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我がセンチメンタル・ジャーニー

作者: 三坂淳一

『 我がセンチメンタル・ジャーニー 』


 若い頃に訪れて、感動を覚えた地を再訪してはならない、ということを昔誰かの箴言(しんげん)として聞いたことがある。

 期待していたものは現われず、期待外れの幻滅を味わうばかり、ということらしい。

 この意味から言えば、若い頃に訪れ、思い出に残った地を齢を取ってから訪れる、いわゆる『センチメンタル・ジャーニー(感傷旅行)』というのは、タブーということになる。

 再度、昔のような感激に浸ることができるか、それとも、幻滅を味わうか。

 それは、パンドラの箱を開けるようなものだ。

 開けた途端、いろいろな思い出が次々と飛び出してくる。

 ギリシァ神話では、様々な『災い』の出現に驚き、慌てた女、パンドラによって閉じられた箱には一つ残ったものがあったと謂われている。

 それは、『希望』であったとも、或いは、『絶望』であったとも。

 

 私の目の前に、三十二年前と変わらぬ光景が広がっていた。

 鬱蒼と茂った森を借景として、神殿ピラミッドが昔と変わらぬ秀麗な姿で静謐(せいひつ)(たたず)まいを見せて聳え立っている。

 私はひたすら茫然として、その荘厳なピラミッドの前に立ち尽くす。


 会社には勤続年数に応じたいろいろな特典がある。

 私の会社では勤続三十年の特典として、従業員に旅行クーポンをくれる。

 その旅行クーポンを使って、私は懐かしいメキシコを十日ばかりの旅程で訪れていた。

 つい一週間ばかり前に、成田を発ち、メキシコシティに着き、カンクーン、メリダと廻り、今、パレンケのマヤ遺跡に居る。

 パレンケ遺跡はマヤ文明の数多い遺跡の中でも特に典雅で美しい遺跡とされる。


 私は「碑銘の神殿」と呼ばれる階段状ピラミッドの頂上までゆっくりと登り、台座に腰を下ろし、おもむろにバッグに忍ばせておいたノートを取り出した。

 かなり古びたノートで、茶褐色の染みも入り、ノートの縁も少しほつれてしまったが、今こうして見ると、懐かしさが込みあがってくる。

 日記という(たぐい)は本来好きではない私であったが、三十二年前にこのメキシコに来た時から、せめて滞在期間だけでも日記をつけてみようと思い立ち、毎日つけてきたのが日記代わりのこのノートだった。

 このノートには、当時気紛れに書いた詩とか短い小説も書きとめてある。

 未熟な創作ではあるが、二十二歳の私が紛れもなく、そこには居る。

 確か、このパレンケ遺跡を舞台にした小説も書いたはずと思い、パラパラと捲ってみた。

あった。

 懐かしさが急に込み上げ、鼻の奥がツーンとしてきた。

 その中には、当時一人の女子学生に対する愛で煩悶する二十二歳の私が紛れもなく居た。

 『パレンケ幻想』という題目でその小説はこのように始まっていた。


――――――――――――――――――――――――――――――


『 パレンケ幻想 』(一九七八年十月)


 パレンケは深い靄に包まれていた。

 しっとりと濡れた砂利道を踏みしめて歩く私の眼の前に、パレンケの遺跡がひっそりと

その壮麗な姿を現した。

 憧れのパレンケ!

 私は、この密林に囲まれた遺跡に憧れていた。

 「妻とよく行ったよ。妻も亡くなり、この年齢ではもう二度と行くことも無いだろうが。マヤの遺跡の中では、このパレンケが一番好きだ。コウイチ、一度は行ってごらん」

 アパートの管理人の老フアンが私によく言っていた言葉を思い出す。


 歩いていく道の右手に階段状のピラミッドがある。

 二十二メートルという高さがあり、『碑銘の神殿』と呼ばれているピラミッドである。

 「それまで、メキシコのピラミッドはエジプトのピラミッドとは異なり、墓を持たないと云われてきました。ところが、一九五二年のアルベルト・ルス博士のこの偉大な発見により、墓のあるピラミッドもメキシコに存在するということが確認されました。碑銘の神殿の重要さはここにあります」

 冷房の効かない暑い教室の中で、考古学教室の助手のフアニータが額の汗をハンカチで押さえながら、我々に語った。

 あれは、八月の暑い日の午後だった。

 今は十月。

 左手正面には、四層の塔を持つ、『宮殿』と呼ばれる建物がある。

 中庭を四つ持ち、パレンケの王が居住した館であろうと云われている優美な建物である。

 私は、『碑銘の神殿』の正面の広場に立って、神殿を見上げた。

広場には雑草が疎らに生え、朝露が靴を濡らした。

 神殿の背後は小高い丘になっており、白い神殿を緑の手で優しく抱きかかえるように屹立している。


 「順子が結婚するということ、知ってるでしょう? 知らなかったの。来年の春だって」

 「誰と?」

 「順子のゼミの講師、という噂よ」

 「来年の春に日本に帰ってすぐ、ということか」

 「あなた、順子とつきあっていたんでしょう。全然知らなかったの? おかしいわ? てっきり、承知の上かと思ってた」

 「シティとメリダでは、遠くてどうしようもないよ。それに、もう三ヶ月も会っていないし」

 睦美がシティからメリダに遊びにきて、ユカタン大学の前のカフェテリア・ポップで交わした私たちの退屈な会話。


 ゆっくりと神殿の六十九段の階段を登る。

階段は急で、滑りがちなスニーカーの足元を気にしながら登っていった。

 頂上に腰を下ろし、周囲を見渡す。

 右手に『宮殿』が見える。

あたりは、柔らかな緑の平原である。

朝靄はだいぶ晴れてきたようだ。

それまでのぼんやりとした風景が急に鮮やかな輪郭を持ち始めてきた。

 暑くなってきた。


 「明日はメリダに発ってしまうのね。でも、時々はシティに遊びに来るんでしょう。その時は連絡してね。睦美にも連絡して、三人でタスコに行こうよ」

 順子は、シティ近郊の保養地、オアステペックのレストラン・ヤウテペックのバル(酒場)でマルガリータのグラスを口許に運びながら、私に言った。

 それ以後、順子には三ヶ月会っていない。


 「去る者は日々に疎し、と云うよ。女性の場合は特にこの傾向が顕著だね。女性にしてみれば、常に自分は中心でいたいんだ。逆に言うと、自分から離れている者に対しては、必要以上に冷淡になりやすいんだ。田中君、注意した方がいいよ」

 メリダの社会人研修生の辻真一郎が、サンタ・ルシア公園前のエル・トロバドール・ボエミアというバルでコロナビールを飲みながら、私に忠告してくれた。


 ふと、見下ろすと、階段を登ろうとしている夫婦連れと少女の姿が目に入った。

 少女の赤い帽子が私の眼に鮮やかに映った。

 靄は完全に消え失せ、暑い日差しが容赦なくあたりを照りつけ始めていた。

 午前十時になろうとしていた。

そろそろ、観光客が増える時刻となっていた。

 「ブエノス・ディアス(今日は)!」

 頂上に辿りついた中年の紳士が私に話しかけてきた。

私も挨拶を返した。

 「ハポネス(日本人)?」

 「ええ、そうです」

 「観光?」

 「今は、メリダに住んでいるのですが、遺跡見物に来ているのです」

 「ほう、メリダに。学生かな?」

 「はい。日墨交換留学の学生です。今は、ユカタン大学で考古学を勉強しています」

 「私はホセ・マルホ。これは私の家内で、リンダ。あれが娘のマルシア」

 「田中浩一です。はじめまして」

 「スペイン語が上手だね。こちらに来て、何年になるの?」

 「まだ、三ヶ月ですが、スペイン語は日本で三年間勉強してきました」

 「道理で、お上手なんですね」

 彼は懐からタバコを取り出し、私に勧めながら、話した。

 「実は、去年、日本に行ったんですよ。家内も一緒で。医学の学会が東京で開催されたので、出席しまして」

 「医者なんですか?」

 「ええ、主人はメキシコシティで医院を開いているの」

 彼の妻のリンダが微笑みながら言った。

 「家族で旅行ですか?」

 私が訊くと、またリンダが答えた。

 「ええ、主人にお願いして、ここユカタン半島を旅行しているの。あっ、マルシア、そっちに行っちゃ駄目! お父様がついていないと危ないわよ」

 見ると、マルシアは頂上の神殿の中を覗き込んでいた。

 「見て! 天井はマヤのアーチ天井よ。それに、壁はマヤ文字でいっぱい」

 マルシアの赤い帽子が神殿の石柱の蔭から見え隠れしていた。

 「ちっとも私の言うことなんか聞かないんだから」

 夫人が肩を軽くすくめながらこぼした。

 「さて、マルシアについて行こうか。それでは、失礼しますよ」

 セニョール・マルホが夫人の肩を抱いてマルシアの方へと歩み寄っていった。

 彼らを見送った後、私はそのまま頂上の石段に腰を下ろし、前面に広がる緑の地平線をぼんやりと眺めた。

現在は管理されているこの遺跡も、かつては鬱蒼とした密林に埋もれていた。

 このチアパス州のウスマシンタ川の流域の密林での樹木の生育は驚くほど速い。

 人為的に管理されていない農園は数年で草原となり、数十年で密林に化すとさえ云われている。

 神秘さと厳粛さが二つながらある、と云われるこのバレンケ遺跡は、マヤの神話では創造主ハチャキュムが住んでいて、世界の中心であるとされている。

 しかし、現実には、紀元六〇三年に生まれ、十二歳で即位したパカル王が六十八年の長きにわたり君臨したということが遺跡に残されたマヤ文字から解読されており、実際には生身の人間による統治支配が行われていたのである。

 そのパカル王がこの『碑銘の神殿』の地下に葬られていた。

翡翠の仮面を被せられたミイラ化した遺体をアルベルト・ルス博士が発見したのである。


 緑には眼を休ませる作用があると云う。

しかし、全てが緑という部屋に閉じ込められた人は例外なく発狂してしまう、ということを以前聞いたことがある。

 緑の恐怖!

 見渡す限り、緑に覆われた地平線を眺めながら、私の胸は騒ぎ、恐怖感すら覚えていた。


 「セニョール・タナカ! あなたもピラミッドの地下を覗いてきたらどうか。見事なレリーフの石盤を見ることができるよ」

 振り向くと、そこにセニョール・マルホが立っていた。

夫人と娘のマルシアも、こちらを見て微笑んでいた。

 「グラスィアス(ありがとう)! 今から観てきます。地下はどうでした?」

 「ひんやりとして涼しいわよ。でも、ちょっと不気味で、ねぇ、ホセ」

 夫人は夫の相槌を求めた。

 「ご婦人方にはそうかも知れんが、男にはなんともないよ。・・・、さて、ホテルに帰って昼食とするか」

 「ホテルはどちらにお泊りですか?」

 「オテル・カシュランです。あのバス・ターミナル近くの」

 「ああ、あの新しいホテルですね。ここへ来る途中で見ました」

 「セニョール・タナカは、どちらのホテルに?」

 「僕は、ビリャエルモーサのホテルに今晩泊まる予定をしています」

 「そうすると、夕方にはここを発つおつもりですな」

 「ええ、夕方までまだ時間はたっぷりあります。今日は一日、のんびりと見物していきますよ」

 「それではまた、午後にでも」

 彼らは慎重に階段を下りていった。

夫人の白い帽子とマルシアの赤い帽子がひらひらと舞い降りるように遠ざかっていった。

 私は狭い階段をゆっくりと降りていった。

所々の階段は少し破損しており、慎重に歩を運ばなければならなかった。

 地下階段の天井には破損防止の網に覆われた裸電球が取り付けられ、足元を照らしていたが、全体に暗く、静謐な雰囲気が漂っていた。

 地下室の墓室はマヤ独特のアーチ状の部屋になっており、中央には大きな石棺が安置されている。

その石棺を覆っているのが、素晴らしい浮き彫りが施されている石盤で、5トンの重量があり、人・神・植物そして神聖マヤ文字が隙間無く彫刻されている。

 隙間を恐れるかのように、びっしりと彫刻を施すことにマヤ人は情熱を感じていたのだろうか。

 その浮き彫りを見詰めていると、頭の中が混沌としてくる。

 見方によっては、宇宙船を操縦している宇宙人のようにも見える図案であり、現在もいろいろと論議が絶えない石盤レリーフである。

 また、ここに葬られている人物も実はまだ明確には判っていない。

 パカル王であるとする説と、全く別な人物であるとする説と、二説ある。

 この翡翠の仮面をつけ、豪華な副葬品と共に葬られていた人物は、当時としてはかなり長身の男性であった。

推定年齢で、四十から五十歳でその身長は百七十三センチメートルであったと云う。

パカル王は八十歳の長命であったはずで、明らかな年齢差がある。

また、マヤ族は小柄な民族であり、当時の平均身長は百五十七センチメートルであったと推定されている。

その平均の身長から見たら、大きすぎるのだ。

そしてまた、六人の殉死者を伴って葬られた、この人物は西暦六五〇年、二十八歳の時に王座に上り、二十年の間このパレンケを支配したとも云われている。

 明らかに、パカル王の事蹟とは異なっているのだ。

 この翡翠の仮面を被って葬られている神官王は一体何者だったのか。

 ここにも、宇宙人説が語られる要素がある。

 それから、二百年を待たず、このパレンケは放棄され、密林の中に埋もれていった。

 メキシコの多くの遺跡のように、放棄された理由もまだ判っていない。

現在のパレンケに残るマヤの暦の最終年号は西暦に換算すると、七八五年である。

この年以降の年は刻まれていない。

その後、何が起こり、何故放棄されたのか。

それらの謎に関して、パレンケは今も黙し、語らない。

 私は、照明ランプに照らし出された、その石盤レリーフを見詰めながら、豹の預言者の書とも言われ、ユカタン州のインディオの年代記でもある、チラム・バラムの書に書かれた、不気味な詩句を思い出した。

 チラム・バラムの書にはこのように書かれている。


 食べよ、食べよ、汝にはパンもある

 飲め、飲め、汝には水もある

 あの日、ちりが大地を支配した

 あの日、地面は輝いていた

あの日、雲がたちこめた

あの日、山が高く聳えた

あの日、強い男がその土地を奪った

あの日、全てが廃墟と化した

あの日、柔らかい葉は打ち砕かれた

あの日、死人の目は閉じられた

あの日、三つのしるしが木にあった

あの日、老いも若きもそこで吊るされた

あの日、戦いの旗が高く掲げられた

そして、彼らは森の奥へと散り散りに入っていった


私は、暫くしてから、そこを離れ、地下室の階段を登っていった。

薄暗がりの中から急に眩しいほどの光に満ち溢れた階上に出た私の目に、真昼の太陽は強烈だった。

雲ひとつ無い空に、太陽はほぼ天の頂点にあり、その強烈な光を地上に照射していた。

私はピラミッドの階段を下りていった。

『碑銘の神殿』の前の広場は観光客で溢れ、陽気で声高な会話が交わされていた。


「来年は就職ね。浩一は商事会社を希望するの?」

「今は分からないけれど、多分、どこかの商事会社に入り、またこのメキシコに来るかも知れない。そういくと、いいけどね」

「私は、就職するかも知れないし、思い切って結婚してしまうかも知れない。実は、日本を出発する前に、或るひとから結婚を申し込まれているの」

「・・・」

「浩一のお嫁さんになってあげてもいいな、とも思っているけど、・・・」

「結婚、か・・・。まだ早い気がするな」

「・・・。そうね、まだ早いわね」

「・・・」

オアステペックでの私たちの会話は途切れた。

順子は私を見詰めたが、私は順子の眼から、顔を背け、窓を激しく叩く雨に目を移した。

あの時、順子は私の言葉を待っていたのに。


私は『宮殿』の方に歩いていった。

四層の塔を持つ、この建物は強烈な陽射しに照らされ、ほんのりと茶褐色を帯びていたが、全体的には白く乾ききった印象を与えていた。

私は『宮殿』の階段を上り、半ば崩れかけた入口から塔の方へ歩み寄った。

塔には狭く急な階段があり、人ひとり通るのがようやくといった狭さだった。

私はその階段を昇って、塔の最上階に出た。

最上階から周囲をぐるりと眺めた。

左手に『碑銘の神殿』の神秘的な姿が見えた。

ここからは宮殿の全体が見渡すことができ、その眺望の素晴らしさから、往時は天体観測所及び物見の塔としての役割を果たしていたものと思われた。

おそらくはセメントであろうが、この『宮殿』全体の石組みは全てセメントで接着されており、その柱は頑丈で重量感に溢れていた。

私は柱に凭れ、周囲の景観を暫く楽しんだ。

ふと、気がつくと、眼下の広場には先ほどの親子が居た。

リンダの白い帽子とマルシアの赤い帽子ですぐ判った。

マルシアがこちらに向かって手を振った。

赤い帽子もゆらゆらと揺れた。

私も思わず手を振った。

彼らはこちらに歩いてきた。私は塔を下り、彼らを迎えた。

「ブエナス・タルデス(こんにちは)、セニョール・マルホ!」

「ムイ・ブエナス・タルデス、セニョール・タナカ!」

「もう、昼食は済んだのですか?」

「ええ、ホテルで簡単に。急に暑くなってきたね」

「そうですね。とても暑いですね」

「ところで、ここへは車で来たのかね」

「ええ、メリダから友達の車を借りて」

「今夜はビリャエルモーサ泊まりと言っていたね」

「ええ。夕方までここに居て、それからビリャエルモーサまで車で行きます」

「ホセ! 私とマルシアは塔に昇りますわ」

リンダが言って、マルシアと共に塔の階段へ向かって歩いていった。

「失礼ですけど、奥さんはずいぶん若いかたですね」

ホセは少し肩をすくめて言った。

「そうです。若いです。・・・。若すぎます」

ちらりと、こちらを警戒するような目つきを見せた後で、ホセは続けた。

「リンダは二度目の妻なのです。マルシアの母は五年前に心臓病で亡くなりました。で、リンダとは二年前に結婚したばかりなんです」

「マルシアとは、そう年も離れていないような感じを受けますが」

「十歳しか離れていません。私とは十五歳ほど違います」

ホセの顔に微かな苦渋の色が走った。

私は話題を変えた方が良いと思った。

「ところで、セニョール・マルホ、このパレンケの後、どちらに行かれる予定なんですか?」

「そうだねえ、これから、メリダ、チチェン・イッツァ、ウシュマル、カンクーン、コスメルと旅行し、十日後には、メキシコシティに戻るつもりでいるんだよ」

「かなり、長期の旅行ですね。僕も明後日にはメリダに戻っています」

「じゃあ、また、メリダで会えるかも知れないな。私たちは、モンテホ・パレス・ホテルに泊まっているから、訪ねておいで。メリダには五日間ほど居るから。一緒に食事でもしよう」

「グラスィアス。メリダは僕の庭みたいなものですから、その時は道案内しますよ」

ホセは笑って私の肩を叩いた。

私は雑談を交わしながら、ホセに好感を持った。

ホセにはどこか哀しみがあり、その哀しみに私は好感を持った。

生きている、ということに付き纏う【哀しみ】であったかも知れない。

そして、それは私と同じ哀しみであったかも知れなかった。

「ホセ! 塔に昇ってきたら。素晴らしい風景よ」

リンダとマルシアが戻ってきて、ホセにも昇ってくるよう促した。

「それじゃあ、昇ってくることとしようか。セニョール・タナカ、失礼するよ」

「セニョール・タナカ、もう、お食事は済んだの?」

降りて来たリンダが私に話しかけてきた。

リンダの声は少しハスキーで、耳に快く響いた。

「いや、まだなんです。あまり食欲がなくて」

「若い人がそんなことを言っちゃ駄目。もりもり食べなくっちゃ」

「あなたと同じくらいの年齢ですよ、セニョーラ」

私は笑いながら、夫人に言った。

「あら、そうなの。幾つ?」

リンダは少し好奇心を覗かせて私に訊いた。

「二十二歳です」

「日本人は若く見えるのね。私と三つしか違っていないのね。マルシア、あなたとは七つ違いよ」

マルシアは少しはにかんだような表情を浮かべて私を見た。

「ママ、私、宮殿の内部を見てくるわ」

と言って、マルシアは小走りに去っていった。

「あの子は内気で。・・・、でも、もう十五歳なのよ」

「可愛らしいセニョリータですよ」

「メリダに住んでいるって言っていたわね。 あそこは蒸し暑いところでしょう」

「ええ、シティと比べたら、ずっと蒸し暑いです。でも、もう慣れました。これからがメリダは快適な季節を迎えます」

「実は、明日、メリダに行くのよ。ホセは今までに二回ほど行っているけれど、私とマルシアは初めてなの。それで、楽しみにしているのよ」

「お泊りは、モンテホ・パレス・ホテルとのことですね。セニョール・マルホから聞きました。僕も明後日には帰るので、もしかするとセントロかどこかでばったり会うかも知れませんね。」

「そうだといいわねぇ。その時はまた、私たちの話相手になって頂戴ね」

「ええ、喜んで」

「セニョール・タナカ」

「いや、浩一と呼んで下さい。その方が発音しやすいから」

「そうね、じゃあ、コウイチ、日本ではどこに住んでいるの?」

「生まれは京都ですが、今は大阪に住んでいます。大学が大阪なので」

「京都、大阪。知っているわ。東京の次に行ったのが京都で、その次が大阪だったの。京都は美しい街で、大阪はとても賑やかな街だったわ。そう、東京と同じぐらい大きな街でとても活気に溢れた街」

「日本の食事はどうでした?」

「シティでも食べたことはあったけれど、さすがに日本で食べる日本食は違うわ。すき焼き、天麩羅、神戸ビーフ、・・・、とても美味しかったわ。料理も美味しかったけれど、日本のひと、とても親切にしてくれたし、楽しい思い出になっているわ」

「美人には誰でも親切ですよ」

「あらっ、コウイチはお口がお上手ね」

そう言って、夫人は軽く私を見詰めた。

少し挑むような魅惑的な眼差しだった。

そこに、ホセが現れた。

私たちは少し話してから別れた。

別れに際して、ホセは名刺をくれた。

「シティに来たら、ここに電話しなさい。ホテル代が勿体無いから、家に泊まればいい」

彼らと別れてから、私も宮殿の中を観てまわった。

嘗ては漆喰が塗られ、鮮やかな色彩で目を楽しませたであろう壁も今では一様に白くごつごつとした壁となっていた。

いつのまにか、陽は翳り、黒い雲が空一面を覆い始めていた。

十月はまだスコールのある季節だった。

気がつくと、観光客も大分減りはじめていた。

宮殿の内部を観た後、裏手に点在する幾つかの小さな神殿を見物して廻った。

『太陽の神殿』、『葉の十字架の神殿』、『十字架の神殿』、『北の神殿』、『コンデの神殿』、『浮き彫りの神殿』と、まるでお伽の国の森の妖精たちが住む住居のような神殿跡が数多く点在しているさまはメルヘンの世界そのものだった。

丘の中腹にある『葉の十字架の神殿』の内部を観ていると、突然雨音がして、スコールが襲来した。


もの凄いスコールで視界は完全に雨で遮られた。

私は壁に身を寄せるようにして、このスコールを避けた。

それでも、雨水の跳ね返りで私のズボンの裾はすぐずぶ濡れとなった。

スコールの激しい雨音を聴いている内に、私の聴覚は痺れ、ひどく幻想的な感覚に陥っていった。

私はズボンのポケットを探り、ナイフを取り出した。

ナイフはスイスのビクトリノックス社製のもので、日本を出国する時に叔父から貰ったものだった。

十字の紋章がついた赤い柄のナイフで鋭利な刃を持っていた。

私はそのナイフの刃を開き、左手の手首の静脈に押し当てた。

ステンレスの刃は鋭い切れ味を示すはずだった。

このまま、手前に引くだけで良かった。

人に見られることも無く、この激しいスコールの中で私はこのパレンケに来た真の目的を果たすことができるのだ。


パレンケで死にたい。

それが今回の私の旅の最終目的であり、これまでの人生という旅の終わりだったのだ。

私は順子を愛していた。

今も愛しているし、それを三ヶ月前に順子に告げるべきだったのだ。

どうして、あの時、素直な気持ちで、結婚して欲しい、と言えなかったのか。

順子は私の優柔不断さに絶望し、好きでもない求婚者に結婚を承諾する返事を与えたのだろう。

いや、順子は私を本当は愛していなかったのかも知れない。

でも、もう、そんなことはどうでもいい。

今は簡単に死ぬことができる。

死は、・・・、死はおそらく甘美なものであろう。

このまま、刃を手前に引いて、壁に凭れて眠ればいいのだ。それで全てが終わる。

刃を一気に引こうとした時だった。


足元で動くものがあった。

私は、ハッとして、それを凝視した。

蛇だった。

蝮のような蛇だった。

三角形の頭をしていた。毒蛇!

私は思わず、右手に持っていたナイフを蛇に投げつけた。

蛇は驚いたように、足元を離れ、スコールの中に身をくねらせて逃げていった。

ナイフと共に、私の、・・・、死への情熱も消え失せてしまった。

私は嘲笑した。

大きな声を上げて、思いっきり自分自身を嘲笑した。

しかし、私の笑い声はスコールにかき消され、いつしか、私は泣いていた。

スコールは三十分ほどでやんだ。

黒い雲はかなたに去り、再び強い陽射しがあたりを照らしはじめた。

私は『葉の十字架の神殿』を出て、あてどもなく、さまよい歩いた。

私の心は虚ろで重く沈んでいた。

時々、草むらの水たまりに足を取られ、私のスニーカーは既にずぶ濡れであった。

歩くたびに、水を撒き散らすほどだった。

強烈な陽射しの中で、堪え難いほどの蒸し暑さが支配していた。 

最悪の気分だった。

どれほど歩いたことか、いつしか私はパレンケの遺跡群から遠く離れて草原を歩いていた。

時々、メリダで買ったパナマ帽を脱ぎ、額に噴き出している汗をハンカチで拭いとった。

草原には潅木が疎らに生育し、葉をいっぱいつけた背の高い樹木も散在していた。

私は歩き疲れ、木陰に腰を下ろし、陽射しを避けて休息した。

時々、涼しい風も吹き、私は暫くぼんやりと体を休めた。

七面鳥がいた。

こちらに歩いて近づいてきた。

かなり大きな七面鳥で、この付近の農家で飼われているのだろう。

顔は赤く、目が丸く、びっくりしたような表情をしている。

忙しく動きまわり、地面をついばんでいた。

次第に、私の心は和んできた。

いつしか、七面鳥は二匹に増えていた。

先ほどの七面鳥の胴体は黒い羽毛で覆われていたが、新しく現れた七面鳥は茶褐色の羽毛で覆われていた。

時々、顔と顔が触れ合った。

それはあたかも、夫婦の七面鳥が接吻をしているかのようであった。

微笑ましい光景だった。

暫くして、私は立ち上がり、また付近を歩いた。


ふと、水の音が聞こえた。

耳を澄ました。

音は草原の下の方から聞こえていた。

私は水音がする方向へ歩いて行った。

草原はふいに途切れ、川が流れていた。

先ほどのスコールで増水したのであろう。

川の流れは急であった。

川を見るのはひさしぶりだった。

私の住んでいるメリダを始め、ユカタン州には川が無い。

州の水源は、セノーテと呼ばれる地下の泉であり、川は存在しなかったのである。

川は少し濁っていたが、十人ばかりの人が水浴をしていた。

蒸し暑さから逃れる手段としては最適だった。

カラフルな水着が水と戯れていた。

どこからか、私の名前を呼ぶ声がした。

私はその声の方を見た。

そこに白い水着を着たマルシアが居た。

手を振っていた。

私はマルシアの方に近づいていった。

彼女は濡れた髪に手をかけて、微笑んでいた。

ヴィーナスを思わせた。

可愛いヴィーナスだった。

「川の水は冷たい?」

「少し冷たい。けど、涼しくなるわ」

「パパとママは?」

「あちらの方にいるわ」

「水着は持ってきたの?」

「着ていたの」

私は笑い、マルシアも綺麗な歯並びを見せて笑った。

こうして見ると、マルシアの肌は際立って白かった。

ホセは典型的なメスティーソで浅黒い肌をしている。

おそらく、マルシアの母はクリオーリョ系で白人としての血が色濃く流れていたのだろう。

若い肌は水を弾き、輝いていた。

十五歳とはとても思えぬほどの成熟さに私は圧倒される思いだった。 

既に豊満な胸と魅力的にくびれている腰、そしてすらりと伸びた足は十分に女性としての魅惑を備えていた。

「僕も泳ぎたいけれど、今は水着を持っていないんだ。残念だなぁ」

マルシアは肩をすくめた。

「七月頃、オアステペックに居た?」

マルシアが思いがけないことを訊いてきた。

訊いてみると、家族旅行でオアステペックに行った際、丁度研修中の私たちを見かけたとのことだった。

陸奥とか辻とかいう名前までマルシアは覚えており、私をびっくりさせた。

オアステペックは懐かしいところであり、私と順子は毎晩のように会い、いろんなことを語り合った。

あの頃、私たちは幸せだった。

「いつ頃、ここを発つの?」

「私が戻ってくるのを、パパとママは待っているの」

「それじゃ、もう帰るのかい?」

「ええ、これからホテルに帰って、支度してメリダに行くの」

「メリダまでは七百キロほどあるから、途中で一泊するんだろう?」

「ええ、どこかで。ホテルの名前は忘れちゃったけど、昨夜、パパが予約していたわ」

私たちは岸辺の岩に腰掛けて、暫く話した。

横を向くたびに、マルシアの胸元の膨らみが目に入り、眩しかった。

「こんなこと、訊いていいかな?」

「えっ、どんなこと?」

「つまり、・・・、リンダと君は年齢がそうは離れていないだろう。リンダは君にとって、母親というよりは、むしろ・・・」

「年齢の離れた姉さんみたいな存在ではないか、ということ?」

「うん、そうなんだ。お互いにやりづらいと思うんだ」

「でも、リンダは私には母親として接しているわよ」

「君は?」

私の質問にマルシアは苦笑して答えなかった。

マルシアが急に大人びて見えた。

川の流れに目を向けていたマルシアが急に私の方に向き直って言った。

「ねえ、これから話すことは、・・・、内緒よ。誰にも話さないと約束して!」

私は戸惑いながら、話さないと彼女に誓った。

「リンダはとても官能的な女なの」

私は『官能的な』という言葉を呟いた。

あまり使われない単語で耳に馴染んでいなかった。

「そうよ。とても官能的な女なのよ。リンダはパパには若すぎるのよ。リンダはまだ若い女だから、女としては構わないけれど、妻としては許されないことをしているの」

「・・・」

「私は知っているんだから。パパは知らないようだけれど、私は知っているんだから」

マルシアの声には怒気が含まれていた。

私はマルシアの顔から眼をそらし、青く晴れあがった空を見上げた。

先ほどの強烈な陽射しはもう随分と柔らかくなっていた。

そろそろ、ホセとリンダのところに戻るべきだろう。

私はマルシアを促し、立ち上がった。

川の岸辺のベンチで、ホセとリンダは所在なげにマルシアの帰りを待っていた。

「セニョール・マルホ! あなたの可愛いヴィーナスをお連れしましたよ」

私が陽気に言うと、ホセは大袈裟に喜んだ。

「セニョール・タナカ、どうもありがとう。あまりに帰りがおそいので、娘はパレンケの神官にさらわれてしまったのかと思ったよ」

「どういたしまして。さぁーて、もう帰るとしますか。僕も明るいうちにビリャエルモーサに着かないと」

「メリダに戻ってきたら、ホテルに電話をよこしなさい。一緒に食事をしよう」

「はい、必ず電話します。タコスの美味しい店を知っていますから、ご案内しますよ」

私たちはパレンケの入口のところで別れた。

私は駐車場の方へ歩きはじめた。

マルシアが赤い帽子を振った。

私も彼らに手を振った。


私の心は静かに満たされていった。

人は人の関係の中でしか、癒されないのだと思った。

人によって傷つけられた心は、人によってしか癒されない。

ホセにはホセなりの哀しみ、マルシアにはマルシアなりの哀しみ、そして、恐らくは、リンダにもリンダなりの哀しみがあるのだろう。

人には人それぞれの哀しみがある。

私にも、・・・、ある。

自然はあまり関与しない、そう思った。

ハンドルを握り、私はダットサンを走らせた。

旧式であるが、ダットサンは快調に走り、ビリャエルモーサを目指した。

これから、百五十キロの旅が始まる。

道端の木々が後ろに走り去る。

車のラジオをつけた。

丁度、マリアッチがかかっていた。

私の好きな『スィエリート・リンド』であった。

ホセ、リンダそしてマルシアの旅はどんな旅になるだろうか。

蠢惑的で官能的なリンダ、清純な少女から魅惑的な大人の女性へと変貌を遂げつつあるマルシア、そして・・・、私にアディオスのメッセージを送りつけてきた順子。

車は平原の中、夕焼けを目指して一直線に走っていく。

しかし、・・・、まだ、間に合うかも知れない。

ホテルに着いたら、順子に電話をするんだ。

三ヶ月前に言えなかったことを言うために。

――――――――――――――――――――――――――――――



 私は『碑銘の神殿』の頂上で風に吹かれながら、三十二年前に二十二歳の私が書いた小説を読み終えた。

 創作小説と述べたが、私は一部訂正をしなければならない。

 ホセ・マルホ親子に関しては、半分ほどフィクションであるが、順子と睦美たち日本人の留学生に関してはノン・フィクション、つまり事実に即していたのだ。

 そして、この小説のラストに書いたことを私は実行した。

 私はビリャエルモーサのホテルからメキシコシティの順子に長距離電話をかけた。

 翌年、私たち日墨交換留学生たちは飛行機の日にちこそまちまちではあったものの、四月の終りまでには全員無事に日本に帰った。

 かれこれ、十ヶ月の留学だった。

 戻りの飛行機の中で聴いたのが、ジュディ・オングの『魅せられて』という歌だった。

 イヤフォーンを通してその歌声が流れてきた時、私はまさに体中に電流が流れたかのように感動し、これはビッグヒットになると思った。

 その予感は的中し、この歌はその年のレコード大賞曲となった。

 そして、一年間休学した大学に復学した私たちはそれぞれ就職活動を懸命に行った。

 第一志望は、語学を活かした仕事ができると思い、商事会社を幾つか受けたが、全て失敗し、最終的には今勤めている金属加工関連の民間会社に就職することとなった。

 入社した会社で、私は営業部に配属され、営業見習社員として先輩社員に同行して、顧客との折衝の仕方、仕事の進め方などを実地に学んだ。

 順子とはその後もいろいろとあったが、大学卒業四年後に結婚することができた。

 私たちは二十七歳同士の夫婦となった。

 順子は私には話さなかったが、睦美から聞いた話では、婚約を解消したことで順子と講師との間には相当修羅場があったらしい。

 それはそうだろう、あって然るべきだ。

 私だって、一方的に婚約を解消されたら黙ってはいない、一言、二言ぐらいは不誠実な相手を罵倒したくなるものだ。

 その修羅場の後で順子がわたしに語った言葉はこうだったのよ、と睦美は笑いながら、私に話してくれた。

 元々好きだった男から一世一代の求婚の言葉を聞いて、受け入れない女なんて、女じゃない、と順子は睦美に語ったそうだ。

 あの時の順子の啖呵、というか、見得というか、かなりわたしは痺れたわよ、と睦美は言っていた。

 一世一代の求婚の言葉、と順子は睦美に言ったそうだが、肝心の私はどうにも覚えていない。

 勇気を奮って、シティの順子のホームステイ先に電話をかけ、順子に繋いで貰って、話したことは事実であるが、その時話した言葉がどうにも思い出せないのだ。

 ただ、断片的には今でも覚えている言葉がある。

 パレンケで自分の人生を終えるつもりで来たのだが、どうにも死ねなかった、これからは、君さえ良ければ、君と一緒に生きたいと思う、君と一緒に生きるために、死ぬことは止めた、そんなことを私はつかえながら、自分でももどかしいと思うほど、つかえながら話したのだった。

 長く話したつもりであるが、実のところは、そんな程度しか覚えていない。

 そして、結婚した翌年、娘の麻耶が生まれた。

 麻耶、マヤという名前に私は固執し、どうしてマヤなのだ、と問い質す義父母を前にして私はひたすらこの名前がいいんですと頑張った。

そして、順子は私が名前でむきになる様子をただ微笑んで見ていた。


 「お父さん、ここに居たんだ。随分と、探したわ」

 見ると、娘の麻耶が私の隣に立っていた。

 麻耶は私の隣に座り、バッグから写真を取り出した。

 「ハイ、お母さん。パレンケでーす」

 麻耶はメキシコシティの空港でも、カンクーンでも、メリダでもこの写真を取り出しては、周囲の風景を写真の主に見せていた。

 「お母さんにとっては、初めてのパレンケだよ。三十年前は来る機会が無かったもの」

 「お母さんはメキシコシティの国立自治大学に居たということだけれど、メキシコでは一体どんなところに行っていたの?」

 「あの頃は、学生は総じて金が無かったから。それほど、旅行はしなかったと思うよ。せいぜい、グアダラハラ、グアナフアト、タスコといったシティ近場のところぐらいか」

 「お父さんの住んでいたメリダには?」

 「そう言えば、一度来たよ。ほら、麻耶も知っているだろう、あの睦美おばさんと一緒にさ。カリブ海のイスラ・ムヘーレス、コスメルを訪れた帰りにね。でも、ここパレンケとは縁が無かったと思うよ」

 「お父さんはその時どうしたの? 一杯、もてなした? メリダにお母さんが来た時」

 「メリダグループのリーダーのホームステイ先でフィエスタ(パーティー)を開き、みんなで歓迎したよ。お母さんたちはシティから持参したカレー粉でカレーを作ってくれてねえ」

 「ふーん、カレーなんだ。で、そのカレーは美味しかった」

 「美味しいなんて、あっさり言えたもんじゃない。それこそ、涙が出るほど美味しくってね。辻さんと云う社会人研修生なんか、山盛り三杯も食べていたよ。みんな、日本の味に飢えていたんだよ。カレーはまさに日本の味だったんだ」

 麻耶は私たちの一人娘で四年前に大学を出て、大手銀行に入ったものの、つい三ヶ月ほど前に退職した。

 どうしたんだ、と訊くと、結婚準備だと言う。

 驚く私に、今回の旅行が済んだら、結婚する男性を家に連れて来て正式に紹介するとも言う。

 その代わり、今回の旅行にはお母さんの代理で私を連れて行け、と言う娘であった。

 冗談じゃない、お前を連れていくとなると、二部屋借りることとなり、日本と違って、倍払うこととなる、と言ったが、娘はさっさと自分の予定を空けてしまい、旅行準備まで始めてしまった。

 おかげで、今回の旅行は高いものについてしまった。


 実は、今、・・・、私は迷っている。

 別に、娘が急に結婚したいと言い出したこととは関係がない。

 この旅行に旅立つ前に、会社の直属の上司から子会社への出向の話を切り出され、旅行から帰ったら、諾否の返事を聞かせて欲しいと言われているのだ。

 その上司はいわゆる団塊の世代に属する男で、私としては嫌いなタイプの男では無いが、いささか自己中心というか、今どきの言葉で言えば、ジコチュー気味の男であり、どちらかと言えば、優柔不断の男として私を見ている風が感じられた。

 優柔不断か。

 どうも、私は自分ではあまり意識はしていないが、周りからは、どちらかと言えば、優柔不断の男と見られているらしい。

 果敢な決断ができない男と軽く見られるのは嫌なことであるし、自分ではそれほど決断不足の男とは思っていない。

 メリダ・学生グループでも、リーダーの斎藤が判断に迷う時でも、サブリーダーの私が斎藤に代わり、その都度判断をして、みんなを纏めてきたのだ。

 留学生同士の交歓会、フィエスタ(パーティー)を開く時も、日時、会場、社会人研修生との調整、大学関係者への連絡、参加要請など、いろいろと判断し、実行してきたのは私なのだ。

 でも、日本に帰り、会社に入ってからは、私の『独断と偏見に基づく』決断能力には翳りが見えてきた。

 会社というところは、仲間の集合体ではなく、システマティックに役割に応じて仕事をする集合体なのだ。

 トップの社長はともかく、トップではない個人の決断の範囲は極めて制限される。

 ただ、私の場合、少し遠慮が過ぎたのかも知れない。

 同期入社の中には、既に部長になっている者も居る。

 心は穏やかではないにしても、でも、あまり悔しいとは思わない。

 そんなところが、サラリーマンとして弱いところなのだろう。

 部長と副部長の仲はあまり良くなさそうだ、という周りの声が私にも聞こえてくる状況でもあったので、ていよく言えば、私を子会社に行かせ、せいせいしたいとでも思っていたのかも知れない。

 子会社に出向すれば、取締役・部長となり、精進次第ではその上の役職、常務とか専務というポストも現実的なものになる、と私の上司は子会社への出向を打診するその席で私に語った。

 私も来年は五十五歳となり、管理職間で囁かれる「内規」に依れば、役職定年となる。

 役職定年となれば、いわゆる肩叩きをされる年齢だ。

 組合員は六十歳までは組合が庇護してくれるが、管理職には守ってくれる組織は無い。

 役員になれなかった管理職社員は、この役職定年となると、待遇は実質的に下がるが、繰り上げ定年で会社を円満退職して子会社の然るべきポストに天下るか、嘱託扱いとなって、かつての部下の下で閑職につく窓際族となるか、勇退と称して早期退職優遇制度で繰り上げ定年となるか、という三つの選択肢しか持てなくなる。

 六十歳まで、現在のポストのままで待遇も変わらず、勤め上げるという管理職は稀れと言ってよい。

 さあ、私はどうしようか?

 上司である取締役・部長は団塊の世代で今年六十になるが、団塊の世代は結局のところ、恵まれた世代であると私は思っている。

 人数が多く、確かに競争は激烈であっただろうが、日本経済が右肩上がりの時であり、就職状況としては楽であった。

部長なども、僕の頃は嫁一人に婿が十人といった売り手市場の就職状況で企業は選り取り見取りだったよ、とよく飲み会の席上、私たち部下に語っていたものだ。

 一方、私の世代は就職戦線としては非常に厳しかった時代であり、無事入社することができても、頭の上には常に大勢の団塊の世代がポストを独占しており、出世も順調にはできず、欲求不満に悩まされる年代だった。

 また、団塊世代は高額の退職金も手にすることができ、且つ報酬比例の年金とか老齢年金も有利な条件で手にすることができる、なんのかんのと言いながら、恵まれた世代であることは疑いようもない。

 弱肉強食の市場原理主義に貫かれた強欲資本主義、正当化された格差社会、上司次第の実績評価・成果主義の氾濫、といった言葉が日常化する時代となってしまった。

 その結果として、閉塞感が漂い、ぼんやりとした不安感に満ちた時代となってしまった。

 何か足りないという飢餓感を感じることもしょっちゅうだ。

 嫌な時代となってしまった。


 「お父さん、何、考えているの? ねえ、そろそろ、あっちの方でも見ようよ」

 考え込んでしまった私に娘が話しかけてきた。

 娘の指さす方角を見ると、そこには『宮殿』の石造りの高い塔があった。

 「麻耶、実はお父さんはね、お前の結婚相手の方を考えていたんだよ。お前のようなじゃじゃ馬と結婚する男の不幸と不運を、さ」

 「何、バカ言ってんの。さあ、行こ、行こ。さあ、立ち上がってよ、お父さん」


 その夜、私はパレンケのバス・ターミナルから近いところにあるホテル、オテル・カシュランのレストランでビールを飲みながら、中庭の噴水をぼんやりと眺めていた。

 娘は夕食の後、ボーイフレンドに電話してくると言って、部屋に戻って行った。

 長電話は禁物、ここは外国だよ、と私が言うと、コレクトにするから大丈夫と笑う。

 何が大丈夫なものか、払うのは相手だぞ、と私は呆れながら娘の後ろ姿を見送った。

 どこからか、けだるげなギターの音色が響いてきた。

 ギターと言えば、セレナータだ。

 想う恋人の家の窓辺で男がギターを奏で、思いのたけを歌う。

 男の愛を受け入れる時は、女が窓を開け、カーテンの蔭から顔を覗かせる。

 窓が閉まったままであったら、その男の愛は受け入れられなかったということになる。

 男は淋しく、想う相手の窓辺を去らねばならない。

 今も、この地方ではこのようなセレナータという優雅な恋の習慣が残っているのであろうか?

 そうだ、メリダに着いたら、セレナータ・ユカテカの開催日を訊いてみよう。

 昔は水曜の夜、サンタ・ルシア教会の脇で開催されていた。

 ユカタン地方の踊りと唄が披露される、無料のコンサートで私たち留学生はよく連れ立って聴きに行ったものだ。

 たまたま、そこに社会人研修生が居たら、私たちはハッピーだった。

 うまい具合に、サンタ・ルシア教会の前に、エル・トロバドール・ボエミアというバルがあり、お酒を奢ってもらえるからだった。

 そう言えば、メリダに居た社会人研修生は五人共全員が団塊世代の人たちだった。

 今、五十八歳から六十歳になる人たちばかりだ。

 みんな、どうしているだろうか。

 日本に戻ってから、再会する機会もなく、今に至っているが。

 再会する機会は無かったが、今はインターネット検索という便利な情報入手手段がある。

 辻さんにはがっかりしたことがある。

 辻さんは社会人研修生だったが、元来は官庁から派遣されたキャリア官僚だった。

 二年ほど前に、何気なくインターネットで辻さんの名前で検索したことがあった。

 かなりの記事が検索の結果、画面には出ていた。

 私は感心した。

 辻さんは所属官庁の局長となっており、行事での挨拶の言葉などが掲載されていた。

 さすが、エリート官僚は違うものだと感心して私は記事を二、三読み進めていた。

 その内、そういうことか、と思われる記事に出くわした。

 辻さんは、いつの間にか、独立行政法人の理事になっていた。

 局長から、関係独立行政法人に天下り、理事という地位に就いていたのだ。

 少し、がっかりすると共に、辻さんに怒りを覚えた。

 メリダに居た頃は、結構私たち学生留学生の兄貴分として、私たちの面倒をみてくれた人だった。

 キャリア官僚ではあったが、偉ぶるところはなく、学生の悩みをじっくりと聞いてくれるし、時折はバルでお酒を奢ってくれる、いい人、好人物であった人だ。

 その彼が今は天下り役人になっているのだ。

 その時、ふと、ユカタン州立大学の教授がよく呟いていたフレーズを思い出した。

 それは、アスィー・エス・ラ・ヴィーダ、という言葉で、これが人生だ、という意味になる。

 フランス語では、セ・ラ・ヴィ、と云う。

 その記事を読んでから、私は辻さんに複雑な感情を持つことになってしまった。

 検索なぞしなければ、よかったのに。

 この留学では嫌な感情というか、煩悩というか、私自身の嫌な面を意識したことがある。

 留学生で柾木という関西出身の学生が居た。

 私と同じ、四年生で、やはり一年間大学を休学して、ここにやって来た学生だ。

 私はこの男に留学期間中、嫉妬の念を禁じ得なかった。

 柾木さえ居なければ、私はメリダ・グループ一番のスペイン語の使い手になれたのだ。

 が、どうしても、柾木には敵わなかった。

 柾木はお父さんが商社マンだった関係で、小さい頃、確か小学校の高学年までスペインで暮らした。

 大学に入って、初めてスペイン語を学んだ私が敵う筈は無かったのだ。

 メキシコ政府からの奨学金の支給交付とか、ユカタン州立大学での聴講生の資格とか云った難しい折衝は全て柾木が担当した。

 私は柾木の傍で、交渉する柾木の姿を羨望の念で見守るばかりだった。

 時には、柾木を憎らしい存在として意識することも度々あった。

 普段は、へらへらしているくせに、ここ一番となると、団十郎ばりに現われ、留学生代表として堂々と大学側と折衝する柾木に私は嫉妬を覚えた。

 嫉妬という字には、女偏が二つ共使われているが、本当は男偏でも構わない。

 男の嫉妬を私は嫌というほど、このメキシコで、メリダの街で味わったものだ。

 おや、少し寒くなってきた。

 いくらメキシコ南部と言えども、十一月ともなると、夜は結構涼しくなる。

 風も少し出てきたようだ。

 先程まで、噴水の周りで流しのバンドが客のリクエストに基づき、歌を唄っていたが、もう帰ったらしい。

 噴水は色とりどりの照明に照らされて、闇の中にくっきりと浮かび上がっている。

 私は、そっと財布の中に忍ばせてある写真を取り出した。

 娘が持参した写真は妻が五十代を迎えた頃の写真だ。

 しかし、私が持ってきた写真はこれまで誰にも見せたことがない写真だ。

 勿論、娘にも見せたことはない。

 その写真の中で、とびきり若い妻が微笑んでいる。

 少し恥ずかしそうな笑みを浮かべてこちらを見ている。

 何と言っても、若い、私と大学で知り合った頃の二十歳の妻が写っているのだ。

 誰にも見せない、私だけのとびきりの写真だ。

 妻は娘が大学を卒業した年に亡くなった。

 クモ膜下出血で突然死んでしまった。

 本当に、あっけなく死んでしまった。

 一人娘も卒業して無事就職もしたことであるし、来年あたり思い出のメキシコを少し長めの休暇を取って、旅してみようかと話し合っていた矢先の死であった。

 妻は、もう一度カリブ海を見たいといつも言っていた。

 エメラルド・グリーンに輝く昼の海、メキシカン・オパールを散りばめたように虹色に輝く夕焼けの海、カリブ海の美しさを語る時の妻のどこか遠くを眺めるような顔を私は忘れることができない。

 私と娘は今回の旅の初めで、カンクーンに立ち寄り、カリブの海を見てきた。

 一緒に見たかった。

 私たちが留学していた三十二年前のカンクーンはまだリゾート地としては開発途上であり、メキシコ政府は力を入れていたが、当時はやはり、太平洋岸のアカプルコがメキシコ最大の観光地であった。

 私は仲間と、建設途上のカンクーンを横目で見ながら、カンクーン近くの埠頭から遊覧船に乗り、イスラ・ムヘーレスという小さな島に渡り、二日ほど過ごした。

 カリブの海は穏やかで、雲一つない青空の下でエメラルド・グリーンに輝く海を時折、飛び魚が滑走していく光景は私たちを興奮させた。

 歳月が過ぎ、カンクーンは巨大な観光地と化したが、カリブ海に関して言えば、昔と同じようにエメラルド・グリーンに輝き、珊瑚からできている白く細かい砂は力を入れて強く握り締めても、掌からサラサラと零れてしまう。

 カンクーンのホテルのプライベート・ビーチに寝そべりながら、変わらないものがまだここにはある、良かった、と私は思った。

 明日はメリダに戻り、娘を連れて、チチェンイッツァとウシュマルのマヤ遺跡の見物に行こうと考えている。

 そして、メリダからメキシコシティに戻り、テオティワカン遺跡を娘に見せてから日本に帰ろう。

 ドリス・デイがハスキーボイスで歌った『センチメンタル・ジャーニー』は異郷に憧れ、生まれ故郷を飛び出した者が異郷での暮らしに幻滅し、故郷に帰る決意を述べた歌だ。

 心を和ませ、古く懐かしい記憶を再び新しくするために、故郷に帰ろうと歌う。

 私には今回の旅がセンチメンタル・ジャーニーとなった。

 特に、パレンケには二十二歳の時、妻・順子との愛に疲れ、死を選ぶために訪れたが、五十四歳となった今は、妻・順子に早く死なれ、会社に対する思いにも疲れ、これからの人生をどう生きていこうか、考えるためにやって来た。

 成長したかどうかは判らないが、確実に三十二年という歳月で齢をとった私であることは間違いない。

 齢をとるということは、好むと好まざるに関わらず、いろいろな経験を積むということであり、いろいろな経験を積むことにより、人は確実に鍛えられ、いつしかしぶとくなってくるものである。

 感受性が衰えてくる分、しぶとさは増す。

 上司の勧め通り、子会社に出向し、会社から要らないと言われるまで、しぶとく会社のポストにしがみつくのも、それはそれなりに、悪くはない。

 それとも、娘も結婚し、後の心配も無くなった今、会社をリタイアし、時間に縛られない自由な人生を送っていくことも、それなりの魅力はある。

 さあ、どうしようか?

 明日は朝早く、高速バスに乗り、メリダに帰ろう。

 十時間の長旅だが、夕方にはメリダに着く。

 バス・ターミナルで翌日のチチェンイッツァまでの観光バスの切符を買って、ホテルに入ろう。

 そして、チチェンイッツァでは、階段状ピラミッドの最高傑作と言われる『エル・カスティージョ(城塞)』の頂上に座って、周囲を眺めよう。

 緑の地平線に、真っ赤な太陽が沈むまで、眺めることとしよう。

 私の両隣には、娘と、そして妻が座っているはずだ。

 そこで、私は心の中で順子に語りかけるのだ。

 今、僕は悩んでいるんだよ、と。

 その時、順子は私に何を語るだろうか?

 決まっている。

 いつもの少し怒ったような口調で私にこう言うだろう。

 現実から目を背けずに、現実をありのままに真正面から見詰め、自分としてのあるべき姿を考え、そして実行しなさいよ。

 ビリャエルモーサから電話をかけてきた貴方が、私は好きなのよ。

 貴方からの電話で、私は決意したの。

 躊躇いがちに、貴方が一世一代の勇気を奮って、私に愛を語ってくれたのだもの。

 その愛に応えなくっちゃ、私は女じゃないわ、と。

 もう一度、決めるのは、貴方なのよ。

 他の誰でもないわ。

 どうすれば、一番自分らしく生きるか。

 考え、そして、実行するのよ。


 私は今回のセンチメンタル・ジャーニーで、思い出のパンドラの箱を開けた。

 いろんなものが飛び出してきた。

 自分でもびっくりするほど、いろんな思い出が詰まっていた。

 そして、最後に残ったもの。

 『失望』でもなく、『絶望』でもなく、或いは『幻滅』でもなかった。


それは、『希望』に彩られた『意志』であった。




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