第116話 トランスミッション
伊藤の両手がステアリングを握り締める。
黄色いスイスポのコクピットに、緊張と熱気が混ざり合う。
「……後方からのスタートだが……」
視線の先。
先頭を突っ走るのは赤い閃光――腹切カナタの86。
そのすぐ後ろ、テールを左右に揺らしながら獲物を狙う狼のように迫るのは、青い電撃を纏った山吹花のWRX。
伊藤は口角を引き上げ、挑発するように笑った。
「先頭がカナタの86で、その次……オレの前が山吹花のWRXか……」
タコメーターの針が跳ね上がり、エンジンの咆哮が夜空に突き抜ける。
伊藤「――FF舐めるなよッ!!!」
叫んだ瞬間、クラッチを蹴り抜く。
フロント駆動の強烈なトラクションが路面を掴み、黄色い弾丸が一気に加速する。
小排気量ゆえに直線では苦しい。
だが――ヘアピン、切り返し、ブレーキング。
テクニックで勝負できる領域が必ずある。
伊藤の瞳は、すでに先を見据えていた。
(どれだけ馬力があろうが、重さと旋回性能の壁はある……ッ!
オレが勝負するのはそこだッ!!)
スイスポが夜の闇を切り裂く。
小さなボディから吐き出されるエグゾーストが、まるで闘志そのもののように炸裂していた。
黄色い弾丸――伊藤のスイスポが、切り返しから立ち上がりで一気に噛みつこうとした。
軽量FF特有の鋭い加速。
トラクションを前輪に集中させ、わずかな隙を狙って花のWRXのインへと車体をねじ込む。
「もらったッ!!」
伊藤の瞳が燃える。
FFの軽さなら、ターボ四駆を抑え込める――そう確信した瞬間。
だが――。
バシュウウウッ!!!
青い閃光が爆ぜた。
山吹花のWRXが、まるで獣が前脚で道を塞ぐかのようにアウトから大きくスライドし、スイスポの進路を完全にブロックする!
「舐めないでよね……ッ!!」
花の声が、青い稲妻のように夜空を裂いた。
「私のVABは――まだまだよッ!!!」
四輪駆動の牙がアスファルトに食い込み、タービンが唸り声を上げる。
後輪から撒き散らされる火花が、スイスポのフロントガラスを青白く照らした。
伊藤「くっ……!」
アクセルを抜くしかない。
無理に突っ込めば、壁に叩きつけられるのは自分だ。
花の瞳がバックミラー越しに煌めく。
「そう易々と……スイスポに抜かれても、この子が困るわッ!!!」
彼女はダッシュボードにそっと手を置いた。
「――この子が泣く姿を、私は見たくないのよォッ!!!」
まるでWRXそのものに語りかけるように。
青いボディが共鳴するかのように震え、再び火花が散った。
「ギャアアアアアンッ!!!!」
WRXの雄叫びが闇を貫く。
伊藤のスイスポは一瞬怯み、再び花の背後に押し戻される。
紅の86、青いWRX、黄色のスイスポ。
三台の火花散る攻防が、夜の峠を照らし続けていた。
先頭に86…そしてオレの前にWRXか。
そういえば...カナタってトランスミッションなんなんだろう?AT?それともMT?
…VAB型は確かMTしかなかったっけな。
直線も加速が速い。
…だけどRみたいにコーナーで食いつかないこともない......。なんなんだ?それを後方から見物してる嫌な違和感は.......!?
頭の中が今にでもブレインフォグになりそうだ......ッ!
その少し離れた前方からは山吹花が腹切カナタのTRDマフラー搭載の86を自分の頭の中に秘めたターゲットスコープに捉えてきた。
紅いカナタの86からはアップダウンの激しい峠道によってガタン!ガタン!とサスペンションが弾み、ボディが揺れていた。
伊藤はギアを握りながら、ふと頭の奥で問いかけた。
(先頭にいるのは……腹切カナタの86。そしてその前に立ちふさがるのは花のWRX……)
夜風を切る轟音の中で、彼の意識は自然と“トランスミッション”に向いていた。
(そういえば……カナタの86って、トランスミッションは何なんだろう。ATか? それともMTか……?
いや、あいつの性格なら……迷わずMTを選んでいる気がする)
アクセルを開けるたび、赤い戦闘機のリズムはまるで呼吸を合わせるように鋭く切り替わる。
シフトノブを握りしめる姿が脳裏に浮かび、伊藤は喉を鳴らした。
(MT……やっぱり、戦闘機のパイロットみたいに自分で操り、魂を刻むのはこっちなんだろうな)
そして前を行く青いWRX。
ターボが甲高く叫び、四輪駆動の牙が路面を掴む。
(VAB型……確かMTしか存在しなかったはずだ。
トルクの盛り上がりがエグい……直線での加速がとにかく速い。
けど……コーナーの入り口でRみたいに食いつくことはない……その違和感がずっと気になってるんだ)
インプ独特の加速が光のように走る。
だが、その影を見ていると、どこか“嫌な遠さ”がある。
(あの圧倒的なトルク……なのに、なぜか追いつけそうで追いつけない……これが四駆の魔力か?)
伊藤はギアを落とし、スイスポのエンジンをさらに唸らせた。
「クソッ……! オレのFFを舐めるなよッ!!」
小排気量の直4ターボ。
だが軽量なボディと、短いストロークのギア比で、出力以上の鋭さを叩き出す。
「トルクは細い……だけど! ラインさえ取れば勝てる!!」
紅、青、黄――三色の閃光が並び立つ。
カナタ「……ギアを落とすのが遅いと……、
次のコーナーで命取りだぞッ!!」
伊藤「ッハ……言われなくてもわかってるよカナタァァッ!!!」
花「ふたりとも……舐めないで。私と、この子は……どこまでも走れるのッ!!」
それぞれのマシンが、まるでドライバーの魂そのもののように吠えた。
『ガタンッ!!ギュオオオオオオッ!!』
『ギャアアアアアンッ!!』
『グォォォォッ!!!』
伊藤の思考は加速しながら深く潜っていく。
(トランスミッションって……結局なんなんだろうな。
ただのギアとクラッチの組み合わせ?
それとも……自分の魂と繋がるための装置……?)
シフトノブを握る指先に、確かに熱が宿る。
伊藤は心の奥で強く確かめるように呟いた。
(オレは……この感覚を信じる。
FFだろうが関係ない。
自分の心で、このスイスポを速くするんだ……!)
『ぎゅむッ......クンッ!!!!!』
『カン!!キュルル!!』
『グゴッ!ゴトッ!!!』
轟音が夜の峠を切り裂く。
伊藤のスイスポは、花のWRX STIの真後ろに食らいついていた。
軽量FFの特性を活かし、イン側に鼻先を突っ込もうとする。
「ギイイイイインッ!!!」
タイヤが悲鳴を上げ、フロントが路面を掻き毟る。
それでも花のWRXは一歩も退かない。
タービンが炸裂し、青い閃光のように加速する。
(くそッ……ッ!これが四駆のトルクかよ……!)
伊藤は歯を食いしばった。
WRXは、吠え猛る獣のように突進し、まるで森を支配する狼の王だ。
だがそのさらに先を走る赤い閃光――紅の戦闘機。
腹切カナタの86が、闇を切り裂くように走っていた。
アップダウンの激しい峠で、サスペンションがギシリと鳴るたびにボディが揺れる。
それでも86は揺るがない。
まるでドライバー自身が車体の一部になったかのように。
伊藤の目が、無意識にそこへ吸い寄せられた。
「……あの86だけは……違う」
アクセルを踏めば前に進む――そんな当たり前を超えていた。
ドライバーが曲がれば車も曲がり、ギアを刻めば魂が震える。
あの86は……トランスミッションそのものが命を持っていた。
伊藤「スゲェよ……お前……。オレがあげたはずの86なのに……ッ」
ハンドルを握る手に力がこもる。
脳裏に、過去の記憶が蘇る。
――かつて、自分が手放した86。
思い通りに動かせなかった。
ギアを合わせる感覚も掴めず、アクセルとクラッチのバランスに悩まされてばかりの日々。
「速くなりたいのに……!」
そう叫びながら、空回りする毎日だった。
それでも、速さを求めていた。
ただそれだけなのに。
結局、86を乗りこなせないまま諦めた。
今、目の前を走る紅の戦闘機は違った。
カナタの手の中で、86は完全に蘇り、獣のように牙を剥いていた。
伊藤「……なぁ、なんでだよ……ッ!
なんでお前が……!!」
「フザケンナッ!マテェッ!」
WRXのテールランプが目の前で閃き、スイスポの視界を塞ぐ。
だが伊藤の心は、さらに前を走る赤い光に釘付けになっていた。
胸の奥が軋む。
あの時、86を諦めてしまった悔しさがじわじわと蘇る。
「……ごめんなァ……86……」
その呟きは、エンジン音にかき消されて夜に消えた。だが確かに――伊藤の心の奥底から漏れ出した、素直な声だった。
スイスポのエンジンが再び咆哮を上げる。
伊藤は前を睨みつける。
(オレは……まだ終わっちゃいないッ!
今度こそ――)
紅、青、黄――三つの色が、再び夜の峠を切り裂いた。
そう思った瞬間に目の前に高速コーナー。すぐに焦らず少し意識が遠のくも伊藤は、シフトレバーを『クイッ!』と切り替える。
紅、青、黄――三つの閃光が、夜の峠を再び切り裂く。
闇を走る光は、流星群のように尾を引きながら、次のステージへと吸い込まれていった。
前方に迫るのは、急勾配を伴った高速コーナー。
アスファルトは月光を反射し、白銀の帯のように輝いている。
森の影が道を覆い、視界はわずか数十メートル先しか見えない。
伊藤は呼吸を整える。
「焦るな……焦るなッ……!」
心臓が耳の奥で鳴り響く。
その鼓動と同調するように、シフトレバーを
『クンッ!』と切り替えた。
ガコンッッ!!!
ギュワァァァァァァァァァ!!!!
黄色いスイスポが牙を剥き、FF特有の鋭い切り返しで鼻先をインへと突っ込ませる。
小さなエンジンが悲鳴を上げながらも、軽さという唯一無二の武器を解き放つ。
その横を、青いWRXが唸りを上げて追い立てる。
「ゴオオオオオオッ!!!」
タービンの咆哮は、まるで獣の遠吠え。
四輪駆動の牙が路面を深く抉り、伊藤の視界を奪うかのように外からかぶせてくる。
花「まだよッ……!
この子は、まだ諦めてないのッ!!!」
「今日こそケリつけるわよ....。
伊藤翔太...そして、、、腹切カナタァ......!!!」
ステアリングを握る花の瞳が閃く。
ボディを震わせる青い電撃は、まるで「私を裏切るな」と叫んでいるかのようだった。
そして――紅の閃光。
カナタの86が、夜風を裂いて先頭を駆ける。
ドゴオオオオオオオンッッッ!!!!
アップダウンに翻弄されながらも、FRならではの鋭さで滑らかにコーナーを切り裂く。
カナタはハンドルを握りしめ、微笑んだ。
「……俺は信じる」
胸の奥から熱が湧き上がる。
「コイツが相棒だから――」
再びギアを叩き込む。
アクセルを踏み抜いた瞬間、86のボディが咆哮を上げた。
「俺とコイツの走りたい気持ちをなッ!!!!!」
星空の下、三台の轟音とグリップ音が合わさり、夜の峠を震わせる。
それはまるで小さな妖精たちが狂ったように舞い踊る合唱。
闇夜を切り裂く交響曲は、観客などいないこの峠だけに響いていた。
コーナーの頂点が迫る。
インを狙うスイスポ、外から押さえ込むWRX、そして先頭で抜け道を切り拓く86。
三台のラインが交錯する――まさに一瞬の駆け引きが勝敗を左右する局面だった。
タイヤが悲鳴を上げる。
「ギャアアアアアアッッ!!!!!」
火花が散る。
ステアリングを握る三人の瞳に、同じ光が宿っていた――「絶対に負けない」という、ただそれだけの純粋な光。
星々が瞬く深夜の峠。
静寂を切り裂く三台の轟音が、谷間に木霊する。
紅、青、黄――三色の閃光が絡み合い、火花を散らす。
だが今、焦点は二台に絞られていた。
先頭を走る腹切カナタの赤い86と、その背後で牙を剥く山吹花の青いWRX。
「ギャアアアアアアアンッッ!!!」
タービンの咆哮が夜を裂いた。
WRXがトルクの塊を解き放ち、まるで獣が飛びかかるように86のテールへ襲い掛かる。
花の青い瞳がギラつく。
花「……させないッ!!!」
ステアリングを切る手に力が籠もる。
青いボディが稲妻を纏ったかのように閃光を放ち、アウトから大きく弧を描いて迫り上がる。
重量級のボディは本来ならばラインを乱すはず。
だが四輪駆動の牙がしっかりと路面を噛み、花の意志を裏切らない。
対するカナタは、冷たい光を帯びた瞳でバックミラーを睨みつける。
すぐそこに迫るWRXの青白い閃光。
空気が張り裂けるほどの圧力を背中に感じながらも、唇に笑みを刻んだ。
カナタ「――いかせてたまるか……!」
クラッチを蹴り、シフトを叩き込む。
「ガコンッ!!!」
赤い戦闘機が再び咆哮する。
FR特有の切れ味――軽快にリアを振り出し、コーナーを滑るように駆け抜ける。
路面を掴む四輪駆動の猛攻に対し、86はしなやかな身のこなしで対抗した。
それはまるで重戦車と戦闘機。
真逆の特性を持つ二台が、同じコーナーを命を削るように奪い合っていた。
「ギュオオオオオオオッッ!!!」
WRXが加速を強める。
花の頭の中に、ひとつの想いが渦巻いていた。
花(この子を……泣かせるわけにはいかないッ!!)
ダッシュボードにそっと指先を置く。
彼女にとってWRXはただのマシンではない。
共に走り、共に泣き、共に笑う――まるで分身のような存在。
花「スイスポに抜かれる? そんなの認めない……! この子が……私のWRXが、そんな姿見せて泣くなんて……絶対にッ!!!」
青い閃光がさらに強さを増す。
まるで怒りを露わにした狼が、咆哮と共に飛び掛かるように。
だが、紅の戦闘機は譲らなかった。
カナタの手に握られたステアリングは、わずかな揺らぎもない。
カナタ(たとえ相手が誰でも……こいつだけは、前に出すわけにはいかねぇ!!)
彼にとって86は「相棒」であり「戦友」であり、そして「証」だった。
どんな強敵にも怯まず、この一台となら戦える。
その誇りを、簡単に明け渡すつもりはない。
カナタ「かかってこいよ、花……! だが、俺を抜けると思うなッ!!!」
ギアを落とす。
回転数を一気に引き上げ、FRの鋭さを極限まで引き出す。
「ドギャアアアアアアンッ!!!」
マフラーから火花が散り、赤い閃光が夜を切り裂く。
二台が同時にコーナーへ飛び込む。
インを死守する86、外から弧を描くWRX。
スリップストリームの風圧がぶつかり合い、車体が揺さぶられる。
伊藤「うおおおおッッ!!!」
後方でスイスポを操る伊藤が思わず声を上げた。
目の前で繰り広げられるのは、化け物同士のぶつかり合い。
小排気量FFでは、ただ見守ることしかできない。
だが――その光景は伊藤の胸を焦がし、魂を震わせるには十分だった。
花「退けッ、カナタ……!!!」
カナタ「黙れッ……! この86と俺は――絶対に譲らねぇッ!!!」
タイヤが悲鳴を上げ、火花が散る。
アスファルトの上で二台がぶつかり合うかのように、ギリギリのラインを刻む。
インか、アウトか――。
どちらが先に折れるかで、勝敗が決まる。
「ギャアアアアアアアンッッ!!!」
コーナー出口。
WRXがそのトルクを活かして加速を仕掛ける。
だが86もまた、FR特有の鋭い立ち上がりで並走を許さない。
二台は完全に横並びになった。
紅と青の閃光が、夜の峠を二分する。
カナタ「来いよッ、花ァァァァ!!!!」
花「抜くッ……絶対に抜いてみせるッ!!!!」
魂と魂がぶつかり合う咆哮。
夜空に響く轟音は、もはやマシンのものではなかった。
それは――ドライバーたち自身の叫びだった。
伊藤(クソッ……すげぇ……!!)
後方で息を呑む伊藤。
黄色いスイスポの中で、ただ二台の戦いに震える。
(あの二人……いや、あの二台……完全に魂が重なってる……!)
その瞬間、彼は理解した。
86もWRXも、ただの鉄の塊ではない。
ドライバーの想いが、魂が、確かに息づいている。
紅と青が、峠の闇を照らしながら駆け抜けていく。互いに一歩も譲らぬ攻防は、次のコーナー、次の直線へと持ち越される。
決着は――まだ、ついていない。
次回第117話高速コーナー続き
......この話から制作者AOIが加わる.....!!!!
9月13日「土」公開再開。