第115話 夜の峠の3人バトル!!
山奥の冷たい空気が、わずかに肌を刺す。
遠くから聞こえる虫の声。国道を走る車などほとんどなく、エンジンの熱だけがその場を満たしていた。
腹切カナタ、伊藤翔太――二人は花の告白を聞き、息を呑んで黙り込んでいた。
彼女の言葉が、あまりにも重く、現実離れしていて、それでいて妙に説得力があったからだ。
花「……ということなの」
静かな声が、闇の中で淡く響く。
花の長いまつ毛がわずかに震え、ピンクの髪を夜風が撫でる。
その瞳は、遠いものを見つめていた。
花「私は……次元を通してこの世界に来た。あのコンビニを……ヤマブキモーターズを、芽衣と……それから仲間と一緒に建てて、バイトをしていたの」
言葉の途中で、彼女は一度唇を噛む。
その姿は、強がりではなく、必死に過去を語ろうとする少女のものだった。
伊藤は、無意識にスイスポのステアリングを見やった。
彼の胸に蘇るのは、あの「出会い」の瞬間。
ヤマブキモーターズのレジで、花に「あなたにはこれが合う」と言われ、車を手にしたあの日。
伊藤(……やっぱり普通じゃねぇんだよ、花は。俺の背中を押したあの一言……あれはただの直感じゃなかったんだ)
「なるほどな……」伊藤は深く息を吐いた。
「だからオレも、この落とし前をつけるためなのかもしれない。そうじゃないかもしれない……でも、山奥に呼ばれちまった理由がある気がする」
彼の声は震えていたが、目は揺らいでいなかった。
カナタは目を閉じ、短く笑う。
「なら……こっちも手加減はしたくないね」
彼の声は落ち着いていて、それでいて炎を孕んでいた。
「君のために……そして、俺のために走るわけだからさ」
その言葉に花は驚いたように目を見開く。
彼女の心を見透かすように、カナタは続けた。
「俺も伊藤も……理由は違う。でもな、走るってのはそういうことだ。お前が背負ってる過去がどうであれ、今ここで走ってるのは“お前自身”なんだよ」
沈黙が落ちる。
風が枝葉を揺らし、遠くで鳥が羽ばたく音がした。
花は小さく微笑んだ。
「……変わってるね、二人とも」
「普通は信じないよ。私が別の世界から来たなんて……。でも、二人は……ただ“そうなんだな”って受け止める」
伊藤は肩をすくめる。
「オレだって、普通に考えたら信じられねぇよ。けど……花が今ここにいる。それが事実だろ? だったら十分だ」
カナタも頷く。
「そうだ。お前がどういう存在であれ……仲間であることに変わりはない」
その言葉に、花の胸の奥で何かがほどけた。
頬に触れる夜風が、ほんの少し暖かく感じられる。
花「……ありがとう」
呟きは小さく、けれど確かに二人に届いた。
それは彼女にとって、心の奥底からの言葉だった。
夜空に雲が流れ、月が顔を出す。
三人の車体が淡い光に照らされ、静かに佇んでいた。
86の赤、スイスポの黄、そしてWRXの蒼。
それぞれの色が、夜に溶け合うように並んでいた。
花「私……この世界に来て、ずっと迷ってた。ここにいる意味は何なのか……。でも、今なら少し分かる気がする」
伊藤「答えなんて、走りながら見つけりゃいいんだよ」
カナタ「そうだ。走ってる限り、俺たちは止まらない」
三人の視線が重なった。
その瞬間、ヤマブキモーターズで生まれた奇妙な縁は、本物の絆へと変わり始めていた。
風が強く吹き、草の匂いが漂う。
どこまでも続く闇夜の峠道が、彼らを待ち構えていた。
花は最後に、二人を見渡し、静かに頷いた。
「……じゃあ、行こうか」
その瞳は、もう迷っていなかった。
桜色の髪が夜に揺れ、彼女の背後に見え隠れする獣神の影が、一瞬だけ月明かりに浮かび上がった。
夜の山奥。
街灯すらまばらな峠道に、三台のマシンが並んでいた。
濃紺の空には星が瞬き、深夜特有の冷たい空気が肺を突き刺す。
花のWRXが、静かにその存在感を放っていた。
蒼いボディに月明かりが反射し、EJ20の鼓動が重低音を響かせる。
花は車の前に立ち、長いピンク髪を風に揺らして宣言した。
花「改めて……この深夜の山に集めたのは他でもないわ。――私のWRXと、バトルしなさい!」
その声は、挑戦状であり、祈りのようでもあった。
青い瞳に宿る光は、逃げ道を許さない。
伊藤「……はッ!? バトル……って、マジかよ……!」
黄色のスイスポのハンドルを握りながら、伊藤は喉を鳴らす。
相手は2リッターターボ、300馬力を超える四輪駆動。自分の愛機とはクラスが違いすぎる。
伊藤(冗談だろ……!?勝負になるのか、こんなの……!)
心臓が暴れるように脈打ち、冷や汗が額を伝う。
対照的に、カナタは赤い86の中で目を細めていた。
彼の思考は冷静だ。
カナタ「……勝てるのか? このWRXに……」
口に出した声は、まるで自分を試すようだった。
視線の先には、フロントに堂々と鎮座するインタークーラー、立ち上がれば猛獣のように唸るEJ20。
カナタ「パワーはWRXが圧倒的だ……。このRと互角に渡り合えるのは、スーパーカー級……」
彼の拳が無意識に震える。
けれど、その瞳には諦めの色はなかった。
花は二人の動揺を見透かしたように、微笑んだ。
花「怖いなら帰ってもいい。でも――この夜を逃したら、もう二度と私とは走れないわ」
挑発とも、真剣な誘いとも取れるその言葉。
伊藤の胸に火がつく。
伊藤「……ちくしょう……! やってやるよ……! こんな化け物みたいなWRXに、俺のスイスポでどこまで食らいつけるか……見せてやるッ!」
カナタもまた、ギアを握り直した。
カナタ「面白い……。花、お前が本気で勝負を望むなら……俺は逃げない。86のすべてを懸けて、挑む」
空気が張り詰める。
風が止み、闇が深くなる。
三人の視線が交錯した瞬間、峠の木々までもが息を潜めるように沈黙した。
花のWRXが吠えるようにアイドリングを上げ、タービンの圧縮音がボンネットの下で唸りをあげる。
伊藤のスイスポは軽やかなエキゾーストを響かせ、挑発に応じる。
そしてカナタの赤い86が、低く鋭い音を轟かせた。
まるで、この夜を選ばれし三台のために用意された舞台のようだった。
伊藤はスイスポのステアリングを強く握り、吐息を漏らした。
伊藤「……ここが俺たちの正念場ってわけか……」
その声は自分に言い聞かせるようであり、同時に花とカナタに向けた宣言でもあった。
黄のスイスポのボンネットに映る月光が、彼の決意を照らしている。
花はフロントに立ち、冷たい風にピンクの髪を揺らしながら、二人を見渡した。
花「そう。正念場よ。――だから私は呼んだの」
青い瞳が真っ直ぐに二人を射抜く。
「このWRXを相手に、あなたたちがどこまで走れるのか……私が確かめたい」
その言葉には挑発ではなく、信頼に近い響きがあった。
自分と真正面からぶつかる相手として選んだ――その事実が二人の心を奮い立たせる。
カナタは深く息を吐き、目を閉じた。
腹の奥で熱が燃える。
「……正念場、、、か」
短く呟き、86のクラッチペダルをゆっくり踏み込む。
赤いボディが、エンジンの鼓動に合わせて小さく震える。
カナタ「なら……手加減なんてできないな。花、お前が本気なら……俺も全部懸ける」
三人の視線が交錯する。
空気が張り詰め、峠道の闇さえもその緊張に押し潰されそうだった。
伊藤はシートに背中を押しつけ、強く拳を握る。
伊藤(スイスポでWRXに挑む……無茶だって分かってる。けど、逃げるわけにはいかねぇ。
俺だって……ここで証明するんだよッ!)
カナタは冷静にマシンの挙動を想像していた。
カナタ(直線は花が圧倒的……でも、この峠にはヘアピンがある。FRの切れ味を信じろ……! 勝機は必ずある!)
花は、彼らの心を読み取るように静かに笑んだ。
花(いい……その目。その決意。――だから私は、あなたたちと走りたいの......。あなたがほんとうに赤い戦闘機なのかどうかーーッ!!!)
月明かりが差し込み、エンジン音が夜を震わせる。
ここが、三人の物語が交わる「正念場」。
そして――峠のバトルが、いよいよ幕を開けようとしていた
花は唇を噛みしめ、ステアリングを強く握った。
胸の奥から熱が込み上げる。
花(……全員、潰してあげる……!覚悟しなさい……!!...誰が強いのか、ここではっきりと白黒つけてあげるからッ!!)
青い瞳が闇夜を裂くように光り、ピンクの髪が風に舞う。
次の瞬間――。
バチィィィィィィィッ!!
花とWRXのボディから、青い電撃が奔った。
車体全体を覆うように迸る雷光は、まるで夜桜の木に咲く稲光のよう。
月光すらかき消すその輝きが、山奥の闇を一瞬で昼に変えた。
カナタは思わず目を細め、口元に笑みを浮かべる。
カナタ「……すごい……!
これが“青い電撃の桜狼”の力ッ……!!!」
86のフロントガラス越しに見る光景は、幻想ではなかった。
まるで桜色の稲妻が枝を広げるように、WRXを中心に雷光が走り、空気が震える。
伊藤はスイスポのハンドルを強く握り、背中に冷や汗を流す。
伊藤「くっ……これが……!これが“RVカップ12連勝”を成し遂げた青い電撃の桜狼の力なのか……ッ!!!」
彼の脳裏に、全国の舞台を震わせた伝説の走りが蘇る。
小柄な少女が操るWRXが、数多の猛者をなぎ倒していったあの記録――。
その「真実」が、今、自分たちの目の前で発動している。
蒼いWRXと赤い86、そして黄色のスイスポが並び立ち、今にも火花を散らす瞬間を待っていた。
空気は張り詰め、冷たい夜風が木々を揺らすたびに三人の心臓が鼓動を強める。
伊藤が静かに吐き捨てるように言った。
「……ああ、その通りだな。だけどカウントは誰がやるんだ?」
挑戦は受けた。
準備も整った。
だが――スタートを告げる存在がいない。
沈黙が落ちたその時だった。
ふわり、と。
夜風が流れ、淡い緑の光が舞い降りるように視界を横切った。
三人が振り返った瞬間、そこに立っていたのは――一人の少女。
彼女の髪は草色。
まるで風に揺れる若葉のように瑞々しく、ツインテールに結ばれて夜風の中で舞い踊っていた。
背丈はまだ幼く、小学生高学年程度にしか見えない。
しかし、その存在はただそこに立つだけで場の空気を一変させた。
「……芽衣。」
花が小さく呟いた。
その声には、姉としての驚きと、どこか頼もしさが混じっていた。
芽衣は猫耳をぴくりと揺らし、草色のネクタイを整えながら歩み寄ってきた。
彼女の服はどこか制服めいたデザインだが、どこまでも「草の薫風」を纏っている。
歩くたびに濃い草の香りが辺りに漂い、それがそのまま夜風となって包み込むように流れていった。
カナタは思わず息を呑む。
(……なんだ、この子は。小さな体なのに、まるで自然そのものを背負っている……)
芽衣の歩みは静かだった。
しかし、その一歩ごとに地面を這う空気が揺れ、木々の間を吹き抜ける風の流れさえ変わるように感じられた。
芽衣「お姉ちゃん……」
芽衣の声は、草原に吹く風のように柔らかく、それでいて芯が通っていた。
「カウント、私に任せて」
花は驚いたように目を見開く。
「芽衣ッ……! お願いできる?」
芽衣は小さく頷いた。
「任せて、お姉ちゃん」
その一言で、花の胸に張り付いていた不安がすっと消えていく。
姉妹の間にある目に見えない絆が、夜の闇を照らす光のように輝いていた。
だが、横で見ていた伊藤は思わず声を荒げた。
「おいおい……マジかよ。こんな小さな子が……スタートのカウントだって?」
彼の声には戸惑いと焦りが入り混じっていた。
峠のバトルは一瞬の判断で生死が分かれることもある。
その大事な合図を、この幼い少女に任せる――常識的に考えれば信じがたいことだ。
だが、カナタは黙って芽衣を見つめていた。
彼の瞳には驚きと同時に、不可解な納得の色が浮かんでいる。
(……いや、違う。彼女ならできる。そういう空気を纏っている……)
芽衣は前に進み、三台のマシンの前に立った。
青い瞳の花、真剣な伊藤、冷静に息を整えるカナタ――三人の視線を受け止め、猫耳をぴんと立てる。
「じゃあ……始めるね」
その声は小さい。
けれど確かに、闇の中で最も大きく響いた。
風が吹く。
草の薫香が漂い、夜の峠道を覆う。
スタートの瞬間を告げるその少女の存在は、もはや「ただの小さな少女」ではなかった。
――自然そのものを背負い、バトルの始まりを告げる導き手。
それが、山吹芽衣だった。
花はシートに座り直し、ハンドルを握りしめた。
その胸は高鳴り、妹の声を信じ切っていた。
伊藤は奥歯を噛みしめ、ハンドルに汗ばむ手を押し付ける。
「……くそ……! 本当にやるのかよ……!」
カナタは深く息を吸い、赤い瞳を細めた。
「――来るぞ」
芽衣は両手を前に掲げ、草の風を纏わせながら大きく振り下ろそうとする。
夜の峠が息を潜め、空気すら震えていた。
そして、静かに――。
芽衣「……さぁ、始めるよ」
その声が夜を裂いた瞬間、三台のマシンのエンジンが一斉に咆哮を上げた。
闇の峠に、轟音と風と、姉妹の絆が重なり合って響き渡った。
腹切カナタ トヨタ86前期 紅い戦闘機
伊藤翔太
スイフトスポーツ チャンピオンイエロー
山吹花 WRXSTI VAB型 青い電撃の桜狼
夜の峠に、緊張が張り詰めていた。
エンジンのアイドリング音が重なり、まるで獣たちが呼吸を合わせて牙を研いでいるかのように響く。
芽衣が一歩前に進む。
草色のツインテールが夜風に踊り、猫耳がぴんと立つ。
彼女の周囲には濃い薫風が渦巻き、三台の車を包み込むように広がっていく。
芽衣「……いくよ」
その声は小さい。
だが三人の胸を撃ち抜いた。
「スリー――」
風が唸りを上げる。
「ツー――」
花はクラッチに足をかけ、瞳を細める。
伊藤はハンドルを強く握りしめ、息を止めた。
カナタは深い呼吸を繰り返し、すべてを静める。
「――ワンッ!!!」
芽衣が両手を振り下ろした瞬間、草の香りを纏った風が爆ぜるように広がった。
ンバアアアアアンッッッ!!!!!!
ドッッゴォォォォォン!!!!!!!
ブオオオオオオオオンッ!!!!!!
三台が同時に飛び出した。
紅の86、青のWRX、黄色のスイスポ。
深夜の峠を切り裂く轟音が一斉に夜を震わせる。
先頭に立ったのは腹切カナタの赤い戦闘機――トヨタ86。
鋭いクラッチミートとFR特有の軽快な蹴り出しで、まるで路面を裂くかのように飛び出す。
赤いテールランプが狼煙のように闇を照らした。
すぐ背後に山吹花のWRX。
タービンが悲鳴を上げ、ボンネットの下からEJ20の重低音が炸裂する。
四輪駆動の牙が路面を掴み、まるで嵐の塊が走るようにカナタを追い詰めていく。
さらに後方からは伊藤翔太の黄色いスイスポ。
排気量は劣る。だが軽量ボディが武器だ。
短く鋭いシフトチェンジを重ね、まるでスズメが大鷹に食らいつくように加速していく。
伊藤「……俺は、山吹花について行こうとは思わない……。ただ、彼女の走りを見ていたいだけだ。そして並べることができたら……ただ、それだけで――」
彼の胸の奥に、まだ見ぬ光景への熱が燃えていた。
ズバアアアアアンッッ!!!
ドゴオオオオオオンッッ!!!
ゴギャアアアアアアンッッ!!!
三台の轟音が重なり、まるで雷鳴が山中に落ち続けるかのように響く。
残り20キロ。
3台はすでにスピードメーターから時速120を
超え、トルクも7からブレずに大きな中速コーナーへと突入していった。
路肩の溝は森の草に覆われ、自然の罠のように口を開けている。
アスファルトには無数のヒビが走り、細かく割れかけていた。
一歩でも外せばタイヤを取られ、即座にマシンは制御を失う。
だが、3台は恐れず飛び込む。
赤、青、黄――三色の閃光が、峠の夜を切り裂いた。
かくして、紅の戦闘機、青い電撃の桜狼、黄色の野性――三台による死闘が幕を開けたッ!!!!
赤いテールランプが闇に閃く。
そのコクピットで腹切カナタがステアリングを握りしめ、唇を噛んだ。
カナタ「――いくぞッ……!! 覚悟できたか!?」
声は吠えるようでいて、どこか冷たさも孕んでいた。
彼にとってこの峠は、ただの遊び場ではない。
戦場。勝つか負けるか、ただそれだけ。
アクセルをさらに踏み込み、タコメーターの針が一気に跳ね上がる。
後方でスイスポのエキゾーストが爆ぜた。
伊藤翔太が目を細め、肩の力を抜くように笑う。
伊藤「いくぜッーー! コーナーで壁にぶつかるんじゃねぇぞ……!」
軽快に冗談を飛ばすような口ぶり。
だが、その奥には張り詰めた集中が宿っている。
スイスポの小さな心臓が悲鳴を上げ、軽量ボディを弾丸のように押し出す。
ハンドルを握る彼の両手は汗に濡れていた。
その二人を睨むように、青いWRXが咆哮した。
EJ20のタービンが甲高い音を立て、ボンネットを震わせる。
山吹花はシートに深く腰を押し付け、鋭い視線を前方に突き刺した。
花「いくわよ……!!」
青い瞳がぎらりと光る。
「全員……あっけなく抜き去ってあげるッ!!!」
クラッチを蹴り抜く瞬間、背後に青い火花が散った。
電撃の桜狼――その異名がまさに姿を現したかのように、WRXの周囲に稲光が走る。
轟音。振動。焦げるようなタイヤの匂い。
三台のマシンが同時に牙を剥いた。
紅の戦闘機が戦場を切り裂き、
黄色い猛禽が鋭く喰らいつき、
そして青い電撃が全てを呑み込もうとする。
深夜の峠は、もはやただの道路ではなかった。
闇を舞台にした死闘のステージへと変貌していた。