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苦手な方はご注意ください。

ケンノミチ

作者: キト猫

「オラっ」

「うっ」


ドタッ。

夏真っ盛りの照りつける日光に加熱された地面の熱が尻から伝わってくる。


「これで10連敗か・・・加助お前は本当に剣の才能がないな」

「自分よりも3つも下の子供に打ち負けるなんて」

「・・・・・・・・・・」

「ここで強がりの一つも言う根性もないか・・・悪いが加助、お前をこの道場に入れることはできん」

「そんな、待ってくれ俺だって他のみんなみたいに修行すればきっと」

「うまくできる・・か?確かにそうかもなだがお前の家には金がない、私も慈善事業でこの道場をやっているわけではない、生きていくために金を稼がなきゃならんのだ。だからタダで弟子を取るのだったらそれは際立った才能を持って我が流派の名を天下に轟かせるような見込みのあるやつじゃなきゃならない、だがお前にはそんな才能はない、それは自分でも分かっているな?」

「・・・・・」

「金もない、才能もない、そんなお前にこの門を跨がせる理由は俺にはない。分かったらもう帰ってくれ」


バタンと乾いた音を立てて道場の扉が閉められた。

道場を囲む柵の内側からは門下生たちの修練する声が聞こえてくる。

剣の道に憧れた、住む村のすぐ近くにあるちょっぴり大きな町にある少し大きな道場の扉を叩いた。何ヶ月も通い詰めてやっと掴んだチャンスはあっさりと水泡に帰した。


頭を項垂れさせて田んぼ道を歩いていると、村が見えてくる。藁葺きの屋根にボロ板をつぎ合わせてできた見窄らしい民家がより集まって出来たその村は先ほどまで大きな町を見ていたせいもあってか一層こぢんまりとして見える。

我が故郷の哀愁漂う姿にさらに気分が落ち込んだ。あの村には剣術道場はない、そして日常的に足を伸ばせるほど近くにある町はあそこただ一つそしてその町にある道場もまた一つだった。

今日俺の剣の道は完全に絶たれた。


田んぼ道を村に向かって少しづつ進んでいくとやがて別れ道に差し掛かった。このまま村を目指すのであれば折れずにまっすぐ進めば良いのだが俺はそうすることはせず別れ道のもう片方の方へと足を向ける。

その先には緩やかな坂道があり村の裏手にある山と繋がっていた。この道に従ってずっとまっすぐに行くと隣の村にたどり着くのだが俺の目的地はそこではない。

俺の目的地はその道の途中、道がはっきりと傾斜し始める山道との境目だ。そこには石の階段があってそれを登っていくと神社がある。俺は朝は毎日そこに通って祈るが習慣で今日は道場に朝早く出なければいけなかったのでまだこなせていなかった日課を今やることにしたのだ。


石段の敷かれた急な傾斜を苦にすることもなくひょいひょいと神社に向かって登っていくと3分も立たずに鳥居を跨ぐ。最初は1時間ほどかかっていたこの工程も最近では疲労を感じることもなくなってきた。

そしていつものように荒れ放題の参道を進んで拝殿を参拝しようとしたところで異変に気づく。

それは拝殿の横、草木を開いて作られた砂場に立つ祠に寄りかかる人の影。その出立は異様なもので伸び放題の顎鬚と乱れた長い髪で顔を覆い泥にまみれた体と服はその境界線を失っている。

驚いて身を引こうとしたがもう男には見つかってしまっていたらしく力なく祠にへばりついていた男の体がにゅっと動き出してこちらの方へ向かって走ってきた。


「ちょ、何?」

「・・・・・・」


何を言うでもなくただ突っ込んでくるその姿に驚き以上に恐怖を感じて逃げようとするが間に合わない。男の身のこなしはその風体に似合わず俊敏で俺が逃走の決意を固めた頃にはすでに目と鼻の先にまで間合いを縮めていた。

そしてなめらかに両腕を上げて俺の肩を固定しようと振り下ろしてきたが流石にそれはギリギリで交わして横によけ、振り返ることなく距離をとった。そうしてから男の方に目線を戻すと俺の実感とは裏腹にもう男はすぐそこまで迫っている。そこからはイタチごっこの追いかけっこで男が俺を捕まえようとするのを俺が紙一重で避けると言うことが繰り返されたが10分も立たないうちに俺のスタミナ切れによってとうとう追いかけっこは男の勝ちに終わった。


「お前、剣術に興味はないか?」

「へ?」

「あるなら俺が指導してやる」

「ごめんなさいお断りします」

「あ、ちょそれなら」


男が俺の両肩を掴んでから言ったその一言、それは俺が今まで求めてやまなかった言葉のはずなのにあまりの恐怖に萎縮しきっていた俺は反射的に否定の言葉を並べてから男を振り解いて神社を後にした。

帰り道、あの田んぼ道を今度は道なりに進みながらちょっとした後悔の心がよぎってくる。なんで”はい”と言わなかったんだ。それは機会を逃したことに対する悔しさでもあったがそれ以上に剣に対する情熱よりも一時の恐怖心が優ってしまった自分の精神への憤りだった。


「おかえり、加助ちゃん」

「ああ、ただいま」

「道場どうだった入れることになった?」


村に入って自分の家に向かって歩いていると一人の女の子が声をかけてくる。ミノキと言う名のその少女は幼い頃から互いに見知った幼馴染で俺が剣の道を志していることを打ち明けている数少ない人間の一人だった。

身なりは俺と同じでボロボロの服にほつれた草履と言うものだが、それをかき消してあまりある美しさは俺も含めた村中の人間が知るところである。

気が重くなるが嘘をつくわけにも沈黙を貫くわけにもいかなかった。


「ダメだったよ俺には才能ないみたい」

「その道場の人も見る目ないね加助ちゃんはとっても頑張り屋なのに」

「努力だけじゃどうにもならないこともあるよ、うちは貧乏で月謝も払えないし」

「そんな落ち込んだ顔しないでよ加助ちゃんは笑顔の時が一番かっこいいんだから、別に誰かに教わらなくなって剣を振るなら一人でだってできるでしょ、そうやって練習していつかあなたに才能がないって言った人の鼻を明かせばいいのよ」


こうやって励ましてくれるとことか笑顔が可愛いこととこ俺はミノキが本当に好きだった、人間としても、異性としても


「それじゃ「おーーい」」

「あっ」


挨拶をして立ち去ろうとしたところで声をかけられる。俺ではなくミノキが・・・普通ならそんなこと関係なしに行ってしまうところだが振り返って相手の顔を見てしまった俺はどうしてもそれができなかった。

俺の後ろで声を上げたその人物の存在が俺にそれをさせなかった。


「こんにちはミノキちゃん水汲みかい?」

「・・・っはい、武蔵さんは今日は早いですね」

「ちょっと今日は用事があってね道場を早く抜けたんだ」


今俺が通ってきた畑道から歩いてきたのは武蔵という名の男だ。村の名主の子で今日俺が落とされた道場で稽古を受けている門下生の一人だった。

近づくにつれ際立つその美しさ、かっこいいとも形容できるその優れた容姿はミノキのそれと同じように村人たちどころか道場のある町の人間たちにもよく知られたものだ。

その上気さくで話しやすく女性に対する気遣いもあるそんな男が自分の好きな人間としゃべり出してその場を立ち去れる男がいるだろうか?いやいない。


そのような心理で俺はしばらくの間何を喋るでもなくその場に立ってミノキと武蔵の話に耳を傾けていた。内容はなんでもないただの世間話。もちろん対した深さのないその会話は数分で打ち切られてミノキは向こうの方へと立ち去っていった。


「じゃあ俺もこれで」

「待てよ」


意中の相手と恋敵の会話を監視するという行動の目的を果たした俺がそのまま足の向きを変えてその場を立ち去ろうとしたところで武蔵の方から俺に声をかけてきた。それもあまり友好的ではない口調で。


「なんですぐに帰らなかった」

「・・・いや別にただなんとなく」

「嘘だね、あんな熱心に聞いて、分かるよお前もミノキのことが好きなんだろ」


お前”も”、ああやっぱりこいつもそうなのかそれで俺に声をかけてくるってことはあんまりいい理由じゃなさそうだ。


「だったらなんだよ」

「もう、彼女に近づくな、いやお前とミノキは家が近いんだったなじゃあ近づいてもいいただ彼女といっさいしゃべるな、そして接触した時はできるだけ早くその場から立ち去れ」

「・・・・なんでお前にそんなこと」

「なんでって分かるだろ俺はミノキに婚約を申し込むつもりだ。彼女が成人したらな、だからお前みたいな変な虫にくっつかれると困るんだ」

「ふざけんな!申し込みたいんなら勝手に申し込めばいいそれはミノキの決めることだ。だけどミノキはお前の所有物じゃないミノキが誰とどう関わるかはお前の決めることじゃねえ」

「どうやらわかってないみたいだな」

「っ」


体が固まるその場でその姿勢で釘付けにされる。武蔵の殺気に侵されて俺の体が動きを止めた。その歪んだ目線から噴き出してくる禍々しい悪意それに俺の心は金縛られた。

おもむろに背中にかけた木刀が引き抜く武蔵を見てもそれは変わらない。俺の体はまるで蝋燭で固められたかのようにピクリともしない。

武蔵の右腕に握られた茶色い剣身が俺の頬を打つ。切れ味のない木刀であっても振り下ろしで加えられた勢いによって人体を傷つけるのに十分すぎる威力を持った。


ベシュッと言う音とともにほっぺたに鋭い痛みが走る。


「あ・・・あああ」

「俺はこの村の名主の息子だぞ、やろうと思えばお前なんてどうにでもできる。この村から追い出すことだって・・・・・まだ分からないかもし俺が今お前を殴り殺しったって問題ねえってことだ、そうなりゃお前のところのババアだって不幸になるいいかミノキから手を引けそれが守れないならお前を不幸のどん底に沈めてやる」

「・・・・・ううぅ」

「どうやら分かったみたいだな、分かったらちゃんと言いつけは守れよ」


そう吐き捨てて武蔵はその場を立ち去っていった。ここは村の中央からはそれなりに距離がある今の凶行は誰にも見られていない例え見られていたとしても意味はなかっただろうが。

悔しい悔しい悔しいそんな言葉が喉の奥から漏れ出してきた剣を抜かれて殴りかかられたというのに反撃することもできずにただ痛みに悶え涙を流すことしかできなかった。

あんなことを言われたのに言い返せもしなかった。それどころか心のどこかで納得してしまう自分がいた。村の名主の跡取り息子おそらくミノキの世界で彼女の隣に収まるのに最も適した人間。そんなやつと張り合ったって意味がない。そんなことを考える自分が心のどこかで確かに息をしていた。


空が曇る、立ち込めた灰色の雲は俺の視界の中に重く垂れこめてそこから吐き出される冷たい北風は俺の体に容赦なく鞭を打った。気づけば雪が舞っていた。

白く積もった地面の上に悲しげな足跡を残しながら俺は家路を辿っていった。


「加助おかえり、今日は早かったねえ道場はどうだった」

「・・・ダメだったよ」

「!・・どうしたんだいその傷は」

「これ?道場でね打たれたんだ」

「大丈夫かい痛くないかい」

「大丈夫だよ・・・ちょっと一人にしてくれる?」

「ああ・・・分かったそうだねしばらく休むといいさ今日はおばあちゃんが加助の大好物の煮付け作ったげるからね」

「ありがとう」


おばあちゃんのそんな優しさが今はとても心にしみた。藁葺き屋根の背の低い家だが奥行きは意外とあって3つの部屋をボロボロの襖が仕切っていた。俺はそのうちの一番奥の部屋に入って襖をピッタリと閉じボロボロの畳の隅で縮こまって夜まで過ごした。

その時に湧いてきたのは猛烈な悔しさと武蔵に対する敵意。奴の理不尽に対する怒り、そして脅されたことに対して何一つ抵抗できなかった屈辱感。そして武蔵の美しさに対する憧れ・・・・最後の感情は自分でも不思議だった奴のことが憎いはずなのに許せないはずなのに、あの綺麗な剣筋だけがどうしても振り切れなかった。


俺もああいう風に剣を振れるようになりたい、その気持ちはばあちゃんと一緒に夜飯を食べて床について一晩を越した後でも変わらずそれどころかより強まったのだった。


俺は再び階段を登っている。長い年月を手を加えられることなく過ごしたその石段は所々が砕けてその割れた隙間から植物が芽生えている。

この急すぎる石垣の上にある神社は今では名も知られぬ宮司が数百年ほど前に築いたものらしいが今ではそこに訪れ祈りを捧げるものは数年に一度来るか来ないかの旅人ばかりでその神社のことを顧みるものは村には俺以外いなかった。


そんな神社を目指して石段を昇る俺の背中には一歩の木刀が携えられていた。といってもそれは家の裏手に生えていた杉の木を自前で加工したお粗末なもので、本物と比べればその出立は貧相で脆弱だがそれでもないよりはましだとこうして持参した次第であった。

俺が今この石段の一段一段に足を掛けるのは毎日の習慣というのもあるが昨日の男のあの”剣術を習わないか”という言葉に昨日から感じていたあの剣術に対する昂りの発散手段としての望みをかけたからだ。

もしあの男がまだあそこに居るならば・・・・そんなことを考えているうちに俺はとうとう神社の境内に足を踏み入れた。


いた・・・昨日のあの男はまだ神社の中にいた。今度は本殿の木の扉に背中を預け古びた屋根が作り出す日陰に足を投げ出している。

昨日と同じように男は俺を見つけるとドカドカと本殿を降りてこちらの方へ歩いてくる。ただ今回は俺が逃げることはなく男は容易く俺の両肩を捕まえた。


「・・・何か食べるものを」

「え?」

「食べ物をくれ」

「ああ・・・どうぞ」

「ありがとう」


男がまず俺に食べ物を要求して俺が昼飯用に持ってきていた3つのおにぎりを渡すとまるで味噌汁でも飲むかのように瞬く間に胃のなかに納めてしまう。あまりにも勢いよくかきこみ過ぎたのか咽せてしまった男に水筒を差し出すとそれも勢いよく飲み干して最後に息を吐くと男は何をするでもなく押し黙る。

ここで俺は話を切り出した。


「なああんた昨日俺に剣術を習わないかと言ったよな。あれ本当か?」

「ああ本当だお前には才能がある」

「そうかそれなら俺に剣術を教えてくれ頼む!」

「いいぞ、教えていやる・・・じゃあ始めるぞ」

「え?・・・・・かっ」


男の言葉が終わるか終わらないかの瞬間に腹に衝撃が加えられた。男の泥だらけの足の指が俺の溝うちに食い込む。急な衝撃に備えられなかった俺の体は勢いにまかせて砂場を転がり背中を祠に打ちつけた


「こほっかはっ」


大きな衝撃を呼吸器官に加えられたせいで咽せ返る。困惑する思考回路をまとめられないまま答えを求めるように男の方を見ると男は木刀を握って俺を見下ろしていた。その木刀は先ほどまで確かに俺の背中に携えられていたものだ。


(なんで?いつの間に・・・)


その光景を見て俺は男の実力を直感する。


「刀を扱う上で重要なのはやっぱり太刀筋や筋力だがそれよりも大事なことがある。まず大前提として刀を持って敵と向かい合う以上それは命の取り合いだ。その場において最も必要なのは刀の扱いの上手さではなく死なないこと。つまり敵の攻撃を躱し気を伺うための間を作る能力。それが何よりも大事になる。分かったか」

「・・・え?」

「そしてお前はその死なないための避ける能力において非常に優れた素養を持っている。だからまずはそこを極限まで鍛える、俺の攻撃を100回躱せるようになれ」

「・・・・・・」

「返事は」

「は、はいっ」


そして修行が始まった。

男は強かった。その剣戟は武蔵のそれを遥かに上まる速度で打ち込まれ、繊細な動作の中に組み込まれる微かなフェイントが俺を惑わせた。

最初の1ヶ月は避けるということよりも痛みに耐えるということが修行の焦点になっていた。男の早すぎる剣捌きの前に身体中に木刀の打ち傷が積み重なっていき、冬の寒さも相まってそこから生じる身体的な痛みは壮絶だ。

朝5時に起き4時間かけ一日分の農作業を終わらせ、1時間かけ神社に向かい、12時間の修行の後、家へ帰り倒れるように眠るという生活が続いた。

ギリギリの睡眠時間では脳みその疲れを取り除くことはできても体の方はそれが溜まっていくばかり、ある時など歩くために四肢を持ち上げるたびに筋肉痛とは違う何か異質な着実に体の根幹を破壊するような痛みが全身を襲った。

それでも俺の体は毎日同じ時間に起き同じ時間に神社へと向かったそれはもう意思というより執念に近かった俺の剣術に対する強い憧れの念が俺の体が離れて一人でに形をなしその形を成した何かが俺の体を操っていたのかもしれない、とにかく尋常ではない日々が続いた。


ただそれでも俺の体は激しい鍛錬の中で確かに何かを掴み上げた。最初は体の激痛に悶え次に加えられるさらなる痛みへの気構えで一貫していた男との修行も痛みが状態化するにつれだんだん別のところに意識を向けられるようになり、そしてその向けられる意識の割合が着実に広がっていった。

最初はどこがどれくらいの強さで打たれたのかということぐらいしか考えることはなかったが、1ヶ月を超えるころには相手が今どのような姿勢でどこに重心を置きどこを見どこを動かしているのかを無意識のうちに考えるようになり、2ヶ月たつころにはその速度が男の斬撃のそれを上回り、やがて男の次の動きを完全に予想するに至った。

そこから1週間後には脳の思考に肉体が追いつき始めさらに2週間を経て俺の体は完全にその思考速度に追いついた。


「98・・・99・・・100っ!」

「・・・っ」


その時初めて修行を終える以外で男の剣戟が止まった。


「・・・・・よしっっっ」


3ヶ月の時を経て季節は巡りもう春が始まろうとしていた。雪溶けと新緑の芽生えによって幾分様相を変化させた神社の境内で俺は静かな咆哮を上げた。


「よくやった。まさか半年とかからずここまで至るとは、凄まじいよ、お前には俺が思った以上に才能があるらしい」

「はぁはぁ・・・行けたんだから約束は守ってくれよ」

「ああいいよ」


俺は男とある約束をしていたそれは男の名前について、俺が最初それを尋ねると言うのを拒んだ男に3日間ほど食い下がった結果3ヶ月というタイムリミットの内にこの第一の関門を突破することができたならばその時は男が名前を俺に教えてくれるというところまで条件を引き出すことができたのだ。

そして今日がそのタイムリミットのギリギリ最後の一日だった俺はなんとかその条件のハードルを超えることができたのだ。

俺が少し得意気にそう催促すると男は仕方ないと言った感じであっさりと名前を教えてくれた。


「俺の名前は阿賀野火斎だ」

「阿賀野火斎、言いにくい名前だ。呼びやすくカサイでいい?」

「勝手にしろ」

「じゃあ、改めてカサイ先生次は何をすればいい?」

「次も同じだ俺の攻撃を100回避けろ」

「それだけでいいの」

「それだけでいい」

「・・・なら分かった」

「じゃあ行くぞ」


雰囲気が変わった。今までとは明らかに違う、禍々しい殺気が男の、カサイ先生の全身から噴き出してきた。

体が重い、冷や汗を通り越した以上な量の発汗が俺の服を湿らせる。太刀筋も速度も動きの癖も今までとなんら変わらないこの3ヶ月に幾度となく向かい合ってきたその剣戟に今度は反応することができなかった。

荒削りな木刀がこてに打ち込まれた音を意識することができず僅かな違和感のあとに鋭い痛みが全身に走った。今までにない初めての感覚、いや俺は明確にこの状況を知っている相手が剣を抜き振りかかってきているというのに微動だにすることのできないこの状況これは・・・


「武蔵の時の・・・」


思わず口から言葉が漏れた。


「違いは分かるよな」

「ああ・・・でも何で」


こんなことが・・・そう言い切る前にカサイ先生が答えを言った。


「”気”というやつだ。俺の意志力が実際に形をなしてお前の動きを制限した」

「そんなことができるのか?」

「今、実際に体験しただろ・・・まあ”気”なんてたいそうな言い方をしているが要するに戦いの雰囲気に飲み込まれったてことだ。俺の視線とか微妙な表情の動きとか体全体の微妙なバランスの変化にお前がビビったってこわばっちまったんだよ、ほら何か大事な一度きりのことをする時っていうのは心臓がバクバクしたり動きがぎこちなくなったりするだろあれと同じことさ」

「俺が緊張したと」

「ああそうだ。こういうのは別に意図せずとも実際の仕合では起こる。だからこそ意図的に起こされ研ぎ澄まされた”気”に対処できれば本番でそういう状態になることはなくなる。せっかく修行を積んで強くなっても実際の仕合でうまく実力を発揮できなければ意味がないからな」


全身を汗が湿らせ体中の神経がピンと張ってピクリともしなくなる感覚。ベッタリ張り付く嫌な圧迫感、それはしばらくの間、俺の体を無抵抗にカサイ先生の剣戟にさらした。

修行を始めた最初の1ヶ月間以上の傷が僅か1週間で体に刻まれた。ただ最初の1ヶ月間よりも大きな収穫をその期間で得ることができた。それは”気”に対する対処法。100を超える傷の積み重ねが理論ではなく実感によって俺にそれを気づかせた。

相手が”気”をぶつけてくるのならばそれに対抗する術はただ一つこちらも”気”を発してそれを打ち消せばいい。


「・・・ねぇ加助」

「・・・はっ」

「・・・っ、どうしたのそんな怖い目して最近加助おかしいよ私のこと無視するし、私何かしちゃった?」

「ごめん」


ただ意識を集中させて神経を研ぎ澄ませる心の内から感情を絞り出しそれを発散して”気”としてぶつける。それは分かったからと言って易々と実行できるようなことではなかった。それをしようとすればするほど修行以外の時間も俺の意識はそちらの方へ引っ張られていくそれほど深く深く沈まなければあのカサイ先生の放つ”気”をかき消すことなどできない。

あの日、あの武蔵の一件があって以来、俺はミノキと話をしていない。彼女が話しかけてきてもそれを無視してひたすら避け続けてきた。身勝手な理由だが俺はどうしても武蔵との決着をつけないまま彼女ともう一度関わることが心底許されざることだと思ったのだ。


「ただいま・・・ただいま・・・婆ちゃん!」


その日婆ちゃんが死んだ。

何の前触れもなく呆気なく、最初は実感が持てなかったが婆ちゃんの入った棺が山向こうの寺に埋められる頃、ようやくそれが追いついてきて。その晩は食べもせず眠りもせずただ寂しい家の中で畳にしゃがみ込み静かに俺は泣いた。

だが次の日には何とか気持ちの整理をつけて、いやつけようとしてまた同じ時間に起きてあの神社へ向かった。カサイ先生には婆ちゃんのことは言わなかった。それからも修行の日々が続いた。

それから2週間後、修行を始めてからまる半年が経という頃に俺は”気”を習得した。


「用意はいいか」

「はい」

「じゃあいくぞ」


いつもと同じように剣を構えるカサイ先生の雰囲気が変わった。3ヶ月前に初めて見てからもう1000を超える回数それを目の当たりにしているがそれだけの経験を経てもなお悪寒は治らなかった。

だが3ヶ月前とは違い今度の俺はそれに対する対抗手段を持ちそして行使することができた。

殺す殺す殺す・・・心の中で強くそう念じて沸き立つ感情を扇動し一つのうねりを作り出す。全身の毛が逆立ちそれを生み出した自分自身でもそれに恐怖するような強烈な”何か”を体全体から絞り出した。

それがカサイ先生が言うところの”気”なのだと言うことに何となく納得しながらさらにその強烈な何かを吐き出し続けることに意識を集中させていくとやがてカサイ先生に”気”を浴びせかけられたせいで強張っていた体の神経がほぐれていくのを感じた。

まるで厳冬の冬山で何時間も凍えさせたかじかじの体を暖かい湯船に沈めた時のような感覚、その心地よさがやがて全身でこだましてカサイ先生のそして自分自身の”気”に対する不快感を洗い流してくれる。

普通の、いやそれを通り越した普通以上の動きに体がついてくる。全身の筋肉が程よく緩んで神経は機敏に反応する。何か別の境地に入ったという感覚を全身で理解すると同時に頭が冴え渡った。

そこからは今まで感じたことのないやにわにな感覚に身を委ねてカサイ先生の剣戟をいなした。10、20、30?今まで欠かすことのなかった躱した剣戟のそろばん勘定もいつの間にか忘れて俺はただ自分の動きに没頭した。


「おい・・・おい!もういいぞ、100回避けた。合格だ」

「・・・え、俺、もうそんなに?気づかなかった・・・どれくらいかかった」

「3分ぐらいだ」

「3分、それだけ?」

「・・・どうやら予想以上のようだな、素晴らしい集中力だ」

「ちょっとくクラクラする」

「少し休め、俺は水を飲みに行ってくる」

「待て」


地面に剣を置き水を飲みに向かうカサイ先生とひんやりとした土に身を投げ出し突き出た杉の木が切り取った青い空を眺めていた俺、そんな二人の人間の間がその一声に乱される。


「・・・武蔵」

「なんだ?お前の知り合いか」

「知り合いというか・・・え?」


立っていたのは木刀を握った武蔵と・・・その後ろのミノキ・・・なぜこの二人が?嫌な予感がする。



「お前!、お前が最近嘉助を拐かしている神社の呪い師だな」

「何を意味のわからないことを」

「ミノキどうして・・・」

「嘉助君最近変だったから武蔵さんに相談したのそしたらそこの、男の人が嘉助君に何かの呪いをかけてるって」

「違う呪いなんて俺はただ剣術の修行を・・・」

「でも!おかしいよ毎日そうやって一日中神社に行って様子も変だし私のことだってほとんど無視するし最近は畑だって荒れ放題じゃない!畑仕事だってほとんどしてないんでしょ?なんで嘉助君は農民なのに農民でいいのに、絶対おかしいよ」

「ミノキ・・・」

「・・・というわけだ・・・そこの汚らしい男、嘉助の才能がないことに漬け込んでめちゃくちゃな剣術作法を信じ込ませ食べ物やら何やらをくすねていたのだろうがそれもこれまでだ、この武蔵が成敗してくれる!」


そういうと武蔵は木刀の握りを変え、突きの構えを取ってカサイ先生に向かって刺突を繰り出した。もちろんカサイ先生はそんなものは容易く交わすことができる・・・そう思ったのは束の間だった。

数秒後そこに広がっていたのは亀のように体を丸めて地に伏せるカサイ先生の姿とそれにやたらめったらに剣を振り下ろし足蹴を入れる武蔵の姿だった。

わざと負けたふりをしているのだ・・・分かった。そしてその意味を理解できただが俺は止まれなかった。


「お前ぇ!」

「・・・くっ何をするっ離せ」


俺は勢いよく武蔵に掴み掛かると感情のままに拳を振り上げそして殴りつけた。武蔵の頬に俺の握り込んだ拳が食い込む。

武蔵はよろけて2、3歩下がり頬を撫で屈辱に気付き敵意の視線を俺に向けてきた。


「き、貴様俺を殴ったな村の名主の息子の俺を?ゆ、許さんっ!」

「お前こそなぜ俺の邪魔をする」

「なぜ・・・邪魔をする?別にお前の邪魔をしよとしているわけではないさ何なら俺としてはお前があの汚らしい男に嵌められて時間を無駄にしてくれるのは好都合なくらいだた、だミノキの頼みだからな断ったら冷たい男だと思われてしまうだろう」

「お前・・・・・」

「ふっ一発まぐれを決めたくらいで調子に乗るなよ嘘じたての3文剣術を半年かそこら齧った程度で俺に楯突くなんざ傲慢なんだよっ」


そう言って武蔵は先ほどとは別の構えで今度は上段からの切りつけを繰り出す。さっきの一発でそれなりに気を散らしているのかその目には半年前ほどの殺気はこもっていなかった。

それでも俺は一瞬固まった。半年前、何の抵抗もできずに頬に食らったあの一撃の感覚が蘇ってきたから。だがすぐに思い出す、今の俺にはそれに対する対抗手段があるということに。


「・・・・・ぁっ」


武蔵の動きが止まった。カサイ先生相手に殺気を高めるには心の中で強くその言葉を念じなければならなかったが武蔵相手ではそれは必要なかった。明確な敵意と憎悪が俺の中にすでに存在していた。

一歩、足をにじり寄せると武蔵は一歩、身を退かせた。2、3歩そして4、5、6歩。次は7、8、9、10、11歩徐々にその速度を上げていくと武蔵の姿勢はついに耐えられなくなって地面に尻をついた。

手に握っていた木刀はとっくの前に地面に投げ出して途中からは自分が対等な勝負を仕掛けていることも忘れてただ熊に怯えるような顔をしていた武蔵の股から尿が漏れ出している。


「嘉助!」


後ろからカサイ先生の声が聞こえた。でも俺は止まらなかった。拾った武蔵の木刀をカサイ先生の立ち姿を真似て構えるとそのまま振り下ろし武蔵の頬を横に撫で切った。

切れ味のない木刀は肌を貫通することはなく先ほどの拳よりも遥かに深く武蔵の顔に食い込む。その拍子にその側にあった武蔵の歯が5、6本落ちた。もちろん歯だけではなく口の中の皮膚を相当切ったようでポタポタと血を垂らしながら今度は武蔵が地に伏ししゃがみ込んでいる。手で頭を守り泣きじゃくりながら怯えるその姿は昔の俺以上に情けないものだった。


「消えろ、そしてこの神社に二度とくるな、俺の邪魔もするな」

「・・・・うぅぅぅぅ」

「行けっ」

「ヒィッ」


大きな声で催促すると武蔵は裏返った声で呻きながらミノキを置いて神社の石段を駆け降りていった。


「・・・・・ミノキ、お前も帰れ」


今度は落ち着いた口調で言う。


「・・・嘉助・・・くん」

「消えろっ!!」

「・・・・っ」


辛そうに顔を歪めた後、ミノキもまた神社を後にした


「・・・・・おい、お前・・・良かったのか?」

「何が?」

「・・・・・・お前」


その時カサイは嘉助のことを気遣って言葉をかけた。だからその口調はちょっと湿っていたがそんな気分はこちらを振り向いた時の嘉助の乾いた声とその表情を見てすっかり思い直された。

微笑というにははっきりとしていて、ただ笑いという言葉を使うほど楽し気のないその顔はまさに”取り憑かれたもの”のそれであった。


「カサイ先生、修行の続きをしよう」

「・・・・・いや、俺が教えられるのはここまでだ」

「は?どういうこと?まだ剣の振り方だって教わってない」

「そういうのは俺は感覚でやってるからな教わったが内容は全部体に染み込んじまって頭では覚えてねえ」

「じゃあ、これ以上、修行はできないってことか」

「いや、お前には才能がある。この半年間でそれは分かった。だからちゃんとした師匠の所で学べるようにしてやる」

「ちゃんとした師匠?」

「西国、日向に俺の師匠がいる、推薦状を書いてやるからお前はあいつの元へ向かえ」

「西国って・・・・・そこに行けばもっと剣術を深められるのか?」

「ああ、間違いない俺の推薦状があれば師匠はお前に剣術を教えてくれるはずだ。あいつの元であれば十分に強くなれる。お前にはその素養がある」

「分かった・・・今すぐ行ってもいいか?」

「待て俺が推薦状を書いてからだ」

「どれくらいかかかる?」

「明日の朝までには終わるから今日は家に帰れ」

「分かった」


その日は一旦家に帰ることになった。もしかしたら武蔵が親に言いつけて何かされるのではないかと思ったがその日はそんなこともなく俺は静まり返った家の中で婆ちゃんが死んで以来日常となった一人ぼっちの夜を過ごすことができた。

家の中を整理、と言っても整えるべきものなどほとんどなかったが薄く埃を被った引き出しなんかを開けて生まれて以来13年間暮らした家の中身を少し寂しい気持ちで隅から隅まで確認した。

朝になるといつもと同じように6時間ほどの睡眠を経てぱっちりと目が覚めた。そして旅の支度をして神社へと向かった。その途中でのことだ。


「待て」

「あ?」


神社につながる別れ道の前にたくさんの人間が群がっている。その顔ぶれは男ばかりで皆が鍬やら鎌を持っておりその中心にはあの俺が落とされた道場の師範の姿があった。

そして俺に声をかけてきたのはその師範である。


「お前、これから神社に行くのだろう」

「だったらなんだよ」

「行くな、というか行かせない。お前俺の門下生に手を出しただろ?師範として道場のメンツを守るために俺がお前を取る」

「・・・・・・それでその大所帯か?一人で来れないとは随分と弱腰じゃないか」

「言うな・・・その無駄口もすぐに聞けなくなる」


男と俺の視線がかち合って二人の間の内側で目に見えない火花が散った。さすがあれだけの門下生を携える道場の師範というだけあって男は”気”を使って俺を威圧した。

それは武蔵よりは洗練されていたがしかし決してカサイ先生に及ぶようなレベルではなかった。

一言で言えば勝てる相手だった。

剣の振り方など教わらなかったのでまともな攻撃をすることはできないが農作業で鍛えた体と修行で身につけた反射神経と先読みの力そして”気”への対抗手段を用いて相手の攻撃を躱しつつ剣を振るう。

たとえ型も何もないめちゃくちゃな攻撃であってもそれなりの場所にそれなりの強さで降りかければ相手にダメージを与えることは可能だった。

3合の打ち合いで師範を制圧し、そしてそこから10を数えるまえに集まった村の男たちは全員地面に倒れ込んだ。


「おお来たか」

「もう推薦状は出来たのか?」

「ああ完成した・・・ほら」

「これは・・・すごい」


その推薦状には紙も墨も使われていなかった。紙と同じように巻けるほど極限の細さで剥かれた木の薄皮にこれまた繊細な力使いで文字が彫り込んであった。

確かにその材質が木であると言うことも文字が墨で書き込まれたのではなく直接掘り込まれたものであることも分かったが、にわかには信じられないほど精密な代物だった。


「まあ、これで俺がお前にしてやれることは全部やった、あとは頑張れ」

「カサイ先生はこれからどうするんだ?」

「俺か?俺はちょっと北の方に用事があってね・・・まああんまり湿っぽい挨拶は無しで行こう。今生の別れってわけでもないし、いずれどこかで会う時があうかもしれないしな、と言うことでまたな。」

「・・・あ」


そう言うとカサイ先生の姿が消えた。一瞬の出来事で何をどうしたのかも分からなかった。凄まじい身体能力、やっぱりまだ本気を出してはいなかったか。

それを実感して俺の中にうずうずとした感情が湧き上がってくるまだまだ上を目指せると言うその喜びが俺を旅路へと突き動かした。


「待って嘉助!」


神社を降りて村に背を向け山道の方へ進もうとしているとミノキの声が聞こえた。

振り向いてみると息を切らしたミノキが俺の少し後ろにいた。だがやっぱり俺の気持ちは変わらない、動かない


「待って・・・私も、私も連れてって!」


沈黙によってその言葉を否定して俺は先へ遥か遠くの何かを目指して新たな一歩を歩み始めた。



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