松島編第3話 ペット
通算263話
海風が一瞬止んだ。
カナタはなにか胸の奥をくすぐるような、薄い振動のようなものを感じて振り返る。
カナタ「ん……?気のせい?今、外車いたような……?」
その声に応えるかのように、
コース脇の木漏れ日の影が“揺れた”。
いや——揺れたのではない。
輪郭を持った“何か”が、影の中からすり抜けてきた。
花「カナタ、どうしたの?」
カナタ「いや……今、ジュリアっぽいエンジン音が……ここ、外車ほとんどいないのに……」
伊藤「アルファロメオなんて参加してたっけ?」
美保「えっ……?」
そのとき——
視界の端を、**ストン……**と何かが降り立った。
まるで重さを持たない羽のように。
けれど、“確かに実体がある”着地の音。
透明に近い長い萌え袖。
光を通して薄い青と紫が揺れている、幻想の布のような袖。
髪はイヨとそっくりの白銀色。
瞳だけは深い影を湛えた、不思議なダークブルー。
少女がそこに立っていた。
その背後には、
松島の海に似合わないほど艶やかに輝く
**アルファロメオ・ジュリア(黒に近いメタリックパープル)**が佇んでいる。
少女「…………やっと見つけた」
花「ひっ……!?
ちょっ……なんで……いきなり……影から……!?!?」
少女はゆっくり、萌え袖を胸の前で重ねて微笑んだ。
その袖は触れられそうなのに透けて見える。
風を受けても、動かない。
なのに、確実にそこに“ある”。
少女「わたし、ネメシス……」
「イヨの……双子の妹」
「11歳。よろしくね……?」
カナタ「(まさか……本当に外車が……いや……それより……どうやって出てきた……?)」
伊藤「イヨの……双子……!?ってことは……イヨと同じ氷属性系か!?いや違う……空気が……冷たいんじゃなくて……軽い……?」
美保「この子……人じゃない……でも……人より“鮮明”……?」
ネメシスは萌え袖の端を指先でつまむような仕草をしながら、
ほんの少し首を傾げる。
ネメシス「わたし……おばけって呼ばれてるけど……」
「触れるし、抱きつけるし、車も運転できるよ……?」
花「なんでそんな自慢げなの!??」
ネメシス「だって……見える人と、触れる人……すごく少ないから……」
「でも、カナタくんは……見えてるんだね……?」
カナタ「お、おう……見えてる……というか……“聞こえてる”……?」
ネメシスは小さく笑う。
ネメシス「よかったぁ……」
「じゃあ、カナタくん……」
「わたしと一緒に走ってみない?」
萌え袖が、海風にふれたようにゆら――
揺れない。
その不気味さと可愛さが同居した、唯一無二の存在感。
花「ちょっと待って!?何その急な勧誘!?てかお化けなのにハンドル握んの!?ズルじゃんか!!」
ネメシス「お化けじゃないよ……“実体のあるおばけ”だよ?」
伊藤「どっちにしろおばけだろ!!!!」
背後のジュリアが、
低く、
柔らかく、
まるで呼吸するような音でアイドリングを続けていた。
ネメシスはそのボンネットにそっと手を置いた。
ネメシス「この車……海の影、拾うの上手なんだよ……」
「松島のレース……わたしも出るから……」
「楽しみにしててね、カナタくん……?」
カナタ(……もうわけわからねぇ……)
芽衣(カナタくん安心して、うちも.....)
ネメシスが微笑んだまま佇んでいると、
その前に、誰よりも先に歩み寄ったのは——
花だった。
花「あ!ネメシス!?久しぶり!」
カナタ「えっ!?知り合い!?」
伊藤「花お前……おばけ友達いんの!?!?」
ネメシスは、微笑みを少しだけ深くした。
その透明な袖がそっと揺れたように——見えた気がした。
ネメシス「……うん。ひさしぶりだね、花ちゃん」
花「小学校のときさ〜、夏休みの自由研究で“海辺の不思議”ってテーマやったじゃん?」
「そのときに、松川浦で写真に写ってたのがネメシスだったんだよね〜」
「でさ、よく見たら“顔知ってる”みたいな感覚で、夢にも出てきたし……」
カナタ「いやいやいや待て待て!!それ完全にホラーじゃねえか!!!」
花「でも、夢の中でぎゅーってしてくれたし、耳ふーもしてくれたし、落ち着いたからいいの」
伊藤「何されてんの!?お前はその時点で逃げろよ!!!」
ネメシス「ふふ……花ちゃんは昔から“ちょっとだけ”わたしが見えてたの」
「けど、今回はちゃんと、存在できるようになったんだよ」
「だって……この松島が、“私の記憶”だから……」
花「そうそう、松島ってさ……ネメシスにとって大事な場所だったんだよね……」
「“妹のイヨと離れた”きっかけになった場所……」
カナタ「えっ!?イヨと……離れてたのか……!?」
ネメシス「うん……
あのとき、イヨちゃんだけ“ちゃんと人間として”残された。
わたしは……“気配”になって、海に沈んでいったの……」
一瞬、海風が止まった。
ジュリアのボンネットに当たる陽光すら、どこか寒々しく感じられる。
セリナ「うわぁ……そういうの泣いちゃうんだよな〜〜……」
「ぎゅってしよ?ぎゅって!!」
ネメシス「……ありがとう、セリナちゃん」
伊藤「え?この二人も知り合い!?」
花「うん、セリナってこう見えて“霊感ある”からネメシスも普通に見えてるんだよね〜」
伊藤「ここヤバいやつしかいねぇ……!!」
突如、鋭いV12サウンドが地を裂いた。
「ガウゥゥアアアアアアァァァ!!!!」
空気を切り裂くような爆音とともに、
鋭角的な黒と銀のボディ、極限まで削ぎ落とされたデザインが松島の会場へ滑り込んでくる。
観客「……えっ!?あれ……ヴェ……ヴェネーノ……!?」
「うそ……!?あんなの公道走ってていいの!?!?」
伊藤「ん?あれは……ヴェネーノ!?」
「なんでこんなとこにっ!?」
カナタ「……霧山くん……!!」
花「……誰……???」
セリナ「しらな〜い♪」
美保「私も……初めて見た顔……」
伊藤「いや、ちょっと待てよ……霧山って……
クラスメイトのか!?」
カナタ「ああ……うちのデビュー戦。
あの“86のワンメイク・オープンカップ”で……一緒に競ったんだ。
あのときのラストラップ、忘れたことない……」
ドアが静かに開く。
中から現れたのは、爽やかで清潔感のある長身の少年。
やや影のある目元に、凛とした声。
霧山「やあ!カナタくん……!伊藤くん……!
そして……**高村くんも……!**久しぶりだね!」
高村「……お、おう、マジで来てたのかよ……!
てかヴェネーノて!!」
黒川「……なんだよこいつ……」
「空気が爽やかすぎて酔うんだけど……」
伊藤「ちょっと待って!
なんでクラスメイトがランボルギーニの頂点みたいなの乗ってんの!?!?」
霧山「うち、親が昔ちょっとFIAで走ってて……車関係には強くてね」
「でも、今回はちゃんと“自主参加”。みんなと同じ土俵だよ」
「クラスメイトで、ドリームなレースしようよ、カナタくん!」
カナタ「……ああ。やっと来たな、霧山……!」
花「ま、待って、ちょっと整理させて!?
おばけ少女にバブバブ黒川にフミッパセリナに、今度はクラスメイトのヴェネーノって何この地獄の布陣!?」
黒川「てか……俺のエボが霞んで見えるんだが?」
セリナ「だいじょーぶ!黒川くんはいつも心が濃いから☆」
黒川「うるせぇ!!」
霧山は、ヴェネーノのボンネットに手を乗せたまま、穏やかに微笑んでいた。
霧山「ボクの……エーペックスカップでの目的はね……」
その声は、やけに静かだった。
まるで水面に石を落とす前の沈黙。
霧山「みんな潰して……ペットにすることなんだよ……」
「……………………」
花「…………はああああああああああ!?!?!?!?」
伊藤「えっ!?!?!?お前今なんて言った!?」
セリナ「ペットってなに!?どゆこと!?☆」
美保「こ、怖い……!!」
黒川「こいつ本物のヤバいやつだああああ!!!!」
カナタ「…………お前……やっぱ昔からちょっとおかしかったけど、そういうタイプだったのか……」
霧山は涼しい顔で続ける。
霧山「だって……自分より速い人がいると、気持ち悪くなっちゃうんだ」
「だから……ちゃんと“潰してから”飼いならして、“隣に置いて”あげる」
「そうすれば、怖くなくなるでしょ?」
伊藤「いやいやいやいやいや!!!!
怖いのはお前だろ!!!!!」
霧山「花ちゃん、すごく走り方綺麗だよね。
でもその走りも……ボクの足元で従順に鳴いてた方がもっと可愛いと思うな」
花「殺すぞ」
霧山「セリナちゃんもね、そういうムチャなドライビング……すごく魅力的だと思う」
「だから、飼ってあげるね?」
セリナ「こわいこわいこわい☆今までで一番怖い!!」
美保「完全に……支配型の異常者……!」
黒川「バブーの領域超えてきたな……こいつはやべぇぞ……!!」
霧山「そして……カナタくん。
君のことは、もうとっくに“飼い慣らすリスト”に入ってるんだよ?」
「ボクのヴェネーノの“ステップ”に、君の86のタイヤ跡を並べてあげる」
相川「やめろおおおお!!!!なんか表現がぞわぞわするんだよおおおお!!!!」
霧山はふと、何かに気づいたように花へと視線を移した。
ヴェネーノの鋭いヘッドライトの前で、青いWRXに手をかけている少女。
カナタや伊藤、セリナとふざけ合いながらも、
どこか“真っ直ぐ”な炎を背中に背負っているような気配を持つ存在。
霧山「……にしても」
「そこのピンクの女の子、好きだね〜……」
「なんかさ……春の香りがするんだよね。桜っていうより……もうちょっと暖かくて、でも甘すぎなくて……」
「……ねえ、それって香水?」
突然の言葉に、伊藤とカナタが同時に振り返る。
花はひと呼吸置いて、あくまで自然に返す。
花「……生まれつき。」
その返しは、まるで春一番の風のように軽やかで、
同時に**“近寄るな”という鋭さ**を含んでいた。
霧山「……へぇ〜……それは、すごくいいね……」
「生まれつき、春の香りがする女の子……それって、もう才能だよね……」
伊藤「やめとけよ霧山。あんまり花に触れると……火傷するぞ?」
霧山「……ああ、わかってるよ……」
「でも、ああいう**“生きたまま咲いてる花”**は……ボク、ずっと前から……」
カナタ「——いい加減にしとけ、霧山」
霧山の言葉を遮るように、カナタの声が入る。
静かだけど、怒りの熱がこもっていた。
黒川「おいおい……また空気がきな臭くなってきたなァ……バブバブバトル勃発かァ……?」
花「言ってる場合!!??」
セリナ「花ちゃんはね〜、春そのものって感じだから〜!
香水とかじゃないんだよ〜〜、魂から出てるんだよ〜〜♡」
美保「なんか……やっぱこのレース、全員やばいんじゃ……?」
霧山の表情から、さっきまでの紳士的な笑みがすっと消えた。
ヴェネーノの艶やかな黒が、彼の影をさらに濃く染める。
霧山「……花ちゃん、その……可愛い獣耳……」
花「っ……?」
霧山は、まるで机の上の飾りを取るような軽さで、
恐ろしい言葉を続けた。
霧山「今すぐ切っちゃって……部屋に飾りたいんだよね……」
花「……ッッ!!!!」
周囲の空気が、一瞬で凍りついた。
黒川「は……?こいつ……」
セリナ「ひ、ひどいっ!!」
美保「最低……っ!!」
ネメシス「花ちゃん、、、、、!」
芽衣「お...お姉ちゃんッ!!!!!!」
ネメシスでさえ、透明な萌え袖を握りしめた。
次の瞬間——
パシィィィン!!
乾いた破裂音。
霧山の手首を、鋭く叩き落とす音だった。
花「っ……!」
その手を払ったのは——
伊藤だった。
伊藤の目は、いつもの優しさも軽口もなかった。
ただ、“これ以上許さない”と静かに燃えていた。
伊藤「……そこまでだ、霧山トオル」
霧山「……伊藤くん?」
伊藤は一歩前へ踏み出す。
花を背中に隠し、霧山と真正面から睨み合う。
伊藤「レース前に暴れたいなら……まずは俺をやれよ。」
「花に触りたいなんて言葉……二度と吐くな」
「次言ったら……本気でぶっ潰す」
霧山「……へぇ……」
「伊藤くん、君ってそんな“噛みつくタイプ”だったんだ」
「かっこいいね……でも、それも“飼いならしたら”もっと良くなると思うよ?」
伊藤「黙れ」
伊藤の声は低かった。
しかし周囲の誰よりも雄々しく、重く響いていた。
カナタは拳を握る。
カナタ(……伊藤……ありがとう……)
花は伊藤の背中を見つめ、
ほんの少し震えていた指先を胸に押し当てた。
花「……伊藤……」
黒川「おい……あんま調子のんなよ霧山ァ……!
カナタと花に手ェ出すなら、俺もぶっ潰すからなァ!!!」
セリナ「そうだよ!!花ちゃんは触っていいの私だけだからッ!!」
美保「なんでそこで張り合ってんの……?」
霧山はわずかに笑った。
霧山「……楽しくなってきたね」
「エーペックスカップ……全員ボクのペットになるまで終わらないよ?」
伊藤「……上等だ」
霧山トオルとそのヴェネーノは、
まるで“用は済んだ”とでも言うように、静かにエンジンを吹かし、松島の特設パドックから去っていった。
あの禍々しくも美しいボディが完全に見えなくなったあとも、
人々の耳にはしばらく、あの獣の咆哮のようなV12サウンドが残響のように残っていた。
誰もが言葉を失っていた。
その沈黙を破ったのは——
白のR35 NISMOの横に佇む男、相川律だった。
相川「……アイツ……!」
拳を握りしめ、ギリッと歯を噛み締める。
いつもの冷静沈着な彼には似つかわしくないほど、
その声には確かな怒りがにじんでいた。
相川「人間をペットにするだなんて……ふざけるな……!!」
近くにいた、黒のZ4の陰に身を置いていた山吹芽衣が、
眉一つ動かさずに静かに呟いた。
芽衣「最低です。」
その声は低かったが、明確な拒絶を含んでいた。
芽衣「どれだけ速くても……あれはレーサーじゃありません」
「相手を踏みにじって従わせようとする者に、ハンドルを握る資格なんてない」
セリナ「ねー!?なんかもうほんっとに気持ち悪かった〜〜〜!!!」
「花ちゃんをペットって、ありえないよね!?」
美保「ていうか、あれって本気だったのかな……?演技じゃなかったよね……?」
伊藤はまだ無言だった。
彼の瞳は、霧山の背中をいまだに睨みつけるように鋭く光っていた。
カナタは小さく息を吐き、花の横に並んで立った。
カナタ「でも……ああいう奴がいるってわかっただけ、よかったのかもな」
「次に来たとき……絶対、負けられねぇ相手だ」
花「……うちも、負けない。あんなヤツに“春の匂い”なんて言われたくないから」
カナタ「なぁ花……今、実はちょっと泣きそうだったろ?」
花「泣いてねェ!!!!!!!!!!!」




