……え!?なにそれ!?先生、もっと早く言ってよ!!」
古賀「だって驚くでしょ?うふふ、秘密にしておきたかったのよ。」
カナタ「先生が……エーペックスカップに来てたなんて、想像もしてなかった……」
伊藤「ってか、先生そのBMW、どうしたんすか!?レース仕様じゃん……!」
古賀は少しだけ目を細め、冗談交じりにウインクする。
古賀「生徒に言われる前に言っておくわね……。
先生、こう見えて現役のドライバーなのよ。」
伊藤「ええええええええ!!!」
花「なにそれズルッ……!」
カナタ「赤いBMW……まさか先生も出場者なのか……!?」
古賀「もちろんよ。教師だからって、いつまでも教壇の前にいるだけじゃつまらないでしょ?」
赤いM3のボンネットに軽く手を乗せながら、古賀は真剣な表情に変わった。
古賀「私は――教育者としてじゃなくて、“走り手”として、今日ここに来た。あなたたちに、伝えたいことがあるから。」
風が吹き抜け、3人の間に静かな緊張が走る。
そして、その赤いBMWが放つ存在感は、彼女がただの「元担任」ではないことをはっきりと示していた。
彼女は教える者として――そして、戦う者として帰ってきたのだ。
花「え?古賀先生って……」
目を丸くした花が、思わず声を漏らす。彼女の視線は、カナタと古賀先生の間を何度も行き来していた。
カナタ「ああ……うちを助けてくれた先生だよ」
少し俯きながら、カナタが静かに語り始める。
「音楽の先生だった。でもそれだけじゃなかった。……家のこととか、俺の居場所とか、うまくいかないことがたくさんあってさ……学校でも外でも、どこにも逃げ場なかった時……先生だけが、俺の味方でいてくれたんだ」
花は言葉を失った。
今まで見てきたカナタの強さ――その裏に、こんな過去があったとは思いもしなかった。
カナタ「うち、なんか無理してたんだと思う。強くあろうとして……全部一人で抱えて。でも先生が、それを見抜いてた。……逃げ場を作ってくれた。怒ってくれた。……泣いてくれた」
伊藤「……あの頃のお前、今と全然違ったからな」
ぼそりと呟く伊藤の目にも、どこか懐かしさがにじんでいた。
花「……先生」
古賀「……カナタくん。覚えててくれたのね」
穏やかな声。でもその瞳には、かつて彼を守ろうとした本気の意志が、今も変わらずに宿っていた。
「教師としてじゃなく、人として……あなたの未来を信じたかったの。あの頃のあなたは、今のあなたにちゃんと繋がってる。……そう思ってるわ」
カナタ「……ありがとう、先生。今も、うちはあの時のままかもしれない。でも……ここに立ってるのは、先生がいたからだよ」
古賀は静かに微笑み、赤いBMWのフロントに手を添えた。
古賀「だったら、次はこの先生が――全力であなたたちの前に立つ番ね」
エンジンが再び唸りを上げる。
教師として。
走り手として。
そして、何より――かつて心を救った者として。
赤いM3が、彼らのレースに新たな緊張を走らせていた。
空気が、ふと張り詰めた。
古賀加奈子は、赤いBMW M3の前に立ち、ゆっくりと振り返る。
その表情は、かつて中学で教え子たちを守った優しさを湛えながらも、どこか芯のある厳しさを含んでいた。
古賀「転校生を紹介したいの。そして、今回の松島でのレースに参戦する一人……入ってきてね?」
言葉と同時に、微かに空気が震えた。
乾いたロータリー音が、遠くから響いてくる。
それはまるで、風を切って何かがやってくる合図のように。
誰もが振り返ったその先、夕陽の光を背に――
鮮烈なメタリックレッドのボディが現れた。
RX-7。FD3S、タイプA。
かつて「走り屋の魂」とまで呼ばれた名機。その姿が、沈む太陽の赤と重なり、まるで炎を纏う幻獣のように見えた。
マシンは滑るように静かに停まり、ドアが開く。
そこから降り立ったのは――
佐藤「…………佐藤ジュンです。よろしくね……」
どこか影を落としたような、静かな声だった。
まっすぐな髪。無表情に近いが、瞳の奥に何かが燻っている。
それは――悲しみか、怒りか、あるいは……秘められた決意か。
彼の視線が周囲を一度だけぐるりと見渡した。
一瞬、伊藤とカナタの目が合う。
カナタ「……あいつ……どこかで……」
伊藤「いや、初めて見る……でも、何か変だな……あの目……」
花も、思わず彼を凝視していた。
RX-7というだけでも存在感はある。それ以上に――彼の雰囲気が、あまりに浮世離れしていた。
車と一体化するかのような佇まい。派手さもなく、謙虚さもない。ただ、そこに“いる”。
ジュンは視線を逸らし、前髪の下から一言だけ口にする。
佐藤「……こんな世界、少しでも変えられるなら……走ってみるのも、悪くないと思って」
それが、宣戦布告だったのかどうかは分からない。
だが、その言葉は一部の者に、確かに刺さっていた。
今――“もうひとつの主役”が、静かに現れた。
この松島の地に、新たな波紋が広がっていくのを、誰もが肌で感じていた。
伊藤が小さく息を呑み、思わず口を開く。
伊藤「佐藤ってまさか……」
だが、ジュンはその言葉を遮るように、そっと言った。
佐藤「私、一人っ子なんです……」
その声に続けて、カナタが花の隣から小さく囁く。
カナタ「どうやら、あの佐藤とは無関係みたい」
伊藤は眉をひそめ、しかしすぐに微笑みに戻った。
伊藤「……なるほどね。でも、RX-7とはまた面白い車だな」
ジュンの瞳がわずかに揺れる。
彼女が運んできた風は、確かに静かだが、何かを変える予感を乗せていた。
そして、その赤い戦闘機のようなロータリーサウンドが、まだどこか遠く、耳の奥でこだましているようだった。
花とカナタ、ジュンの紹介が終わり、和んだ空気が一瞬流れた。
しかしその直後――どこからともなく、ふわぁ〜っと白い風のようなものが吹いてきた。
その風の中から、ゆっくりと、そしてとてもおっとりと、1人の女性が現れた。
スラリとした体型に、白と金を基調としたレースクイーンのような服装。
けれどどこか、どんな空間にも馴染んでしまうような浮遊感を纏っている。
女性はうっとりした瞳で伊藤の方に顔を向け、にこりと微笑んだ。
ミルキークイーン「そうですわよね〜……?」
伊藤「ゲッ……!誰……!?」
伊藤が一歩退いた瞬間、背後から黒川が顔を出し、目を細めて言った。
黒川「確かアンタ……相馬戦でゲスト実況してたよな?」
ミルキークイーン「うふふふふ……その節はありがとございましたわ〜。皆様の走り、極上でした〜……」
花が目を丸くしながらも、すぐに思い出したように頷いた。
花「そっか……あの時の“レース中に湯上がりトークしてた人”か……」
ミルキークイーン「まぁ〜、覚えててくださって……とっても光栄ですわ〜……。でも本当は……こうして、現場の風を感じるのが好きですの……」
そう言って、ふわりと伊藤の耳元に顔を近づけた。
ミルキークイーン「……あなた、今日も走るのかしら〜?ではその前に、私のミルクトルネードでも浴びて行きますか〜……?」
伊藤「遠慮しときますッッ!!!!」
ミルキークイーン「まぁ〜……冷たい方ね……でも、そういう方こそ温めたくなりますわ〜……」
ミルキークイーンは、何も気にしていない様子で微笑みながら、花の方にも手を振る。
ミルキークイーン「花ちゃんも頑張ってくださいましね〜……あなたの走り、春風のように……私、大好きですの〜」
花「え……?あ、ありがと……でも……なんかこの人、ちょっと天然入ってる……?」
内藤「なんかこの人、私より不思議ちゃんかもー!!」
黒川「てか、この場のキャラ濃すぎだろ……!」
ミルキークイーンはふわりと両袖を揺らしながら、白磁のような微笑みを浮かべて一礼した。
ミルキークイーン「申し遅れましたわ〜……私は、ミルキークイーンですわ〜……。そこの駐車場にある、白いレクサスLC500で来ましたの〜……」
その一言に、一同が一瞬だけ沈黙する。
ミルキークイーン「この前は実況席から皆さまを拝見しておりましたけれど……今回は、私自身が走らせていただきますわ〜……」
花「…………は?」
あまりに想定外の展開に、花の思考が一瞬だけ停止した。
花「いやいやいや!!アンタ!実況でゆるふわしてた人じゃん!!なんでそんな人が参戦すんのよォォォ!!!」
ミルキークイーン「まあ〜……それはもちろん、
おほしさまが囁いたからですわ〜……」
内藤「なにそれファンタジー☆」
カナタがぽつりと呟いた。
カナタ「……まさか、相馬戦で実況してた彼女が参戦者として現れるとは……」
伊藤「レースってそんなもんだっけか……!?てかLC500って車重2トン超えてなかったか!?」
黒川「いや……あれヤバいぜ?静かに走ると思ってたら、意外と加速とトルクの塊なんだよ……」
芽衣がそっと花の肩を叩く。
芽衣「姉さん、今のうちにタイヤ空気圧調整しておいた方が……」
花「いやその前にメンタルがもたない!!!」
ミルキークイーンは、花の方へ軽やかに歩み寄ってくる。
ミルキークイーン「花ちゃん……あなたの走り、わたくし……ずっと見てましたの。今回、こうして走れること……とっても嬉しいんですの〜……」
花「う、うそだろ……まさかの推されてたパターン!?いや、でもうちは……うちであってうちじゃないような……!!」
ミルキークイーン「うふふふ……あなたの“春風”と、わたくしの“ミルクトルネード”……どちらが先に駆け抜けるか、楽しみですわ〜……」
伊藤「ミルクトルネードって技名なのかよ!?」
黒川「てかあれ……マジで勝ちにきてる顔だぞ……」
その時、駐車場の方で優雅なアイドリング音が響いた。
低く甘いサウンド。――あの5リッターV8エンジンの鼓動だった。
ミルキークイーン「……呼ばれましたわね……では、わたくし、少しだけ……予備走行に向かいますわ〜……」
そう言って、風のようにふわりと振り返りながら去っていく。
花は立ち尽くしながら、遠ざかる背中を見て唖然とした表情を浮かべた。
花「ミルキークイーンって……敵に回すとわけわかんねぇタイプの最強キャラじゃん……!!」
伊藤「もしかして……この松島編、もうカオスじゃね?」
カナタ「……その分、負けられないよな」
――そして、“春風のWRX”と“ミルクのLC500”の決戦が、音もなく幕を開けようとしていた。
予選開始を告げるアナウンスが流れるその直前――
波の音が遠くに聴こえる松島の駐車場に、低く唸るエキゾーストが響き渡った。
――ブモォオ……ン……ッッ……!!!
深く、猛々しい咆哮。
鮮やかなキャンディレッドのC8コルベットが、鋭く旋回しながら現れる。
その姿はまるで、獲物を前に舌なめずりする赤い猛獣。
カナタがその音に反応し、顔を上げた。
カナタ「……!」
そのC8のウインドウがゆっくりと下がる。
現れたのは、腕を組んだままこちらを見据える、鋭い眼光の男――佐藤大河だった。
佐藤「腹切カナタ……」
重たい声。だが、どこかに哀愁と覚悟を宿している。
佐藤「今回は……現地には行かない。だけどよ……ライブ中継でしっかり見てるからな」
カナタ「……佐藤……」
佐藤「予選、これからだってな?」
カナタは小さく頷く。
カナタ「ああ……いよいよだ」
佐藤「フッ……お前があの赤い86でどこまでやれるか……。見届けさせてもらうぜ」
エンジンが一際大きく唸る。
C8のフロントが陽光を反射し、まるで牙を剥いた獣のようだった。
内藤セリナが小さく目を見張る。
内藤「わあっ……!あのC8、すごくキレイな赤……」
伊藤は思わず肩をすくめながら呟いた。
伊藤「なぁ……アレってたしか……900馬力近い改造されてたって噂のヤツだろ?」
黒川「間違いねぇ……C8の中でも別格の個体だ。あの佐藤ってヤツ……何者だよ……」
ミルキークイーンは静かにその光景を見つめたまま、淡く笑う。
ミルキークイーン「赤い獣さん……わたくしのLC500と、どちらが先にゴールしますかしら〜……?」
C8のウィンドウが再び閉じられた瞬間、佐藤の声がもう一度だけ響いた。
佐藤「腹切カナタ――お前がどこまで登れるか……“今の俺”なら、全部見える。
見せてもらうぞ……あのとき俺が信じた、未来ってやつをな」
カナタ「佐藤……!」
エンジンが一段と唸りを増し、赤いC8は深いスロットル音を残して、会場を後にした。
残された空気は、まるで火が入ったかのように熱く、そして静かだった。
佐藤ジュンの控えめな声が、静まりかえった一同にぽつりと響いた。
佐藤「ボクね……弱いけど大丈夫? 初心者で……600馬力のFDだけど……」
その声には不安と、ほんの少しの決意が混ざっていた。
赤いメタリックレッドのRX-7 FD3Sは、彼女の背中で静かに輝きを放っている。軽やかなブローオフバルブの音が、まるで鼓動のようにリズムを刻んでいた。
伊藤「600馬力って……」
黒川「……十分化け物クラスじゃねえか。」
花「それで初心者ってどういうこと……」
芽衣は無言でそのFDを見つめる。マシンの表面には細かなカーボン加工、リアには大型のGTウイング。明らかに戦闘用に作られているのが一目で分かる。
だが、ジュン自身の姿はそれとは対照的だった。やや小柄な体に、校則ギリギリの赤茶けた髪。制服の上に羽織った薄手の赤いパーカーの袖を、ぎゅっと手首まで握っている。目は伏せられ、靴の先を見つめていた。
カナタ「……いや、いいんだ。速いかどうかより、一緒に走れることが大事なんだよ。」
伊藤「そうだな。オレも……壊されちまったけど、それでもカナタと走ってきたこと、後悔してない。」
佐藤「うん……ありがとう……」
彼女は少しだけ顔を上げる。その目には、不安よりもほんの少しの光が戻っていた。
古賀「大丈夫よ、ジュンちゃん。君ならやれる。私が太鼓判を押す。」
内藤セリナ「☆うんうんっ!見た目からしてかわいいもんねー!マシンもキレてるしっ!!」
黒川「いや見た目じゃねえだろ……」
ジュン「……がんばります。」
そう言って、小さく頭を下げた彼女の後ろで、赤いRX-7がまるでそれに応えるようにブーストバルブを鳴らした。
――新たな戦いが、静かにその胎動を始めていた。
ミルキークイーン「いや〜楽しみですわ〜……特に内藤ちゃんと走れるなんて〜うふふ〜……」
まるで花畑の中をゆっくりと歩くような声で、ミルキークイーンは頬に両手を当てて恍惚とした笑みを浮かべた。胸の前で指をふにふにと組み合わせながら、つま先を揃えて軽く内股になっている。
その姿は、これから激しいレースをする者のそれではない。けれど、傍らに鎮座する真っ白なレクサスLC500には、エアロやダクトがしっかりと組み込まれており、彼女の甘い声とは裏腹に本気の仕上がりを感じさせた。
ミルキークイーン「このエーペックスカップ……もしかしたら、また実況かと思ってましたのよ〜……でもこうして〜、直接バトルに出られるだなんて〜……夢のようですわ〜……」
その瞳はうっとりと潤んでいる。空を仰ぎ、スッと手を胸の前に添えて深呼吸した。
ミルキークイーン「内藤ちゃん……あの子のドライビング……わたくし大好きなんですのよ〜……ふわっとしてるようで〜、ズドーンって突き抜ける速さがあって……♡」
花「(ズドーン……?)」
横で聞いていた花が、絶妙に反応に困る顔で唇を引きつらせた。
ミルキークイーン「今回は……そうですわ〜……実況席からじゃないのですもの……。この手で、あのR8と走れるだなんて……ふふっ、嬉しすぎて……ちょっとキンキンに冷えそうですわ〜……♡」
ミルキークイーンは両手で自分の頬を軽く挟むように押さえ、ふにゅっと笑みをこぼした。
伊藤「……キンキンにって、どういう意味なんすかね?」
黒川「それ聞くとまためんどくせぇ流れになるからやめとけ……」
ミルキークイーン「うふふ〜……レースが始まったら、わたくし……内藤ちゃんのすぐ後ろに付いてみたいですわ〜……♡」
花「(それ、たぶん付けるかどうかの問題じゃ……)」
だが、その様子を遠くから見ていた内藤セリナは、満面の笑みで手を振り返していた。
内藤セリナ「ミルキークイーンさーんっ!☆一緒にあそぼーねー!!」
ミルキークイーン「はい〜♡もちろんですわ〜……おてやわらかに〜……♡」
柔らかな春風のようなやり取り。けれど、その奥底では静かに、2台のスポーツカーが牙を研ぎ始めていた。
そして、白いレクサスLC500のエンジンが、ふわりと目覚めるように低く唸りをあげた。
芽衣「私も今回から参戦です……」
静かに一歩前に出たのは、青く輝くポルシェ911カレラGTS。その存在感はまるで、凍てついた湖面に月の光が差し込んだかのような透明感を纏っていた。
山吹芽衣。その姿勢は落ち着いているが、どこか凛とした緊張感を漂わせている。サイドポニーテールが風に揺れる中、彼女は真っ直ぐにある人物へと視線を送った。
芽衣「ところで内藤さん……」
内藤「んっ?☆」
芽衣「さっきの“なにそれファンタジー☆”って……」
じっと見つめる芽衣。目は真剣そのものだった。
内藤セリナは一瞬、首をかしげた後、にぱっと無邪気な笑みを浮かべた。
内藤「えっへへ〜☆なんとなく言ってみただけだよ〜!」
芽衣「なるほど……それが内藤さんのファンタジーってことですね……」
内藤「うんっ☆つまり直感!!インスピレーション!!あと、ちょっとテンション高かっただけ!!」
芽衣は一拍置いてから、ふう……と小さくため息を漏らした。
芽衣「……理解不能です。でも、あなたがどういう人かは何となくわかりました」
内藤「うぇっ!?どんな風に!?悪い意味!?☆」
芽衣「いえ。……とても、ファンタジーな人だってことだけは」
内藤「わあ〜☆褒められてる?怒られてる?どっち〜!?」
芽衣「どっちもです」
伊藤「芽衣、初参加なのにめちゃくちゃ切れ味すげぇな……」
黒川「つーか、ポルシェとかマジで反則だろ……そのカラー見ただけで速そうなんだけど……」
花「でも、うちの芽衣だから!!すごいでしょ!!!」
内藤「ふっふ〜ん☆じゃあ、わたしとファンタジーバトルする?」
芽衣「バトルはリアリズムの中で成立します」
内藤「ぎゃふんっ☆!!」
花「なんとなくじゃねェよォォォ!!!!!予選前だっつーのォォォ!!!」
パーキングエリアの静寂を打ち破る怒号が響いた。
顔を真っ赤にして怒り心頭の山吹花が、両手を腰に当てて内藤セリナを睨みつけている。怒りの熱気で、鼻息すら白煙のように見えるほどだった。
花「おまえ!この直前に“なにそれファンタジー☆”とかフザけたこと言ってんじゃねえええ!!!」
内藤「え〜〜〜?☆だってさぁ、楽しく走った方がよくない〜〜?」
セリナは両手を後ろに組み、身体を左右に揺らしながら、まるで遠足の朝のような無邪気な笑顔を返してくる。
花「ちがぁあああああう!!楽しいとか以前の問題なんだよ!!うちら今、真剣勝負のレースやってんの!!!しかもアンタ!前戦でめちゃくちゃ速かったじゃねーか!!もっと緊張感もてよォォ!!」
セリナ「緊張感ってさぁ〜、お腹にいいことないんだよね〜☆」
花「うるせえええええ!!!腹が痛かろうがなんだろうが、スタート5分前に“ファンタジー☆”なんて叫んでる奴がどこにいんだよおおおお!!!!!!」
伊藤「……いるんだよな、ここに一人だけ……」
黒川「いや、むしろ尊敬するわ……」
ミルキークイーン「うふふ〜……内藤ちゃんってば、ほんとうに面白いですわ〜〜。こういう子、大好きですわ〜〜」
花「そっちまで褒めるなあああ!!!」
芽衣「……予選前に混乱を招く行動は慎むべきかと」
セリナ「ぎゃふんっ☆!でも、みんな怒ってるようで、けっこう楽しそうじゃん?」
花「楽しそうに見えたら奇跡だわ!!!!!うちは怒ってるの!!!ガチで!!!!」
ちとせ「……おじさんも、セリナちゃんのその緩さにちょっとホッとしてるけどね〜〜。フフ〜」
花「ちとせさんは黙っててええええええ!!!!!!!!」
花「ちとせいたの!?」
その瞬間、花は振り返った。そこにいたのは、あの――白いRZ34を駆る、謎多き女。
ちとせは、ゆるく手を振りながら、ピット横のガードレールにもたれかかっていた。
ゆらゆらと風に揺れるサラサラの髪、冷えた缶ココアを片手に、どこか眠たげな目つきで微笑む。
ちとせ「今回は観戦でね〜……もへ〜」
花「もへ〜じゃないよッ!!いつからいたの!?!?」
ちとせ「最初から。花ちゃんが『なんとなくじゃねぇ!』って叫んだあたりで目が覚めて〜……」
伊藤「どこで寝てたんだよ……」
黒川「おい、今コイツ缶ココア飲んでたぞ。観戦なのにキメてるな……」
ちとせ「んふふ〜……スタート前の空気、好きなんだよね〜。緊張してるみんなの香り、すっごく気持ちいい〜〜……」
花「変なこと言うなあああああああ!!!」
内藤「も〜花ちゃん怒ってばっか〜☆ちとせさん、ファンタジー感じてる感じ〜?」
ちとせ「セリナちゃんの『ファンタジー☆』、けっこう好きだよ〜……ほんとにファンタジーな匂いがした〜」
花「だから意味わかんねえっての!!!」
ちとせ「花ちゃんの香りは春風で、セリナちゃんは陽気な空気……伊藤くんはちょっと焦げた匂い」
伊藤「おいっ!焦げってなんだ焦げって!!」
ちとせ「ふふふ〜……みんなが走る前のこの混沌、ほんっとにいいよね〜。おじさん、この空気に溶けて消えそう〜〜」
花「消えんな!!ちとせえええええええええ!!!!」
ちとせ「じゃあ、おじさんは家で寝ようかな〜じゃ〜ね〜……えへへ〜♡」
ひらひらと手を振り、ちとせはゆっくりと後ろを向いた。
誰もが呆然と見送る中、彼女の姿はまるで春霞のようにふわりと遠ざかっていく。
花「ちょっと待てえええええええ!!!家で寝ようかな〜って今さら!?何しに来たんだよおお!!」
ちとせ「ん〜?空気、吸いに?」
伊藤「意味わからん!観戦って言ってただろ!?」
黒川「こいつマジで……自由人すぎる……」
芽衣(でも……ちとせさん、さっきから誰よりもみんなの動きを見てた気がします……)
ちとせは小さくあくびをして、ピットから離れていく。
その背中には、戦場に踏み込まずとも“この空気の中で確かに存在していた”という余韻だけが、深く残っていた。
カナタ(……たぶん、本当に帰るつもりじゃないな。あの人……いつだって、風みたいに現れて、風みたいに戻ってくる)
内藤「またすぐ戻ってくると思うけどね〜☆」
花「どっちだよッ!!!」




