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二話

 


「なにこれ」


 千景(ちかげ)の口からはそんな、間抜けな声が漏れた。

 千景の手首を握ったまま、微動だにしない柑菜(かんな)に問いかける。

 殆ど口を開けないまま、柑菜はボソボソと言葉を紡いだ。


「さっき会場から菓子切(かしきり)が消えたの。いざ箱を開けたらなにも入ってなくて大騒ぎ」


 恐る恐る柑菜の方を伺うと、確信を得たように千景の手中に釘付けだった。


「じゃあ、これは……」

「おそらく。会場の方では、誰かが盗んだ、ってことになってるみたい」


 冗談じゃない。握っていた手の中にはひよっこの作り手見習いが見ても上等な作りとわかる菓子切が、鈍い色を放っている。


「返しに行かなくちゃ」

「ええ。まだ本部の方に人はいるはず」


 千景が再びハンカチを握りしめた時、今度は遠くから荒い足音が聞こえてきた。

 コンクリの壁によく反響する急いた音は、みるみる千景たちのいる女子トイレに近づいてくる。


「とにかく、出よう」


 咄嗟に制服のポケットへハンカチごと菓子切を押し込み、大急ぎで廊下へ飛び出す。

 前から走ってきたのは細身の女子生徒だった。背は千景より低く、制服は先ほど目にした纐纈乃月(こうけつのづき)とよく似たセーラー服の上に、カーディガンを着用していた。

 可愛さよりも美しさを感じる顔は整っていて、その妙に焦った、鬼気迫る表情と相まって幽鬼のような凄みがあった。

 髪を振り乱したその女子生徒は、迷うことなく千景に手のひらを突き出して叫ぶ。


「寄越しなさい!」


 長い髪を振り乱して美人にいきなりキレられると、人間思考が停止してしまうらしい。

 呆けた顔の千景に掴み掛かった女子生徒の重みで、女子生徒共々床に引っ繰り返った。


「千景!」


 隣でいち早く呆然とした状態から回復した柑菜が、弱い力を振り絞って千景から女子生徒を引き剥がした。体力勝負は《作り手》の範疇外だ。

 それでも二対一は千景と柑菜に分がある。女子生徒は喚きながら抵抗したが、遂には千景が馬乗りになって抑え込む事で事態は一応のひと段落を迎えた。


「あんたが持っているんでしょう!菓子切!返して!」

「誤解ですよ。これから返しに行くところで」

「あたしのものよ!」


 これは新手だ、と千景は柑菜に目配せした。この女子生徒に渡さず、本部に直接持って行くのを優先した方が良い。

 《媒介》は実際に使えなかったとしてもステータスとして所持したがる者も大勢いるし、その物自体に惚れ込んで執拗に執着する人間もいる。

 付喪神とはいえ神が関わっているからなのか、物本来の魅力なのか、魅了の力は非常に強い。

 だからこそ、巫は強いリーダーシップや人を惹き付ける力を常人以上に発揮できるのだが。

 女子生徒を見下ろすと、彼女の胸ポケットから滑り落ちた学生証が逆さまに千景を見上げていた。


「ごめんなさい。えー、飯島桜(いいじまさくら)さん。あなたに菓子切を渡すことは、できないです」


 ポケットからハンカチごと菓子切を取り出す。


「柑菜、悪いけど、本部までこれ届けてくれないかな」

「千景が行くべきよ」


 差し出されたハンカチを押し戻して、柑菜は未だ千景の拘束から抜け出そうともがく飯島の腕を床に押さえつけた。

「何が起きていたのか、わたしでは説明できないわ」

「わかった。飯島さんをお願い」

「早めにね。わたしに体力がないの、知ってるでしょう」

「……善処するよ」


 飯島の上から飛び退き、会場へ向かって走り出す。

 背後では柑菜と飯島の揉み合う音が聞こえて来た。ここ最近一番のダッシュで廊下の一番端まで辿り着き、角を曲がれば本部まで残り50メートルというところで、背後から柑菜の悲鳴が聞こえた。

 思わず振り返ると、飯島が柑菜の上に馬乗りになって首を絞め上げている。

 柑菜が飯島の手を掴んでいるせいで、気絶するまで離さないと判断したらしい。ぐいぐい締め付けられている柑菜の顔が段々赤紫色になっていく。


「柑菜!」


 大急ぎで二人の元へ戻ると、飯島に体当りを食らわせた。柑菜の腕をとって立ち上がらせると、柑菜は咳込みながら千景に文句を言った。


「早く行けって言ったでしょう」

「友達が目の前で殺されそうになってたから」

「それは助かったけれど!」


 地べたにすっ転がった飯島は、起き上がると同時に千景と柑菜に向かって飛び掛った。驚いてよろけた柑菜を横へ突き飛ばし、反動で千景も飛び退って飯島の突進を躱す。


「飯島さん。本部の人に、菓子切を渡さなくちゃ」


 千景の言葉を聞いているのかいないのか、本部に続く廊下に立ち塞がった飯島は両手を広げて千影に近づいた。

 ゆっくりと間合いを詰める様は野生の虎のようで、普段味わうことのない、熱い緊張が走った。


「もう一度言う。それを私に返して」


 千景の手元を鋭く睨みつける眼差しは変わらず、最終宣告とでもいうように手を差し出した飯島の前で、千景はチラリと柑菜の方を伺った。よろけた拍子に足首でも捻ったのか、立ち上がらないまま蹲っている。


「……わかりました」


 飯島の目の前に、握り締めたままのハンカチを放り投げる。

 飯島が気を取られた隙に、身を翻して全速力で体育館の出口へ駆け出した。


「ちょっと、千景!」


 体育館……会場とは反対方向に走り出した千景に、背後から柑菜の声が追いかけてくる。

 放られたハンカチの中身が空であることに気づいたのか、飯島の怒声も聞こえてきた。

 正直言って千景は今の鬼気迫る飯島を捩じ伏せるだけの力を持っていないし、かといって脇を走り抜けられる程のスペースもない。

 あそこで正面から会場に戻るのは、今の状況では不可能と言えた。


 廊下を飛ぶように走り抜け、建物の脇から外へ出る。メインの出入り口と違うからか、人に出喰わすこともなく簡単に外へ出ることが出来た。

 一度外に出てから、会場になっている体育館の外周を通ってメインの出入口に向かう。

 外には警備員と、体力と正義感に自信のある高校生達がわらわらと飛び出し、周囲を警戒していた。

 早く菓子切を返して事態を収集しようと、千景は大勢の集まる正面玄関へ歩き出した。


「そいつが犯人よ!」


 不意に響いた声に、全員が声の主を探した。

 覚えのある声に千景が顔を上げると、体育館の薄暗い廊下の中から、飯島桜がよろよろとした足取りで千景の方を指差していた。


「そいつが盗んだのよ!」


 もう一度、凛と放たれた声に、その場に居合わせた全員が、飯島の指を辿った。

 ゆっくりと、皆の視線があるに集まる。背中から刺す太陽が、痛いほど千景を焼いた。


「ちが、」

「本当かッ!」


 千景が口を開く前に、がっしりとした体格の男が大声で飯島に問うた。


「嘘ではないだな?」


 少しトーンを落とし、自らの興奮を押さえ込むように静かに問いかける男の視線を追って、皆は再び飯島桜に注目し……静まり返ったその中で、飯島は確かに、ゆっくりと頷いた。


「捕まえろ!神聖な儀式を穢した不届きものを、捕まえるんだッ!」


 それから後は速かった。突然の《悪役》の登場にポイント稼ぎとばかり、生徒達は飛びついた。

 千景は反論する間も無く、目をギラギラさせた集団に追い掛け回された。


「待て!泥棒!」


 不名誉なことこの上ない。やってもいない……と言うと語弊があるが、盗むつもりはさらさら無かったのだ。

 勝手に付いて来た菓子切を追い返す方法があるなら、是非とも教えて欲しい気分だった。

 地元の体育館。通い慣れた通学路に近い場所で、千景とそれ以外による追いかけっこが始まった。

 この場合鬼は複数で、逃げるのは千景だけ。不公平なこともあるものだと、頭の片隅で他人事のように思った。


 走り回ること15分。

 途中に休憩は挟みつつとはいえ、日頃鍛えているでもない千景の体力はほぼ限界だった。

 とっさに逃げ込んだ地元で一番大きな駅の外階段で、千景は必死に息を整える。


「誤解を解くのは難しそうか……」


 ハァー、と溜息だか深呼吸だか分からない息を吐く。

 追い掛けられて思わず逃げて来てしまったが、柑菜は無事だろうか。

 飯島が走り出て来たと言うことは、彼女を止められなかったか、止めなかったかのどちらかだ。怪我をしていなければいい、という思いから後者であることを願いつつ、手摺りに凭れてズルズルと座り込む。

 ある程度息を整えてから、構内に繋がる扉を細く開けて、中を伺った。


「どこにいった!」

「あっちか!?」


 何人かの追手らしき声が聞こえ、大急ぎで首を引っ込める。

 幸いこの出入り口は非常階段と繋がる目立たないもので、駅の大きな廊下からは引っ込んだ位置にあるし、ほんの暫くは大丈夫だろう。

 外階段が見つかる前に駅の中に戻った方がいいから、どこか忍び込みやすい非常口を見つける必要があるが。

 扉に耳をつけて中の様子を探り、そっとドアを開けて中を確認する事六回。

 ついに千景は、隠れるのにぴったりの場所を見つけた。

 ドアを少し大きめに開けて、静かに中へ滑り込む。大きな駅の端に位置するだけあって、利用者は全くいないようだった。

 タイル張りの壁を進み、三つある個室の内、一番入り口に近い個室に入って鍵をかける。

 中は障害者用なのか子連れ用なのか、広めにスペースが取られていてかなり余裕があった。

 便器の蓋の上に座って暫く聞き耳を立てたものの、近くで物音は聞こえない。

 それでも数分は緊張状態を保ったものの、本当に寄る人のないトイレのようで、トイレの外にあるだろう廊下からも足音は聞こえなかった。

 安心してか余計なものが目に入るくらいには視界の広がった千景は、荷物置き場を見つけてから置くべき荷物がないことに思い至った。カバンも回収されてしまうのかと思わず鬱々としてしまう。

 無くして困るものは入れていないが、確か現金が少し入っていた筈で、それを没収されるのは少し惜しい。


「とりあえず家に戻るか……?」


 うーん。今なら追っ手も千景の家までは来ていないだろうし、これからどうするかも含めて作戦を立て直すには一旦家に必要な物を取りに帰った方がいいかもしれない。

 しれないが、帰ったところでどうなる、という話でもある。

 実のところ家に帰れば日用品などは揃うものの、そこからどうするか今現在決めていない時点で目的なく思っていたよりも長期滞在してしまうだろうし、そうすれば捕まるのは時間の問題だろう。


「もっといい案はないものかな……」

「確かにとんでもねえ愚策だが、まあ家族にとっちゃありがてぇ話なんじゃねえか?」


 悩み多き千景の独り言に返ってきたのは、がらがらした豪快そうな男の声だった。




運命の出会いは女子トイレで。

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