さくら
本作品は自殺を助長する物ではありません。影響されやすい方、精神的に不安定な方はご注意ください。
まるで私はこの世に存在していないようだった。
朝は必ずといっていいほど目覚めがいい。
ぴったり同じ時間に起きる。
ただ、全身がだるくて頭が重い。
本当は何もしたくない。
出来ればずっと部屋に居たい。
でも学校に行かなければならないから、そうはいかない。
それにしても、何で私は制服を着たままなのだろう。昨日の事を思いだそうとしても、はっきりと思い出せない。深く考えるのが面倒になったので、そこで考えるのをやめた。
制服の埃を手で軽く払い、肩より少し長い髪を手ぐしで整えて簡単な身支度を済ませた。
重い足取りでドアノブに手をかけ、後ろを振り返り挨拶をして部屋を出た。
「行ってきます、さくら」
妹が、にっこりと微笑んだ。
階段を降りてリビングに入る。
両親が食事を摂っている。一呼吸おいておはよう、と話しかける。
だが、返事はない。それどころが、私がそこに存在していないようだ。
わかってはいたけど、少し悲しい。
行ってきます、と小さな声でもう一度話し掛けて部屋を後にした。
下を向いて重い足取りで歩く。
今日も同じことの繰り返しかと思うと憂鬱になる。
嫌になりながらも、一歩一歩と確実に前に進んでいた。
逃げ出すわけにはいかない。
そんなふうにして校門をくぐった。
教室の前に立つ。逃げ出したい気持ちで一杯になる。
意を決して教室に入る。
教室内は私が入っても別段様子が変わったりしなかった。
意外だった。
てっきり教室中が静まりかえり、こちらに視線が集まるかと思っていた。
そして、ヒソヒソと話し声がする。
さっぱり訳がわからないが、とりあえず席に着くことにした。
自分の席の前まで来ると、目の前の光景が一瞬理解できなかった。
机の上には花が生けられた花瓶が、あった。私は耐えられず、教室を飛び出した。
今まで色々なことをされてきたが、こんなのは初めてだった。
机に落書きをされた。
黒板に悪口を書かれた。
靴を何処かに隠された。
体操服をゴミ箱に捨てられた。
お弁当をひっくり返された。
掃除に使ったバケツの水をかけられた。
毎日毎日罵られた。
笑われた。
何を言われても、言い返せなかった。
辛くて辛くて仕方がなかった。
それでも、私は耐えた。ずっと耐えていれば、いつか終わると信じていた。
なのに、いつまでたっても終わらない。
そして、今日私の最も恐れていた事態が起こってしまった。
無視。
ついに私は存在を消されてしまった。
周りの意識から切り離されてしまった。
もうこの世に存在しないものとされた。
だって私は『死んだ』ことにされたのだから。
もう駄目だ。
もう誰も私を見てはくれない。クラスメイトも先生も親も誰一人として見てくれない。
私は、ひとりなんだ。
平日の朝の公園はひっそりと静まりかえり閑散としていた。
真っ先に思い付いたこの公園に一目散に走ってきた。
辛いときはよくこの公園に逃げこんだ。
昔よく両親に連れられこの公園に遊びに来た。
幸せだった。
お父さんに肩車をしてもらながら走ったり、お母さんの作ったお弁当を食べたり、三人で鬼ごっこをしたり・・・。あの頃に戻りたい。
幸せだったあの頃に。
両親は共働きで家を空けることがほとんどだった。
それでも、私のことを本当に可愛がってくれた。
一人でいるとき急に寂しさに耐えられないことあったが、一人遊びをしながらひたすら両親の帰宅を待った。
私が小学三年のとき、妹のさくらが産まれてから、両親の様子が少しおかしくなった。
そもそも、妹は本当に不思議な存在だった。
ある日突然、私の前に現れた。幸いにも、私は突然現れた赤ちゃんを妹だと一目みてわかった。
お母さんもお父さんもなぜだか妹のことに一切触れなかった。
気になって二人に妹のことを話した。
二人はびっくりした顔をして私を見た。
「面白いことを言うんだな」
「トワちゃんはお話を作るのが得意ね」
と笑った。
だが毎日私が妹の事を言うと次第に笑みが消えた。
気味の悪いものを見るような目を私に向けた。その日を境に両親は喧嘩が絶えなくなった。
「お前が躾を怠けているからこんな事になるんだ。子供の躾は母親の仕事だろ!」
「あなたこそあの子になにもしてあげたことないじゃない!全部私に押し付けてっ」
私には二人がどうして喧嘩しているのか分からなかった。
考えても分からなかったから、二人の喧嘩中私は妹とずっと遊んでいた。
家の中の空気が冷たくて重々しくて、とても息苦しかった。それでも私には妹がいる。
さくらが一緒にいてくれるだけですごく心強かった。さくらという名前は私が付けた。
両親がこんな調子なのだから、私が妹の名前を決めなければならない。
だから大好きなあの公園の桜から名前を付けた。
いつの間にかお父さんもお母さんも疲れ果てたのか、喧嘩すらしなくなった。
でも家の中の空気は相変わらずだった。
両親に妹の事は誰にも話さないように言われた。どうして、と聴こうとしたが二人の顔が怖くてできなかった。
だから私はずっと妹のことは誰にも話していない。
それから小学・中学と卒業し、高校に入った。
相変わらず両親とはぎくしゃくしていた。
別に不満には思わなかった。
それが普通だと思っていたし、第一皆もお父さんがうざいとかお母さんがうるさいな
んて口々に言っていた。
それなりに友達だっているし、買い物にも行ったり遊んだりした。そこそこ楽しい日々を送っていた。
ただ、少し気掛かりなことがあった。
入学当初は気付かなかったけど、どうやらこのクラスにはいじめがあるようだった。
最初は机に死ねと書いたり、教科書を破いたりなどだけだった。
でも徐々にエスカレートしていきトイレから帰ってきた彼女は全身水浸しだった。
ある日の放課後に一人教室の掃除をしている彼女の姿を見つけた。
私は周りに誰もいないことを確認し、教室に入って掃除を手伝った。
「ありがとう、木下さん」
彼女は涙ながらにそう言った。
無事に掃除を終えた私達はそれぞれ時間を置いて教室を後にした。
翌日、登校すると机に『裏切り者』と書かれていた。
今度は私がターゲットになってしまった。
それ以来私へのいじめが始まった。
昨日までいじめられていた娘は学校に来なくなった。今まで友達だった娘は私を避けるようになった。
クラス中が敵になった。こんなにも大勢がいじめに加わっているのに、先生にはまったく気付かれない。
学校で私はひとりになった。
両親に相談しようと思ったが、嫌な顔をされるんじゃないかと思うとできなかった。
私は、耐えた。
どんな事をされても、酷い事を言われてても、避けられてもずっと耐え続けた。
それなのに―――
気が付くと、もう夕方になっていた。
朝からブランコにずっと座ったままだった。だからといって別にどうこうしようという気にはならなかった。
家に帰りたくない。
何もしたくない。
何も考えたくない。
周りの事に何の興味も持てない。
自分の事でさえもどうでもいい。
そうだ、どうでもいいんだ。
その時、何もない真っ白な私の心の中に、ひとつの欲求が生まれた。
死にたい。
ごく自然にそう思った。
もしかしたらそれはずっと心の奥深くに眠っていて、不純物が取り除かれた今、目覚めたのかもしれない。
本当は死にたくて死にたくてしかたないのに、それを無理に心の奥底に沈めていた。
どうしてもっと早く気付かなかったんだろう!
きっと誰もがそんな願望を持っているに違いない。
それを理性で無理矢理縛りつけている。
皆が好き勝手に死んでしまえば人間は滅びてしまう。
なのに、私は死ぬことでしか救われない。
なんて、残酷。
でも、そんなの理由にならない。身勝手に決められたことに従うことなんてない。
死だけが救いの私にとってそんなもの何の役にも立たない。
恐れることはないの。
滅びるのも運命だと受け入れるだけ。
道徳とか神様が許さないとか、関係ない。
死こそ私のすべて。
死ぬために生まれ、生まれるから死ぬ。
これが運命なのだから。
高揚した気持ちを抑えきれず、私は桜の木の前に立った。桜の木の枝にはまるで待ち構えていたかのように、1本のロープが結び付けられていた。
どうしてそんなものがあるのがなんてどうでもいい。今は目の前の死に向かって進むだけ。
ただそれだけなんだから。
ふわりと宙に浮いた私は吸い寄せられるようにロープの輪に首を通す。
そして、満開の桜を見上げた。
さくら。
私の可愛い妹。
私はもうすぐ自由になれるよ。
だから待っててね。やっと一緒になれるよ。
ずっとずっと―――
私は、死んだ。
そして、思い出した。
もう何度も死を繰り返していることに。
何度も何度も。
ずっとこの日を繰り返している。
そっか、だからお父さんもお母さんも私に気づかなかったんだ。
クラスのみんなも。
誰も。
それと、もうひとつ。
私に、妹なんて、いない。
だって、寂しさから創りだされた私の妄想。
私の頭のなかにしか存在しないのだから。ああ、やっぱり私はひとりぼっちなんだ。
そこで私の意識は途切れた。
すべてが
白に染まり
私は、
朝は必ずといっていいほど目覚めがいい。
ぴったり同じ時間に起きる。
ただ、全身がだるくて頭が重い。
本当は何もしたくない。
出来ればずっと部屋に居たい。
でも学校に行かなければならないから、そうはいかない。
それにしても、何で私は制服を着たままなのだろう。昨日の事を思いだそうとしても、はっきりと思い出せない。
深く考えるのが面倒になったので、そこで考えるのをやめた。
制服の埃を手で払い、肩より少し長い髪を手ぐしで整えて簡単な身支度を済ませた。
重い足取りでドアノブに手をかけ、後ろを振り返り挨拶をして部屋を出た。
「行ってきます、さくら」
妹が、にっこりと微笑んだ。
何度でも今日を繰り返す。
ひとりぼっちは、 嫌、だから……
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。初投稿、緊張します。作者が鬱真っ只中の頃に書いた話です。他にも書いてた物を投稿するつもりなので、読んでいただけたら嬉しいです。