嗚呼、嬉しいんだか怖いんだか。
暇な人に読んでいただけたら幸いです。
◆涙と書いて汗と読むんだよ◆
「OK、ガール。お前の気持はわかった。おっさんと付き合いたいなら、おっさんに鬼ごっこで勝つがよろしい!」
言い放った直後、指を鳴らすとおっさんは全速力で夕暮れの街を舞台に逃走を開始する。
季節は夏の始まり、桃園右近、30歳、最終学歴高校中退、無職、独身。
高校中退ってのは聞こえが悪いが、おっさんこと右近さんは学生の頃、なかなかの成績を誇っていたのである。
高校――あんな楽しいとこ何の理由もなしに辞めるか、ボケが!
おっさんの持論である。理由は後々説明しよう。
「あたしは本気です~!」
今はこの見てくれと鈴の音のような声だけは可愛い女子高生を振り切らねばならんのです。
先日、そろそろ色っぽい話でもないかな~っと考えつつ、仕事を探しに街をぶらついていたところ、現在、後ろから猛烈な勢いで俺に迫る女子高生――石上清香ちゃんに突然告白されてしまったわけだが、彼女が本気で俺を思っているとは考えても見なかった。
てっきり最初は冗談だと解釈してたんだよ。
30代になって女子高生に若干ときめいた俺は、迂闊なことについメールアドレスを教えてしまったのだ。
最初はちょっと恋人チックなメールが送られてきていた。
からかわれてるのかと思ってた。
そう考えてても楽しかったんだよ・・・・・・。
彼女は俺のことを大学生と思っていたらしい。
中学生の頃も友人に『大学生みたいだから、エロ本買ってこい』とか、最近仕事の面接を受けたら『ホントに30超えてるの? 大学生と思った』などのご意見があった(もちろん面接は落とされた)。
俺の絶対値は大学生のようだ。
この数日、気分が高まり、色々妄想してしまって眠れなかった。
だって、この歳になって仮にも女子高生にコクられたんだよ? すこし、いや、めちゃくちゃ邪まなことを考えたに決まってるだろう。
「お前の愛は本物だ、だけどいろいろ変な方向に偏ってる!」
そう、この女子高生は何かおかしい。
たぶん学校の中でも高ランクに属していると思われる可愛いさだけど、俺だって一応大人だ、節操ぐらいしっかり持って行動している。
しかし、昨日届いたメールでかなり引いて揺らぐことになった。
ただ白紙の文面に写真が添付されていた。
ベッドの上に女の子座りした清香ちゃんが、斜め上からスマホで自撮りした写真だが、細かい説明をつけるとかなり印象が変わってくる。
だって、やたらきつそうなワイシャツで上半身のラインが異常に出てる、ただでさえ大きい胸を左腕ですくって持ち上げて強調してる、へそが出てる、スカート短い、黒いニーハイソックス、極めつけに口を半開きにして上目遣い。ぎりぎり色々見えてない。
実際に年端もいかぬ年齢だとは思うが、それでももっと若く見える童顔な上、肌もきめ細やかで妙に色っぽいし艶やかだ。
最近のスマホの写真機能は目を見張るものがあるな、大丈夫か? デジカメ界?
デジカメ単体では一般人には需要がなくなる気がする。
とりあえずこの写真は大事に保存しておこう。
何にせよ可愛い、エロい、ヤバい、怖い。
ときめいた。
でも、ときめかない。
年下の女性、しかも女子高生と交際するのは男なら誰でも憧れる。
しかも俺は三十路だからより一層だ。
妄想の世界でだけ実現可能なのだとばかり想っていた。
でも、実際手の届くところにいきなり現れるのは、ちょっと反則だ。
ドキドキするんだよ。
人によって受け止め方は変わると思うが、俺的には『なんかやだ』なのだ。
メールアドレスは交換したが、俺は彼女の好意に対しまだはっきりとOKを出したわけではない。
つまり両想いではないのだ。
まさか告白されて数日の間にここまで積極的なアピールをしてくるのは、想定外だ。
最近の女子高生ってこんな積極的なの? って言葉で済ませられる感じじゃない。
なんか狂気を感じる、ストーカー臭い。
例を挙げるなら、メールをやり取りしてて感じたのだが、この子の言葉はやけに重たいのである。
言葉選びが下手なだけなのかもしれないけど、「愛の絶えない家庭を築いて、最期は一緒に棺に入るの!」とか文章の端々でやたら束縛してくる。
それさえ、無ければこの娘は優良物件かもしれないとは思う。
女の子の好意を頭ごなしに否定するのは一人の男として気が引ける。
俺が色々悩まない男だったら、今頃抱擁でもして甘い言葉を囁き合っていたかもしれない。
それとも俺が手を出したら、彼女の後ろの存在が出て来てマッチポンプ的な展開もあるかもしれないだろう? と疑ってしまう。
ほら、またこうやって疑っちゃう。純粋に気持ちを受け止められる器量がほしい。
大通りを抜け、視界を遮りやすい団地地帯に突入する。
息は切れていない。
中学陸上界期待のホープと伊達に呼ばれていたわけではないのだ。
100メートル走10秒台をなめるなよ。
ぶっちゃけ俺と彼女が何をやっているかと言うと、街全体を使った『鬼ごっこ』だ。俺はもちろん追われる側で彼女は追う側。
普通はっていうか理想は男が追う側で彼女が追われる側だと思う。
『アハハハ❤』
『キャハハハ❤』
とか、正直言いたいよ。
世界規模の大泥棒とその泥棒専門の警部の追い駆けっこみたいな構図が頭に浮かぶ。
三時間以内に捕まったら付き合う、捕まえられなかったら身を退く、そういう勝負だ。
この俺に何とかついて来ている彼女に少し驚いている。
なんか顔が笑っているように見えるんだけど、気のせいだよな?
なぜか出会った時より良い表情をしてるような・・・・・・ええい! 考えるな! 逆に怖い。
追われる背中がゾクッとする。
相手の状態を測るためここで牽制をいれる。
「おっさんはスケベだ! この事実に引くようなら俺を諦めるのだな」
「どんと来い!」
何を言ってるんだこの娘は、本気で言ってるなら怖すぎるぞ。
息は切れているように感じるが、会話の内容的にはまだ余裕な様子。
「何度も言っているだろう。おっさんにはお前はもったいないんだ! 遠くで幸せになりなさい! 異世界とか!」
「もちろんあなたとご一緒に!」
「!」
俺のことをすでに旦那と思っているように、妙に『あなた』の言い方にすごく語意が込められてる気がする。
満面の笑みを浮かべて迫るな。お前は俺にとってたぶん天敵と呼べる存在だ。
一般論だと思うけど世間では女性より男性の方がフィジカル面では強いという。
女性はメンタル面が強いんだったよな。
『精神が肉体を凌駕している』
この娘にその言葉を当てはめると、生々しくて怖さが際立ってしまう。
広大と地元で有名な団地地帯を数百メートル駆け抜ける。人間が全速力で走れる距離は二百メートルが限界だと何かの本で読んだことがある。
俺は仕事を見つけるためにそれなりに努力している、今よりすこーしスピードダウンしてペースを崩さなければフルマラソンも完走出来る自信がある。
見た目から察するにこの娘は体育会系ではない、さらに言えば運動成績下位だと思う。
でも、なぜか女子特有の内股な走り方なのに、結構速い。
正直キモい。
関節の少ないマネキンが動いてるみたいだ。
「息が切れてるじゃないか、そろそろギブアップしたらいいじゃん!」
「ぜーぜー言うのは好き、あなたともぜーぜー言いたい! そう! 愛のリビドー!」
「若い女の子が人前でそんな恥ずかしいこと言うな! 道行く人が変な目で見てるから! こんな奇行で捕まったら、きっと警察に責められるのはお前じゃなくおっさんだ!」
「その時はあたしが慰めてあげます。全身を使って」
「恥ずいから! でも、それは・・・・・・ちょっといいなあ」
こんなこと言ってくれる女の子なんてきっと、生涯でこの娘だけだ。
そういうのちょっと嬉しかったりするんだよ。
しかし、俺は―彼女も警察に捕まるわけにはいかないのだ。
男に生まれたのが少しいやになってくる。
さっき中学陸上界期待のホープと名乗ったが正確にいうと、俺が得意なのは陸上競技ではない、『鬼ごっこ』だ。
生まれてこの方、鬼ごっこでは捕まったことがない。
経験論、長期戦を想定するならいきなり全力疾走してぶっちぎるのは愚策だ、少しずつ徐々に差を開いていくのが効率が良い、体力に余裕があるのなら、ちょっとしたトリックプレイを織り交ぜるのも一つの考えだ。ただし派手なのは体力を大いに削ぐのでおすすめはしない。
経験と技術そして知識、それらからたどり着いた境地を昔一緒に遊んだ友人たちに聞くと、忍者と呼んで良い曲芸の域に達しているらしい。
不本意だが『エイリアンみたいな動きだ』などと言われていたのも事実。
ジャングルジムほど複雑ではないが何かしらの障害物があると無敵である。
その技は最近『パルクール』というカテゴリーであると知った。
細い電柱を掴み180度方向転換したり、並木道の樹木に少し登り葉っぱに身を隠しやり過ごしたり、団地の中心にある公園の鉄柵を体操選手のような軽業で倒立前転etc.を織り交ぜ、ちょっとずつ清香ちゃんとの距離を稼ぐ。
我ながら大人のとる行動ではないと思う。
なんで俺はこんなことしてんだ?
目算、団地の一棟分の距離を確保したら、団地地帯を抜けファミレスや家電量販店、飲食店のビルが多く乱立する大通りに戻る。
最初からなるべく信号機を避ける道を選んで逃げてきた。
この辺で信号機を巧く使い、さらに距離を稼ぎたい。
運良く、青が点滅している横断歩道を渡れた。
信号機は赤にかわる。
あいつもさすがに信号無視などしないだろう。
「~~っん!」
もどかしそうに清香が足を止め、拳をぶんぶんする。
賢いとはこういうことを言うのですよ。
この街は俺のテリトリーだ。
信号機の長さは熟知している。
この赤信号は三分ぐらい続く。さらに言うと、俺がスピード調整して走ればこれから通る予定の信号機に彼女は全部引っかかるだろう。
つまり俺には若干時間の余裕が出来たわけだ。ここで、道を挟んでも彼女に聞こえるように一言。
「愛があるならこれくらいの逆境は乗り越えないとな!」
「一緒に乗り越えましょう!」
真面目に言ってるのが伝わってくるから怖いんだよ。
やたら澄んだ目で言うな。
それにやはり何かずれている。
「おっさんは更に向こうへ逃げさせてもらう、じゃな~」
俺が彼女に背を向けようとすると。
「そうやっていつもあなたは、こんな焦らしてるかのようなプレ・・・・・・ゴホン、態度があたしの一人遊びをエスカレートさせるんです! ああっ! 迸る!」
「大声で一人遊びとか言うな! 気持ち良さそうに身をくねらすな! この淫乱娘が!」
「はいっ! いただきました!」
「何がいただきましただ!」
気が付くと行き交う人々が俺のことを冷たい目で見ている。
俺も今『淫乱』とか言っちまったな。
傍にいた買い物帰りらしいマダムが俺の肩を叩き。
「あんな可愛い子にそんなこと言うの? お兄さんいくつ~?」
そう言いながらバッグの中から携帯電話を取り出す。
「すいません! 通報してください!」
「言われなくてもするわよ~」
おそらくマダムは俺を通報しようとしている。
通報するならあの娘をしてくれ、と言いたい。
その電話を奪って俺自身の声で通報したいぐらいだよ。
世間の目は俺をどう捉えているんだ?
笑顔で追いかける少女から逃げているのは俺だというのに、きっと俺の言い分は通らない。
理不尽だ!
正確に現状を把握している人間がいてほしいのはこっちなんだ・・・・・・グスっ・・・・・・。
マダムに眼で語りかけるも俺の意に反してマダムは携帯電話をプッシュし耳に当てる。
「敵は本能寺にあり!」
咄嗟に意味の分からないことを口に出し、俺はまた走り出す。
「なんでこうなった? なんでこうなった⁉」
◆お前は俺が好きなのか?◆
「あなたが好きです!」
それは初夏のある晴れの日。
いきなり現れた美少女にそう言われた。
「ん~、87,3点」
いきなりすぎて得点を計算して声に出してしまった。
正直テンパった。
目の前で顔を赤く染めている少女は明らかに美少女だった。
黒髪の顔立ちの整った、不健康とも思ってしまう白い肌の娘だ。
高校の夏服を着た清楚そうな女の子。
「有り得ない・・・・・・」
俺が続いて放った言葉がこれだ。
家の事情とはいえ仕方なく高校を中退した俺には有り得ないほどの、幸せな出来事。
「え・・・・・・? あの、あたしはあなたが・・・・・・」
きっと普段は慎ましやかな娘なのだろう。
「うん! 最近は女子の間でも告白という罰ゲームがあるんだね。よく勇気を出した! おっさんは物わかりの良い子だ、幼稚園児の時に先生に言われたからな! 俺は君の勇気の証人になってあげよう!」
と、俺は少女の肩に手をポンッと置き、逆の手の親指を立てる。ついでにウインク。
「えっ! でも、え~と、え~と・・・・・・」
そう言って少女は顔の前で両手を交差して、慌てた様に否定する。
気の弱そうな娘だ。
きっと罰ゲームで適当にキモい男に告白し、『しばらくは付き合ったふりをして来い』などと言われ、どこかで一部始終全てカメラで撮影されているのだろうな。
最近の高校生は辛辣だなあ。
トランプ遊びとかに負けた罰で、こんな人畜無害そうな娘にもこの仕打ちか。
それしか考えられない。
きっとそうだ。
彼女の事情に推測を立てると、
「わかった! おっさんは協力しよう。仕方ない、付き合ってやろう!」
「えっ! あ、はい! ってことはOK? ありがとうございます!」
「うんうん、一緒に乗り越えよう!」
季節は初夏、おっさんは無職だがこの娘の彼氏役が今見つけた仕事だ。
「では、よろしくお願いします! あ・な・た」
と、少女は嬉しそうに俺の腕に抱きつく。
「お、おう!」
腕に触れる少女の体が妙に熱い。
きっと無理しているから頭がゆでだこなのだろうさ。
可哀想な少女だ。
『君の罰ゲームの恋人ごっこが終わるまでおっさんは協力しよう』
そう胸に決めて、
「愛してるよハニー・・・・・・」
「あたしもよ。あ・な・た」
・・・・・・なんか変だ。
「あれか!」
逃亡劇の片手間、脳裏に蘇った記憶に自分で突っ込みを入れる。
妄想逞しく、彼女に思わせ振りなことを言ってしまったのは俺だったのだ。
と、なると彼女は逆に被害者、俺がこの状況にいるのも自業自得イコール大体の責任は俺にある。
警察のお世話になるのは俺かもしれない。
ってことは、逃げ切っても捕まってもそれなりの非は俺にふりかかる。
「どうしよう?」
今後は勝手な推論で物事を考えるのはやめようと思った。
その教訓を活かすまでに俺が無事かどうかはわからんが・・・・・・。
脳内で走馬ーじゃない、過去を振り返っている間に少し差を縮められたか、少女は俺の後方約百メートルの位置に迫っている。
笑顔に後光が差してるのが遠くにいても明らかに見て取れる。
娘が美少女だからか変だからなのか、それとも一歩進むごとに揺れる胸のせいか結構大勢の行き過ぎる通行人達が彼女を振り返っていたりする。
あまつさえ俺たちの格好は運動に適していないと思う。
俺はジーパンにTシャツで、娘はひらひらスカートの高校の夏服だ。
さすがに目立つよな。
街の中心には大きな運動公園、河川沿いには球技場が設けられているスポーツに活発な街だから、当然住民は結構本格的な服装で運動に興じているのだ。
彼女の口許が何かセリフを吐いているようにパクパク動いている。
ろくでもない恥ずかしいことを言い放っていなきゃいいけど・・・・・・。
結構頭を働かせながら走るのはどんなに充分鍛えてる俺であってもきついんだぞ?
心のどこかでいっそ捕まって、洗いざらい白状して丁寧に誤解を解こうかと思うが・・・・・・。
「ある~ひ~♪ まちのな~か~♪ ウコさ~ん~に~♪ であ~た~♪」
一気にそれが難しいと悟った。
ちょっとこの距離でも聞こえるんだよ。
なんでその選曲?
ウコさん?
何より、小学校低学年の合唱コンクールの課題曲っぽい歌を勝手に変な歌詞に変換するのはやめろ!
限界突破してるだろ?
綺麗な顔の所々に血管が浮き出ているようなのですが・・・・・・。
それにどう考えても今は歌を歌う場面ではない。
お互い余裕がないはずなのに・・・・・・。
会話するのさえ、ある程度距離を詰めないとままならないし、電話でも持ってればな~。
ん?
電話?
ズボンのポケットに手を突っ込み確認する。
そうだよ、こういう時のために現代人は携帯電話を携帯してるんだよ!
それに会話しながら鬼ごっこを続ければさすがにあいつも体力と集中力を削られるはず。
少しでも勝ちに近づきたい。
ポケットからスマホを取出し彼女につなげる。
コール音が鳴る前に彼女が出る。
『はい、あなた?』
ケロッとした口調で彼女。
もう数キロは走りっぱなしだぞ?
なんでこんなすぐに出るんだよ?
待ち構えてたのか?
器用なのが気味悪い。
後ろを見れば彼女も電話を耳に当てている。
掛け間違いではないようだが。
なんかさっきまで浮き出てた血管が回復している。
敵に塩を贈ってしまったのかもしれない。
「なあ、お前さん?」
『なんでしょう? 今はあなたを追ってこのままハワイにでも行こうかと思ってるんですが』
本気で言ってるのか?
「・・・・・・まあ、冗談は置いといて、あのね?」
『冗談? 何を言います? どこまでも付いて行くのが真の恋人! 来世は幼馴染に生まれたいですね❤』
海外まででもなくどうやら来世もこいつに付きまとわれるらしい。
「いや、俺は地獄に行った後、異世界に転生する予定だからそれは無理だ」
『あたしは昨晩、マクスウェル様に「あらゆる次元や並行世界で思い人を時空を超えて追いかける存在になるだろう」と神託を授かったんです!』
「へえ! すごいね!」
盛り上がってるな、お前の脳内。
怖いのぶっちぎって感心する仕上がりだ。
こいつの世界はありとあらゆる要素をとり込んで大精霊の域を超越してるらしい。
もう、この際こいつがUFOと交信するのが好きとか言い出しても疑わない。
むしろ本質がそっち向きの方がまだ可愛げがあると思う。
『あたしの名前は、シャンティス=リン=クインウォード! 異世界シルメリアバームの王族クインウォード家の三女! あなたを愛しています!』
いきなり訳の解らない名乗りをあげられても・・・・・・。
って何を言ってんだこいつは。
中二病の節があるな。
とりあえず。
「もう一回言ってみろ」
『なん度でも言ってあげます! あたしはクリニカ=ミィ=タゴスケ! 並行世界あんみつクロレラの王家ミィミィ家の王位継承権二位を持つ第四女! その手には宝剣みょんみょん棒』
「明らかに言ってること違うよね⁉ それに剣じゃなくて棒って言ってるよ! ねえ、適当に言ってるでしょ? あとネーミングがいやらしい!」
なんだタゴスケって?
あんみつクロレラ? 美味そうじゃないか。
『何を言ってるんですか! 我が国の国歌を聞いてビビりなさい。歌います。「俺の煮物は播磨王」! ナックル回転~煮付け~ブツ・・・・・・』
娘が歌いだすとぷちっと俺は電話を切る。
「なんで国歌が播磨王の歌なんだよ? ナックル回転煮付けってなんだよ⁉」
突っ込みどころが多すぎて何から手をつけたらいいか迷っちゃうんだよ!
夢でも俺は見ているのか?
夢なら覚めてくれと、頬を抓るが残念現実でした。
稀有だ、すごく稀有だ。
電話での意思疎通は難しいと思う。
方言とか無しに現代の日本人同士でここまで会話が成立しないのは珍しいのではないだろうか?
原始人とだってボディーランゲージでもう少し分かり合える気がする。
あいつはきっと名前のある精神状態なんじゃないかな。
っと後ろを見ると、そこに彼女の姿は窺えない。
「撒いたのか?」
目を細めても奴を目視できない。
しまった。
俺の計画ではあの娘が確認できる距離を維持し逃げ切る予定だった。
鬼ごっこで相手を捕捉するのは重要な要素だ。
見通しのいい場所では問題はないのだが、ここは小道の多い街中だ。
視界に相手が入ってない以上、迂闊に曲がり角を曲がったりするのは危険なのです。
道が多い、つまり追う側にしても追われる側にしてもメリットはあるのだよ。
そしてそれは鬼ごっこにおいてはタッチすれば『勝ち』の追う側に大きくメリットがあるように傾いている。
俺はあえて近道でも遠回りな道でもない大通りを選んで走ってきたのだが、相手の位置がつかめない、これは良くない。
逃げ回っていて思ったが、あの娘もある程度土地勘はある気がする。
大通りが多いとはいえこの街を衛星写真で見ると、曲線を描いてる道や直角に曲がってたり、袋小路になってる場所もかなりある、入り組んだ土地柄だとわかる。
そこを俺は相手を誘導しながら来た。
あの石上清香はそれに合わせて迷わずについて来たのだ。
そう、大通りなら計算しやすいが小道をランダムに使ってくると何をしてくるか計算できないのだ。
娘が他の道を行ったのなら、その時俺はあいつが最後に右に行ったか左に行ったかしっかり見るべきだった。
要するに奴の動きを見定める分岐点を俺は見逃したことになる。
「策を練ってきたらヤバい」
大通りから外れ、片一方しか歩道のない道へ入る。
数十分ぶりに足を止めた。
「運良くここは角が少ない、少し体力を回復しよう」
鼻から空気を一気に吸い込み肺に酸素を満たす、それから思いっきり吐き出す、それを数回繰り返す。
息が整ったら即思考を巡らせる。
「角が無い、いきなり現れることはない・・・・・・」
さてこれからどうする?
当たり前だが鬼ごっこは逃げる側と追いかける側が存在してはじめて成立する遊びだ。
追いかけられないと逃げない、逃げないと追いかけられない。
「ここからはあいつがどう動くか読まないと・・・・・・いや、待て、今のこの道は・・・・・・」
背の高いビルが多く各角から距離ががしばらくの間ある、つまり・・・・・・。
「籠城するのには良い場所かもしれない」
そう、急に角から出てきたとしてもここでなら十分対応できる。
安心して溜息すると、あることに気付く。
捕まらなければ良い、何もずっと走り回らなくても良いわけだ。
例えば鬼に追いかけられずにタイムアップしてしまった、これも一種の勝利の形だ。
「少しここで様子を見てもいいか・・・・・・」
数分後。
夕暮れを過ぎ本格的に日も陰り始めた。
街の明かりが目立ちだす頃合い。
キョロキョロ周りを見ても石上清香の姿は無い。
「もしかしてもう諦めて帰ったとか? そうならいいんだけど」
しかし、俺は逆に不安になってきた。
本心を言うと、正直ちょっと寂しいんだよ。
子供の頃よく覚えた感情、もっと逃げたいである。
二十歳過ぎてこんな気分になるのは久し振りだぞ。
不慮の事故でストーカー臭い女子高生から逃げる俺。
テレビ番組の賞金を狙ってハンターから逃げる逃走者たちの方が全然大人っぽい理由だよ。
自分の人間性をヤバいと実感している。
ちょっと楽しいんだよ、このスリルのある状況。
大規模鬼ごっこのプロリーグとかあったら、そこに参戦しない手は無いって思っちゃてるもん。
傍から見たら今の俺は結構生き生きしてるように感じるんじゃないかな。
「あらやだ、わたしったら、もう!」
何故か口から出たセリフがオネエっぽい。
無意識に頬に掌を当ててる自分の仕草にさすがに軽く引く。
ドンチャンドンチャンドンっと俺のスマホが鳴った。
相手は石上清香。
逆に安心しちゃったよ。
「むふふっ」
なんかテンションが上がってる自分が新鮮。癖になりそうだ。
「はいもしもし、清香ちゃ~ん!」
こっちもちょっと変な感じになってきたんだ、多分ノリに任せたら結構会話になるんじゃない?
『こちら、コードネーム:切り裂き王子ジャイ・ラッパー、今そちらへ向かっています』
相変わらずだな少女よ。
「全開だな、それともフルスロットルって言おうか?」
『いえ、そこは僥倖でお願いします。あたしのフォーミュラ―91の回収に成功しましたので、さっそくお披露目に行きますね、では・・・・・・ブツン』
そっちから切るとは思わなかった。
それにフォーミュラー91ってなんだ?
F91?
あれか、スーパーでロボットな大戦で妙に回避率の高い機動戦士か?
質量をもった残像とか出すやつでしょ?
俺も好きだよF91。
そのチョイスは中々だ。
世界でもハイセンスな架空のロボットを将棋の駒のように動かすのは俺は大好きだ。
まさかお前がスパロボファンだとは、はなまるをあげよう。
今気づいたけど、また俺は勝手な解釈をしている気がする。
これはいかん、いかんよ。
両手で顔を挟むように強く叩く。
少しは気合が入ったかな。
これ以上強く叩くのは正直、自虐趣味のない俺には無理だ。
「それにしてもF91を回収したとはどういうことだ? 何か乗り物でも確保したのかあいつは・・・・・・」
幼児用の三輪車を希望。まさか、自転車より速い乗り物は使ってこないと思うが、待てよ・・・・・・この曲がり角の少ない状況で俺自身より速い乗り物で来られたら隠れる場所は無い。
つまりここは一番危険な場所になるんじゃ。
俺は鬼ごっことは提案したが、建物の中に逃げ込んで良いとか乗り物は自由とか細かい設定をしていない。
まずい、何でもありになったら脳天から常識をぶっ壊してるあいつの方が有利だ。
『お披露目に行きますね』
確かに石上清香はそう言った。
俺にF91を見せに来るのではないか?
顔には脂汗が吹き出し、背中にジトッと汗が滲む。
「見聞色!」
咄嗟に周りに全神経を向ける。
目が耳が鼻が皮膚が、情報を得ようと鋭敏になる。
帰宅ラッシュで際限なく車道を行く車のエンジン音や皮膚にあたる風が邪魔だ。
先ほどまでより歩行者の数が増えていて騒がしくなってきたのが嫌だ。
『ファーーーーーーっ!』
ここでそれを嘆いても俺の理不尽、咎められて当然なのは自分だ。
状況を受け入れて対策を練りなさい、桃園右近!
フォーミュラー91、多分エンジンの備わった乗り物だろう。
なんかしらのエンジン付きの乗り物で来るのなら、エンジン音がして当然、でもこの帰宅ラッシュの中ではあてにならないか。
現在地のことを考えるとどっかしらの角に近づきたい。
乗り物に乗ってくるのなら直線での勝負は絶対避けたいことだ。
どこの角に接近するかが賭けになる。
少しでも勝率を上げるために特に目と耳を凝らす。
意識を張りながら、一番近くの曲がり角へゆっくりと距離を詰める。
一応耳にも意識を持っていく、普通は目立たないように忍んでくると思うが、何せ相手があいつだ、爆音を上げて迫ってくるかもしれない。
集中し、なんだか街道を行く自動車やバイクが若干ゆっくりに見えてきた。
一秒が十秒に感じ、意識が加速する。
「どう来る?」
そして眼の端――車の群れの中に、大型トラックの陰から一台の白い原チャリがいきなり猛スピードでこちらへ接近してくるのを捉える。
スローモーションのように流れる時の中。
原チャリの側面に赤く『F91』とペイントされているのを確認。
「チイ!」
思わず体を横に投げ出す。
ついコンマ一秒前まで頭のあった位置を白い手が薙いだ。
身体を投げ出し横に倒れたまま、その手の主を見る。
フルフェイスのヘルメットを被った高校の夏服を着た少女。
そいつは数メートル先に停車するとヘルメットのアイシールドを持ち上げる。
「結構やりますね、あなた」
平然と言ってきた。
「何を言う、これでも俺は一時期トップアスリートだったんだ!」
全身の筋肉をバネに飛び起きると、服についた砂埃を払い、簡単にジーパンのしわを伸ばす。
「さすがはあたしの旦那様。そうじゃないと面白くありません。その自慢の強靭な肉体で愛の名のもとあたしに襲い掛かってくるんですね。そしてとんでもない責めを・・・・・・よろしい! こちらも一方的に激しい快楽に溺れさせてもらうつもりはありません! ここはあたしも鋼のような肉体を・・・・・・!」
「良いから! 恥ずかしいから! 周りの人見てるから! 天下の往来で叫ぶな! それにな、鋼の肉体を持つ女性に興味のあるのは、極一部!」
俺にとってそんなガタイの良い女性はアウトなの!
しかもお前の脳内では俺たちの関係はどこまで進んでるんだ?
なんかこいつは恋愛過程を飛び越えて肉体関係に拘ってる気がする。
今更無理だが最初からお前が普通に手を繋いでデートしたいって言ってれば喜んで対応したんだからな!
良いか少女よ?
最近当たり前のように増えてきた多くの草食系男子が求めるのは平凡な女性だ!
現代の男子はあまり女性に多くを求めてはいない!
お前も女子高生ならティーンズ誌ぐらい読むだろう?
結構今の高校生にはスタンダードな知識だよ?
なんで三十路の俺が知っててお年頃のお前がわきまえてないんだよ?
「本当に魅力的な女子の前には例え草食系男子でも理性を保てないのが男の性なのですよ?」
お前が男の性について語るのは十年早い!
それに当たり前のように思考を読むな!
しかもヘルメット被っててもわかる残念な人に言う感じの表情がムカつく。
ほら、いくら端に停めても停車禁止の道では違反だぞ、クラクション鳴らされてるから。
とりあえず清香がよちよちとバイクを退けるのを待つ。
「お前の魅力は男を間違ったことに目覚めさせると思う」
「なるほど、ところであなたはどうなんですか? 目覚めそうですか?」
そう言いながらヘルメットをスポッと外し、ハンドルに吊るすと原チャリを降りて数歩近寄ってくる。
頭を振って流れる黒髪が汗で湿っていて色っぽい。ちょっと良い匂いもする。
急に雰囲気が落ち着いたな。
「若干目覚めてる。さっき感じた」
なぜ女に迫られてオネエに目覚めるのか訳が分からない。
「具体的には?」
「SにもMにも目覚めるぞ」
「じゃあお互い変わり番こで遊びましょう」
だからお前の遊びって言葉の使い方がいやらしいんだよ。
でもなんか先ほどよりこいつが嫌いじゃない。
むしろ・・・・・・。
「一人でやってろ!」
どうした、右近?
「M的にはうれしい言葉ですがS的には憎たらしいですね。あれ? 顔が赤いですよ?」
なぜここでニコッと無邪気に笑うんだ。
見てくれが良いからキュンってするんだよ。
「くそ! 俺は騙されないぞ!」
「急にどうしたんです?」
可愛く首を傾げるな。
俺の精神が少しこいつに順応出来てきたのか?
変な奴だってわかってるのになんか可愛いく感じてしまうんだけど・・・・・・。
「べ、べ、別に、なんでもねえよ!」
「何か言いたいんじゃないですか?」
艶めかしい口調でさらに距離を縮めてくる清香さん。
手を伸ばせば届く位置まで接近して、顔を突き出してくる。
「本当に?」
誘導される感じに俺の告白展開になってる?
「な、なんでもねえって!」
「ほんと~?」
「ほんともほんと、ノーコメント!」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「ん~、そっか~」
一度肩をすくめ、つまらなそうな表情で彼女はスカートのポケットから紫色の小瓶を取り出す。
「やっぱり安物じゃあダメか~」
小瓶のラベルには『男メロメロフェロモン香水』と書いてある。
「それか!」
いや、そうゆうの使ってくる女性は初めてだが、効いてる、ちゃんと効いてるよ! すごいよそれ!
あー危なかったー!
タネを明かされると急に醒めちゃったよ。
「近付いちゃえばこっちのもの! ラブハンド!」
「チッ!」
口調が元に戻ってる。やっぱり演技だったか・・・・・・。
彼女が伸ばす手をバックステップで紙一重にかわす。
「あはは、楽しいね? あ・な・た」
「十数秒前まで結構可愛かったぞ!」
それを皮切りに俺は走り出す。
「乙女はいつも可愛いんですよ⁉ フォーミュラー91!」
そう言って娘は口笛を鳴らす。
鳴るや否や車道に停車していたF91が自動に歩道の段差を乗り越え、彼女の隣に並ぶ。
「!」
原チャリにフォーミュラー91とか名前を付けるのは期待し過ぎだとは思ったが、なるほど結構なハイテクなマシンじゃないか。
「あなたなどあたしとF91の前ではナメクジ同様です!」
ヘルメットを再び被った少女がF91に跨るとエンジンを吹かし、交通法違反お構い無しに歩道を走って追いかけてくる。
「よい子は真似をしないように!」
頭に浮かんだ言葉を適当に叫び、俺はスピードを上げる。
一目散に歩行者が俺とF91を駆る少女を避けて道を開く。
滅茶苦茶やりやがるな小娘め。
良いだろう!
先にそのような子供も守っているルールを破ったのはお前だ。
こちらにも考えがあるのだよ。
なんでもありになったら俺だって結構強いんだからな!
そう、幼き頃から磨きをかけている俺の実力、とくと味わうがいい!
◆おっさんの事情◆
十四歳の頃。
「父さん! 無理しないで、重い物は俺が運ぶから」
俺がいつもそう言うと父親は機嫌が悪くなった。
多分、まだ中学生の俺には普通に若者らしい生活を送ってほしかったのだろう。
うちは小さな商店を営んでいた。
俺が生まれる五年前、父は草野球で脚を痛めた。
ちゃんと治そうと思えばそう出来たらしいが、自営業の手前、全治するまで時間をかけられなかったらしい。
仕入れから配達、自動車運転免許を持っているのは父のみ、父がいないと店が機能しない。
店の大きな収入源である配達だって市内から出たり当たり前にするので自動車を運転できる人間がいることは必須だった。
よって俺は記憶に無いほど幼いころから父の手伝いをしていたと母が語る。
そういえば俺が生まれる前のケガだから一度も父が全力で走っているところを見たことがないな。
同い年の友達がいなくて、年上の兄ちゃんたちといつも鬼ごっこをしていた。
俺はわがままで暴れん坊で小学生の頃は友達の親に煙たがられてたっけ。
『あんな馬鹿な子とは遊ぶな』ってさ。
当然そんな子供だったから勉強は全然できなかった、しなかった。
出来の悪い俺に対して先生はつらく当たってきた。
よく怒鳴られたり頬を叩かれたりしたっけ。
事情も知らないのに・・・・・・。
ハブられて育った。
小5で突然足が速くなって運動会で一等賞、それまで褒められたことがない。
祖父も父も足が速かったらしい。
才能という言葉を初めて周りが俺に使った。
友達とは建て前の関係で中学生になるまで特別仲の良い友人はいなかった。
小学校の学区にはお坊ちゃまばかりで、中学で素行の悪い連中の多い地区と合流した。
似たような境遇の友達が結構いてほっとしたものだ。
陸上部に入り、本当に楽しい友達がいっぱいできた。
鬼ごっこをした。
一緒に心から笑った。
校内陸上競技大会で短距離で優勝。
それから逆に走るのが嫌いになった。
ハードな練習に一緒に耐えてる友達を置いて、自分ばかりが著しい成長をしていく。
地区大会で優勝。
気持ち悪かった。嫌悪した。ズルしてる気がしたから。
才能なんて無くて良いからみんなと同じにしてくれ、そう思った。
せっかくできた部活仲間の何人かとも気まずくなった。
部活を辞めて帰宅部の友人とでっかい公園で鬼ごっこばかりした。
運動をして気持ちいい、久しぶりに実感した。
鬼ごっこが大好きだった。
そんな心に余裕が戻ってきた二年生に進級する時期。
『頭が良くなったら周りはどう反応するだろう?』
ふと思った。
一度もちゃんと勉強したことが無かったから、それが妙に気になって・・・・・・。
その興味でサボりがちだった塾にもちゃんと通うようになり、家でも毎日予習復習。
『すげえな右近!』
一学期の中間テストで5位になった。
結果がすぐ出て驚いた。
やればできる子だったことに自分が一番驚いた。
才能が無かったことで認められ嬉しかったんだよ。
自分の学力がどこまで通用するのか試したくて勉強に打ち込み続ける日々。
三年生になり、気付くとしばらく父の手伝いをしていない。
父の脚は悪化していた。
学生兼従業員。
勉強の合間にできるだけ時間を作って手伝う。
学校では受験の話題が増えてきて、深海魚にならないようにすこしレベルを落として学区で三番目の進学校を第一志望。
合格。
なんか盛り上がらない。
この高校の陸上部は練習の一環で鬼ごっこを取り入れているらしい。
迷わず入部。
気合を入れて部活初日に臨む。
先輩との交流ってことで早速鬼ごっこ。
しかし、誰も俺を捕まえれない、逃げれない。
またこいつか。
鬼ごっこ目当てに部活に通い続け、一年生で国体の表彰台。
トップアスリートの仲間入り。
嫌になった。
不本意に周りに称えられるのが――期待されるのが辛い。
『店の手伝いがあるから』
嘘を吐いてるわけではないけど、口実をつけて逃げる。
店の手伝いを本格的に始めた。
ある日、両親に頭を下げられ修学旅行をキャンセル。
なぜかホッとした。
そのまま休学し、三年生になる直前に高校を中退。
その時の俺の顔は能面のように感情が無い表情だったと母は語る。
『これで良いのか?』
疑問に思いながら働いた。
あっという間に時は過ぎ、二十歳になった。
この歳になるときには運転免許はさすがに持っているだろうと想像したが、講習を受ける金が無い。
近所にできた大型スーパーに客をとられていく。
それを突き付けるように景気の悪化で店の運営にひびが入る。
日に日に夕飯のおかずが減っていく。
さすがに危機感を感じた。
高校中退で資格なし、絶望した。
そんな時に見たニュースの一節、盛り上がってる大学生の飲み会を見たとき、頬を水が伝った。
『自分にもあんな楽しそうなことがあったのかもしれない』
高校を強制的に辞めたときだって涙を流さなかったので、てっきり感情が無いと思ったが俺も『人間』なんだな、と少しホッとしたのを覚えている。
店は閉店、一度泣いた後の俺は強い、普通落ち込むところが俺は違った。
『もう、俺を縛る店は無いのだ』
求人広告を見るのが楽しくて、目が輝いて――。
学歴不問の職場を一年やって向いてなかったら転職を続けた。
そして――
現在に至る。
頭の中を過去の映像が流れて止め処無いほどだった。
走馬灯ではないように願う。
本当だ! 本当にそう思ってるんだからな!
「我ながらよく頑張った」
全速力で走りながら小さく呟く。
「早く捕まっちゃえばいいんですよ! あ・な・た!」
フォーミュラー91ことF91を駆る少女――石上清香との死闘は続く。
誰か歩道をお構いなしに原チャリで爆走するこの娘をどうにかしてくれ!
「それは俺にとっては人生終わりを意味するんだ、バーカ!」
数歩後ろに娘は迫っている。
下手にF91の速度を上げさせないために歩道を右へ左へジグザグに走り、揺さぶる。
原チャリと人間の脚ではどう考えても分が悪いので工夫をしなければならない。
しかし、こんな工夫をしても原チャリ相手には長くは持たないだろう。
っというわけで、現在ある地点に向かっているのだが、
「あたしがあなたを捕まえたら人生が終わるほどの快感を与えてあげましょう!」
「違う! 変な方向に捉えるな!」
それもある意味終わりだとは思うけど!
それにちょっと魅力を感じてはいるけども!
ある種の性癖の持ち主なら大金払ってでも手に入れたい幸せな状況かもしれないけども!
そういうやつにはお前が魅力的に見えて堪らないはずだ!
俺たちが首尾よく結婚しても奇天烈な雰囲気のまま爺さん婆さんだ! 断言できる!
お前自身の人生のために変態同士夫婦路線へ進路変更した方が良い!
「変な方向? 生物にとって一番純粋な快楽なんて決まっているでしょうに⁉」
変人を見るような目で見るな!
なんかわからないけどヘルメット被ってるのにお前の表情を感じ取れるんだよ。
お前の方が世間一般では変人なんだぞ! 馬鹿!
「そういう考えを持ってる時点で純粋じゃない! 偏ってる!」
「偏ってるのはあなたの方! 稀に見る『彼女とお花畑で追いかけっこ』に憧れてる男性なんじゃないですか!」
「そこで意見が食い違っちゃってるなら、俺たちは相性が悪い! 夫婦喧嘩は避けられない未来!」
「ふ、夫婦げんか・・・・・・?」
そう呟いてヘルメットの隙間に見える目元の血色がよくなるこいつ。
そこに引っ掛かるのかよ。
なんで快楽がどうこう平然と叫ぶお前が、夫婦喧嘩って言葉で顔を赤らめる?
こいつの羞恥心の定義が解らない。
俺とお前はどういう段階の関係なんだ?
キュピーン!
ひらめいた俺は探るようにこう言ってみる。
「お手てつないでピクニック、ハニーのサンドイッチは美味しいなあ、小川を眺めて笑いましょう。見ろよハニー夕日が沈むよ。お互い家に帰ったら、電話で愛を語ろうか」
「は・・・・・・恥ずかしい! やめてください、そんな淫らな・・・・・・」
F91が少し傾いた。
これに反応するのか?
純愛と不純の位置が逆かこいつは!
さらに続ける。
「夏は海へ行きたいね。照りつける日差しが歓迎してる。波に逆らい泳いだら、水鉄砲で遊びましょう。昼は海の家で焼きそばさ。疲れて電車に揺られたら、眠ってしまうのも夏の思い出」
「ななな夏に海みみ・・・・・・? や、ややや焼きそばば・・・・・・! 夏のおーもいで!」
お? 効いてるのか?
「紅葉の季節になったなら、一緒にカフェでモンブラン。図書館行ってお勉強しましょ。少し寒い夕方に、二人で星を数えましょ」
「カフェででででで、ももモンブラン? おおおおお、お勉強ウううう、ほほ星いいい?」
こういうのってなんていうんだっけ、ゲシュタルト? そう! ゲシュタルト崩壊を始める、清香。
「冬は二人で雪だるま、クリスマスにはプレゼント、ケーキを一口頬張って、聖歌を歌って祝いましょう。ああ、こんな日々が続けばいいのにイイ~~」
「雪だるまま、クリスマッスルるる、ケーキング! せセセ聖歌あああああん!」
クリスマッスル? ケーキング?
「以上『ラブ~愛の春夏秋冬~』どうだ?」
F91が不安定になり、これ以上は(歩行者に)危険だと俺は判断したのでこう言う。
「少し止まろうか?」
「はい・・・・・・」
F91を降りヘルメットを取って収納にしまう。
「はあはあ、ゼーゼーッ」
「なんでお前F91に乗ってたのに息が切れてんだ」
どっちかっつーと俺の方が疲れてるはずなのに・・・・・・。
「気にしないでください、昇天しそうなだけです」
昇天ってなんだ?
変なこと言わないの!
「・・・・・・」
「はあはあ、良いですよ。どうぞ、続けましょう。できれば歩きでやりましょう」
歩いてする鬼ごっこってなんだ? まあいいや。
俺だって結構体力削られてんだもん。
「では、ファイ!」
仕切りなおして再び開始のゴングが鳴る。
「このののノノ変態! 悪夢のような発言は禁止! 本当にスケベ! ラブソウルポイントから減点七億五千二百八十四万六千九百二十一点!」
「ラブソウルポイントってなんだ! あと俺の持ち点はいくらあるんだ⁉」
「無限大数です」
「!」
即答するなよ。
その上、中二病全開みたいなネーミングセンスだ!
あと桁が多い! やけにリアルな点数をつけるな!
無限大数から七億何点引かれても大して影響ないぞ。
「そもそも愛に点数をつけるのは純粋じゃありませんよ。愛というのは無償で与えあうものです。あたしたちもそうでありたいものですね。ほら、あなたの中のラブソウルポイントは何点ありますか?」
宣教徒口調で言ってるのがムカつく。
「点数をつけるなって言ってる傍からラブソウルポイントって形で勘定してるんだけど・・・・・・」
矛盾してるよ?
やっぱり適当に言ってるでしょ? 思いついたこと片っ端から言ってるんだよね?
お前が開いた教えなんて誰も聞く気にならねえよ、ていうか聞く気ねえ人の方こそお前の教えに添ってると思うぞ!
無視されたらそれはそれで発憤するんだろうな、きっと。理不尽。
「揚げ足を取るなんて愛が無いですよ!」
「だから無いんだよ」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「うそ! あなたの一挙手一投足にあたしは愛を感じます!」
「気のせいだ、無いから、全身全霊をかけて無い」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「愛を感じます!」
無理やり都合の良い方へ持ってくな!
何度も言うけどルックスはドストライクなんだよ。
でもその変な思考とのギャップにビビっちゃってんだって、歩道を原チャリで爆走する女子は俺の守備範囲からかけ離れてる。
ルックスで補えるレベルのヤバさじゃないんだよ。
ほら、また手で押してるF91が塀にぶつかりかけてる。
ここまでくると容赦なく捕まるから、俺もお前も牢屋行きに王手をかけてると思うよ。
「ヘッドロックをかけて落としたいくらい愛を感じます!」
「ヘッドロックをかけられて落ちたくないくらい愛がありません」
「ツンデレですか?」
「ツンツンのツンです」
「ツンツンデレデレですか?」
「違います」
ちょっとずつ扱いが解ってきた気がする。
これは将来役にた・・・・・・つかな?
「ツンツンツンデレデレデレですか?」
「知らねえ・・・・・・」
しつこいんだよ。訂正、やっぱり解らなかった。
と、ここまで来て息が苦しくなってきた。
丁度良い、ようやく目的地が目の前だ。
大型商業複合施設!
現代で遊園地を超えるほど安上がりでテンションの上がる場所!
数少ない友人が経営するショッピングモール!
『大納言ジェネレーションシティー裏海馬』
地元じゃ知らない人はいないくらいに生活に根差したショッピングモールだ。
スーパーマーケットにホームセンター、ゲームセンター、映画館、書店、トイストア、数々の飲食店、アパレルショップ、カットスタジオ、宝石店、質屋etc.俺の知らない店もいっぱいあるし医療施設に市を横断するモノレールの駅だったりする化け物施設。
上がったことは無いけどモールの上には四十階建てのタワーマンションとかも兼ねてたりする。
いろいろ詰め込み過ぎて、例えばスーパーマーケットでも衣服やアクセサリーを取り揃えているのでアパレルショップとか宝石店と扱う品物が重複してたりして、ほとんどのテナントが競うように頻繁にバーゲンとかやってるから大体毎日騒がしい。
結構儲かってる感じがすぐそばにある廃れた商店街の人たちには受け付けないみたいだけど、喧騒に混じりたいときに行くとあれやこれやとお祭り騒ぎなので、そのキャッチ―なところが俺は好きだ。
再び再開した全力逃走劇。
と言っても、走る(奴は運転)のを再開して数分しかたってない。
ズザザーッ!
俺こと桃園右近は急ブレーキで靴底を焦がす。
「やっときた!」
「ペンタゴン!」
真後ろに迫っていた石上清香とその愛機F91がタイヤから煙を立てて横滑り。
態勢を崩して慌てたのはわかるがペンタゴンは無いだろう。
五角形? 国防総省?
多分この娘は大した意味も知らずに口から出したのだろう。
ボキャブラリーは豊なようだがその大半の意味をこいつは曖昧に覚えてる気がする。
「急に止まるなんて危ないじゃないですか!」
「危ないのはお前の深層心理だ! ふふん、ノコノコとついて来たな! 作戦通り! ここでお仕舞にしようか!」
勝利を確信した!
この地にお前の墓標を立ててやろうじゃないか!
自然と笑みが溢れる。
「ラブホテルじゃないですよ? ここ」
「なんで俺がお仕舞いな感じになってんだ?」
俺がお前に捕まった場合は付き合うだけだろ?
勝手にそんな発展したとこまで視野に入れるな!
その子供に言って聞かせるような口調はやめろ!
イラッとくるんだよ、ビッチめ!
「ってことはお仕舞いなのはあたし?」
「そうだよ、お前はここで潰れる!」
「潰れる! そこまで激しいプレイを? こんな人が多い場所で求めてくるんですか!」
「違う! お前の勝利がなくなるんだよ! お前の敗北確定だ!」
これを聞いてもなんでそんな満面の笑みしてんだ?
さらに続ける。
「ここでなら延長戦とかあってもいい」
「喜んで! 何時間にします? 3時間? それとも休憩?」
「3時間とか休憩言うな! リアルな数字だからみんな変な顔してこっち見てる!」
「今のはあなたに言わされた気がします!」
「違う! 断じて違う!」
この状況で少し言わせてみようと魔が差しただけです。
気を取り直して、
「延長はしません!」
「ブーブー」
「可愛い感じに頬を膨らませてもダメ、めっ!」
「・・・・・・」
清香は無言でフォーミュラー91を降りて駐車する。あ、そこ駐輪場なのね、偉いえらい。
「・・・・・・ゴホン。では、さっそく俺はここで逃げるから捕まえてみなさい」
「はい! あ・な・た。ごっつぁんです!」
俺は照明がウザったいくらい煌びやかなショッピングモールに突入した。
残りタイム一時間弱。
ごっつぁんです?
◆おっさんの盟友◆
友達と集まれる場所って良いよね。
家族には話せないこと色々暴露して一緒に笑い合えるもん。
おっさんこと桃園右近も、今もだけど思春期は学校の男子全員で猥談とかしてたからね。
で、女子も男子も一緒にいる教室でそんな話できないじゃん。
基本階段が途切れる一番上の行き止まりで集まるんだよ。
学校の最上階――屋上ってなんでテレビとかと違って鍵が掛かってるんだろう?
明らかに鍵とか鎖で厳重に閉じられてるんだよね。
まあ大体察しはつくよね?
テンションの高い学生はなにするか分かんないじゃん?
ノリで飛び降りたりするかもって先生たち思ってんだよ。
ドラマ見てて屋上で告白するシーンとか見ると『うわ、嘘クセエ!』って思わない?
そういう反応する奴に限って屋上に憧れが強かったりするんだと思うんだよね。
理科の授業で日食とか見るために屋上に行ける時のみんなの反応を俺はすごく覚えてる。
一生懸命つるはしで掘ったトンネルが開通した時って多分あんな感じになるんだろうさ。
要するにどんな奴も屋上が好きなんだって思った。
みんな大体集まるところは似通ってるもんだなあともね。
人間ってみんな中二病な時期って絶対あると思う。
今否定しようと思った人、多分中二病だったと思うよ、高確率で・・・・・・。
「久しぶりだな、ベッチ!」
「うん、久しぶり! 桃の字!」
こいつは越坂部梨央、耳では覚えやすいのに字では画数が多くて覚えづらいから俺は簡単にベッチって呼んでる。
今もこいつのフルネームを漢字で書けない。本気で覚えようとしたことが無いから。
俺は桃園右近って変わった名前で覚えやすいけど人によって『ももちゃん』『ウコング』とか呼ばれ方は統一されてない。
ベッチは俺を『桃の字』と呼ぶことが多い。
とにかく長い付き合いで俺と似た思考を持ってるベッチは、中学校の卒業アルバムのプロフィールの超必殺技欄に『横断歩道を手を上げて渡ること』って書いてた。ちなみに俺は超必殺技欄に『Bダッシュ』って書いた。
「とりあえずこいつを見てくれ」
スマホにパスワードを打ち、先日送られてきた石上清香の例の写真をベッチにこっそりと見せる。
「うわ! こっれはエロいね~、これがどうしたの?」
大納言ジェネレーションシティー裏海馬の経営者を親に持ち、少し――かなりの勝ち組。
俺たちはそのジェネレーションシティーのバックヤードにいた。
繁盛してるテナントばかりで裏方に回るはずの従業員たちもほとんど店先で接客に臨んでいるようだ。
ベッチは顎に手を当てらんらんと写真を眺めた。
「こいつに追われてて困ってる」
「何そのシチュエーション、羨まし~い!」
「羨ましくないんだ、これが・・・・・・ごにょごにょ」
俺は今までの経緯を大まかに説明した。
「ヤバいぜ桃の字! それってストーカーっていうんじゃ――ふぐ!」
「大きい声で言うなベッチ。奴は耳が良い」
ベッチの口に適当に置いてあった梱包材の発泡スチロールを突っ込んで黙らす。
「ホンハハヘイホヒヒホホヒハイヒ」
「大声を出さないと約束できるか?」
ベッチと目を合わせて一回頷き合うと発泡スチロールを外す。
「そんな野生の生き物みたいに耳良いの?」
「奴を侮るな、俺だってこの写真を見たときはちょっと胸が高鳴った。だがな、奴は見てくれは良いが中身はとんでもなく残念な痴女だ」
「オレちょっとそういうの好きだけど、残念系女子ってなんか良いじゃん」
「多少の異常さを無視したくなるのはわかる。俺もそうだった。でもな、こいつはそんな可愛いもんじゃないんだ。説明しだしたらきりがないぞ」
「例えば?」
「そうだな――っシ」
再び発泡スチロールをベッチの口に押し込む。
「ハヒ?」
「気配がする。黙れ」
バックヤードの入り口――普通は『関係者以外立ち入り禁止』となっている場所から微かに獣の呼吸を感じた。
「こっちだ」
と、ホームセンターの商品の木材の陰にベッチを連れて隠れる。
「どこにいるの! あ・な・た! このプラチナバットで超近距離ボール無し千本ノックを奏でましょう!」
白金の妙に芯のあたりがぶっといバットを手に、バックヤードの入り口で匂いを嗅ぐ荒い呼吸音を立てる石上清香が、存在感を放つ。
そしてバットを何度も振る風切り音。
ボール無し千本ノックってなんだよ? ただの素振りじゃねえか、一人でやってろ。
数秒、鼻呼吸のスンスンという音が近づいてきてまた遠ざかる。
俺もベッチも緊張で額が汗でびっしょりになる。
ベッチが音を立てないように手を振り会話を求める。
俺は木材の陰から少し顔を出し、周りの様子を確認してベッチの口から慎重に発泡スチロールを抜く。
「桃の字、あいつキモいぜ。ありゃ化け物だ。あの白金のバット、100%白金製の展示品で人間一人の腕力じゃ扱えないものだよ? 今朝、大人三人でやっと運んだんだ」
「どれだけヤバいかわかってくれたか?」
ベッチは静かに首を縦に振る。
「俺はここまで二十キロ近くあいつから逃げつづけている」
「桃の字を二十キロ? 本当に女子なの? 女子高生なの?」
「基本スペックは平凡な女子高生だ。スピードは大したことないし素足での闘争は簡単だ。だが精神が肉体を凌駕している。体力は無尽蔵と言って良い。その上常識とかぶっ飛んでるからかなりフリーダムだ。あらゆる手を使ってくる。正直容赦ない。怖い、逃げたい」
ベッチは俺の一番長い付き合いの鬼ごっこ仲間だ。鬼ごっこ四天王だ。
実を言うと俺のことを『エイリアンみたいだ』と言い出した連中のルーツはもとを糺せばこいつにある。
それだけ俺の鬼ごっこの腕をよく把握している貴重な人物だってことだから、まあいい。
あいつ――石上清香の最近の習性を考えると同じ道を二度通る傾向は無い。
少し安心してベッチと一緒に長い深呼吸をする。
「涙流すほど怖かったんだね。で、どうすんの? これから一時間近く逃げるんでしょ?」
その言葉を待っていた、と俺はベッチの肩をグワシとつかむ。
「考えがあるんだ。協力してほしい。そして俺をここでやと――」
「やだ!」
「・・・・・・協力してほしい」
「うん! いいよ!」
「・・・・・・そして俺をここでやと――」
「やだ! 絶対やだ!」
「・・・・・・」
言っとくが友よ、自分の身内が経営してる職場で、友人であれ鬼ごっこなんて遊びされるのに抵抗は無いのか?
「あなた! あの物陰なんてスリルのあるプレイに向いてるんじゃないですか?」
「闇に引き摺られていく感が半端ないな! あとその白金のバットは元の場所に戻しなさい!」
バックヤードを出たら待ち構えてやがった。
テナントの間のちょっとした隙間に挟まってた。
・・・・・・なんで挟まってたんだ?
現在ショッピングモールの一階を逃走中。
モールは三階建てで1フロアの広さは平均的な野球スタジアム約6個分とかなり広い。
モノレールの駅と馬鹿でかい病院も兼ねてるから当然か・・・・・・。
モールに来るまで走っていた大通りは二次元だが、ここは各所に設けられた階段にエスカレータやエレベーターで区切られた三次元のフィールドだ。平面で見たら同じ位置だが、立体的に見るとフロアが違えば全然違う場所になる。
「このバット気に入っちゃいました。この持ち上げると脱臼しそうなのが何とも・・・・・・」
「しっくりくるってか?」
さっきベッチは100%白金製で大人三人でやっと運んだって言ってたよ?
なんでそんなもん作ったんだ? ってのは無視しようと思うけど・・・・・・。
それをこんな華奢に見える女子高生(オーバードライブ中)が片手でぶんぶんと軽々振り回している。
しかも笑顔で。
制服引ん剥いたらバッキバキのグラップラーだったりしないだろうな?
どうも肉弾戦では勝利は難しい予感。
この少女の背後にクレ●ジーダイ●モンドがいる気がする。
首筋に氷を当てられてるような悪寒がはしる。
「そのバットのお値段は何年か景気のいいとこで不眠不休で働かないとなんとかできない額だから! この世の家庭のある大体の人が一生手にできないものだから! 絶対傷とかつけんなよ!」
白金、つまりプラチナだ。
俺の手一握りの量があれば一年は結構楽に暮らせると思う。
「錬金術師は白金を手に入れた!」
「なんかの素材に使う気なの?」
「正直バックれて売りに行きたいです! 質屋ありませんか?」
「全責任をお前が持つなら売ってこい! 捕まるから!」
展示物を無断で持ってきて、それを公共の場で振り回してる、しかも現地で即質に入れようとしてる、絶対通報されると思う。
「億いきますよね?」
何の悪意もない顔。
純真無垢な表情で言う状況じゃないから。
俺の話聞いてる?
「余裕だが、質屋ってもんは高額な物を損しない程度の価格で担保に入れるとこだから質入れはお勧めできません!」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・連帯責任って良いですよね?」
「!」
俺とバットを交互に見るな!
俺と金を天秤にかけるな!
「ラブソウルポイントに現金を課金・・・・・・」
「にやりと笑うな、馬鹿!」
流通に乗ってない上にお前の脳内の架空のポイントにどうやって課金するつもりだ!
「いえいえ、最近パソコンの勉強を始めまして、同級生にはCEOと・・・・・・この前も視察に・・・・・・」
パソコンの勉強始めて即CEOって呼ばれちゃうぐらい無駄にハイスペックなとこアピールしなくていいんだよ! 視察って何?
こんだけ怖い思いさせたんだからしばらくその能力で俺を養ってくれ! ・・・・・・冗談です! あと今ちょっと心を読んだだろ?
「もうやだよう~~」
おうちに帰って寝っ転がりたい。
熱い風呂に入りたい。
味噌汁とアジの干物とふりかけご飯とできれば漬物が食べたい。
人生ゼロに戻したい。
生まれ変わりたい。
そしてリア充になりたい。
世界を手に入れたい。
世界征服したい。
神になりたい。
「良い反応です。そんなあなたを見てあたしは反応します。ハウッ!」
ビクッとするな。
「俺たち相性悪すぎだよ~」
「あたしは最高に良いと思います。あっ、その表情いただきです!」
いただかなくてよろしいんですが・・・・・・。
俺の中のこいつはボンテージとか着ちゃってるよ。
「お前さっきSとM、両方だって言ってたけど、本当のとこどっちより?」
「難しい質問ですね・・・・・・ちょっと待ってください」
「悩むとこなの? 自分に素直になれば良いだけじゃん!」
「・・・・・・」
しばらく走りながら考えると、彼女は顔を横に振った。
「どちらも最高過ぎて、答えが出ませデュフフフフ!」
目を輝かせて涎を垂らしながら気持ち悪い笑い方をするな、と言いたい。
「じゃあ、仮に俺がお前を酷い扱いしたら、お前は嬉しいの?」
「それはそれで有りです! 大好きです! 堪りません! 感じます! ぶっ叩いてください!」
「・・・・・・逃げます」
真性の人だった。
御近付きになりたくない。
俺の脚は無意識にスピードが上がり、それは彼女の最高速度を超え、差が広がってくる。
周りの人込みに少し奴の姿を見失いそうになる。
こうなってからが怖いのは先刻承知だ。
(そろそろ準備できたか?)
ズボンのポケットからイヤホンを取出し耳に着ける。
スイッチを押し五秒ほど様子を見たら、
「もしもし、ベッチ! 聞こえる?」
『はいはーい! しっかり聞こえてるよ~』
そう、これはさっき石上清香を見失った時の教訓から、俺が考えてた作戦のキーアイテムのイヤホン型端末。
警備室のコンピュータに繋がった無線通信端末だ。
「映ってるか?」
走りながら大きく手を振ってみる。
ジェネレーションシティーのセキュリティールームに入ることができるベッチに、石上清香の位置を捉えるのに一枚噛んでもらおうと頼んでみたら、あっさりOKされたのにはびっくりしたが・・・・・・。
『ばっちし! いや~、こんな使い方があったんだね~、うちの警備カメラ』
「こんな使い方は間違ってると思うがな」
鬼ごっこに警備カメラ使うな!
『現在奴は桃の字の後方五十メートルの二階につながるエスカレーターのそばでーす』
俺は後方を見てそれを確かめる。
「よし、間違いない。なにか変化があったら教えてくれ」
『ラジャー!』
「プランではモールを四十分逃げたら、モノレールに向かおうと思う」
『で、オレはあれを指定の位置に用意しといたから』
「・・・・・・会話って良いね」
『なに? 突然気持ち悪い!』
「うん・・・・・・うん・・・・・・ずびっ」
やっと味方が出来た。
それが純粋にうれしいんだよ。
救いの無かった俺の恐怖に第三者から差し伸べられた手・・・・・・本当にうれしい。
モールの客たちは突然涙を流す俺を気味悪い風に思っていることだろう、仕方ないって。
そんなの気にしてる場合じゃないの!
さあ、皆の衆! 存分に我が奇行を楽しむがよい!
『桃の字、泣くのは呼吸を乱すから! 男の子でしょ?』
「へへ、ベッチの言うとおり、そこが手厳しいけど心強えーや!」
『これが終わったら仕事探して真人間になるんでしょ?』
「ああ、良い仕事探して、良い人間になる! 一応もう一回訊くけど、俺をここではたら」
『やだ! 絶対やだ! みんな言ってる!』
「・・・・・・・・」
みんな――っか・・・・・・。
『言っとくけどあの娘、もう桃の字の死角にいるよ』
キッと後ろに視線を這わす。娘の姿はもうない。
「早く言え、コノヤロー!」
『チョットアソビマシタ、ゴメンナサイ』
「心が籠ってねーよ!」
急ブレーキを掛けて靴底を擦り減らす。
数秒呼吸を整え、
「ベッチ! 奴はどこに?」
『それがなぜか桃の字とは正反対の方向に走ってる、ってあれ? なんか似た服装の子がいっぱいで、あ、そういえば今日、女子高生に人気の「野山水鏡」のステージがあったんだ! ヤマスイの野郎、いちいち目立ちやがって気に食わねえって無視してたから忘れてた』
野山水鏡(あだ名はヤマスイ)、今この地域で大活躍中のご当地アイドルだ。
去年のローカルチャンネルの紅白歌合戦で小林幸子のようなド派手な衣装で巷を騒がせた御仁である。
最近はローカルチャンネルどころか全国放送に進出してきた様子の、かつての俺の同級生――鬼ごっこ四天王のひとりだった人物だ。無口でたまに口を開けば、皮肉なことばかり言ってニヒルな態度を常にとる、歌がうまくて顔と頭と運動神経が良いだけの男だ。
・・・・・・完璧じゃん。
「なん! ・・・・・・なるほど、娘も馬鹿ではないようだ」
『あの子、ここに一番近い高校の制服着てたしねー、混じってわからなくなっちゃったよ』
確か五年ほど前に創立された『裏海馬高校』の制服を奴は身に着けていた。
淡い緑色を基調にしたブレザーだ。
あと髪の長い女子には学校指定のヘアピンの装着が義務付けられてるんだよな。
『かわいいデザインだから、制服を目的に入学する女子が多いんだよね』
「その反面、近所だから昼はここにサボりに来る素行の悪い学生が多いんだよな」
『最近はそうでもないんだけど』
「なぜか結構女子のレベルが高いみたいだし」
『知らないの? 第一期生が大量にモデルになったりしちゃったから、三年ぐらい前から受験に――特に女子の場合、一定の容姿も問われちゃうらしいよ』
「現代の高校受験は何かおかしい」
『まあ、大人でもいろいろ厳しい時代だからね』
「なんかそれ、俺に向けて言ってない?」
『キノセイキノセイ』
明らかにわざとらしい。
しかしまあ、無理言って協力してもらってんだから文句言えないか・・・・・・。
ここはひとつ咳払いでもして、
「ごほん、木の葉を隠すなら――」
『――森の中』
「おうちへ帰りたい・・・・・・うう」
あの娘が蜘蛛の子のように分身を散らした状況で奴を見つけ出さねば、俺の勝利の方程式にひびが入るのは確実だった。
攪乱、そういう機転が回る石上清香の思考を読み取るならば、彼女もこの遊びがそれなりの長期戦になるのを見越していると推察できる。
それゆえのこの作戦なら筋が通る。
なんか筋が通ってるのが逆に胡散臭い気もするが、相手が全く読めない行動に出たときは思い切った逃げ方とか下手に奇をてらわず、まずは落ち着いて状況を見れる場所へ移動するべきだと思う。
「ベッチ、女子高生の居ない場所は絞り込めないか?」
まずは女子高生の群れには近寄らない方が良い、体力面でも精神面でもそれが無難だ。
『飲食店とかアパレルショップには結構女の子たちいるね、んー、一階中央の大型玩具店ジョイザラスの前とか?』
「中央か・・・・・・どこに奴が紛れてるかわからないし似たような格好の奴らに挟まれるのは・・・・・・」
『じゃあ、とりあえず中央棟二階に上がって、すぐ傍のエスカレーターで』
「考えがあるんだな?」
『まあね』
とりあえず指示通りエスカレーターで二階に上がった。
モールは三階建て、その中央の支柱兼中央棟を二階に上ると、この施設のだだっ広さが半分一望できる。
建物のただの二階にやって来ただけなのに、見晴らしが良すぎてちょっとした山に登った時に頂上で遠くを見た感じに似た、グワンとした錯覚を覚える。
もう夕食の時間には遅めだが、食事をしている人々も相当いるのがよくわかるし、夜の映画館にも多くの人が出入りしている。
というより全体的にまだまだ人の波は後を引かない。
もうここがあれば他には何屋さんもいらないのでは? と思ってしまう。
ここまで毎日混雑してるなら逆に遠のいて行く人もいる気がするが、このモールの経営者――越坂部正(ベッチのお父さん)の所有する店舗はここだけではなく、町中至る所にあるコンビニやスーパーとかも実は越坂部家の手が加えられていたりする。
「強烈な影響力だな・・・・・・」
『なんか言った?』
「いや、この街ってさ――・・・・・・」
お前んち無きゃ回らない街なんだな――と言おうと思ったが、なんかムカつくからここは精神衛生を保つため濁しておこう。
『ありがとう。今度隣りの射桐峠市に新店舗開店するんだ~』
「畜生、なんでこっちの考え読まれてんだよ!」
『付き合い長いからね~』
悪意が感じ取れないから憎めないんだよ。
それにしても、こんな馬鹿でかいのまた開店するのか。財力だな。
本当、金ってやつは・・・・・・。
「・・・・・・ったく、で、これからどうする?」
『とりあえず周りをよく見てよ。オレは桃の字より鬼ごっこは強くないから一応危険じゃなくて視界の広がる場所をってさ。桃の字の意見も聞くべきでしょ?』
「そうだな頼り切りは良くないな」
顔を両手で挟むように叩き気合を入れる。
まず、視界に入る情報を整理する。
モールは東西南北に正確に面している、北側から西側、南側に視線を向ける、中央棟の西側だからここから東は見えない。
イベントホールは南側の一階、あの娘は女子高生に紛れるためそちらに向かった。
そして、女子の群れは少しずつ北上している。
確かに制服を着た娘らが南に大勢いるな。
その姿を追うと一階に多い飲食店は女子高生でいっぱい。
時間も時間だし帰宅するためモノレールの駅がある北に行進するのも結構いると予測する。
ここから西中央の様子は目視できるが、そんなに制服姿は見当たらない。
こうなると当然。
東は? 東が気になる。
「ベッチ、東はどうなってる?」
『はいはい、東では・・・・・・んん!』
「どうした?」
『いやー、見落としてたっていうか、勝手にヤマスイが東の書店でサイン会だってさ。本当あいつは勝手だ! あの野郎!』
ベッチは(俺もだけど)野山水鏡が嫌いだった。
理由は後程。
とにかく普段頭に蝶がとまってたりすごくポケ~っとしてて『だいじょうぶか?』って思っちゃうほど怒りの感情とかと全く縁が無いベッチなのに、こんなにイラついているのは珍しい。
一応理由は知っているのだが下らな過ぎるので今は曖昧にしか覚えてない。
確か・・・・・・。
◆サルとタレ◆
受験戦争って嫌だよね?
人間が人間を選別するみたいで嫌いだ。
まだ人間として未熟な子供たちをランク付けするようなものだから。
世の中の残酷な真実を幼少から意識してる子供なら日本って国の中で上位に行けるだろうさ。
だからってお受験って道に人生の早い段階で路線が定まってる子供ってのはどうかと思う。
だってそんな小さい頃から品行方正に生きなきゃいけないのってすごいストレスだよ。
意義を見出せれば良いよ。志があれば良いよ。楽しければ良いよ。
でも、人生ってのは自分が満足できるかじゃん。
一生懸命勉強して高学歴で身分の高い職業に就く――果たしてそれで良いのか?
納得できるのか?
いやいや、頑張っている人を非難してるわけじゃないんだ。頑張れてない自分を庇護してるんじゃないんだ。決して無い。
よくある話で『十五歳ぐらいで大病を患い、それを救ってくれた医師に憧れ、今までロクに勉強もしたことが無いのに猛勉強して超難関医大に入って立派な医師になった』といったようなものがある。
満足できる生き方だと思う。
しかしこれはよくありがちな話なのと同時にとても稀有なケースでもある。
そもそも医師になりたいと考える人間は、自分の意志でもないのに幼い頃から親に英才教育を受けているケースをよく聞く――イメージしちゃう。
そんな中に十五歳あたりになるまでロクに勉強したことが無いこの話の人物は、すごいハンデを背負って分け入って行く訳だ。
確かに勉強を強制されている人間よりは自発的でモチベーションは高いと思う。その思いはキャパシティを超える力を与えるかもしれない。そりゃ夢が叶えば嬉しいし満足する。憧れの医師になれてきっと多くの患者を救っていくのだろうさ。その本質は『医師になって病人を救いたい』という強い思いがあってのものだ。満足する生き方の良い例だと思う。
じゃあ、強制されて医師になった人間、彼らは親や家系から期待という言葉に縛られ『医師になる』という目標の基に頑張る。人生を捧げ努力する。でも、自分で決めた人生の形だと思い込んでいるだけではないのか? これで良いのか? これで良いんだ! っとそれを自分の満足いく生き方だと誤魔化しているんじゃないのか?
俺だって他人がどう考えて人生歩んでるかなんて知らないし,知れる気もしない。
でも、考えちゃうんだよ。
医師になることがゴールになってはいないのか? ゴールしたら次は?
要するに自分の成りたいものに成れた時、その先の人生をどう思うかが重要ではないかってことさ。
面白い人生とつまらない人生、どっちか自由に選べるのなら当然、どうする?
この件のBGMはマイムマイムでお願いします。
『ところで、ハクビシンは狸の仲間でな、よく見ると偉くかわいいんよ。でもな、かわいい思うて抱っこしようと手を近づけると、ギャー言うて噛みつかれるで!』
こんな感じのラジオを聴きながら、ミカン箱を机に勉強していたのを覚えている。
ミカン箱は良い。軽いし置けば道路の真ん中でも勉強できるもん。(よい子は真似しないように)
その有用性を色々研究して製品化してほしい。
――――――――MIKANBAKO――――――――って感じに。
まだ夏が今みたいな猛暑が続く時代ではない頃で、まだゲームにポリゴンというのが豪華に感じた時代。
俺は中学生だった。
初めて習い事――学習塾に通いだした。
格付け番組って今も時々放送されるだろ?
この塾がその番組の基になったんじゃって思っちゃう時があるんだよ。
何しろ厳しい塾でさ。テストの出来でクラスが変わったり、机がミカン箱に、椅子が薄っぺらいゴザに変わったりしたんだよね。八割点が取れないと深夜まで補修、それでも足りないときは休日返上で丸一日勉強漬け。ズボラな俺がよく三年間通えたか不思議でならない。
世の中にはもっともーっと厳しい塾ってあると思うけど、中学生の頃は人生に勉強が大事だとはわかっていても、どうも机に向かえなかったんだわ。
ゆとり教育が始まった頃で、学校の先生には手を上げられなかったけど、塾の先生はバシバシ殴ってくるんよ。それでも俺を含めた数人の生徒はサボったりしたんだよね。
その数人ってのが、俺(桃園右近)に、勤勉なのにあまり結果が伴わないベッチ(越坂部梨央)、大体やれば何でもできるホンマモンのヤマスイ(野山水鏡※超必殺技『核融合』)に、日々の行いからは想像もできないぐらい優秀なタレ(まついくん※超必殺技『癒着』)としっかり者だが性格がかなりゲスいサル(まさるくん※超必殺技『四段変形による大気圏突入』)だった。
野山水鏡がヤマスイなのは言わなくてもわかるだろうけど、まついくんのタレってあだ名は当時焼き肉のタレのCMを野球選手の松井選手がやってたからで、サルはまさるだからだ。
ベッチがヤマスイのことを嫌いになった理由には、サルとタレが大きく関わってるんだよね。
その日は夏休みの半ばに差し掛かった日だった。
なんだかんだで小6の二学期から三年間通ってる俺とベッチとヤマスイ、サルに瓶底メガネのタレは五人揃って先日のテストの結果が芳しくなかったので、塾で追試を受けていた。
サルとタレはおしゃべりで、テスト中でも先生が居ないと見るや何か話してた。居ても喋ってた。
大体毎日、身長二メートルはありそうな塾長に見つかって、教科書の角で強めに頭を殴られる展開が当たり前だった。
受験シーズンで先生たちも忙しく、丁度俺たちのクラスの先生も『お前らとは違って真面目な生徒を送迎に行ってくる』と一言多いセリフを吐いて不在。
二階建ての塾の同じフロアには他の先生の気配はなく、例に漏れずサルとタレはこんなことを話し出す。
「ねー、タレ? フレミングの左手ってラッパーっぽくない? YOーYOーチェケラッ」
「手首にマッサージの電極貼ってONにしてみ? 正確なリズムでYOってできっから、プロのラッパーもやってんだぜ」
「嘘吐け、馬鹿! 適当なこと言うんじゃないよー、ってか二人とも真面目にテストに集中しろよ。怒られても知らねえぞ?」
俺の忠告に二人は顔を見合わせると、
「「そんときゃー、だって桃園が・・・・・・って言うから」」
「なんで俺なんだよ!」
ベッチはアハハハと素直に笑ってるがヤマスイは口を手で覆ってプルプル震えてた。
この頃から俺っていじられキャラなんだよな。
「真面目にやれって言われても俺たちもうテスト出来てっから、見直ししたけどぜってー満点間違いなし!」
タレもサルの隣で頷いてる。
堂々と満点宣言。
こういう態度の時は大体こいつらの予言は当たるんだよ。
「ああ、はいはい、どうせ俺はいつも君らに二、三点差で負けるんですよ。悔しい悔しい」
悔しいけど学力は本当に良いんだよな、この二人。
十五分後。
サルとタレに続き俺にベッチとヤマスイもテストを解き終え、ざっと見直しもした。
正直満点の自信は全くない。
「はーっ、まだ受験まで半年、それまでこんな日が続くのかよー」
「桃の字に同じー」
俺とベッチは頭から煙を上げ背もたれに気怠くよりかかる。
ヤマスイはクールに姿勢良く目を細めて本を読んでる――と思ったら、寝てた。
「「「「器用な奴だ」」」」
俺たち四人がシンクロした。
「だ、大胆な。このメンツの中、堂々と寝ている・・・・・・」
ベッチはあわあわと顔の前で指を震わす。
まあ、俺たち(ヤマスイを含む)はこの塾の中でも指折りの問題児だ。
そんな輩の中でグースーピーなんて、放っとかれるわけがない。
先生が生徒の送迎から戻るまでの時間はあと約十分。
それまで寝てるヤマスイを弄って遊ぼうってことになった。
「まず第一走者、ゲームは大体イージーモード主義のウコング!」
シャーペンをマイク代わりに握ったサルの司会のもと、まず一番に手を上げたのが俺だった。
「やらせていただきます」
三人が俺に向かってパチパチと拍手する。
「さあ、ウコングさん。今日はどのような弄りを?」
「ずばり、眠り水分補給、です!」
「おーっと、イージーモードプレイヤーなウコングさんにしてはややハードルが高い!」
「「オー!」」
ベッチとタレが海外コメディードラマのような感嘆の声。
二人に頷いて俺は続けた。
「ここに水の入った紙コップがあります。この水を鼻提灯状態のヤマスイに飲ませようと思います」
「わかってっから早くやりなさい」
「タレは桃の字にいつも厳しいね」
タレとベッチが口々に言う。
「それでは、水道にいつの間に水を汲みに行ったのか? ウコングの挑戦! いってみましょーう!」
「ほいっ!」
俺はヤマスイの口許に紙コップを当てゆっくり傾けた。
ズズズズズッ!
飲んでる飲んでる。
なんで飲めるの?
明らかに軽く白目むいて眠っているのだが、難なく鼻に逆流する様子もなしに一滴もこぼさず飲み干してしまった。
「マジか?」
「末恐ろしい強い子!」
「三年間、俺以上に弄られたのは伊達じゃないな」
あっさり終わった俺の弄りだが、ベッチとタレには中々好印象な遊びだったようだ。
「不発でしたが結構良かったぞ! では第二番手は?」
「オレ! オレオレ!」
ベッチが目をキラキラ輝かせ手を大きく振って立ち上がる。
「ブルジョア毒舌家こと越坂部梨央! 今日披露してくれるネタはー!」
ベッチは教壇まで歩いて行くとチョークを手に取り黒板に勢いよく書き殴った。
「乙女系男子の告白、です!」
「なんとー! 字の意味は分かりやすいが、我々に乙女系男子と来ました!」
「ずーっと、いつかみんなでゆっくり話そうと思ってたんだ!」
「お喜びのところすいませんが、ゆっくり話す時間がありません。内容は気になりますが、趣旨から外れてます。それに先生が戻るまで五分強しかないので、そんな悠長な話を一人一人していたら私の順番が来ません」
冷静なタレが冷たく言い放つ。
「そんな~、じゃあせめてヤマスイの好きな人訊きた~い!」
「訊くも何も寝ちゃってますから、それはまたの機会に是非」
「ちぇー」
手を頭の後ろで組み、口を尖らせるベッチ。
「越坂部氏まさかの保留~! 残念なので一言、どうぞ」
マイク代わりのシャーペンを向けられたベッチは、
「オレ、実は柚姫ちゃんが好きです! 今度告白します!」
「ここで大暴露~! 趣旨が違うけど中々楽しめる一分四十秒でした! それにしても学年で言わずと知れた、硬いと有名な柚姫ちゃんか~? 競争率高いですね~!」
自分だけ勝手に告白してすっきりした様子のベッチが席に戻る。
その恋叶うと良いね、俺は応援するぞ、ベッチ!
「では三番手はわたくし、まついが挑戦を」
「静かなる狂犬、タレ! ズバリ今日の弄りは?」
瓶底メガネを中指でクイッと持ち上げタレが立ち上がる。
ジョジョ立ちが瓶底メガネとミスマッチで奇妙な雰囲気を醸し出す。
「催眠術YMSI20✕✕年ver.夏です」
サルとタレは親友だ。
タレが面白いと感じるものには大体サルも賛成する。
俺とベッチの時よりサルのテンションが高くなる。
「なんか作り込まれた企画ですね? 詳細を訊いても?」
タレはポケットから一つのカセットテープを取出し、口の端から白煙を上げ、全員に見せつけるように顔の前でゆらゆらと揺らす。
「先日ある筋のサイトで実に面白い音源を入手しまして・・・・・・」
「ほう、ネットサーファーらしい試みだ」
「うさんくせー!」
ちょっといじけたベッチを片手で制しタレは続ける。
「催眠術を科学すると有名な『ホムンクルス甲乙科学社』の研究段階の試作品です」
それでそれで? と全員の視線がテープに集まる。
「どんな状態でもI love you.と言いたくなる曲が収録されています。本日はこれをクールでこの手のものに全く引っ掛からなそうなヤマスイ(しかも寝てる)に聞かせてみようと思います」
「なにそれ! どんな曲入ってんのそれ!」
「ウコング君、そう焦るな、好奇心旺盛なキミにもあとで一回三百円で聞かせてあげよう。馬鹿な君がI love you.と連呼する姿が目に浮かぶよ」
「微妙な価格設定だな、それに余計なこと言うな!」
お前が時々テストで俺に僅差まで迫られて、心臓の具合が悪いの知ってんだぞ?
「まあまあ」
シーシードードーと全員黙らすと、タレはリュックサックからラジカセを取出し徐に机に置き、イヤホンをジャックに差し込んで、優雅に座って爆睡中のヤマスイの耳へ・・・・・・。
「耳触られても起きないんだ~?」
と、ベッチがのほほんとした口調で言う。
「俺の弄りも相当、目が覚めそうなもんだったとは思うけど、このままじゃこいつ災害とかあったら結構不自由しそうだよな」
そんな俺とベッチをタレは指一本で黙らす。
「よし! 皆さん静粛に、それではスイッチオーン!」
ポチョンヌッと、タレが勢いよく再生スイッチを押したと同時、
ガラララッと教室の扉が開いた。
「I love you.」
「わたしも❤」
即答だった
「「「「へ?」」」」
声の主に全員の顔が向く。
扉を開けたのは柚姫ちゃんだった。
「わたしも好きだったの野山君!」
「ん、んん、アイ ラブ ユー?」
顔を一度くしゃっと顰めたヤマスイがジャストなタイミングで目を覚ました。
何も知らない柚姫ちゃんは俺たちなんて眼中にない様子でヤマスイの手を取り、
「占いって当たらないね! 今日って最悪の日って雑誌の恋占いにはあったけど、人生で一番おかしな日ってあったけど・・・・・・」
いやいや、なかなかおかしな日ですよ柚姫さん。
「・・・・・・? ・・・・・・?」
事態が呑み込めずに珍しくキョロキョロと取り乱すヤマスイがちょっと気の毒に見えたが、その時俺は見た、歓喜に詰まり言葉にならない様子の柚姫ちゃんを、ベッチが絶望の眼差しで見ていたのを。
「野山君、今度遊園地行かない? そのあとちょっとお泊りに・・・・・・」
攻める子だな~、キミら中学生でその段階いっちゃうの?
ヤマスイはコクリと頭を縦に振る。
そうそう柚姫ちゃん? そんながっついてるキミにいくら優しくてクールなヤマスイもOK出すわけな――って頷くんかい!
「Zzz Zzz」
コクリコクリッてヤマスイまた寝てるだけだった。
「わたし三階建ての一軒家に憧れてるの! そんな愛の巣を築きましょう?」
コクリ。
「うれしい!」
偶然質問と、寝てるヤマスイの首の動きがタイミング合ってるけど、
気付けよ柚姫ちゃん!
ヤマスイは普段から細目で分かりづらいけど、こいつ目の前にいるキミじゃなくて睡魔に負けてるから! 多分こいつあんたに興味ないって!
「子供は何人が良い? え~百人? わたしそんなに耐えられないかも~」
なんかこの女子怖い。
「ヤマスイ起きろ! 強制的に人生設計されてる――って、ヒイ!」
柚姫ちゃんにものすごい顔で見られた。俺に――だけじゃなく全員をそんな顔して黙らせてた。
「新婚旅行はラスベガスね! スロットで大儲けして一生楽に暮らそう!」
色々ダメな子だ!
良いのかヤマスイ! この少女は高確率で残念な資質を持っている! 既成事実とか作って脅してくるタイプの子だ!
ベッチは青ざめた顔で二人から目を逸らし、後ろを向いて俺の肩にポンと手を置いた。
俺も習って後ろを向く。
か細い声でベッチは、
「まさかこんなことになるなんて・・・・・・あの子、柚姫ちゃんの双子の妹とかじゃないよね?」
俺は一度柚姫ちゃんを振り返ってから、
「双子だったら学校でもっと目立ってるよ。あのレベルの娘はそう簡単に量産できないだろう」
だだっ広いステージで歌って踊って、大歓声浴びてる姿とか想像しちゃうぐらいのルックスだからね。
俺はあんまり興味ない子だけど、それでもカワイイと思っちゃうし。
残念な子だと知っててもそのルックスは卑怯だ。
こっちからは近付く気はないけど、向こうから言い寄ってくれば多分OK出しちゃうと思う。
「そもそもなんで柚姫ちゃん、ここにいるの?」
目に涙をためてさらにベッチがしぼんでいく。
「受験シーズンだから色々な塾を見て回るとか三年生に上がるとき言ってたような」
中三から塾を探すってのは結構受験を舐めてると思う。
「それが何で今日、この塾で、しかもこのタイミング?」
そう言ってベッチは顔を両手で覆ってしくしくと泣きだした。
そりゃそうだ、目の前で意中の子が自分以外の男子に(催眠術で)コクられて、しかもその子がかなり未来のガチなこと考えてるんだもん。
だがな、ベッチも気の毒だけど、寝てる間に勝手に色々人生の分岐点を好きでもない子に進められてるヤマスイも相当カオスなことになってるからね。
「熱海行こう! 熱海! 秘宝館!」
「Zzz イェス」
不思議と会話が成立してるんだけど・・・・・・。
俺ちょっとベッチはこの娘と、うまくいかなくて良かったと思ったんだけど・・・・・・。
てか、ヤマスイ一言もまともに喋ってねえ。
それを横目にサルとタレは部外者オーラ全開でケロッとニヤニヤしながらこう言ってた。
「「やってみるもんだな」」
「Zzz うまいィ Zzz」
そのあと全員(柚姫ちゃんも)塾長に『オメーラ、シッカリセーヨー! △✕%〇□L!』ってげん骨くらった。
理由を探せばいくらでも出てきそうだけど、なんで俺とベッチとヤマスイが?
容赦ねえ!
暴力反対!
マイムマイム終了。
ってことがあったんだよ。
あれからベッチは一方的にヤマスイに負の念を持っちゃってんだよね。
何度か俺が間に入って仲直りさせようとしたけど失敗続きだ。
意識を現在に戻す。
混雑するショッピングモールの中央棟西側に俺はいる。
東の様子をベッチに訊ねて返答を待つ。
『桃の字、俺たち友達だよね?』
「おうともさ、急にどうした?」
『だよね、あのサイン会ぶっ壊そう』
「はっ?」
なんかベッチらしくない物騒な言葉が聞こえたんだけど。
『もはやこれは「愛の鞭」なんだよ・・・・・・』
尋常じゃない雰囲気に俺は唾を飲む。
「ベッチなにがあった?」
イヤホン型端末の向こうの空気が徐々に鼓膜を通して伝わってくる。
『桃の字は知らないだろうけど、ヤマスイと同じ高校に入ったオレが、どんな目にあったか・・・・・・』
ベッチの声には本気で俺へ何か伝えようとしている語彙が、込められてる。
「ちょい待ち!」
と、俺は周囲の様子を確認。うん、制服姿の女子は見当たらない。
ホッとしてベッチに語りかける。
「ヤマスイと何があった?」
『高校でオレにも念願の彼女が出来たんだけど、奴にことごとく邪魔されたんだよ』
「と言いますと?」
『彼女と校内を手を繋いで歩いてたんだけどさ・・・・・・』
ベッチの雰囲気がちょっとずつ悪い方へシフトしてってる気がする。
『ッち!』
ドダン!
イヤホンの向こうで、ベッチの舌打ちと、机を叩くような音が聞こえる。
「ちょっとベッチ? なにがどういう?」
こんな怒りをあからさまに表に出してる様子のベッチは久しぶりだ。
俺は周囲の状況に気を配りつつ、ベッチの話に耳を傾ける。
こっちが協力してもらってて悪いんだけど、正直、今はそんな話は遠慮してもらいたいんだけど。
『ヤマスイの野郎、階段から転がり下りてきて、彼女の、比佐ちゃんのファーストキスを奪いやがった!』
ダダンッとまた机を叩く音。
『その時の比佐ちゃんの満更でもない顔ときたら・・・・・・くっ』
あーあー、ベッチ泣き始めちゃったよ。
でも、その展開を聞いて俺も疑問が出来た。
「あのさ、ヤマスイ転がり下りてきたの?」
『ヴン』
「転がって?」
『ズン』
「下りてきたの?」
『ジュン』
「樽みたいに?」
『よぐわがるね』
「ヤマスイ怪我してた?」
『全治三週間』
「う~ん・・・・・・」
それ多分ヤマスイ悪くないと思う。
俺も弄られキャラだからなんとなくわかるんだよ。
好きで階段を転がり下りてくる人はあんまりいないと思う。
俺以上の弄られキャラのヤマスイだ。きっとまた変な遊びにに付き合わされて――そうなった可能性を否定できない。
俺の推測だがヤマスイは多分誰かと何かあって階段から転がされて、偶然通りかかったベッチの彼女――比佐ちゃんとやらに偶然ぶつかって初接吻――ファーストキスを奪った。
全治三週間の怪我した上に恨まれてるヤマスイ、ご愁傷様。
ちーん。
「結構ひどい話だとは思うが・・・・・・」
ベッチの嗚咽が聞こえるが・・・・・・。
どっちの味方にもつけねえ、っていうのが本音なんだよ。
ヤマスイだってご当地アイドルって仕事をやってるんだ、どんな私怨があっても邪魔しちゃだめだと思う。
『あのさ・・・・・・ぐうう』
「うん」
『あのね、ヤマスイ、桃の字のことこう言ってた。生涯ど――』
そこで俺たちの会話が途切れる。
ピンポンパンポーンと、お客様センターのお姉さんの館内放送が割り込んだのだ。
『館内放送です。書店でサイン会を行っている、野山水鏡さんが一言言いたいそうです。さあ、どうぞ野山さん、え? 野山さん? ちょっとボソボソ言っててわかんない、え? あ、はい、私が言うんでですか? ・・・・・・生涯童貞ウコングだそうです。それにしてもカッコいいですね野山さん! ポッ』
「よし! 殺そう!」
なんで俺がここにいること知ってんだ、お前!
ランダムで言ってんだよね?
なんでピンポイントに狙ってくるんだよ。
あてずっぽうで言ってんならすごい確率だよ?
エスパーか?
日頃から色んなとこでそんなこと言ってんじゃないだろうな。
お姉さんもポッじゃねえ!
ヤマスイ、俺はお前の期待を裏切ったこと無いし、逆にお前は俺の期待を裏切ったことが無い、そういう関係だっただろう?
どういう意図で言ったか知らないが、俺のお前への信頼度はガタ落ちだ。
『やる気になってくれて、オレ、うれしいよ!』
「うん、やる気スイッチ入った!」
同じ格好の女子高生がいっぱいいるからってなんだ! 怖いからってなんだ!
やればできる子、桃園右近!
進路を東に向け俺は走り出す。
なんかドラマのある鬼ごっこになってきた。
◆隣の晩ごはん◆
『チョコ』をいつも数個ポケットに忍ばせている。
しかも十円より安い、硬貨の形をしたやつ。
集中力って大事だよね。
集中力を維持するのに甘い物って必要らしい。
脳みそのエネルギーってブドウ糖だけなんだって。
コンビニとか薬局に安価でブドウ糖の塊とか売ってるの時々見るでしょ?
試したことは何度もあるけど、まあおいしいんだよ。疲れたとき食べると頭もはっきりするし。
栄養補給にはとてもいいしね。
でも、俺はどうもその明らかにブドウ糖なブドウ糖に抵抗があってさ。
ちょっと風味がほしいんだよ、苦味とか・・・・・・。
だから代わりにいつもチョコを持ち歩いてる。
夏は解けてぐっちゃぐちゃになっちゃうけど、美味いから許してる。
どっかの製菓会社が解けないチョコとか造ってくれたら、五体投地して拝むと思う。
そんなチョコ大好きな俺でも買いづらい時期ってあるんだよ。
そう、モテない男の天敵、バレンタインである。
母親とか肉親以外からもらったことは一応ある。
でもそれはまだ「✕✕ちゃん好き~」とか「〇〇くんと結婚するんだ~」とか平気で言っちゃえる、ピュアな時期限定なんだよね。
今思うとそんな時代から関係を保ってるカップルってすごいと思う。
学生時代を送ってると、意識し合ってる男女だって、どうしてもお互い嫌な部分って見えてくるものだ。
それでもOKって言い合えちゃうんだから、なんかそれって良くない?
見てると微笑ましくてなんか元気もらえるんだよね。
『まだこの世界に愛はある』って。
人間こうでありたいもんだ。
チョコ以外の料理なんて食った日にゃあ、もう幸せでいっぱいだと思う。
なんか良いよね。
でもきっと例え愛する人の料理だって、人間って必ず飽きるんだよ、そういうもんだ。
結婚しててもしなくてても、ご近所付き合いで隣に住んでるばあちゃんの作った煮物とか貰うと、滅茶苦茶美味かったりするんだよね。
味覚って不思議。
一度そういうことあると気になってくるんだ。
隣の晩ごはん。
「ねえ、ベッチ?」
と、俺はテーブルの上のフライドチキンを手に取って、一度軽く振る。
『当モールの人気ワースト一位のチキンはいかが?』
俺はモール東側のフライドチキン屋さんの、イットインの一席に座っていた。
まだ一口も食べてないのに、そういうこと言われると、なんかテンション下がるんだけど。
「ワースト一位ね。匂いは悪くないと思うけど・・・・・・」
野山水鏡のサイン会をぶっ壊そう、という使命を果たしに行く途中、腹ごしらえにってベッチが『すぐ食べれる』と勧めてきたのだが、
本当に注文したら直ぐ出てきたのでびっくりした。
作り置きじゃあないよね?
湯気も出てるし、見た目で判断する限り、カリッとしてそうで美味そうだった。
呑気に食事って事態じゃないと思うけど、生憎俺の腹は危険信号を発して止まないから困ったもんだ。
石上清香の姿はまだ確認できない。
どこにいるんだろう? と、常に思って警戒しながらここまでやって来たのに、まさか俺のこと諦めて帰っちゃったんじゃないよね?
それはそれでちょっと複雑な気分になるよ。
変な話、結構俺はここまで楽しかった、のかもしれない。
認めたくないものだ。
『さあさ食べて食べて!』
ベッチが五月蠅いのでとりあえず一口齧る。
「ムシャッ・・・・・・~~っ!」
『如何だい?』
「美味い!」
驚いた! いろんなフライドチキンを食べてきたが、その中でダントツ一位!
フライドチキンというより唐揚げに近い味。
スパイスじゃなくて醤油とみりんとかのタレに漬けてあった感じの味だった。
『ね~、モールが出来た時からある古株のフライドチキン屋でさ~、初日以降人気はあんまりないのに美味いんだよね。オヤジッチもお気に入りで、経営ヤバいのに辞めさせるには惜しい味って残っちゃてる店なんだ~』
「こんなに美味いのに・・・・・・」
これで人気が無い・・・・・・っか。
あまりにも味覚に合うのでがっつく俺もちょっと理由が気になって辺りを見回す。
埃なんて見当たらないぐらい掃除も行き届いてる、居心地の良いゆる~い曲とか流れてて良い店だと思う。
環境じゃないとしたらスタッフに問題――ぶふーー!
ずいぶん長い時間動きまわってたから、ちゃんと売り子の顔見て無かった。
よく見れば売り子の顔が、かの有名なスーパーロボット、黒金の城ことマジ〇ガーZのあ〇ゅら男爵!
思いっきり吹き出しちゃったよ。あーもー、勿体ない。
何を狙ってそのメイクなんだ? 紫色の頭巾に込められた意志は? と言いたい。
『ねえ、なんでだと思う?』
何の疑問の無い声で言うベッチに、あ〇ゅら男爵には聞こえないように小声で、
「いや、俺に聞くまでもないだろ? 逆に訊くけど、あの売り子いつから?」
『ああ、長田さん? 店は人気無いし、バイト雇う余裕もないからずっとその人だよ。良い人だけど長田さんメイクきついっしょ?』
長田さんっていうのか・・・・・・。
「次元が違うんだよ」
なんかくらっと来て椅子の背もたれに身を預ける。
『次元って? 難しいこと言わないでよ』
「あの人は二次元の世界の人だ。二次元ってのは平面の世界っつーか」
『アニメってこと?』
「簡単に言うとそうなる」
「お客さん? 急に咳き込んでどうしましたグハハハ!」
「!」
話に集中してたら目の前に来てた長田さん。
近距離で見るとさらに奇怪だ。怖い。顔が引きつっちゃう。
「どうぞお冷です」
ああ、心配して水持ってきてくれたのね。
「ぐはっ! なんでもないです、大丈夫、すいません、いただきます」
「グハハハハハ!」
高らかに笑ってレジに戻る長田さん。
「確かに良い人そうだけど、せめてあの笑い方はやめた方が良い」
本当は何から何まで忠告したい。
『あの笑い方は生まれた時からでどうしようもないんだってさ。あのメイクも美を追求して辿り着いた境地で、「このメイク無しにこの店は存在しえない」って、オレは大して気になんないし』
気になれよ!
そのメイクのせいで経営ヤバいんだよ?
初日以降? つまり初日は少しは客来てたんだよね? このフライドチキンの味なら納得だが、俺にはその初日ってのが、冷や汗掻いて黙々と食べている客のど真ん中で『グハハハハ!』って笑ってる長田さんしか想像できない。
客だってそりゃ味わう余裕なくて当然だ。
徐々にベッチの感性に疑問が生まれてきたんだけど・・・・・・。
「まがいなりにも商店の息子だった俺の意見がある」
『何でも言って』
「まず、この店の看板を紫に塗れ、そしてその看板にでっかく長田さんの顔をそっくり忠実に描くんだ。そして『おのれマジ〇ガーめ! 覚えていろよ、兜〇児!』と大きめに書きなさい」
俺はベッチに語り始めた。
あのメイク無しにこの店は存在しえないのなら、もうそれを売りにしちゃえば良いんだよ。
まず客がその看板を見て『なんだこりゃー!』ってなれば良い。
そしてそのテンションのまま、店の中に入れば、看板通りの長田さんが待ち構えてる、客も『なるほどね! じゃあ一つ貰おうではないか! 美味いっちゃ! 病み付きだびゃー! 良いもん食わせてもらったべさ! また来るけんね!』って自然な流れが生まれる。
ドカーン!
人気店の誕生だ。
要は先入観を逆手に取るんだ。
味には何も文句が無いのだから、事案だった長田さんのメイクも、店に入る前からこういう人がいるってわかってりゃ、大した問題にはならない。収入が安定したら、バイトを雇って長田さんメイクを義務付けるんだ。そうなれば、もう本当にあのメイク無しにこの店は存在しえない。
『なるほどー、桃の字頭良~い! さっそく教えてあげて!』
いや、明らかな問題に十年以上、何の対策も練らずにいた方が珍しいんだ。
「俺からあの人に言うのは、ちょっと勇気いるから、ベッチが伝えといて」
会話できる距離で見ると、良い人だって分かってても怖いんだよ、心臓に悪い。
今はあのメイクに耐性がある人にお任せしたい。
「グハハハハハハハ!」
レジで暇そうに突っ立ってる長田さんの笑いが、哀愁を誘う。
「さて、これからどうする? 確かに、ここからならヤマスイのサイン会を監視できるけど」
『・・・・・・』
無言のベッチ。
「どうした? 黙って」
『・・・・・・ぅんだよ』
呟くベッチ。
「なんだって?」
音量が定まらないのかな?
電波の調子が悪いのかと軽く端末をトントンする。雑な電子音とかしないから異常は無いと思う。
『歌うんだよね、多分』
聞き取れる聞き取れる。
「うん?」
『多分ヤマスイは調子こいて歌いだすに決まってるって言ってんの!』
まずはヤマスイのサイン会の会場である、書店の様子を観察することから始めた。
「ベッチさ、俺もだけどヤマスイに苛立ってるから気付かんかったけど、サイン会の邪魔する作戦はどうなってんの?」
頭に来た勢いでここまで来ちゃったから、全然策を考えて無かった。
それはベッチも同じ様子。
『どうすれば、あいつに一番ダメージを与えられるかを考えるんだよ』
長田さんのフライドチキン屋はガラス張りで、向かいにある、ヤマスイがサイン会をしている書店が良く見える。
それにしても大人気だなヤマスイ、女子高生に囲まれて。
幸せそうだ。さぞ気分も良いんでしょうね!
澄ました顔で次々とサインを書いて、握手までしてる。
「羨ましくてさらにムカつく・・・・・・」
『棺桶に封印とかしちゃいたいでしょ?』
「もう地球外にぶっ飛ばされて、跡形も無く消し飛んでほしい」
耳に着けてるイヤホンには高性能カメラ機能も付いていて、俺の目に入ってる景色は逐一警備室にいる、ベッチにも見えてるらしい。
ってことは、ベッチにもこの女子にキャーキャー言われてるヤマスイが、見えてるってわけだ。
『さわやかに胸糞悪い、畜生め』
こんな野蛮なベッチがちょっと怖い。
「嫌がらせってのはな、俺たちがよーく知ってる、サルとタレを模範にすると良いんじゃないか?」
『エゲツねえで定評の、あの二人のまねを?』
「俺にもサルとタレに通じる、誰にも言ったことない趣味がある」
『どんなん?』
「例えばだ、悪質な電話がかかって来るとする、『おら、金払え』って感じの」
『うん、金に困ったこと無いからよくわかんないけど、うん』
「まずそいつの気分を高まらせるよう誘導するんだ。『知りません、何のことですか?』って感じにちょっと白を切るようにな。難しかったら『はっ?』って簡単なのでも良い」
『・・・・・・』
黙って聞いているようなので続ける。
「こっちがとぼけてると大体相手はこう言ってくるんだ。『てめー! ふざけんな!』って具合に、そこまで行けばあとは簡単、訊いても無いのに向こうは・・・・・・」
と、俺は少し間を開ける。
『怖いよ! それでどうすんの?』
「『お前俺が誰だかわかってんのか! 俺はなー!』ってなるから、向こうが名乗る前、テンションがMAXになったところで――そこで電話を切る」
『・・・・・・うわあ、よくできるね、そんなん』
「趣味だからな、楽しいんだよ、趣味は楽しくなきゃ意味ない」
『ちょっとおもしろいからスーパーさとしくん人形あげる』
「ありがとう、おまけに続きを言うならこうなる、もう一度そいつから電話かかってきて、『コラ! コラコラコラーー!』それを聞くのが気持ち良くてたまらない、最高の瞬間だ。それに向こうもちょっと楽しそうだったりするんだ。こっちもおちょくれて楽しいし、相手もおちょくられて楽しい。ウィンウィンだ」
『なんか、桃の字が悪い人に感じる』
「ううん、良い人間だ、エンターテイナーだ」
そうだろ?
俺は世界を盛り上げる子だ。
つまらないことはしないんだ。
『そういう解釈もあるんだね。ちょっとメモッとく』
勉強になったようで何よりだ。
それに収穫もあった。
「今のでヤマスイに一番ダメージを与える方法を思いついた」
『流石、ブレイン、桃の字! 今までに類を見ない気持ち悪さだ』
「褒め言葉と受取ろう。要はヤマスイがテンションMAXのところで、思いっきり撃ち落とす、奈落の底に沈める」
『オレ、桃の字の考えが解ってきちゃったんだけど』
「簡単だろ? 奴はアイドルで何をするとき絶頂を迎えるのか」
「『そう!』」
やることは決まった。
後は実行するのみだ。
◆へっぽこ計画◆
「ヤマスイめ、呑気にやっておるわ」
『最後の時は近付いているのだよ。ここで引導を渡してくれる』
俺はヤマスイのサイン会会場である書店の端っこの棚から顔を出す。
女子高生たち(ご高齢の方とかもいる)が群がっている中心にヤマスイはいるのだろう。
この状態で俺とベッチの作戦を実行したら余計な被害が出る。
女子らに罪は無い、奴の甘いマスクに誑かされているだけなのだから。
ベッチも俺も奴とは長い付き合いだが、どういう思考を持っているか定かではない。
何しろヘンテコ野郎だからな。
しかし貴様も所詮は人の子、根っこは人間であることに変わりは無い。
ならば、誰でも平均的に嫌がることをされれば、その甘美な仮面も剥がれて苦しむに違いない。
俺たちは待っているのだよ?
お前の終焉を・・・・・・。
『罪を払拭するのは容易ではないぞ、ヤマスイ!』
「そう、お前がアイドルである限り、ライトを浴びる貴様の陰には俺たちが潜んでいると思え!」
『俺たちの怒りの業火に焼かれ!』
「灰塵と化し!」
『風に攫われ!』
「輪廻し!」
『新たな大地で!』
「生を受け!」
『生命の循環をを繰り返し!』
「真にゼロに戻った時!」
『初めて!』
「貴様の罪は浄化されるのだ!」
『これ楽しいよ』
「ちょっとな」
『・・・・・・』
「・・・・・・・・・・」
『お前の野望は!』
「俺たちが砕く!」
「『ふははははは!』」
「お客さん、お静かに!」
ゴツンヌ!
知らぬ間に接近してきたメガネの店員さんにグーで殴られた。
「一人で妙な大きな声で何を言ってるんです? またやったら通報しますよ!」
「・・・・・・すいません、静かにします」
周りの人にはベッチの声は聞こえてないんだった。
傍から見たら一人で中二病的セリフを叫んでるただのヤバい人だった。
『楽しいのに・・・・・・』
「今度はあんま迷惑にならない場所でやろう」
『とりあえず今の店員はブラックリストに追加しとく』
「お、おう」
当たり前のように職権乱用するな!
店員さん、悼まれない。
にしてもこんだけ奇行かましてる俺の方を見てる人があんまりいない。
みんなヤマスイの方見ちゃってるんだよね。
だからって挙動不審な姿勢じゃみっともないな、普通に立っててもヤマスイの目に俺は入らなそうな感じだし。
忙しそうだがせっせとサインを書いて握手してるヤマスイ。
「サイン色紙じゃなくて、婚姻届とか渡されてもサインしちゃいそうな勢いだな」
『ヤマスイ抜けてるから、なに渡されてもロクに確認せずに書いちゃいそうだね』
未だ天職を見つけていない俺には、その姿がやたら眩しくて直視したくない。
「・・・・・・」
『・・・・・・・・・・』
「・・・・・・ロープっていくらすんの?」
『何に使う気⁉』
「ちょっと・・・・・・森の中でキュッとなりたくなった」
『逃げちゃダメ―!』
「そう言ってくれなかったら、ほんとにキュッとするつもりだった」
『何があっても森の中でキュッとしちゃダメだから!』
「ソダネ、アリガト」
『絶対すんなよ!』
「シナイ」
なんか、ダビデ像みたいなポーズしてると楽だった。
『さー、野山さん! 大勢の方にサインしてあと6人でラストです! 今並んでる6人の方は絶対順番を変えないでください! 実は最後の一人には特別プレゼント! イベント終了後、野山さんこと野山水鏡さんとディナーをご一緒できる権利を差し上げます!』
アナウンスの人が言うや、会場にいる全員がざわついた。
と、言ってもすでにサインをもらったファンは時間も時間だし帰路についた人も多く、残ったファンや取り巻きたちもさすがに最初の半数以下に減っていて、イベントの規模は徐々に縮小していた。
「え! ええっ! やだ、ほんと!」
サインを待つ、行列の最後尾の女子大生っぽい人が、嬉しさのあまり大きな声で喜びを露わにしている。
『おめでとうございます!』
アナウンスの人に祝福され、頬を赤くして嬉しそうに口を歪め順番を待つ、女子大生っぽい人を、なんとなーく目で追いながら。
「本当にヤマスイは歌うのか? そんな様子は無いんだけど・・・・・・」
かなり時間を食ったんだ。これで何もなかったら、いくらベッチでもサイコクラッシャーの刑だからな。
『奴はおとなしい割りに妙に目立ちたがりなとこがあるんだよ。客がいなくても絶対歌う。オレの死海文書にも載ってる』
「死海もん・・・・・・?」
『越坂部家に古より受け継がれし秘文書だよ。世界の始まりと終わりが記されてるんだ。エッセンシャル版とかも出てる』
エッセンシャル版とか出てんの? てか古より受け継がれし秘文書を公に量産しちゃってたりするの? なんかすごく安っぽいよ?
「変わったもん持ってんな」
なんかカッコいいから今度読ませてもらおう。
サイン会も終わる兆しが見えてきた時だった。
最後に例の女子大生のサインを書き終え握手をし、「またあとで」とディナーの約束をしたヤマスイが、マイクを手に取り立ち上がる。
『本日は誠にありがとうございます。最後まで残ってくれた熱心なファン限定に、野山さんから一曲披露するそうです』
アナウンスの人がそう言うのと同時に古臭い曲が流れだす。
「ホントに歌うみてえだな」
『そろそろだ』
「作戦開始だな」
『十分助走をつけるため、ポイントAへ』
「了解」
俺は距離を測るように、歩数を数えてヤマスイとの間に障害物の無い直線上、ポイントAに移動する。
曲の音量が上がる。
いつの曲だか定かではないし、だいぶ古い曲だからタイトルは知らない。
でも、やけに懐かしく感じるのはなぜだろう。
なんて、今はそんなことはどうでもいい。
ヤマスイがマイクを口の前で構える。
『では聞いてもらいましょう、野山水鏡さんで「ポンポネラハイウェイ」!』
クラウチングスタートの体勢をとり、
『桃の字、発射!』
キラーンと俺の目が光った。
俺は地面を蹴り、ヤマスイ目がけ急加速する。
周りの風景が歪曲し、俺とヤマスイの距離が一気に縮まる。
ヤマスイの口が開くと同時に俺は前方斜め上に跳躍、
『我ら至高の一撃!』
「喰らえ必殺!」
『パ』
「『ザ・ウコンストライク!』」
歌いだしたヤマスイの横っ面に、思いっきり全力のライダーキックを叩き込んだ。
そう、ヤマスイへ一番ダメージを与える嫌がらせとは、アイドルの本分『歌うとき』に一撃を加え、台無しにする。
それが俺とベッチの選んだ計画だった。
椅子やテーブルを蹴散らし、俺の渾身の一撃に抵抗する術もなく錐もみ回転してぶっ飛ぶヤマスイ。
呆気にとられた大勢の人が絶句する中心で、
「見たか正義の鉄槌!」
俺が一言叫ぶ。
倒れ伏すヤマスイがピクリともしない。
・・・・・・。
数秒の静寂の後。
「お」
「おお」
「おおおおー」
「「「「お前が悪だぁーー!」」」」
大衆の本気の罵声を浴び、俺は颯爽とその場を後にした。
◆ホント嫌になっちゃうよねー◆
『あーすっきりした!』
「だな!」
激昂したヤマスイのファンに追いやられた俺は、現場から大分離れた区画まで逃げ切り、人目に付きづらい柱の陰で一息吐いていた。
「なかなかのエキサイティング具合だ」
『ねー、ほんとにやっちゃったって感じだね。多分通報されるよね』
「なんつった?」
『通報されるよねって言った』
「――――!」
言われて気付いた。
ノリでやったと言えど、俺はアイドルであるヤマスイに公の場でライダーキックを見舞ったのだ。
通報されても無理はない。
遠くからパトカーのファンファンファンって音が聞こえる。
無意識に肺からヒュッと息が搾り出る。
「ベッチ? 俺、捕まっちゃうの?」
『オレも桃の字がまさか本気でやっちゃうとは思ってなかったからさ、マジか? って思った』
「待て! この騒ぎにはお前も一枚噛んでいるわけで・・・・・・!」
『でもなー、実行したのは桃の字だし』
呑気に言うんじゃない!
こんな形で前科持ちになんかなりたくない!
「ふざけるな! ヤマスイのことに関しては言い出しっぺお前じゃん! ノリノリだったじゃん! 俺はあのイカレ娘と鬼ごっこをしてただけで・・・・・・」
『それ! そもそもね、このモールで女子高生と鬼ごっこなんてしてる、桃の字がおかしいんだよ。めっ!』
悪びれも無くそんなことを言うベッチ。めっ、じゃねえ!
「見つけました!」
「おおう⁉」
ベッチの急変にたじろぐ俺の目の前には石上清香。
さっきまでの制服姿じゃなく、シンプルでいて高級感のある純白のワンピースにピンクのブラウスを羽織って麦わら帽子。
『お迎え来たじゃん! オレそろそろ仕事あがるから、あれ? 電話だ』
「ちょっと待てベッチ! ベッチ⁉」
「ベッチって誰です?」
『もしもし? うん、うん、わかった、すぐ帰る。じゃあ、桃の字、オレ家帰るから、嫁が怒って待ってるし。例の物はあそこに置いといたから』
「嫁⁉ お前結婚してたの⁉」
初耳だぞ!
「結婚?」
『何年か前に結婚したんだよ。結婚式も上げた』
「俺呼ばれてないんだけど!」
ちょっと待て! 事態が呑み込めない!
「結婚したいんですか?」
こいつはこいつで勝手に誤解してやがる!
『そういや呼ぶの忘れてた』
「俺たち友達なんだよね⁉」
忘れてた?
俺、お前にとってそんな存在だったの?
「あたしたちの結婚式に友達を?」
「違う!」
収集ついてないぞ!
『なかなか面白かったよ! あとはお二人で! じゃねー、バイビー!』
「おいベッチ! ベッチ!」
『ブツン・・・・・・』
ホントに帰りやがった。
「・・・・・・」
凄まじい空虚感に苛まれる俺に、石上清香は、
「誰と話してたんですか?」
と小首を傾げあからさまに気の毒そうな表情を浮かべていた。
「・・・・・・お前、今までどこに?」
「あたしですか? あたしはちょっと自分でもよくわからない場所に行ってました。あんな不思議な風景初めてです」
その言葉に俺は、このショッピングモールの知ってる限りの場所を、あらゆる角度でイメージする。
「不思議なところなんてあるか?」
皆目見当がつかなかった。
「ありますよ。ちょっと壁にぶつかったと思ったら、こんな暗い空じゃなく、清々しいほどに晴れ渡った青空で、遠くには山とか見えて、足の生えた顔付きキノコを数匹踏み潰して、カメもいましたね。そのまま進むと・・・・・・」
「ちょっと待て」
「土管が立てて置かれていたので興味本位で登ってみたら、どん臭いことに穴に落ちちゃったんですね・・・・・・」
「おい」
「気づいたら薄暗い部屋にいて、地下だと思うんですけど、奇妙なことに沢山のコインが宙に浮いてたんですよ。それに変な音楽が流れてたような・・・・・・。そしてコインを集めてたら1UPして・・・・・・」
「おおーーーーーーーーい! 本当にどこ行ってた!」
みんな知ってるマ〇オランドじゃねえか!
1UPってなんだ?
「そのコインを質屋に持ってったらお金いっぱいくれて、ウン千万くらいですかね。それでこの服と帽子を買えました。お釣りもこんなに・・・・・・」
と、どこに持ってたのか両手に溢れる万札を見せびらかせてくる。
「ちょっとそれよこしなさい!」
「いやです。あたしもそういうギラギラした目で見られたい、それより、どうですかこの服?」
と、ひらりと一度可愛らしく回って意見を求めてくる。
「似合ってるよ」
気付けば札束を手に持っていない、どこに仕舞った?
なんかいちいち驚くのが面倒臭い。
でも本当に制服姿も良かったけど、純白のワンピースもかなり良いな。
麦わら帽子でちょっと顔が隠れてて、それもまた清楚な感じで・・・・・・。
「ありがとうございます」
と、言った後、急に顔を赤くしモジモジしだす小娘。
「右近さんはこういう格好好きかな~って思って、あの、その・・・・・・」
お? なんか可愛いぞ!
「良いね!」
さらに頬を紅潮させる少女は、
「それはもうあたしたち相当な中なのでは?」
「今のままず~っとその感じだったら考えなくもない」
娘はそう言い放つ俺の顔をじーっと見つめると、
「選べる側じゃないと思います」
「うっせ―!」
「選べる側じゃないと思います」
「なんで二度いうんだよ!」
この一瞬で顔の様子が元に戻っている。
相変わらず見てくれだけは良いんだよ。
「・・・・・・?」
「どうしました?」
「バットは?」
白金のバットが見当たらない。
相当な値打ちの物ってことは流石にこいつもわかってると思うんだけど、
「居酒屋の入り口で飲んだくれてるおじいさんにあげました。すごく喜んでました。『これで40年ぶりに家に帰れる』って」
「あげるな! 残念なおじいさんを巻き込むな! 束の間の夢になっちゃうぞ!」
「あのおじいさんの正義を信じます」
物が物、人生を狂わす代物なだけに、親切心でどうこうしちゃダメだ。
嬉々としてバットを売りに行ってるであろうおじいさんの姿が鮮明に想像できてしまう。
まあ、気にするだけ無駄だ。
合掌して無事を祈らせてもらおう。
「コホン・・・・・、貴様を待っていた! 久しぶり!」
と、仕切り直す。
「会いたかったわ。宿敵のあ・な・た!」
対峙するレスラーのような構えをお互いとって、どう出るか探り合う。
只ならぬ様子の俺たちの周りには、ちょっとした観覧者の群れが出来ている。
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
ただ見つめ合う。
このままタイムアップになればラッキーだとは思うけど、流石にあと四十分近くこの緊張感を保つような相手ではないだろうな。
精神が肉体を凌駕しているこいつは、自在にゾーンに入れる化け物並みの集中力の持ち主。
ならばこちらからアクションを起こすべきだろう。
「ちょっとたんま!」
「どうしました?」
「トイレ! ッシッ!」
「!」
そう、ちょっとした変化、切欠は何でも良い、ただ少しでも動ける理由、それがあれば良い。
半歩動き、一歩動く、その変化を一気に爆発的に飛躍させる。
一目散に逃げ道を塞ぐほどに出来上がりかけた、人垣の隙間にダッシュする。
知覚できないほどの一瞬の攻防。
背中に触れてしまうかと思うほどの距離を、少女はピッタリ追ってきた。
頭の中で三度ゴングが鳴った。
◆ここまでくるとは思わなかったよ◆
『あいつら怪物だ! 俺の村を焼け野原にした連中によく似てやがら―!』
と、言う人がいたり、
『教典に封印されし、瑠璃色の翼の獣、新田さんに間違いねえ!』
と、言う人や、
『力を持て余した荒ぶるゴールドクロスの人が降臨なさった、テンションブチアゲ!』
とか言っちゃう人もいる中、
「うおおおおおおおおお!」
「はあああああああああああ!」
俺、桃園右近と石上清香の鬼ごっこは、もはや聖戦の域に到達する勢いだった。
こいつちょっとさっきより速くなった気がする。
恐るべきスピードで進化しているっていうのか?
ん、ちょっとかっこいいな今の。
でも、俺だって伊達にトップアスリートだったわけじゃない。
俺のレベルにそんな易々と追いつけるなら、一朝一夕で肉薄する実力になれるなら、オリンピック選手選考会はもっと白熱するんだよ。
悔しいけど俺も男なんだな!
いくら進化したとはいえ、流石に差は少しずつ開いてゆく。
この調子だ。
「俺を鬼ごっこでここまで手こずらせたのはお前が初めてだ!」
ここまで怖い鬼ごっこも初めてだ。
正直褒めてやりたいぐらいだ。
それぐらいの頑張りはしてるんだよ? お前。
徐々に開いてく距離。
「進化したのはスピードだけだと思いますか? 先ほどまでの空白の時間で、あたしも頭というのも使ってみようと思いました。手に入れたのはお金だけじゃないのですよ! 我が仲間よ、掛かれ!」
「!」
俺はモノレールの駅に向かい走っているわけだが、二つ気になっていたことがある。
ヤマスイのイベントがあったから女子高生が多いのかと思い込んでいたが、主だったイベントは大体、結構前の時間に終わっているし、モノレールの便だって結構多いので、平日のこんな時間にこれだけ女子が大勢いるのは不自然だと考えていた。
それに妙に周りにいるそいつらが俺と石上清香を意識的に凝視しているように感じていたのだ。
娘の声が掛かるや俺の前方にいた女子たちが、急に道を塞ぐように身構え、
「「「「そーれ!」」」」
急に飛び掛かってきた。
「おう⁉」
咄嗟に横に跳んでギリギリ躱すが、その先にも女子たちが待ち構えていた。
それをスライディングからの横転で逃れる。
「「「「なにこのおっさん、スゲー避ける、ウケるんですけど」」」」
と、ケラケラ笑っている。
「お前さん?」
「はい、なんでしょう?」
少しスピードを緩め――ほぼ歩いてるのと同然な速度で訊ねる俺に、こいつは一緒にスピードを落とし平然――というより全く素知らぬ様子で首を傾げた。
「この方たちはどちらさん?」
「清香ちゃんイレブンの方たちですけど、なにか?」
「イレブン? 11人いるの?」
「いえ、34人です」
「リアルに多い!」
どこがイレブンなんだよ!
しかも物量できやがった!
ずるいぞ!
それに自分のこと清香ちゃんて言う人なの、キミ?
「卑怯ではないですよ! タッチ権はあたしにしかありません。彼女らは捕縛用で――」
「どっちにしてもずるいんだよ!」
「大勢の女子に囲まれるの、嫌なんですか?」
「・・・・・・大好き」
飛び掛かってきた娘たちみんな可愛いんだよ。
流石入学にルックスを問われる裏海馬高校、良い仕事してます。
「ほら、気持ち良いんじゃないですか・・・・・・そだ! あたしと付き合えばみんなにあなたを紹介するついでに、全員で旅行とかどうです?」
「・・・・・・男、俺一人?」
「もちです! 童心に帰ってみんなでプロレスとかして遊びましょうよ!」
グワンと目の前の景色が歪む。
夢のような話だ。
「・・・・・・・・・・すごく、ぃぃ・・・・・・」
プロレスってぶっとい男をイメージしちゃう言葉が、やけに魅惑的だ。
「色んなコスチュームも用意して楽しくやりましょう!」
脳内を駆け巡るプロレス技の数々が、全部変な方に刷新されていく。
そこまでサービスしてくれるの! いや待て、いや、いや待て、待て待て、いや・・・・・・。
俺の頭の中で何かがプツンと弾けた。
「わかった! 俺、お前と――――」
「まあ、流石に公的裁きが下りますが」
「おおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!」
おおーーーーい! もう少し夢見させてくれよ!
落とすところは落とすのね、清香嬢。
「まあ、あたし相手には公的裁きなんていらないですけど」
「・・・・・・ぐっ・・・・・・・・・・ちょっと嬉しい」
本当にちょっと嬉しい。
あんまり好きじゃないけど可愛い顔の子にそう言われるのは、なんていうかこめかみの上の辺がムズムズする。
「あたしはあなたが好きなので当然と言えば当然だとは思いますが」
「そんなに好きなの?」
「ええ」
平然としているこの娘の愛が不思議。
「お前を保険にして良いですか? どうしても俺に恋人が出来なかった時の・・・・・・」
『言いやがったよ! なにあの人クソいんだけど、清香あんなの好きなの?』
『清香のセンスが謎い! あんな芋みたいなのあたし好みじゃないしー。どっかであのフェイス見たことあるー、博物館で石の斧持ってるやつー!』
『有りえなーい!』
『ねーーーー!』
間一髪というか、『死ね』とか致命的な一撃は避けてくれてる感じに口々に言う、優しい清香ちゃんイレブンの面々。※個人的な感想です。
「正直に言って良いですか?」
「どぞ」
「くそ野郎! って言いたいです」
「ですよね・・・・・・」
当たり前の反応に肩を落とす。
そりゃそうだ。
自分が女性だったら、そんなこと言ってる男は一発殴って懲らしめてやりたくなると思うもん。
「そうですね、あなたがたくさんの女性にアタックし、ことごとく失敗し、打ちひしがれて、あたしの前に現れたら、あたしは寛大な心で受け入れちゃうと思いますが」
ペカー!
め、女神ですか? 輝いてるよ、清香さん!
こんな冴えない男の俺に、保険が出来た・・・・・・のかな?
とか考えてる自分を殴ってやりたい。
トクン、トクン・・・・・・・・・・・・。
あれ? なんだろうこの気分、すごく温かくて胸がくすぐったい。
「ソ、ソンナこと言って、なんにもならないよォ・・・・・・オ・・・・・・?」
声が裏返っちゃった。
顔が熱くなって妙に恥ずかしい。
急にこの子の顔を直視できなくなっちゃった。
だって女の子にこんなこと言われたの初めてで・・・・・・。
「顔真っ赤ですよ? 汗の掻き過ぎで風邪ひいちゃいましたか?」
「ッち、違わい!」
合わせる顔が無いので俺はまた走り出す、だって恥ずかしんだもん。
「待ってーあなたー!」
あれ? 勝手に顔がにやけて、あれ? どうしたっていうんだ?
もういい! とにかく俺は最後の――この鬼ごっこの最終ステージ、モノレールの駅に向かう。
余計なことは考えない、俺は逃げるんだ!
◆戦いの果てに◆
モノレールとか電車は不思議だよね。
別に大した用事とかない時に乗っても何故か心が躍る、ワクワクする。
路線図とか見ずに適当に乗っちゃって、終着駅まで景色を眺めているってのも良いもんだ。
地元じゃない場所に妙に親近感を感じたり、思わず降りて散策したくなる見知らぬ街で出会う人達や食べ物。
ある意味、遊園地のアトラクションみたいですごく好きなんだよ。
でもさ、混雑してる時は乗りたくないんだ、ギュウギュウ詰めとかマジ勘弁。
情緒っていうか、そういうのを感じる余裕ある空間で、じっとしているのが楽しいっていうか落ち着くっていうか、悲しかったりさ、それら全部味があるんだよ。
バスや歩いてだとそれほど意識しないで越えちゃってる、都道府県、市町村、って区分けを実感するってところ、遠くに来たなって感じるところが良い。
そんな乗り物に乗れる始まりの場所、『駅』、俺にとっては大きな存在なんだわ。
「やっぱり奴らのスペックは大将以下だったか・・・・・・」
大将こと石上清香とその愉快な仲間たち――清香ちゃんイレブンたちとの差が出来、俺はモノレールの駅『裏海馬ターミナル』の階段を上り、植木の中に隠されていたカプセルを回収した。
さっきベッチが言っていたあれである。
一度回りの様子を窺って、カプセルを開ける。
中には小さい紙切れ――モノレールの切符だ。
切符が切り札だった。
裏海馬市から射桐峠市の駅までの片道切符、である。
清香ちゃんイレブンは34人いるらしい、ここに来るまでに確認した人数は15人、まだ半分以上がどこかで俺を狙っているかわからないから油断はできない。
どの辺がイレブンなんだ?
女子高生=制服姿とは限らないので、女性は全員疑って行動する方が良い。
このモノレールの切符は巧く使わねばならない。
何しろモノレールに奴とタイミング悪く同乗ってしまったら、逃げ場のない密室袋小路に追いつめられるのと同意だからだ。
同時に唯一タッチ権のある、あいつさえ何とかして同乗せずやり過ごせば、俺の勝ちは決まったようなもの。
日本はすごい速度で発展しているが、まだまだ田舎町の裏海馬市。
このモノレール乗り場は俺が生まれる前――モールの構想もない頃からあって、結構旧式な駅であり、現在、切符から電子マネー実装へ本格移行するため、設備的改装中である。
よって券売機は撤去され、電子マネーのチャージと切符の両用の精算機が数台のみ稼働中で、追加敷設までのここ数日間に一時的混雑を招いている。
電子マネー専用の改札もまだ少ないしちょっと端っこにあったりするので、切符改札より時間が掛かる。
俺がベッチに切符を買っておいてもらった理由はここにあった。
市外へ仕事を探しに行ってた頃も結構あった俺は、このモノレール乗り場をよく利用していたからわかるんだ。
電子マネー限定でこの駅には最近ポイント制というものが取り入れられた。
一回の乗車の度2ポイント還元。
学校に通ってれば登下校で4ポイント。
4ポイントぽっちってバカにしちゃいけない、長い目で見れば結構な還元率なのだ。
よってモノレールを毎日利用する裏海馬高校の生徒は、一部のアナログな例外を除けば電子マネー中心で、若干の時間の不自由は当たり前――慣れっこなのだ。
スムーズに改札を通過できるのなら切符の方が断然有利。
さて、時刻表を見て次の便が何時か――
ドスッ。
時刻表の前で隣に人に肩が当たったようだ。
「ぶつかってしまい誠に申し訳ありません」
いやいや、駅にいれば隣にいる人にぶつかることだっていくらでもある。
それにしてもこんなに丁寧に謝られるのは初めてだ、ここは笑顔で、
「こちらこそすいませ――――ほーーう!」
黒い帽子に黒いコートのまつ毛お化け、メー〇ルがそこにいた。
その隣には顔が落花生みたいな輪郭の少年テツ〇ウ。
「あぶねーぞ、メー〇ル! ぶつかっちゃダメだろう? すまねーな兄ちゃん!」
スリーナインな二人組!
まさかこんな場所で会えるとは・・・・・・。
「そうですねテツ〇ウ。改めまして誠に申し訳ありません、お怪我はありませんか?」
「イエ、お構いなく、あの、お二人のファンです。あの握手してもらってもいいですか?」
「?」
ちょっと困惑してる様子のメー〇ルさん。
「握手ぐらいしてやれよ!」
テツ〇ウの一言にメー〇ルは、
「銀河の旅で私達も少し有名になったのでしょうか? では」
と、手を差し出してくれた。
有り難く手を握って拝む。
「ありがとうございます! テツ〇ウさんもお願いします!」
「機械の腕じゃなくてすまねーけどこんなもんで良けりゃ―!」
テツ〇ウの手は温かい。
「感動です! 差出がましくなければ今日はなぜこの駅に?」
「銀河鉄道の乗継でよ! これからちょっとアル〇ディア号の〇ーロックのとこ行くんだ! 機械の身体が手に入るらしくてよ!」
あんたたちだけじゃなく、あの強面の宇宙海賊も実在するのか・・・・・・。
「テツ〇ウ、喋り過ぎてはいけません、この方を巻き込むのはよろしくありません」
「そうだったな! 兄ちゃん今言ったことは忘れてくれ、じゃあな!」
「さようなら!」
去って行く二人――かと思ったが、改札の前でちょっと顔を見合わせると、Uターンして俺の方に帰ってくる。
「よー! 兄ちゃん、ちょっと教えてくれねえか! 切符切る人がいねえんだけどよ。みんなあの箱みたいな機械に切符入れて進んじゃってるけど、オレもあんな感じにすりゃいいのか?」
「問題ないっすよ! 大体周りの人の真似してればOKです!」
「おお! そうか! アリガトな兄ちゃん!」
「いえいえ」
テツ〇ウはそう言って改札に大股でズカズカ歩き出そうとしたが今度は、メー〇ルの方が、
「あの一つお尋ねしたいことが・・・・・・」
「はい、なんでしょう?」
『あ! 見つけた! 清香! あいつあんなとこにいたよ!』
クソっ! 清香ちゃんイレブンの包囲網か。
「・・・・・・ちっ、もう来たか。メー〇ルさん早く!」
「あなたは追われているのですか? 理由は聞きません。では手短に・・・・・・」
その間と丁寧な喋り方が手短じゃないんだけど・・・・・・早く言って!
『清香! 速く!』
「この駅ではとても美味しい物が食べられると聞きました、それは何でしょう?」
俺の数十メートル後ろには34人の清香ちゃんイレブンが集結しようとしている。
「わさび醤油チヂミ丼っす! 一口目からハマる味ですよ!」
「チヂミ・・・・・・ですね? テツ〇ウ食べに行きましょう。私腹ペコです」
「テーブルに置いてあるみそダレつけてもうまいっす! じゃね!」
と、叫び俺は、迫りくる追跡者たちを後方に、メー〇ルとテツ〇ウにに軽く頭を下げ改札に向かう。
「あ・な・た~!」
鈴の音のようだが、どこか違う声。
ちっ、本命がきやがった。
切符を改札機に通し、突破する。
『清香! あいつ切符持ってた!』
「いつの間に切符買ってたんですか!」
石上清香を先頭に、案の定、電子マネー用の改札に向かっていく一味。
一応ベッチに感謝。
「よし! やはりもたついてるな! これでモノレールに乗っておさらばだ!」
と、思ったら混雑してた電子マネー用の改札に並んでた人たちが、只ならぬ様子の奴に順番を譲ってやがる。
「ずるいんだよ!」
お構いなく!
あんたたちが良い人なのはわかるが、その行いは悪の所業だぞ! ※個人の意見です。
射桐峠行きのモノレールを一瞥で発見!
あまり混雑してる感じではない。
レールを一つ挟んで、距離にして約二十メートルのところに、モノレールが扉を開けて搭乗客を待っている。
後には引けないんだ!
この狭い駅の中で物量で来られたらイチコロなんだよ!
こうなったらもう奴が追い付いてくるかなんて考えずに早くモノレールに乗って、とんずらするのに賭ける。
搭乗口に続く階段を駆け上り、ホームを駆け抜けモノレールに転がり込む。
同時にプシューッと音を立ててドアが閉まる。
ホッ。
腹の底から安堵の息が漏れた。
ここまで来ればもう大丈夫。
奴がいくらハチャメチャだろうと俺への愛がそんな深いわけないし公共機関のモノレールへの力技など破額の罰金背負うだけだ。
ガコンッ、という音と共に、ゆっくり発進するモノレール。
車窓を覗くと、
『待て―! クソヤロー!』
『ヘンタイ! キモメンー!』
『マジ引くんですがー!』
とか言いながら、ホームで一般客の襟とか袖、首根っこを掴んで揺さぶってる清香ちゃんイレブンが目に入る。
そんな奴らが横移動して視界から一人、また一人と消えていく。
「もう君たちは無力なのだよ!」
最後にこう言ってやった。
◆キャ面ハリケーン◆
本当にお仕舞い、この逃走劇にも終止符が打たれたんだ。
腕時計を見ると、鬼ごっこの残り時間は十二分弱。
そんなに速度の出ないモノレールが射桐峠駅に着くのが十五分後。
二分以上おまけが付く計算。
完全勝利だ!
あとはこの走る密室の中でゆっくりしてれば良いんだから気楽なもんだ。
ホゥッ。
もう一度肺から息が搾り出る。
『車内放送です。現在、裏海馬改造動物園からコオロギ人間キャ面☆ライターフウタが逃亡中です。車内で見かけた方は、直ちにテヘぺロしてペロリストに転職し,ペロッターズポイントを稼ぐのをお勧めします。続きまして、裏海馬映画館で上映中の「ゴッドアンドヘルバウト 第二章おしゃれナポリタンの逆襲」がマジ面白くてプフォー、失礼、素が出ました。昨日のご飯は炭火焼たくあんでした、美味しかったです」
何が言いたいのかよくわからない車内放送だな、それにしてもキャ面☆ライターフウタか・・・・・・裏海馬改造動物園は昔から変な生物実験してると思ったらとうとう人間にも改造を施してしまったか・・・・・・どうでもいいっ。
勝利の余韻に浸りたくなり窓から外を見た。
高層ビルとかあるが、まだまばらに畑とか水田が垣間見られる、微妙な発展具合の裏海馬市の街。
見慣れた景色が輝いて見えて、
「意外に呆気無いもんだな・・・・・・」
思わず低い声が出た。
そう言った途端疲れが堰を切ったように、ドッと押し寄せてくる。
脚全体が震えて、とても立っていられない。
時間が帰宅ラッシュよりちょっと遅いせいか、車内に人は疎ら、席は選び放題。
堪らず一番傍にあった席に着く。
「なんだったんだ? 今日は・・・・・・ハア・・・・・・」
窓からゆっくり流れる風景を見ていると、
「あいつ、今何してんだろう?」
もう終わったことなのにやけに今日一日に見たあいつの顔が次々と頭に浮かぶ。
俺に逃げ切られ、肩でも落としているだろうか?
清香ちゃんイレブンに『あんなのどうでもよかったじゃん!』って、励まされてるだろうか?
何も気にせずにあっけらかんとしているだろうか?
はたまた、まだ諦めずに追跡を続けてたり?
「流石にそりゃあないだろう・・・・・・」
何を馬鹿なことを、と両手で顔を覆う。
でも、
「見てくれは、可愛かったよな・・・・・・」
確かにときめくとことかあったけど・・・・・・。
『あたしはあなたが好きなので』
嬉しかったけど・・・・・・。
本当にこれで良かったのかな・・・・・・?
いや、もう終わったんだ、振り向く必要ないじゃないか。
「でも、なんかざわざわするんだ」
胸が――心臓がやすりで擦られてるかのようにざわついて仕方ない。
窓の外はもう完全な黒色に近い。
ビルの傍を通過する時に窓ガラスが鏡のように俺の顔を映す。
あの娘とまた会うことはあるだろうか――――?
もう、忘れよう。
でも、最後にもう一度あいつの顔をはっきり思い出してみよう、それぐらい、良いだろう?
顔を上げて、鏡のような車窓に石上清香の顔を、投影させる。
丸顔で、肩まで伸ばした黒髪、まるで穢れを知らないような丸い眼に、低くも高くもないちょうど良い鼻立ち、猫みたいな口許。
なぜか窓には逆さに映って・・・・・・って、んん!
逆さまの石上清香の顔がやけにリアルだった。
「まさかな・・・・・・」
再び、窓を見るとやっぱりあいつの顔。
恐怖のあまりあいつの顔が目に焼き付いてるんだろうな。
しかし、なぜ逆さま?
まあ、気にしないでおこう、丁度良い、最後にもう一度拝ませてもらおうじゃないか。
窓の石上清香の虚像と、視線を真っ直ぐに見つめ合う。
「・・・・・・」
やっぱり可愛いんだよな、それだけは確かなんだよ。
「・・・・・・・・」
なんてはっきりとした幻影なんだろう?
一瞬口が笑ってるように見えた。
「・・・・・・・・・・」
本当に本物が窓の外でこっちを見つめてるように見える。
手まで振ってるし、
「・・・・・・・・・・・・」
窓に顔をくっ付けて、凝視してると口の端からちょろっと舌を出し可愛い瞳がぱちくりと瞬いた。
「うええ!」
こいつ本物だ!
何してんのこいつ!
こっちが狼狽えると清香嬢は、にっと笑い窓をどんどん叩く。
「OK、お前はそういう子だった、って聞こえてないか」
まあ、差し詰めエイリアンのように車両に乗ってきたのだろう、今更目の前にこんな形で現れても、お前が車内に入れるのは次の駅についてからだ。時間的に見ても俺の勝利は揺らがない。
パクパク何か言ってるようだが生憎よく聞こえていない。
モノレール・・・・・・乗り物の窓ってのは結構防音対策されてんだ。それにこのモノレールは現在稼動中だからな、それに俺は疲れてるのでちょっと耳が雑で多少聞こえるはずの走行音も確かじゃない。
俺は自分の耳の横で指でバッテンを作る。
すると奴は頬を焼いた餅みたいにした後、首からぶら下がってる銀色の見慣れない筒を取出し、口に咥え思いっきり息を吐いた。
ヒョロロロロンピー!
笛らしく笛な笛の音色が窓を挟んでも響く。
同時に遠くから、ゴゴゴ、と地鳴りが聞こえたと思うと、
『サーンシャーイン!』
甲高い声が響いた直後、モノレールに衝撃が走る。
「おおーーーーーーっ!」
急に襲うモノレールの急な減速による横方向への力。
慌てて手すりを掴んでもたたらを踏んでしまう。
「地震か!」
いや、そうじゃない。
モノレールは次第に速度を緩め最終的には完全に停止した。
車同士がぶつかったような、だが二つのレールをチグハグなダイアで行きも帰りするレールを走行するモノレールが衝突事故ってあるのか?
とにかく並みの衝撃ではない、よな?
揺れが収まると自動ドアが勝手に開いた。
『異常事態発生、お客様はレール外の避難用通路から非常用階段で高架下の様な安全地帯の様なところに集まって頑張ってください』
下手くそなアナウンス、頑張るってどういうことだ?
ざっくりし過ぎだよ?
お粗末な案内でも理解した乗客はいそいそと下車して行く。
俺も例に倣って列の最後尾に並んで車外に出たところで、
「そーーーーーーいっ!」
予想外の事態に忘れていたよ、お前さん。
下車して避難用通路に向かおうとした俺の背中にどこからか加速した状態で遅いくる、清香嬢。
咄嗟の攻撃を身を翻して避ける。
勢い余って清香は車両前のレールの上に立ってこっちを振り返った。
「よく避けられましたね!」
お前、今のは黙って近づいてりゃタッチ出来てたと思う。
「お前もしつこいな! まあ、もう時間はあまりないが」
俺は腕時計を清香への警戒を解かずにチラ見して口の端を上げた。
「残念だがあと一分でタイムアップだ」
「そんなの時計見ればわかりますよ、馬鹿ですか?」
どういうわけか高圧的な清香嬢。
なっ、なんだこの余裕は?
娘は一瞬一切動く気配のない車両の方を一瞥すると、
「それよりちょっとこっちに来て見てください。面白いですよ」
「罠・・・・・・では、ないよな・・・・・・?」
俺は奇襲が来ても対処できるよう安全な距離を保ち車両の前に出ると、
「な、なんだこりゃ?」
先頭車両のフレームが大きく歪んで原形を留めていない。
車両のフロントガラスが広範囲に散らばってしまっていた
まるで同じモノレールが逆走してきて衝突したかのような惨状。
「これ、誰がやったと思います?」
俺は周りを確認してから、
「なににぶつかったんだ?」
かなりの衝撃だったのは身を持って理解しているが、重要な原因が不明。
まったくもって事故の理由が謎だった。
ん?
今こいつ誰がやったって言った?
乗り物と乗り物がぶつかったなら納得いくが、誰ってどういう・・・・・・
「私の使い魔の力です」
「はっ?」
「いえ、この笛を吹くと彼が来ます」
「なんだって?」
この子が何言ってるのか、普段から変なこと考え慣れてるはずの俺の脳が疑問としか捉えない。
「コオロギ人間キャ面☆ライターフウタを呼んだんですよ」
「なるほど、全然わかんない・・・・・・キャ面・・・・・・なんかさっき聞いたような」
「裏海馬改造動物園の新作です」
確か車内アナウンスで『キャ面☆ライターフウタが逃亡中です・・・・・・』とか言ってたな・・・・・・。
「ああ、思い出した! あの傍迷惑な動物園の新作、キャ・・・・・・」
「拙者の名は太陽の化身コオロギ人間キャ面☆ライターフウタだ! 我を改造した地獄の秘密機関「改造動物園」の89人の虫族が最後の力を振り絞り、ついには撲滅保育マシンTX-Ω改の身動きを88人の仲間で抑え、最後の一撃を任された我が渾身の一撃を叩き込む――という時にマスターに呼ばれたのだ!」
俺は突然の説明臭い声のする方――沈黙した車両の上に眼をやった。
そこには褐色の外皮に包まれた謎の生命体が。
「貴様! 我がマスターミス清香の思い人か! とうっ!」
俺の目の前に飛び降りてきて、びっと指さしてくる。
一見気持ちの悪いでっかいコオロギを人型に無理やり変形させたような生物。
頭にV字の触覚に黄金に輝くでっかいガラス玉を二つ埋め込んだ双眸、ジグザグシャキンとした口を覆うマスク。
鍛えられた強靭な体はチョコレートをさらに油テカりさせたようなところがちょっとゴキさんに見えてしまう。
「我が太陽の一撃の威力を見たか? 技名はサンシャインデストロイキック、なかなかのものだろう!」
「なあ・・・・・・マスターの清香ちゃん、このヘンタイは? 意味不明でなんだか物騒なことを言ってる気がするんだけど」
撲滅保育マシンとか最後の一撃の大事な時に呼んじゃってるっぽいぞ。
「ヘンタイとは失敬な! 渋い顔して指を指すんじゃない! 拙者は誇り高き太陽の化身! キャ面☆ライ・・・・・・」
「せいっ!」
思いっきり脛を蹴っ飛ばしてやった。
「あふん」
突然のことに屈強そうな体のキャ面さんのバランスが一瞬崩れる。
「なにをする! 拙者に不意打ちとは飛んだ度胸の持ち主だ!」
「このヘンタイは?」
「そんなすんなり無視するな! 我が日輪の輝きに照らされ死ぬがいい!」
「あたしの使い魔です」
「だから無視するな! マスターまで! あとできな粉棒を褒美としてもらってくれる!」
「いつから?」
「ふっ、愚問だな、マスターと拙者の出会いは、大いなる時代の流れに生まれた特異点……その始まりは古の遺跡に描かれた旧先史の・・・・英雄・・・・園・・・・・・ブツブツ・・・・・・」
一人語り出したコオロギを背に隠すように清香嬢は一歩前に出る。
「ついさっきです、自動販売機に間違えて一万円札を入れたらジュースと一緒にこの笛が出てきまして」
と、清香は首に下げてる銀色の笛をきらりと光らし続ける。
「なんでも、英雄の園から大いなる指名により使わされた・・・・・・」
「だから無視するなと言っているだろう! そうだ拙者は太陽の化身! 日輪の光が差す限り拙者の勝利は揺るがない!」
「なるほど、比較的購入しやすいサーヴァントのようなものか」
「いえ、お得なおまけです」
「違う! 拙者は太陽の化身にして象徴の組織ユグドラシルの幹部!」
「太陽の太陽ってうるさいけどもう日が沈んでるんだけど・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「ムーンライト! エナジー! それは、月光の力により通常の三万倍の・・・・・・!」
「オラッ!」
ゲシッ。
言ってることが安っぽいんだよ。
太陽の化身とか言っちゃてるけど、お前はコオロギだろう? どっちかっていうと夜がメインの生き物だから! でもムーンライトってのは間違ってないと思うが、あっさり能力を変更するな!
どういう目的で造られたか知らないけど、今は夏でお前の本領発揮はまだ旬じゃない。
「貴様、マスターの思い人だからと調子に乗るのではない!」
「おまけ風情が何を言う。そもそもお前そんな大層な奴なのか? 改造動物園の新人だろ」
「・・・・・・・・・・・・いじめないで・・・・・・」
認めやがった。
レールの上に膝をつき控えめな嗚咽を漏らす。
そんなヘンタイを指さして清香さんは、
「ね、かっこいいでしょう?」
「どこがだ!」
謎な感性をお持ちのようだがさらりと難しい個人的感想に同意を求めるな!
どう見たら今のこのメソメソ泣いてるコオロギ人間がカッコ良く見えるんだ?
「・・・・・・月の光に誘われ、巡り会う」
顔を両手で覆いながら鼻声でなんか聞いたことのある様なことを呟く改造人間。
「あめ・・・・・・飴あるよ・・・・・・ハバネロ飴・・・・・・甘くて美味しいよ・・・・・・ねっ・・・・・・」
なにしてんだ清香嬢!
お前はお前で優しい声で罰ゲームにしかならないもんを残念な人にさり気無く食わそうとすんな!
「嗚呼・・・・・・」
日が完全に沈んだ裏海馬と射桐峠の狭間で何をしてるんだ俺は?
◆覚醒◆
「ええい! 口先だけは達者なようだな! サムバディキック!」
コオロギ人間の放つ蹴りが空を切るが風圧で頬に小さな裂傷が出来た。
「く・・・・・・なんつうパワーだ」
どうやら流石改造人間なだけはある、旬じゃなくても結構な攻撃力だ、電信柱程度ならあっさり砕け散ると窺える。
モノレールを一撃で止めたというのは嘘ではなさそうだ。
そもそもこいつ以外そういうことしそうな奴がいないって時点でこいつにケンカを売るのは間違っていた。
泣き止んだかと思うといきなり格闘を仕掛けてきたコオロギ人間なわけだが、もう時計を見なくてもわかるが清香嬢と俺の鬼ごっこはタイムアップで終わったわけで、今更俺がこいつと戦ったところでプラスになることは無いのだが。
「フウタ、命令よ! 五分、五分で良いから時間を稼いで!」
「承知! 五分と言わずなんなら24時間稼いで見せよう! とう! ムーンポジトロンナックル!」
俺は瞬きすら許されない速度の拳をギリギリで躱す。
「ちっくしょ・・・・・・」
空を切った拳が背後のフェンスに突き刺さる。
鉄網を容易に貫通する威力とか聞いてないんですけど。
「フム、普通の人間にしては良い反応速度だ、それに身のこなし。貴様、改造人間の良い素材かもしれぬぞ!」
小躍りするように俺は姿勢を必死で保とうとするがモノレールの線路上は凹凸が多くて予想以上に足場が悪い。
なんとかバランスをとって体勢を安定させる。
「はん、絶対ごめんだ馬鹿野郎!」
「残念、モテるのに・・・・・・」ふと、清香さんが呟くのが耳に入る。
「そうなの!」
一瞬、一人だけ足場の良い避難通路で観戦を決め込んでいる清香嬢を見る。
「かっこいいですよ! 細い路地にカサカサと逃げ込んでどこにいるか分からなくなるところとか!」
拳を振って言ってる割には内容がカッコ悪いっていうか、俺が対峙してるこいつほんとにコオロギと人間の混成動物か?
コオロギさんは夜だし暗色なのもあって解りづらいが、おそらくドヤ顔なのだろう。
軽快に言葉と連撃を放ってくる。
「モテるのだよ! 見給えこの身体のテカリ具合! 街を行くすべての女子が拙者を見て黄色い声でキャーと叫ぶのだ! 愉快で堪らん! 若干下半身の方も元気をもらえるのだ!」
それは勘違い激し過ぎじゃないか?
多分良い意味でキャーって叫んでるわけではないと思うぞ!
下半身が元気とか言うな。
「まったくおめでたい奴だ、よ」
追撃を避けてジャブを一撃防御の上から試しに打ってみるが、見た目通り結構装甲が厚そうだ。
俺の攻撃など避ける必要もないと言いたげに直立してわざとくらってやがる。
なんせモノレールを一撃で停止させて反動もあっただろう、それでもこれだけ活発に動いて支障はないところを見ると、普通の人間の破壊力ではダメージはほぼゼロに等しいと思って間違いない。
となれば、
「くははははッ! 防戦どころか逃げ惑うのがやっとのようだな?」
「追いついてみろ、バーカ!」
背を向け八割のスピードで俺はある方向へ逃げる。
「はははっ! 拙者を誰だと思っている? 改造を施された新生物! 貴様程度のスピードで逃げおおせられるとでも?」
そう、策はある。
お前にダメージを加える力は俺には無い、そう俺には!
俺の行く手にはどこか嬉しそうな顔の清香嬢が待ち構えている。
7メートル・・・・・・6メートル・・・・・・。
「あ、あの、右近さん?」
一直線に接近する俺に狼狽え気味に視線を送る清香ちゃん。
「無様だな! 女性の前で愚かに逃げることしかできんとは、我がことの様に恥ずかしい!」
「なにを言ってるんだ? 俺は勝負を棄てたわけじゃないぜ! ほら、もっと早く追いついてみろ!」
4,3メートル。
「ちょっと、マジですか? そっちから急接近なんて、まさかあたしのこと、やっと・・・・・・」娘が少し顔を紅葉させおへそのあたりで手を組みもじもじとしだすが。
「わからんな、貴様に万が一でも勝ち目があると? フン!」
さらに加速したフウタは留めと一気に俺に飛び掛かる。
「ある!」
同時に俺は減速せずに真横に跳ねる。
真横から透明人間にドロップキックをくらったような跳び様でだ。
「後は頼んだぞ! マスターミス清香!」
「えええええええええええ――――――!」
「うおおおおおおお――――――――!」
一瞬前に俺がいた位置を思い切り跳躍したフウタが勢い余って通り越し、直線上にいた清香に方に突っ込んで行く。
ジャブだが一度こいつの体を殴って気付いた、こいつ結構体重あるんだよ。
足の踏み場が狭いモノレールのレール上なのでフルスピードとはいかないが、ある程度の勢いが付けば――
「近寄らないでこのヘンター――――――――イ!」
「パグロ!」
――プラチナのバットを容易に振り回す腕力の清香さんの拳と合わされば貫けるのではないだろうか?
という仮説を立てた俺の考えは間違ってなかった、横っ面に思いっきり怪力女子の一撃を喰らって、オレンジ色の体液を口許から垂らしながら、力なく地面に全身を伏せ沈黙する改造人間。
「・・・・・・はあはあ、どうだ?」
「・・・・・・ぷんっ」
変人の動く様子のないのを確認し、傍らで拳を緩めたお嬢さんを見ると。
「汚いじゃないですか――――! もう! それに臭い!」
と、コオロギ人間――虫人間の体液が付いた手をブンブン振って拒絶している。
「お前、さっきこいつのことカッコいいって言ってただろ?」
「カッコいいのと汚いのは別です! こんなことに利用して、あたしのドキドキを返して下さい!」
まあ、お前が俺の考え通り、この自称なんちゃらの化身を殴ってくれて良かったよ。
正直賭けだった。
流石にお前も人間の女子なのだろう、普通の人からすれば虫人間が自分に向かって飛んで来れば手で払うのが道理!
五分五分の賭けだと思ったがその様子を見ると十割だったようだな。
謎のタフさを発揮してるお前も人間なのだよ!
「まあ、こいつにはおとなしく動物園に戻ってもらうとして・・・・・・」
俺は腕時計をハードパンチャーお嬢ちゃんに見せつけるように。
「俺たちの勝負は終わった。俺のことは諦めておとなしくおうちへ帰りなさい!」
「いやです!」
即答だった。
「なに子供のようなこと言ってんの! 高校生はもう大人、聞き分けを良く・・・・・・」
「そもそも、この遊・・・・・・勝負事態子供っぽいじゃないですか!」
胸を張って言っているがこれは子供の駄々だ。
なんか今の悔しそうな顔がちょっと可愛いので丁重に説明してお帰り願おう。
「こほん、少女よ。世の中ってもんは沢山の約束で成り立っているんだ。プロミス、わかる?」
「当たり前じゃないですか何言ってんですか? でも、あたしは未成年です! 貴方は大人、正論語ってる人間が子供の遊びにショッピングモールとかモノレールを使うのは卑怯です!」
「ぐっ」
痛いところを突いてきやがる、ベッチの言ってたことに似てるし。
「でも、お前だって清香ちゃんイレブン使ってきたじゃん!」
「あたし法律上子供ですから!」
そう言って、ピューピュー、口笛を吹くこの少女が段々優勢に。
なんかさっき時間を稼いでる様子だったのはこの苦しいわがままを練ってやがったのか?
「ずるいぞ!」
「あたしはずるいですよ、子供ですから! 延長戦を望みます!」
「その提案拙者に賭けてもらえんか? マスター」
いつの間にか復活したキャ面☆ライター。
節々から変な液体垂れ流してるが、この口振りはまだ余力が残ってそうな様子。
「キャメッさん・・・・・・そうだ! こういうことにしましょう!」
「唐突になんだい? 勝負の結果はは覆らないぞ」
俺の顔をニヤリと不気味な笑みを浮かべて一瞬見ると。
「キャメッさんと右近さんが競争して右近さんが勝ったらあたしは身を退きます、キャメッさんが勝ったら延長戦のチャンスを頂いておまけにあたしが右近さんに何でもしてあげましょう!」
「・・・・・・?」
「わからないですか? 右近さんが勝ったらあたしは身を退いて、キャメッさんが勝ったら延長戦の時間をもらって、さらに右近さんに何でもご奉仕します」
「・・・・・・」
「マスター、それは条件が若干、こいつに・・・・・・」
「黙れ!」
「・・・・・・はい」
なんだこの状況は?
俺が勝った場合の条件に変わりはないようだが・・・・・・。
「奉仕?」
「ええ、何でもしてあげます!」
自分の胸をばんっと叩いて言ってる様子からは嘘を感じられない。
「その後の関係は?」
「諦めます!」
うんんん?
なんでも?
なんか美味しい話だぞ!
偶然だろうがこの見た目だけは良い少女が、乾いた唇をチロッと舌で舐めて潤すのがやけに淫靡に見えて・・・・・・。
頭で考えるすべてのことにモザイクが大量に貼られる。
オオ~~~~ン❤
オレの脳内のマリリン・モンローが熱い吐息を吐くのが聞こえる。
いや、待て。
それは流石に倫理というか法にも触る気が、いや、でも、俺は一応しっかりした大人で、それはさす・・・・、
「よ―――――――――――――――――――――――――――ー―――――――――――――――――っしっ!」
その叫びは、アンドロメダのなにがしに届く声量で、後にに伝説になるのであったそうな。
◆コオロギラン ランコオロギ◆
「言って置くが拙者は一切手加減はせんぞ!」
「うん、まあ頑張って、イッショウケンメイヤリナヨ~」
腑抜けた声で俺は返す。
停止したモノレール線路上から避難通路で公道に降りた俺たちは、クラウチングスタートの構えで時を待つ。
「じゃあ、地球を一周して先にここに戻ってきたほうが勝ちで良いですね?」
そう、俺はこのどうかしてる少女の提案に乗った、すんなり乗った、あっさり乗った、容易に乗った。
何せ勝っても負けても俺に損は無い、何せ負けても絶対勝てるこの娘との鬼ごっこが延長して、その後たっぷりご奉仕してもらって、縁が切れる。
そんな約束の発案者があまりに危機感を感じていないのが、奇妙だが。
つまり勝っても負けても俺の勝ち、条件からするとむしろ負けたい。
元から地球一周なんて馬鹿げた勝負に乗るつもりなんてないのであった。
この負けを確実にするために、俺はベッチから得た知識を使おうと思う。
「おい、コオロギ人間、お前がどれだけ優れた生き物か、俺は知りたい。というわけで、こいつを耳に着けて、お前の勝利の声をはっきり聴かせてくれると嬉しい」
徐に俺はベッチのホームセンターから勝手に拝借した耳に装着する通信機を手渡した。
「やっと拙者の偉大さが解ったか、愚か者の貴様がなかなかどうして急に成長したものだ。良かろう! 我が勝利の声を逐一報告し殺してやるわ!」
快く受け取る改造人間のおめでたい性格を利用させてもらおう。
そう、俺は負けたいのだから!
思わずニヤリと笑わないように口調に心が籠らないよう軽く通信機の使い方を教えてやった。
俺たちがスタートを今かと待つ道は、まっすぐ一キロほど進むと貨物などが船から荷揚げされる埠頭に繋がっている。
まっすぐ進むってことは埠頭を越えたら泳いで大海原にザブンして海外一直線である。
「勝ち目のない貴様だが少し見直したぞ! 男は時には負けると分かっていても戦わなければならぬ時は必ず来る! 拙者と勝負する男として抜かりないと判断した!」
「アリガトウゴザイマス」
「じゃあスタートしますよ! よ――――い!」
清香さんは淡々とスタートを切る気満々だった。
「・・・・・・ドン!」
全力で加速する俺と改造スプリンター。
やっぱり一瞬で引き離されていく。
「お前、速すぎるぜ! いったいマックスはどんなに速いんだ!」
『さっそく通信機の出番だな! 拙者の走る速度は時速百キロを超える! 貴様はすでに視界に無い!」
「そうだな、でも、男として、引くわけにはいかない! だってオレには、オレには!」
『ふははは! 存分にもがけ! 貴様の涙、拙者には一雫の宝玉に等しー』
加速していく改造人間。
しかし、オレは、
「早過ぎる! まるでオレは走っていないも同然!」
オレは耳から通信機を外し。
「ま、はなから走ってないもんね」
「海は広い! 貴様の様な勇敢な小物は一度大海原にその身を投げ、世界の広さを肌で感じてみるが良い! とーうっ!」
そんな感じで埠頭から奴が海に飛び込むのを俺は見届けると、後をてこてこついてきた清香が追いついて来るのを待ち、
「はい、良い感じに負けましたぁーあ」
「それは負けをみとめたとみてよろしいんですか? にしても憎たらしい言い方ですね」
勝った様なもんだからな、なんとでも言え。
キンコンカーン!
警鐘が鳴る。
『只今、改造動物園から、新生物コオロギ人間大好き食い倒れビッグラージ鮫を飼育員が海で遊ばせようとして誤って逃しました。人にとっては普通に鮫ですがコオロギ人間は絶対逃げられません、どこまででも追いかける習性があります。まあ、飼育員は私に後でビッグカツいっぱい買ってくれる様なので許してあげてください』
「だってよ」
て事はあのコオロギ生物は陸に上らない限りどこまでも鮫ちゃんと仲良く鬼ごっこというわけだ。
『陸も泳げます、泳ぐというよりヒレを器用に使い走ります』付け足した。
「なんでピンポイントなアンチコオロギ生物を創ったんですかあの動物園は!?」
「そういうとこだあそこは」
「ところでこの展開は延長戦決定ってことで?」
「その前に、約束は覚えてるだろうな?」
つづく
読みたい人がいたら続きを書こうと思います。