表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/7

第七話 『 お引き立て 』

「こちら通信指令──201、応答せよ」


乾いた無線が、警事企業RePolice(リポリス)の車内を震わせた。

応答は一拍、呼吸の間を置いて返る。


「201、応答中。どうぞ」


「○時○分。ミンテージ実貨幣統制社・中央支店より非常通報。

強盗の可能性。場所はハイランド、○○区△△一丁目四番。至急、現地確認を」


「201、了解。現在地から南へ三百──直行する」


運転席の警官がサイレンスイッチに指をかけた。

赤色灯が点灯し、都市の騒音とは異質な警報音が、街の皮膚を逆撫でした。


「犯人は1名との報告。銃器所持の疑いあり。

市民との接触は極力回避。状況確認を優先せよ」


「了解。201、現場到着次第、続報を送る」


*


数分後、車体は歩道の縁石を跨ぎ、目的地前で停車する。

ブレーキのきしみより先に、隊員が報告を送った。


「こちら201。現場到着。外観に異常なし。店内の視認不可。

通行人の避難誘導を開始する」


「了解。後続部隊が向かっている。建物外周を警戒。無線開放し、接近は避けよ」


助手席の隊員がガンラックからライフルを引き抜いた。

非殺傷型──液体金属弾。

薬室を確認し、同僚と目を合わせる。


「通行人の避難完了後、正面封鎖を行う。201、待機中」


「本件、重大事案コード91として進行。

後続到着次第、突入せよ」


車のドアが開き、彼らは都市の静寂へと歩み出た。


「《リポリス》は通報から二、三分で姿を見せる。

初動は交通遮断と人員誘導、それから建物の包囲──ああ、ちょうどあそこらへんに止まる」


ファーストがフロントガラス越しに指を差した。

言葉は説明ではなく、演出に近い。


車はミンテージ中央支店の向かい、駐車場に潜ませてある。

助手席の俺は、その指先を追うように首をかがめた。


「……せま。アンタの車、せまい」


「おい。これがな、俺のイースト・マッスル様だ。ヴィンテージ。マッスル。

乗せてもらってるだけありがたく思え」


「ダッシュボードに足も乗せられない」


「乗せるなバカ」


狭さは戦闘機のコックピットのようで、もはや車というより兵器に近い。

車体の腹の奥から、呻くような低周波が立ち上がっていた。

過去に遺された金属が、未練のように空気を揺らしている。


「……時代は変わった」


ファーストが言った。口調は説明というより、反芻だった。


「価値観は更新され、銃弾はもはや実弾ではない。

 撃つことは殺すことではなく、制圧を意味する行為になった。

 犯人が一人であるとわかれば、警官数人で突入するだろう。

 その合理性に、死の確率など考慮されない」


「リポリスねえ……」


俺は小さく言った。

「自動警察の実働隊なら、見たことがある」


ファーストは答えず、窓の向こうに目を凝らしている。

その姿が静かすぎて、思考が空白に沈んだように見えた。


「……どうした?」


「いや、なんでもない」


彼は眼差しを戻し、言葉を再開する。


「リポリスは自動警察の下部企業。ミンテージの契約相手だ。

 本家がシェアを独占してるせいで、世間の目も集中しすぎる。

 彼らはその“一枚岩”に綻びをつくる名目で生まれた。

 だが、出来立てほやほやの企業に、重大事件をどうこうできる力は無い。だから実銃事件と分かれば、自動警察が出てくる。……エキスパートだよ、奴らは」


「じゃあ、奴らが来る前に逃げるのか?」


「逃げられない。包囲されたら最後、撃ち伏せられる。

 そのリスクは計画段階で計上済みだ」


「じゃあ、どうやって?」


「……おいおい。計画書を読んでないのか?」


「再確認だ」


ファーストは、指先でハンドルをトンと叩いた。

ピアノを弾くように、無音の鍵盤を鳴らす。



「金庫室の床に、大穴を開ける」



言葉だけで聞けば、冗談めいていた。だがその抑揚は冗談を拒否していた。



「液体金属で腐食させるのか?」


「扉と外装は無理だ。プラチナ合金とカーボン系複合材。腐食不可能」


ファーストは言い、顎で自分の後部座席を示す。


「見てみな」


狭い車内。身をよじらせて振り向くと、ダッフルバッグがひとつ、突っ込まれている。

ファスナーを開くと、粉末──銀灰色の粒子がパックに詰められていた。


「火薬か?爆発させるんだったか」


「いや、溶かす。混合粉末だ。アルミニウムと酸化鉄。おまけに着火剤のマグネシウムリボン。

 着火すると、テルミット反応が起きる。

 温度は──3000度。鋼鉄を、バターのようにする」


「それで床を?」


「そう。次に、金庫室を密閉する」


ファーストの口調は、すでに手順を追体験するかのように滑らかだった。


「内部が燃え、酸素が不足する。

 そのタイミングで、床下から新鮮な酸素が流れ込む。

 そうすれば──爆発が起きる。バックドラフトだ。

 床が破れ、人ひとり通れる穴が出来上がる」


俺は座席に戻って、彼を見た。


「……金庫室の下に、空間があるのか?

そんなバカな設計、あるわけ……」


「ちっちっちっ」

ファーストが指先を振る。揶揄のリズム。鼻にかかる皮肉。


「この都市を忘れたか? スタビリテは廃墟の上に立ってる。

 構造物の死骸の上に、再生した都市だ。

 ミンテージの下には、旧い建築物がある。

 つまり──インサイド。

 金庫室は外部からの侵入を防ぐため、半地下に造られてる。

 結果として、旧層と接してるんだ」


「じゃあ、下から盗めばよくないか?」


「誰かがそう思ったんだろう。だから下の階層は潰された。

 各フロアの床を取り除いて、30mの空洞をつくった。

 ……地獄のような吹き抜けだよ。落ちれば一巻の終わり」


「なら一巻が終わるじゃないか」


「安心しろ。お前は死なない」


「いや、死なないってことが問題じゃない。

 怪我すらしたくないんだが」


ファーストは笑わずに笑った。

手元のシフトレバーに触れ、車を路上へと滑らせる。


──計画はすでに、走り始めていた。





──実働部隊を乗せた黒いバンが、

都市の心拍に似たリズムで震えていた。


車内。

四名の隊員が、揺れる座席の中で黙していた。

誰も語らず、誰も鼓動を漏らさない。

ただ、スピーカーのように命令だけが、一名の女性隊員の口から再生されていた。


「以下、伝達。


対象施設はミンテージ実貨幣統制社・中央支店。

犯人は契約企業RePoliceの警備員4名を銃撃し、無力化。

生存警備員の証言より、犯人は『実弾式拳銃』を所持している」


隊員たちは、命令の意味を問わない。

言葉は、従うためにある。


ライフルの弾倉が外され、装填が確認される。

黒いグローブが、弾帯のロックを弾く。


「現在、犯人は施設バックヤード──金庫室に侵入、占拠状態。

人質1名。

通信信号を確認済みのため、ジャマーは稼働中」


車内の空気が硬化する。

殺気ではない。任務だ。

暴力は、この中では手段に過ぎない。


「案件分類:交渉非対応・強制制圧対象。

発砲許可済み。制圧優先。目標の確保は副次とする」


ある者はヘルメットの内側に指を差し入れ、バイザーを固定した。

また一人は、チェストリグに固定された『自動警察』のワッペンを指でなぞった。

そこに誇りはなく、ただ責務だけが宿っている。


「突入経路:施設北側 第一接近ルート。

映像補正モードON、暗視・遮蔽下での突入を許可。

C2プロテクター装備。

閃光弾の使用は現場判断に委任」


「再確認──

犯人は“旧型致死弾”使用の可能性あり。

制圧完了後、即時現場封鎖および記録遮断を実施のこと」


指揮官の声は、女であるという情報さえ意味を持たないほど、機械的だった。


バンが減速した。

車体が左右に揺れ、そして沈黙の中で停止する。


「──状況、開始」


号令と同時に、後部ドアが跳ね上がる。


隊員たちは訓練された無音で飛び出した。

ライフルを構え、隊列を成しながら、施設の外周を滑るように移動していく。


足音、気配、息遣い──すべてが遮断されていた。


だが。


その時だった。


建物の内部。

密閉された空間から、遅れてやってきた衝撃波が、空気を突き破る。


──爆発。


一瞬で、空間の密度が変わった。

音の前に、風が肌を裂いた。


地面が揺れた。

建物の窓が震え、埃が噴き上がった。


隊員たちは止まらない。

それは想定内だった。

すべての異常は、“記録”されなければ、異常とはみなされない。


突入開始ブリーチング


指揮官の声が、崩壊しはじめた都市の境界に、次の命令を焼きつけた。


自動ドアが開く前から、隊員たちはそこに滑り込んでいた。

反応は指先より速く、命令よりも正確だった。


「自動警察だ!」


声がロビーの静寂を貫いた。

そこに応答はなかった。人影もない。

ただ、制度の声だけが壁に反響して返ってきた。


隊員たちはロビーを抜け、バックヤードへの扉を左右から包囲する。


「マスターキー」


女性隊員の指示に、ひとりが背からブリーチングショットガンを抜き取る。

銃口がロック機構に押し当てられ、瞬間、鋼鉄が火花を散らして崩れた。


間髪なく、別の隊員が扉の向こうに飛び込み、クリアリングを開始。

命令の余韻が空間に残る前に、全員がその後へ続いた。


廊下を抜け、階段を降下する。


熱気が空間の密度を変えていた。

それはもはや、人の営為があるべき環境ではなかった。


金庫室前。

ひとりの男がいた。


高級なスーツ。背筋の通った佇まい。

だが、その姿には何かが欠けていた。中心のようなものが、抜けていた。


「跪け!」


命令が響く。男は両手を上げ、膝をついた。


「な、なんだ、あんたら……?」


「黙れ」


背後から制圧。両腕が縛られ、引き倒された。


部隊の視線は、その先に移る。

金庫室──黒い煙を吐き、熱を噴き出す空間。

人が生きられる条件を拒絶した、制度の心臓部。


「フラッシュバン」


ひとつの指示。

手榴弾が放物線を描き、黒煙の中へ吸い込まれていく。


閃光。爆音。


その瞬間、視覚と聴覚は制度の所有物となる。


「ブリーチング!」

「自動警察だ!」


声とともに隊員たちは突入。

一斉に分散し、部屋の隅々を確認する。


しかし。


「……いない」


沈黙。


空っぽの金庫室。


焼け焦げた床。灰に埋もれた空間。



ただひとつ──煤の中に浮かぶ、“穴”がそこにあった。



煤に塗れた床面が、まるで切り取られたように抉られていた。

その深さは、光の届かない境界へと続いている。



「社長」



声に応じ、女性隊員が前へ出る。

銃のフラッシュライトが、穴の内部を照らす。

何も見えない。闇だけがあった。


彼女はケミカルライトを折り、ぽとりと穴へ投じる。




数秒の沈黙。




──着水音。




底面は、水だった。



「状況終了」



その言葉は、誰に向けられることもなく、

ただ暗黒へと吸い込まれていった。

──数時間後、報道が流れた。


“ミンテージ実貨幣統制社・中央支店にて、実銃を使用した武装強盗が発生。

 犯人は金庫室に侵入後、内部の紙幣を焼却し、現場から逃走。

 金品は一切持ち出されなかった模様”


静かな声で、アナウンサーが読んでいた。


その語調に、感情はなかった。


報道の最後。

男の名前が告げられた。


──『スワン・アイデンテ』。


俺が選び、演じた“無辜の他者”の名だった。


それは記録され、拡散され、アーカイブされた。

報道とは、記憶の供養である。


*


俺は、ニュースアプリの液晶を静かに閉じた。


夜の都市に、光がまたひとつ減っていた。


ローランドの鉄橋下。

塵だけ残った焚き火に、数人の影が群れていた。


誰も名前を問わない。誰も意味を要らない。


バッグから、脱いだ衣類を取り出した。

安物の合皮。架空の容姿。


そして、ドミトリの腕から奪った時計──

金と時間の象徴。


「……金品は持ち出さなかった模様、か」


その声と同時に、手にした時計を、炎の中へと落とした


衣が火に飲まれ、金属が熱で歪む。

チチッと音がして、内部の歯車が爆ぜた。


その音を聞いていた誰かが、笑った。


俺は何も言わず、焚き火に背を向けた。


足跡は、もう残らない。

ただひとつ、灰だけが風に乗って、夜へと消えた。


焼却したのは貨幣で、手にしたのは沈黙の時間。


無灯火な都市の電波には、ただひとつ──

犯罪者スワン・アイデンテを称える言葉だけが、静かに流れていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ