第六話 『 より格別 』
あらすじ:
妹を救う鍵は、“記録されない病”ペルゲ病にあった。
情報提供者ファーストが示した手段は、犯罪──企業襲撃。
アダムは拒絶するも、イヴの病状は悪化し、
過去の自分が借りていた“オフィス”で、過去を発見する。
あったのは、
焼却され損ねた書類と、
大量の銃器と弾薬、
──そして、“かつての自分”が仕掛けた罪の設計図。
選ばなかったはずの道が、すでに用意されていた。
平穏は崩れ、アダムはついに“電話をかける”。
「あの話、やっぱりやる」
今はただ、生きる時間が必要だった。
「犯罪において、捕まらないために必要な条件はいくつかある」
インサイド。
深層都市の腐蝕を縫い合わせるように設けられた仮設会議室。
その硬質な静寂のなかで、ファーストは静かに“犯罪の構文”を語り始めた。
俺は、卓上の古びた金属灰皿を弄びながら、耳だけを貸していた。
「物的証拠が残らないこと。
動機が理解されないこと。
そして、有効な証言が、存在しないこと」
「当然だな」
それなりの覚悟と割り切りが、すでに俺の内側にあった。
ここへ来たのは、それを肯定するためだった。
「──だが、素人がよく見落とすものがある」
「何だ」
「自己整合性だ」
俺は一瞬だけ視線を上げた。
「……整合?」
「そう。人格の一貫性だよ。
ちょっとした齟齬が、警察の嗅覚を刺激する。
だが──もし犯行後、自分が犯人だと“信じていなければ”?
その行動は、供述と噛み合わない。
喋り方が変われば、声紋は一致しない。
──記憶がなければ、証拠にはならない」
俺は鼻から乾いた息を吐いた。
「自己催眠か。言うのは簡単だが?」
「できるさ。少なくとも意識すればいい。
……犯行中、名を聞かれても“アダム”とは応えない。
事後、責められても“犯人ではない”と主張する。
お前はお前じゃない。
台本を降りて、“無辜の誰か”を演じるんだ」
「……はぁ」
俺は、机上の古びたスマートフォンに手を伸ばした。
非追跡端末──《ゴーストフォン》。
見た目はありふれた旧世代スマホ。
厚く重い筐体に、低解像度の液晶が載っている。
だが内部は、あらゆる痕跡を拒絶する。
起動のたびにIMEIが書き換わり、
通信は多重VPNで分散化され、
シャットダウンと同時に記録は揮発する、らしい。
この機体は“存在しない”。
それはつまり、使用者もまた“存在しない”ということだった。
ファーストがインサイドの闇市場から手に入れた、
計画の“脚本”の一部。
彼は紙片を一枚取り出し、机の上に置いた。
人差し指で軽く叩く。
「──おさらいしておこう」
そこには、俺ではない“誰か”の人生が記されていた。
「お前は、成人済の男。無職、異性愛者、ギャンブル依存。ローランドの路地裏に寝泊まりするホームレスだ」
記録は人格の設計図だった。
目を閉じる。
深く息を吸い込む。
「──ある日、街角で見知らぬ男に犯行内容をたらし込まれ、報酬に目が眩む。
そして、歪んだ夢想に突き動かされる」
俺という物語は、今この瞬間に脱ぎ捨てられた。
──携帯を立ち上げ、通話アプリを開く。
そこに現れる番号は、制度と利得の中枢。
ミンテージ実貨幣統制社。
「……お電話ありがとうございます。こちら、ミンテージ社です」
女の声は澄んでいた。
言葉に迷いもなく、発音は機械のように正確だった。
俺は少しの間も置かず、嘘を吐いた。
「おたくが主催してる宝くじ……高額当選は、どう受け取ればいいのかな?」
「──担当にお繋ぎします。少々お待ちください」
数秒の保留。単調な電子音楽が、神経の底を震わせた。
「私、ミンテージ中央支店の責任者、ドミトリです」
ドミトリ。
誰もが忘れそうな響きを、彼は確かな実在感で発音した。
「今一度、当選番号の確認をお願いできますか?」
当たり前の確認だ。
このやりとりは想定済みだった。
「07 - 12 - 19 - 26 - 31 - 42」
数字はまるで、呪文のようだった。
彼はしばし沈黙し──やがて言った。
「この度は、ご当選おめでとうございます」
詐欺は、成立した。
それなのに、心は軽かった。
欺いたはずなのに、偽ったはずなのに、
“誰かになれた”気がした。
「手続きについて、当店にてご案内差し上げたいのですが、よろしいでしょうか?」
「あぁ。すぐにでも」
そう応じながら、思っていた。
──俺は今、罪を犯している。
だが、同時に“自分という役”を演じていた。
その感覚が、なぜか……心地よかった。
「では、お名前をフルネームで」
一瞬の間。
その空白に、記憶の“可能性”が流れ込んだ。
名前とは、記録の結晶であり、人格の中心だ。
「……スワン・アイデンテ」
口にした瞬間、それは実在した。
俺が欲したから、生まれた名。
スワン。それは、俺が成り代わろうとした存在。
イヴ。
もしかしたら──俺は擬似同一人物になりたかったのかもしれない。
仮初の一貫性が欲しかったのかもしれない。
善も悪も、変えたくなかったのかもしれない。
ただ信じたかった、過去を。
記憶ではなく、役割によって定義される“自分”を。
「スワン様。この度は本当におめでとうございます」
その声は、俺の詐称を肯定し、祝福した。
*
垂直交通を降りた。
手にしたダッフルバッグが重かった。
中には、計算された破壊のための素材。
テロリズムとは、理念ではなく構造だ。
いま、俺は構造の中にいた。
重量のあるバッグが、足元に沈む。
中身は粉末。酸化鉄とアルミニウム。
それを担いで、俺は高地都市ハイランドの寒気を受けていた。
「……重いし、寒いし、最悪だな」
合成レザーの手袋を擦る。
帽子とネックウォーマーの隙間から、白煙が漏れ出た。
標高が高いと呼気が白く、街の喧騒に溶けていく。
見上げれば、黒と白の意匠で包まれたガラスビル。
ミンテージ実貨幣統制社・中央支店。
権威と利得が物理的に成形された建築物。
俺はその正面を避け、裏口へと回り込んだ。
「防犯上、高額取引のお客様は裏口をご案内しております」
──そう。ドミトリが言っていた。
自動ドアの向こう、不可避のセキュリティゲート。
監視カメラが無音の視線を投げる。
その先に控えていたのは、
ボディアーマーに『RePolice』のワッペンを掲げた窓口の警備。
自動警察とは異なる、契約型の私設警務企業。
この都市の空洞を警備する、別の“力”。
ゲートは何事もなく開いた。
──粉末を詰めたバッグも、玩具レベルの模擬銃も。
それらは、“違法”という体系からすり抜けた。
存在は、世界に“許された”のだ。
「本日は、どのようなご用件で?」
無機質な警備員が、型どおりに問う。
「的中券の換金に」
帽子の影とネックウォーマーの奥から、声だけを通した。
その直後だった。
廊下の奥、革靴の音とともに姿を現すスーツの男。
「お待ちしておりました、スワン様」
──ドミトリ。
声音に翳りはなく、態度は過剰なまでに礼節的だった。
彼は名刺を差し出し、俺がそれを無視するのを見て、軽くうなずいた。
「では、電話でお伝えした通り、手続きのご案内を──」
そう言って、歩き出す。
俺は、沈黙のまま彼に従った。
高級感のある廊下。
音を吸収する素材と、香料によって設計された“余白”。
通行人の姿はなく、空間は密閉された祝祭のようだった。
ふと、後方を振り返る。
誰もいない。
完全に、予想通りだった。
「こちらです」
ドミトリが指差した扉には、プレートがあった。
──《第三応接室》
モニュメントの隣に、その文字が彫られていた。
交渉が成立する部屋。
あるいは、破綻が始まる部屋。
ドミトリは、まるで慣習のように丁寧に扉を開けると、手を添えて言った。
「どうぞ、お先に」
その芝居がかった所作に、俺はわざと身を引いた。
「──いや。お前が先だ」
声音は抑えたまま、言葉に“命令”だけを込める。
ドミトリは笑った。営業スマイルのテンプレートをなぞるように。
──その首元に、手を伸ばす。
俺は、その手の動きよりわずかに早く──**銃を取り出した。**
スキニータイを鷲掴みにした。
後ろには、社員証をぶら下げたパスホルダー。
そして──眉間に、銃を押し当てた。
「っ……!」
眼前に広がるのは、ソーシャルメディアで幾度も刷り込まれた造形。
──《R9-ARMS》。
社会の脅威、殺戮のイメージ記号。
ドミトリは抵抗を捨てた。
ゆっくりと、両手を挙げる。
「中にいる友人にも、挨拶させろ。こっちは全部、知ってる」
そう言うと同時に、部屋の両脇から男たちが姿を現す。
──警備。
キャリアプレートには《リポリス》のロゴ。
それぞれが拳銃を構えて、慎重に上体だけで様子を伺っていた。
「武器を捨てろ。床に置いて、こっちに蹴れ」
声は低く、切断のように短くした。
だが、彼らは動かない。
混乱と警戒のあいだで、判断を留保している。
「聞こえないのか? それとも、現実が読めないほどバカなのか?」
怒声が空気を裂いた。
俺はドミトリのネクタイをさらに引き寄せ、
銃口でその額を押し込んだ。
「おっ、おいッ、従え! 言う通りにしろッ!」
ようやく、ドミトリがその状況を正しく理解し、叫ぶ。
その声に呼応するように、警備たちは拳銃をゆっくりと床に置き、
蹴り出した。
銃はセーフティがかかったまま、壁に跳ね返り、俺の足元で止まった。
俺はネクタイから手を放した。
ドミトリは後ろへ崩れ落ちた。
素早く、床の拳銃を拾い上げる。
小さな“補強”のように見えるが、計画には繋がる。
三人をまとめて銃口で睨み、無言のまま室内へ誘導する。
彼らは両手を挙げたまま、順番に部屋へと入っていった。
俺は最後尾で、ゆっくりと扉を閉めた。
──沈黙が降りた。
密閉された応接室。
厚いカーペットと防音壁が、銃声すら“記録しない”。
「ドミトリ。そいつらから手錠を取って、椅子に縛りつけろ」
言葉は命令だった。
疑問も逡巡も、通る余地はない。
「……は、はい」
応じながら、彼は警備員の腰に付いたユーティリティポーチを開き、
一対の鋼鉄製ハンドカフを引き出す。
形式的な抵抗はなかった。
俺はその動作を見届け、片方の警官に近づいた。
奪った拳銃の銃口を、額へ押し当てる。
──躊躇はなかった。
トリガーを絞る。
音は鈍く、液体金属が額を割って溢れた。
非殺傷。だが、それだけで十分だった。
警官は昏倒し、応接椅子に無力な肉体だけが残された。
……失敗は、許されない。
この空間には、同情も救済もなかった。
ないようにした。
俺はもう一人の警官に言った。
「仲間を呼べ」
彼は震える指で無線機を操作し、震える声で呼びかける。
「巡回三番から警備室……応接室で対象制圧。応援、頼む」
「……了解。ロビーから向かわせる」
会話は形式的で、平坦だった。
──だが、それでよかった。
数分のうちに扉が開き、新たな警官が現れた。
一瞬の沈黙。
状況把握。
銃口の先に意識を集中させる。
再び無言の拘束。
椅子に並ぶ、意識のない三つの身体。
人間が“事後”としてしか存在できない部屋。
「まだ、いるはずだろ。呼び出せ」
「む、無理だ……いない。巡回はこれで全員だ。誓う!」
「……そうか。言質が取れた」
淡々と、俺は残った警官にも液体金属弾を撃ち込んだ。
銃は冷たく、結果だけを置いていく。
罪は、構造として完了した。
──俺は拳銃をしまい、再び《R9-ARMS》を取り出す。
そして、ドミトリへと向けた。
「腕を出せ」
彼は震えながら、右腕を差し出した。
そこには高級感のある腕時計が巻かれていた。
「……時は金なり、か。じゃあ金は、命だな」
時計を外し、時間を確認する。
「──お前らの余命は、金が繋いでいる。
俺を金庫に連れて行け。失敗したら、お前の世界を全部殺す」
脅しの文句を呟くと、俺はドミトリのネクタイを掴み、
その布地を彼の首に一巡させる。
固定具のように締めあげ、背中へと張りついた。
人間盾──人質という構造物の完成だった。
「──行け」
囁くように。
それでも、命令には抗えない強度を込めた。
導火線は、すでに点火されていた。
俺の意思に押されるように、ドミトリの足が動き出す。
応接室を出ると、廊下の照明はわずかに沈んでいた。
その先、音と気配が充満している。
ATMから断続的に鳴る、無機質なタッチ音。
靴音が床材に反響し、等間隔の鼓動のように響く。
防犯ガラス越しに、店員の声がくぐもって届く。
──そして、そのすべてを遮る音が、鳴った。
銃声だった。
ドミトリの脇の下に隠した銃口から、液体金属が火花のように飛び散った。散らせた。
『パンッ』『パンッ』『パパン』
引き金は、群衆の心音を裏返すスイッチだった。
ATMの電子音は悲鳴へと変わり、通行人は伏せるか、あるいは逃げ出した。
その混沌を縫うように、後方から走り寄る足音。
反応は早かった。
──警備室に残っていた男が、ライフルを構えて突入してくる。
銃口がこちらを捉えた刹那、
ドミトリの背中が震え、肩が跳ねた。
「ぐっ……!」
液体金属が跳弾し、空気に金属臭を残す。
俺は反撃した。
照準、引鉄、沈黙。
銃弾は、警備員の頭部を貫通し、床へ崩れ落ちた。
「強盗だッ!──英雄気取りはやめておけ!」
叫ぶ。
その一言が、抵抗の意思を削る。
人々は疑念とともに沈黙し、空気は支配されていく。
倒れた警備の身体からライフルを拾い上げる。
懐から予備の弾薬を確認し、ドミトリの脇へ腕をまわした。
「──行くぞ」
彼の社員証をスキャナへかざす。
セキュリティゲートが反応し、《関係者区域》のドアが開いた。
内部には、再び叫び声が走った。
「そこの伏せてる君──ドミトリ支店長が怪我してるぞ。手を貸してやってくれ」
女性の従業員が顔を上げる。
怯えたまま、小刻みにうなずき、駆け寄ってくる。
「……店長、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……」
俺はその二人を伴って、奥のバックヤードへと進んだ。
そこには、地下へ続く階段。
地から現金を吸い上げる、短くて広いエレベーター。
そして、鋼鉄製の──巨大な金庫扉。
ドミトリの肩を叩く。
彼は歯を食いしばり、女性店員と共に手を端末にかざした。
首元のIDパスをスライドする。
──ガッチャン。
金属音。ロックの解除。
バンクボルトの軋むような回転音が、階段を伝って反響する。
内部の照明が、一灯ずつ点いていく。
白色の冷たい光。
「……店員さん、もう行っていい。外に出て、通報してくれて構わないぞ。
いや、もうされてるだろうけどな」
俺の言葉に、女性はただうなずき、走り去った。
──警察のサイレンが、遠くから届く。
やがて、ヘリコプターの振動も耳に届いた。
現場に集まりつつあるらしい。
掻っ攫った腕時計を見た。
針の位置を確かめる。
──猶予は、わずか。
それは“焦燥”の予告だった。
俺は本題に戻った。
金庫室を覗き込み、静かに言う。
「ドミトリ、防火装置を切れるか?」
「や……やってみます……」
いつの間にか、彼はより従順だった。
あるいは、脅威に服従するのが自然というように。
端末に触れると、天井からガスが放たれた。
『シュウゥッー……』
無色の冷気。
その匂いは、金属と人工甘味料を混ぜたような、不快な“文明の香り”だった。
「ありがとう。じゃ、入ってくれ」
ドミトリが先陣を切る。
俺はその背後を無言で追った。
中は、想像と異なっていた。
巨大な紙幣の山など存在せず、整然と並んだ小金庫の群体が壁を占拠していた。
──現実は、いつも記号より地味だ。
俺はライフルのセーフティを解除した。
照準を合わせ、引鉄を絞る。
『バン』
液体金属弾が鍵穴を侵蝕し、
ボルトの切断された扉が、無力な音を立てて開いた。
中には、整然とラッピングされた紙幣のブロック。
それは金という概念を物質に変換したものだった。
手を突っ込み、束を床へ落とす。
──汚れない紙幣は、触れられた瞬間、道徳を剥がされた。
次々と金庫に弾を撃ち込む。
弾倉を替え、熱を逃がしながら、バレルを休ませた。
ライフルが空になると、ハンドガンに切り替える。
引き金を引くたび、制度が一層ずつ削られていくようだった。
すべての扉が開いた時、俺はダッフルバッグを金庫室の中心に放り込んだ。
その重量から解放される感覚は、呪いを外されたようだった。
ポケットから──ファーストが残したマッチを取り出す。
一本、擦る。
青白い火花が指先を照らす。
それを、崩れ落ちた紙幣の山へ放り投げる。
「えっ……!? な、何を──」
ドミトリの声が、揺らいだ。
紙の山が音を立てて燃え始め、
ラミネートが焼け、ダイオキシンが立ちのぼる。
焦げたインクが、現実を煙で塗り潰していった。
俺は再びマッチを擦り、
それをダッフルバッグの開口部へ──
火薬と酸化剤の混合物の巣に、直接突っ込む。
火は爆弾の胎動に変わり、時間の針が急速に回り始めた。
俺はドミトリの背中を押した。
「出るぞ」
二人で廊下を駆ける。
過去から、そして“金”という記録から。
「扉を閉めろ」
叫ぶ。
ドミトリがセキュリティ端末に駆け寄る。
入力、認証、そして──金庫室は密閉された。
「な、なぜ……なぜ金を……焼いたんです?」
ドミトリが問う。
それは、金そのものより価値のある問いだった。
俺は一瞬だけ言葉を探し──口を開きかける。
「え? ああ、それは──」
──その時、電話が鳴った。
ドミトリのポケットから。
不意に、世界が“予定外”に割り込んできた。
──電話の呼び出し音が、隔絶された空間を振動させた。
「……出ろ」
俺が命じる。
ドミトリは一瞬ためらい、だが従った。
ポケットから端末を取り出し、震える指で応答を押す。
「……もしもし?」
通話口から女性の声。
輪郭を欠いた、けれど確かに心配する声。
「貴方……無事なの? ニュースで……強盗が……」
その言葉は、外界のノイズだった。
だが、俺にとっては“情報伝達”の媒体になり得た。
俺はR9をゆっくりと彼に向ける。
それは命令だった。
「(今の状況を、包み隠さず伝えろ)」
ドミトリは目を見開き、わずかに頷き、声を出す。
「……犯人は、目の前にいる。実銃を所持していて、俺を人質にしている。
現金は……焼却された。金庫室の紙幣はすべて。
犯人は、社内構造を熟知している。明らかに……素人ではない」
「え……どういうこと?」
「何か、目的があるようだ。……俺には、理解できない」
通信は、そこで断たれた。
どこかで回線を切断された。
誰かの思惑でも──それも“計画”の一部だった。
*
地の底から音がした。
──ドォン……ッ!
扉の向こう、密閉された金庫室から。
内部に仕掛けた酸化剤と可燃粉が、導火の末に爆発した。
床が震え、空気が振動した。
だが構造体は持ち堪えた。
この都市の建築基準は、金を守るための強度でできている。
「……なんて事だ」
ドミトリが呟いた。
だが俺は答えなかった。
視線はモニターへ。
金庫室内のカメラフィードは、すでに途絶えていた。
映像は、灰色のノイズに塗り潰されていた。
名乗った名も、掴んだ報酬も、誰かに覚えられることはない。
それでも、
地の底へ飛び込んだこの瞬間だけは──
平素より、格別だった。