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第四話 『 お慶び申し上げます 』

あらすじ:

記憶を失ったアダムは、倫理を利潤で管理する都市スタビリテにおいて、形式的な社会復帰を果たしつつあった。

イヴとともに向かったのは、《記録》を神聖視する教団施設《ロゴフェイス教会》。

そこは信仰と博物館が混淆する空間であり、かつての人類が犯した過ちを“保存”することで、神性を確保しようとする実験的共同体だった。


展示は語る──

進化とは、肉体の変容ではない。

それは、「自らが感じていることを知覚する」感覚の誕生、すなわちセマノシスによって幕を開けたのだと。


存在を知ることは、世界を認識することに等しく、

そして知覚から出た探求心によって、人類は最初の“記録”を刻んだ。


爆弾。戦争。選別。記録。

あらゆる暴力は、保存の名の下に展示へと変貌する。


だが、記録されぬものがある。

忘却された罪。書き残されなかった言葉。

兵士達が受容した青果。

そして“彼”の過去もまた、書かれたページの空白としてそこに在る。


裏手で彼を待っていたのは、“知っている”と語る男だった。

銃口を向け合う沈黙の中で、アダムは知る。

──この物語において、自らが未だ“他人の記録”であることを。

「おいおい、トモダチに銃を向けるのか。

 やけに“つめた〜い”じゃないか。“あたたか〜い”対応を求むよ」


「……自販機ジョークか?“あたたかい”でも、“闘い”なら応じてやる」


「言い当て妙だな」


教会裏、機械の呼気が吐き出す熱気の中。

俺は、自販機の明滅に照らされる“異物”に銃を向けていた。


照準越しに見るその男は、飄々とした笑みを浮かべている。

眉は非対称に持ち上がり、鼻下を掻くその手つきは、子どもの駄々に屈する親のように緩い。


──癪に触る。


「俺は、話をしたいだけだ」


「なら近寄るな。信用できる理由がない。

 連絡は偽装、尾行は事実、武装の可能性もある。

 それで、どうやって“友好的”に接しろって?」


「……ここじゃ話せないってことさ」


「……話す気すら嘘か?」


言葉を交わしても、濁りは増すばかりだった。


「……なるほど、そうか」


男の声が、低く沈む。


「お前は、正気だ。そして、それは記憶喪失だ。

 ──医者じゃなくても、分かる」


ゆっくりと、男は胸元から銀色の箱を取り出す。

一包からタバコを一本──指で二度、軽く叩き、唇に挟む。


火はマッチ。旧い形式を好む手つきだった。

一本を吸い切る前に、もう灰になっていた。


──異常なほどの早さ。もしくは、吸うという行為が形式でしかないのか。


「悪い。交渉は苦手でな」


次の瞬間、奴の脚が閃く。


『パンッ』


俺の手は足蹴にされ、拳銃が宙を射る。

咄嗟に引き金を引いたが、無駄弾だった。

熱も衝撃も、虚しく地に散る。

発射された液体金属弾は舗装の上に弾け、プラスチック製の薬莢が、乾いた音で跳ねる。


だが銃は──離さなかった。


離せなかった。

それは身体に染み込んだ条件反射だった。

命を賭してきた記憶が、俺を支配していた。


男が飛び込んでくる。


今度は、蹴りを警戒して構えを低くした。


俺は撃った。一発。そしてもう一発。


だが、男は怯まず、むしろ自らのジャケットを頭上へと捲り上げて──

布地に弾を受け止めさせた。


──こいつ、素人じゃない。


身体がぶつかる。

俺はその勢いのまま背後の自販機に叩きつけられた。


『ガンッ!』


ディスプレイが凹み、一瞬で回復する。


床を蹴って立ち上がる。

俺は走った。

撃っても通らないなら、**撃ち倒せる距離まで近づくしかない**。


だが。


奴は、怯えない。

いや──こちらの行動すら“想定内”という顔だった。


俺は腹部を狙って、銃を突き出した。


──引き金に指はかかっていた。


だが、撃てなかった。


空回る引き金。


バカを見たみたいに、俺の思考は宙を滑った。


「裸のオートマチックってのはな、暴発防止に接射できねぇんだよ」


知っていた。

いや、正確には──俺が“忘れていた”ことを、奴は覚えていた。


銃口が封じられた瞬間、男の手が伸びる。

俺の手首を掴み、銃を奪い取ろうとする。


もつれる腕と腕。

絡む肉体。

まるでラジコンの操縦を奪い合う幼児のように、情けなく──だが、命が懸かった争いだった。


男が射線に入る幾度ものタイミング。

引き金を引く。

だが、発射されるたび銃口は宙を彷徨い、弧を描く。


『パパンッ』

『パンッ』

『パパンッ』


撃つことすら、意思ではなく反射だった。


──金属を急激に腐食させる性質があるから、下手に撃たないでね。


デブリードの声が、脳裏を走った。


自販機に撃ち込まれた液体金属弾は、鋼板をジュワジュワと侵蝕していく。

発泡音と共に、機体は崩壊を始めた。


合成樹脂詰水と缶詰が、列をなして地面を転がる。

異様な光景──だが、意識は目前の敵にしか向けられなかった。


──殺せ。


それは、声ではなかった。

**感覚の底から湧き上がった指令**だった。


──殺したくて、堪らないでしょう?


今度は、明確な声だった。

ダニエルだ。あの男の、悪夢のような囁きが蘇る。


──私たちだけの、進化です。


頭が焼ける。視界が赤黒く滲む。


──もう逆らえない。


だから俺は、**噛んだ**。


男の手首に、犬歯を深く突き立てた。


「いてっ!?」


理性ではなく、本能が反応した。

獣のような俺の攻撃。


獣性を示す形容がかけられたのは──俺か、それとも“この行動”そのものか。


男は反射的に俺を振り払う。

遠心力が働き、俺の身体が再び自販機へ叩きつけられる。


だが、もうそこに“自販機”はなかった。

液体金属に蝕まれた筐体は、ただ穴の空いた金属片へと崩れていた。


俺の身体は、その"崩壊"を突き破り、向こう側へと転がり落ちた。


そして──

その穴越しに、男の手が再び姿を見せる。


今度は、ジャケットの内側から──**マグナム**。


即座に、隣の自販機の影に滑り込む。


「見くびってたよ。謝罪する。

 ……ガキ一人、どうってことないと思ってた」


「それは、実弾か……!?」


「安心しろ。パワーバランスの授業だ。殺しはしない」


──会話になっていない。

だが、もはや論理ではない。


俺の中に渦巻いていたのは、**テストステロン**の奔流だった。


引き金にかかる指の感触。

息を潜める気配の駆け引き。


どちらが先に遮蔽物を捨て、撃ち抜くのか。

それを決めるのは、理性ではなかった。


微かな足音。


奴が、静かに──

だが確実に、**回り込んでくる**。


マグナム。

奴の銃口から突き出されるはずの弾頭は、俺の持つ弾とは“質”が違った。


持っていたフレームに刻まれた刻印──“9mm×19”。

奴の弾が.357マグナム弾なら直径は9.07mm。

数字上は似ていても、発射時の圧力、貫通力、殺意の温度が違う。


俺はマガジンを抜いた。

無駄に放った弾はすでに空虚。

薬室に残された、一発のみ。


──継戦力で負けている。


勝機は、創らなければならなかった。


(正面から撃ち合えば、確実に敗ける)


(最後に立っているものが、勝者だ)


──ダニエルの思考が脳内を掠める。

彼の言葉は、もはや幻聴か記憶かの境界すらあいまいだった。


“争いにおいて、躊躇しない者が勝利する”──


それは、論理でも正義でもなかった。

ただの原始的なシステム。

古より定められたルールだ。


「……戦場は、何時もうるさいな」


呟いた。


── 一か八か。


俺は転がっていた缶コーヒーを手に取った。


冷たい。


冷却装置に満たされたその缶は、まるで核弾頭のように重く、沈黙していた。


(液体金属弾は、ガリウム化合物──

 ガリウムは体温で溶ける金属。その化合物。

 融点はそれより高いが、冷却されていれば固体状態を保つ)


思考が急速に研ぎ澄まされていく。

デブリードの言葉が脳裏を横切る。


──発射時の熱と圧力で液化する。


ならば、**逆に、冷却状態を維持すれば、“弾頭”として機能する**かもしれない。


俺はプルタブを開け、缶の飲み口に銃口を押し当てた。


銃口の熱が伝わらないうちに、いでよクソ野郎。


音がした。


──背後、自販機の裏。奴が、角に肩をつけた。


俺は、自分のカーディガンを盾代わりに構える。

奴がやったように、布を弾道の間にかざす。


「すぅ……」


呼吸を整えた声が、空気を切る。


──奴が現れる。

両手に、マグナム。


その瞬間、俺は銃を構えたまま、缶ごと引き金を引いた。



『ドオォンッ!』『パキンッ!』



重厚な銃声と、軽やかすぎる金属破砕音。



遅れて、焼けつくような痛み。


「ぐあ"ぁ"ぁ"ああ!?あ"あ"あ"あ"!!」


俺の叫びが、空気を裂く。



奴の弾丸は、布の隙間をすり抜け──

左肩に、正確に突き刺さった。


──脱臼。


肩甲骨の位置は異常。

神経が張り、筋繊維はねじれ、皮膚は熱で溶けた。



これが、“銃撃”だ。



──焼けた金属の香りと、毛と脂の焦げる匂いが混ざる。



「……っはぁ……はぁ……っ」



呼吸を何度も繰り返し、意識を維持する。


銃は、すでに握れていなかった。



(──俺は、負けか?)



視界の隅、地べたに崩れ落ちる男。

ジャケットの前をどかすと、その下にあるシャツに、血が滲んでいた。


──命中していた。


「ぅ゛、じ……実弾か、よ?」


「……違う。冷えた缶で固体化させたガリウム弾。

 液体金属を──冷却状態で撃ち出した」


俺の声は、熱に揺れていた。

現実を認識しているはずの言葉が、自分自身の口から出たとは思えなかった。


「お前……マジでぶっっっっっ飛んでる」


男は笑った。

口の端に血を滲ませながらも、自販機の残骸に寄りかかっていた。


そして、俺の銃は──空だった。

スライドは後退し、薬室にはもう何も残っていなかった。


(そうだ……あの時も)


──ダニエルに、撃った。


実弾で。


それでも、殺しきれなかった。


殺しきれなかった。


その言葉が、頭の中を何度もリフレインする。


(いや……人を殺す気だったのか?)


(殺せなかったことを、悔やんでるのか……?)


──違う。


違ってほしい。違うと信じたい。


俺は、おかしくない。

まだ──"アダム"だ。


「──お手上げだ」


男が、予想に反して口を開いた。


「……は?」



「流石だな。アダム・エデンソン」


その名前を、奴が知っていた。



警戒心が爆発しそうになったその時。



『ウーウーウーー……』



遠くから、サイレンの音が押し寄せてくる。


おそらくは自動警察。

十数発の銃声は、彼らにとって“出動要件”だったに違いない。



「やばいな。立てるか?」


唐突な親切。演技とも本心ともつかない声音だった。



「……おかげさまで肩はイカれた。でも、まだ闘える」


「なら十分。明日の昼、垂直交通に最寄りのファストフード店で落ち合おう」


「来ると思ってんのか?」


「じゃあ、そのとき──肩を治してやる」


「病院行くわッ!」


「……クソ、どうしたもんかな」


頭を抱えるような仕草。

だが、急に何かを思い出したように顔を上げる。


「あぁ、そうだ」


「?」






「自己消失性疾患──ペルゲ病」






空気が、止まった。




「なんだ、それ?」





「お前の妹にかけられた、“病の名”だ」





「……は? 何だと? おい、待て!!」


だが──男はもう、走り去っていた。


止めようとした瞬間、肩の激痛で膝が崩れた。


「っ……あああっ……!」


逃げていく背中。


追えない距離。


「──クソッ……」


俺は、崩れ落ちた自販機の側で、気を失いかけながら呻いた。

焦燥に、サイレンが追い打ちをかける。



「神父様……ごめんっさい!」



即座に銃を差し、空薬莢を拾う。

カーディガンで傷口を隠し、痕跡を消す。


冷え切った空気に追われるように、俺は教会へと駆け戻った。




──手には、転がっていた缶とジュース。

自分でも読めない動機。

でも、体は目的を覚えていた。




「……赤味噌ジンジャーエール???」




教会内でイヴに手渡すと、思わず口をついた。



「……なんかそれ、まず」


「──えぇ!? なんで私がこれ好きなことわかったの!? それとも……覚えてた!?」


「そう——だろ? 好きそうな顔してた」



根拠などなかった。ただの偶然。

だが、その“奇跡”が、かつて俺の中にあった“何か”を掘り起こしたような気もした。


「ほっほっほ。忘れても、通じ合えるとは美しいものですな」


クレル神父が笑う。

彼の声には、何の追及も、何の疑念もなかった。


俺は安堵し、持っていたコーヒー缶を口元に──


……空だった。


缶の腹に、銃弾による穿孔痕。

中身は、弾とともに消え去っていた。


──そこへ、重装備の足音が響く。


「クレル神父。敷地内裏手にて発砲事件が発生しました。

 現場は、裏手の自動販売機前。警官が破壊された機体を確認しています」


言葉と同時に、鋭い視線が俺に注がれる。


……当然だ。


銃声。破損。飲料。タイミング。


すべてが、俺を指し示していた。


マグナムの傷口に、カーディガンの裾をそっとかぶせた。


「彼らは?」


セキュリティの問に、クレル神父は静かに答える。


「彼らは、我々の友人です。

 ……ささ、お二人とも。辺りは騒がしい。今のうちにお帰りなさいな。

 幸い、お巡りさんもいらっしゃる。明るいうちにどうですかな」


それは、俺にとっての**庇い**だった。

宗教者の本能か、あるいは人間としての矜持が生んだ奇跡か。


「ありがとうございます、神父様」


イヴが残念そうに言った。


「今日の事を感謝します」


俺は、それに続く形で──

逃げるように、いや**逃げながら**、車椅子を押した。


脱臼した腕に激痛が走る。

だが、痛みは意識を濁らせるどころか、逆に鮮明にした。


俺たちは、教会を去った。


静かな、逃走だった。





「──ねぇ、ちょっと早いけど、晩ご飯、食べてこうよ」


街角で、イヴが言った。


彼女の声が、俺の内側の“戦闘”を止めた。


「え? あ、ああ……そうだな」


「お兄ちゃん、ずっと病院食だったし、ジャンキーなやつ、食べたくない?」


「……イヴ、食っても大丈夫なのか?」


「なっ、失礼な! 私スリムなんだけど!」


「違う。“まだ”患者だろ?」


「いいの。治療食じゃないし。……今日は特別」


それは明日が来ることを、前提とした台詞だった。




夕刻、ファストフードの暖色照明に包まれたテーブル。

車椅子の彼女のために、あつらえたかのような高さのテーブルに、トレイが並んでいる。


イヴの指先が、その中のフライドチキンへと伸びる。

衣は、光を反射して黄金色に輝いていた。


「……これこれ、この油と塩の暴力こそが、文明の味だよ」


彼女は齧りついた。

バリッという小気味よい音が、ぎこちない日常の静寂を破る。


「栄養なんてないって言う人もいるけどさ。

 ……心に染みる栄養素って、こういうやつの中にあるよね」


彼女の言葉は、病院食という制度に長らく囚われてきた者にしか持ち得ない重みがあった。


「──精神には、健康的だな」


「この味を今さら“心から味わえる”の、入院患者の私と記憶喪失のお兄ちゃんぐらいだよ」


彼女の台詞が、場の空気を少しだけ柔らかくした。



熱と油と塩分──それらが脳の神経に染み込んでいく感覚。

病院食にはない“毒気”が、妙に生きていることを実感させる。



「ねぇ──なんで左手、使わないの?」


チキンを右手だけで食べ続けていた俺に、イヴが言った。


「不浄の右手って言うだろ」


「それ左手の話だし。不浄って“不潔”って意味だよ。

 それに、教徒でもないでしょ?」


「嘘。亡霊に憑かれてるから重いんだよ」


「えぇ……?」


軽口を交わしながら、俺の肩はまだ激痛を抱えていた。


──撃たれたとは言えない。



その瞬間、テレビからノイズ交じりの音声が響く。

店内の天井から吊るされた大型のディスプレイが、蒸れた空調の中で存在感を放っていた。



『自動警察により、武力設備の更新を求める株主総会が行われました。今回で二度目の開催です』



カシャカシャと連写のフラッシュが走る。

画面中央、壇上に立つ一人の女性が、まばゆい光を一瞥もせずに佇んでいた。


白い髪。

背筋を正した姿勢。

声を上げず、ただ──映っているだけで、空気を変えていた。



「誰だ、あれ」


「えー!? 知らない人がここに居る!」


イヴの目がテレビを見たまま、少しだけ驚いていた。



「自動警察の社長。──“イチジク”っていうの。めちゃくちゃお金持ってるんだよ?」


「女性……厳つい男を想像していた俺は、ステレオタイプかな」



──イチジク



その存在に、何かが引っかかった。

言葉の響きか、数的な直観か、それとも遠い過去の影か。


テレビの中、彼女が、マイクの前で口を開こうとする。



──音量は控えめだったが、それは逆に意識を集中させた。



『──この度、株主の皆様並びにメディア関係者にお集まりいただいた主旨は、先日から引き続き、武装設備の更新に関する議案の提示です』



白磁のような肌と、後ろに束ねられた長い白髪。

隙なく仕立てられたスーツは、権力と冷徹の象徴として完璧だった。


だが、それ以上に印象に残るのは、その声だった。


──冷たさの中に火種を孕んだような、理性の仮面を被った怒りの声。



彼女は、かつて聞いたことのある誰かの声に似ていた。

忘れた名の残響。あるいは、思い出したくない因果。



『我が社──自動警察の制圧力は、旧来の“非殺傷原則”によって成り立ってきました。ですが現状、出所不明の殺傷性兵器が市中に出回り、社員に多大な死傷者を出しています』


『したがって、武装設備における“実弾”および“殺傷力の伴う兵器”の配備を認可いただきたい。それが本日の議案です』


フラッシュが焚かれる。

記者たちの手が挙がり、声が飛ぶ。


『NTN放送です。従来の実弾・実銃排除の方針と乖離しているという批判もありますが?』


『今、記者の方からの質問は——』


女は少しの間、視線を泳がせたのち、冷徹に応じた。


『……まぁ、いいでしょう。それは、我々が“制圧力を保持していた時代”の話です。現状、力の均衡は崩れています。敵は容赦せず、我々だけが律されている──それが正義でしょうか?』


次の記者が立ち上がる。


『GS放送です。押収された拳銃、R9-ARMS──明らかに簡易手製銃器ジップガンではない品質の実銃だと報告されています。企業内部で違法な兵器開発が行われているのでは?』


一瞬、彼女の眉が動いた。


『一人を許せば、次から次と……』


言いかけて、息を呑んだ。



その表情は明らかに怒りだった。

その怒りは、矛先を持たず、宙を彷徨う。



『現在調査中です。根拠のない推測は控えてください』



それでも記者は止まらない。


『NeoPublic局です』


『はい?』



女の口調がわずかに崩れた。

言い直し、声を整える。



『……失礼。質問をどうぞ』


『実弾使用の提案と、精密製造された違法銃の発見が同時期というのは──偶然ですか?

自動警察が致死性武器リーサルウェポンを密かに製造していた……その疑念を晴らすには、あまりに時期が“都合よすぎる”のでは?』




静寂。




そして、ついに彼女の理性が音を立てて崩れた。


『お前は──報道を控えろ』


その言葉は、もはや報道機関に対するものではなかった。

それは“秩序の裂け目”に対する、絶叫に近かった。




だが、その言葉が俺たちに届く前に──

映像は、急に切り替わった。


なんだかよくわからない道具の新商品紹介。


イヴは、ふっと笑った。


「これは—— ショーだね」


「……どういう意味だ?」


「記者も、人々も、絶対的な警察の顔を欲しがってるんだよ。

 出資者として、支持者として、正義としてね」



──それは、予兆のような台詞だった。


俺は、彼女の笑顔を見つめながら、静かに──

痛む肩を撫でる。


ディスプレイの中で、彼女は警察の社長ではなく、一人の人間として、怒っていたように見えた。


だがそれは──奇妙なほど美しく、世界は、まだ冷たくなる気配を残していた。





「お帰りなさい、二人とも」


病院に帰ると、受付越しにデブリドが声をかけてきた。


どこか懐かしく、家庭的な響きだった。

病院の灯は街の雑踏から離れ、過ぎた一日の痛みを受け止めてくれる、さながら母胎のようだった。


「楽しめた?」


「うん」


イヴが答える。

その笑顔を見て、デブリードの表情が少しだけ柔らいだ。


だが──その後。


「貴方も……楽しめたらしいわね」


俺の表情を見て、即座に見抜かれていた。


彼女の目は冷たく、的確に“隠したいもの”の場所を指していた。


「アダム、貴方はリハビリ直後。診察しましょう」


「じゃあ、私は先戻ってるね」


イヴは、そう言って手を振り、自ら車椅子を押して病室へ戻っていった。


──その背に、少しだけ後ろめたさを感じながらも、俺はデブリードに腕を引かれるまま、トリアージ室へと連れ込まれた。



「何でイヴは上機嫌で、貴方は怪我をして帰ってくるのかしら?自分の拷問ショーでも見せたわけ?」


「……不可抗力だ」



皮肉とも真剣ともつかない彼女の物言いに、俺は溜息混じりに答える。



上着を捲った瞬間、触診の指が鋭く動いた。


「すぐに怪我がわかるんだな」


「私は毎日、患者の間違い探しで飯を食ってる。貴方のは初級。何があったの?」


「……見知らぬ男に撃たれた」


「後方脱臼。ライフル? ハンドキャノン?」


「マグナム、だ」


「ベッドに。仰向けで」


彼女は無駄な言葉を挟まなかった。

ただ静かに、小さな器具を取り出した。


細かな穴が空いた小型の銃。玩具のような見た目だったが──それは、針打ち式の局所麻酔装置だった。


「俺の分の入院費内で頼む……」


「はいはい」


銃が肩に押し当てられ、炭酸を開けるような音がした。

瞬間、肌に針が深く刺さり、次の瞬間には抜けていた。


「今、麻酔入ったから。動かさないで。すぐ整復する」


言いながら、彼女は肘を90度に曲げて胸に固定し、前腕をそっと外側へと回した。


『コキ』


関節が音を立てた。


そして──嵐が去った後のよう、肩の違和感が嘘のように引いていた。


「あぁ……もう治ったのか?いい仕事だな。“美しくも新進気鋭”だからか?」


「逆よ。仕事がいいから新進気鋭なの」


「で、美しいのは最初から、か」


彼女は言葉を受けず、静かに訊いた。


「何があったの?」


──逃げられない。逃れる必要もない。


「記憶を失う前の知人らしい奴に会った。

 白髪頭、デニムのジャケットを着ていた中年。覚えは?」


「いいえ。恨みでも買ってた?」


「いや、妙な男だったから、不信感から撃ち合いになったんだ」



──会ったのは、過去を知るかもしれない男だった。

──その男が語ったのは、妹にかけられた病の名だった。



「じゃあ……『ペルゲ病』に覚えは?」



俺は、声を絞った。


「……そんな病名は、記録には無いわ」


「イヴが、罹ってる病気らしい」


「そんな……。病名というのは、医療研究企業が解析と共に発表する。少なくとも、そのような記録は見たことがない」


「その男が、明日また会おうと言ってきた」


「行くの?」


「……ああ。イヴの病のこと、詳しく知っている可能性がある」





その瞬間、彼女に突然、抱き寄せられた。






温かい柔軟剤の香り。

消毒液と体温の混ざった匂い。


その“生きている気配”が、思考よりも先に五感を支配した。


彼女の声が、静かに、確かに響く。



「私は、どんな患者より長く、貴方たちと接してきた。

 貴方たちはもう、私にとっての子供のようなもの」


「親だなんて……歳、あまり変わらないだろ」


「でも昔、思い込みだと思う時があった。貴方はただ待つ人じゃない。人知れず行動しているのを知っていた。

 妹のために動ける人だって、知っていた。

 ……今回は、その余波が来たんだと思う」


「……」


「貴方は賢い人間だから、指図はしない。でも、お願い。イヴの側にはいて。病は気から。貴方は、彼女にとって薬そのものよ」



──感情的な場面だった。

だが、俺の中には未だ他人事のような静けさがあった。



「……アンタの存在も、俺達にとって薬だ」


「……ありがとう」


「俺の行動が、イヴを治す上で、アンタを頼りないって言ってるように聞こえたなら──訂正する。

 ……ただ、俺は……そうだ——」



自分の輪郭が、初めて少しだけ見えた気がした。


それは、“アダム”の記憶ではなかった。

もっと深く、自分という性質の起源に触れるような感覚。


そこに触れたことが、ただ慶ばしかった。




「何も知らずに生きるのは、嫌なんだ」




それが、確かに俺という人間の、核だった。

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