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あの時と違って

「ひみ……楓、寝坊したってね」

「起きていたのですか」

 学校には間に合うから、と八科だけがうちに来た。始業式からそうそうツイてないね、楓。

 それとも、少しでも会うのを遅らせようなんて姑息なこと考えてたりして。

「八科はさ、うち泊まった時より後に楓となんかあった? 楓連絡しても愛想悪いから返事なくてさ」

「特には。私は連絡もしていませんので」

「だよね」

 八科に引っ張られて玄関へよいしょと立ち上がる。線は細いのに本当に力が強いし、彼女はふらつくことなく凄まじい安定感だ。

「でもこれから毎日会えるね」

「土日は休みですが」

「そういうの上げ足取りって言うんだぞ」

 つまんない事実ばかり言うやつだけど、八科と同じ悩みを共有する時もあるんじゃないかって思う。

 私達はきっと似ていた。何者をも寄せ付けない人間で、孤高の孤独であった。

 それが漫画みたいに一人の女に救われた。

「……私はもう楓のいない人生が考えられないよ」

「……そうですか」

「私、これを恋と呼びたい。これが恋じゃなかったらきっと私はそれを肯定的な言葉で表現できないから」

「……ならば、恋でいいのではないですか?」

「あら、意外と優しいじゃん」

 よたよた歩きながら、そのまま八科を抱きしめた。

 強く、強く、強く抱きしめた。

「どうしました?」

「八科はまだ智恵理って呼んでやらないよ。八科はまだ怖いから。こんなに近くに顔があっても、私には八科の表情がこれっぽっちも読めない」

「…………」

 八科が怖い。これは嘘偽りのない私の本音。八科の吐息が私の唇に当たって、やっと八科が呼吸して、生きているんだって知れて安心するくらい、八科のことが分からないから。

「八科は楓のことどう思ってるの?」 

「……どうでしょう」

「逃げんなよ、ずるいぞ?」

 冗談めかして言うけど、ちょっと追い詰めているかもしれない。こんな近くで質問することでもないか。

「お姉何してんの!? は、離れろっ!!」

 夢生が思い切り私を引っ張るけど、背中に手を回してたからなし崩し的に八科まで倒れてきた。三人揃って倒れるのを、八科だけ手を支えにしてすんでのところで耐える。

「おー、床ドンだ」

「はい?」

「いや。個人的にはさっきの近さより、この近さの方が刺激的だと思った」

「はぁ」

 八科はのそりと立ち上がる。本当に、何考えてんだかね。

「ど、どいてよお姉!」

 妹を尻で敷いているのも申し訳ないし、そろそろ登校するか。


―――――――――――――――――――――――――――


「ご~め~ん~完全に寝てたわ」

「全く……私が起きてなかったら八科におんぶしてもらうことになってたんだぞ!」

 本当にそれは申し訳ない事態だ。しかも不破さんが起きてたのに私が寝てたっていうのも何気にショックだ……。

 まあ始業式には間に合ったし、今日はこれといった行事ももうないから安心だ。悪目立ちもしてないし、悪目立ちとか言い出したら二人の方がよっぽどだし。

「……なんか懐かしいねこの雰囲気」

「なに、学校が?」

「いや、始業式。初めて二人と出会ったのも入学式だったし」

「あー……確かに」

「不破さん寝てばっかりだったくせに」

「担がれたままハンバーガー食べに行ったの忘れるわけないじゃんか! あれはいまだにトップクラスの恥ずかしいエピソードだし!」

 妙なトラウマをほじったらしい。でもそんなこともあったなぁ。

「八科さんはどう? 懐かしエピソード」

「……色々なことがありましたね」

 それは確かに。だけど八科さんにしては妙に情緒のあるような言い方だった。

 八科さんなりに今までの出来事に感じ入ることがあるのなら――以前なら喜ばしいことだが――少し、不安な感じだ。ほどほどでいいから。

「今日からまた勉強漬けの日々になるって考えると、落ちるね……」

 ちょっと話をそらして、けど重大な悩みに改めて直面する。

 二学期、校外学習とか球技大会とか色々あるけど、何より長い。他の学期より期間が長い。

 時間が経つのは、怖いような気がする。早く卒業してしまえば二人と離れることになる、それは嬉しい気持ち以上に寂しい気持ちもあるだろう。人間だからそれは認める。寂しいものは寂しい。

 だけど、これ以上二人と一緒にいて、二人と仲良くなるのも受け入れがたい。

 でも……三年間は一緒にいるって決めた。ああ、不器用な生き方だ。矛盾だらけだ。

「ま、いいや! なんとでもなれって感じだね!」

「なんか爆速で自己解決したな!? 勉強なら私も八科も手伝うって」

「いやいいよ……テストの時だけで……」

「樋水さん、テスト勉強というのは……」

「はいはい日々の積み重ねなんだよねハーイガンバリマースじゃ帰ろ帰ろ」

 この二人に勉強の話されるのめちゃくちゃムカつくな。そんなことを思いながら下校することにした。


――――――――――――――――――――――


「おや、樋水さん」

 校門に立っていたのは、相変わらずの風紀委員、暮田さんだ。暇なのかな、いつも校門見回りって。

「誰?」

「不破さんって興味ないものにはとことん興味なさそう」

「ふ、まあね。楓のことは大好きだけどね」

「やん、私も不破さんのこと大好き」

 へーいとハイタッチ。不破さんはやっぱりこういうふわふわした軽いやりとりが楽だなぁ。あの夜のこと、忘れられそうだ。

「人を無視してイチャイチャしない! ……しかし、素行不良の生徒がきちんと自分の足で立って歩くようになったのですから、立派なものです」

「言われてるね不破さん」

「性格悪い風紀委員だ」

 またごにょごにょ言ってみたけど、暮田さんがギラっと睨みつけてくると一緒に黙る。かなり目が怖い、八科さんより目が怖い。

「それで八科さん、今日は私物は持ってきてないですね?」

「はい」

「そうですか。それなら構いません」

 とは言うものの、そもそもそんな確認してるの八科さんだけだし、八科さんに対して因縁つけ過ぎだ。

「もういいじゃん、帰ろ帰ろ」

「樋水さん、貴女の荷物も検査します」

「いや、そもそも帰るんだから私物持ってても帰るじゃん……」

「反省文を書かせますが、その反応は私物を持っていますね?」

 お菓子がね、入ってる。一応補食は認められているけどこの難癖風紀委員のことを考えると、どう考えても私に反省文書かせる気でしょ。

「八科さん、その人羽交い絞めにして」

「はい」

「……えええっ!?」

 八科さん、忠実だ。言われるがままに暮田さんを拘束してしまった。やさしい。

「じゃまた後で駅でね~」

「なっ、八科を放っておくの!?」

「八科さん最強だしへーきへーき!」

 あとはスタコラサッサだ。

 一学期の時みたいに三人で昼食、っていうのも良かったかもしれないけど、事情が事情だから今回は諦めようか。

 ……って考えると、暮田さんのこと少し恨む。

「で、本当に帰るの?」

「え?」

「昼、食べない? また三人で」

 不破さん、意外と、なのか妥当なノリの良さだ。

 そう言われると、私に断る理由はない。

 ――うん、ないはず。

「じゃ、不破さんも駅に来てよ。途中で寝たら許さないからね」


――――――――――――――――――――――――


「分かった! 分かりました! 樋水さんも貴女も不問とするので解放してください!」

「では」

 最低限の約束を取り付け、次は待ち合わせ場所である駅に向かわねばならない。

「ま、待ちなさい! どうして樋水さんにばかり構って、言いなりになるんですか!? 貴女はもっと、いろんなことができて……優れていて……」

「はい?」

 対抗心、敵愾心(てきがいしん)、学校への帰属意識、様々な感情が見え隠れする暮田さんの感情は、ひとえに私へと向いているらしく、それはもはや言葉にならないほど彼女を蝕んでいる様子でした。

 私が果たして彼女を導けるような言葉を投げかけられるのか、甚だ自信がないですが。

「言いなりではありません」

 これで少しでも彼女の矜持(きょうじ)が守られたなら、と静かに祈りました。それで、もうその場に用はありません。

 いつも樋水さんと歩く帰り道を、今日は一人で歩いています。ただそれだけで、妙に虫の居所が悪いような不安がちりちりと胸を焼くようです。

 私とて何も考えず二人を見送ったわけではありません。ありませんが、あの場はああするのが正解であるように思えました。

 今となっては、三人で走って帰るのも良かったのではないか、と愚考(ぐこう)します。後悔もまた愚行(ぐこう)かもしれませんが。

 電車もまた、一人で乗ることになるのは久しぶりでしょう。

 不破さんもいない、樋水さんと二人きりで乗る電車の僅かな時間、夏休みの間でも度々過ごした私と樋水さんだけの時間。

 また明日には会えることでしょう。ただ、今日と思っていたために少しぬか喜びしてしまっただけのこと。

 それほど落ち込むことでもなければ、また過度の期待を寄せるようなイベントでもない。

 この二学期でまた当たり前になる日常のひと時。

「あ、八科さん来た来た。おーい」

「ごはん食べに行くけど、八科も来れる?」

 ――駅にいた二人を見て、自然と胸を焼き尽くすような焦げ付きは収まり、暖かな薫風(くんぷう)で満ちるような高揚感が私を支配するのです。

「兄に連絡してみます」

「そっか。ま、急がなくていいからね」

 雄弁を学べども沈黙に勝るものはないと、私は思っています。

 不破未代は、あるいは樋水楓さんに向ける想いを恋と定義しました。それはきっと科学でしか生み出せないような不純物の一切ない水とは違う、海や、沼のように、(よど)んで、(けが)れて、けれど膨大にまとまった一つのものであるのでしょう。

 彼女の吐き出した感情の一端に、樋水さんは大いに怯えているようでした。

 私は、私の感情をまだ例えることも表すこともできません。

『好きって、もっと軽いものじゃない? 良いなって思ったり美味しいって思ったりした時に言うくらいのさ。私の好きってそういうことなんだ』

 そうですか、としか言えません。私の感情はまだ私にもわからず、それは不破さんのように吐き出すこともできなければ、貴女の言うような単純なものに迎合(げいごう)させることもできません。

 正と負の区別もできない貴女へと向ける感情は友情や親愛、尊敬や敬慕、あるいは劣情や性愛、依存、その辺りを混ぜたかのようなものである気がします。

 けれど、不破さんと同様に私も貴女へ向ける気持ちの変化に気付きつつあります。

 私は、貴女の迷惑にだけはなりたくないのです。貴女が優しいから、私は甘えてしまうのでしょうけど。

「どう、返事きた?」 

「はい」

「じゃ食べ行こか。今度はバーキンで良くない?」

「や、それならフレッシュネスで良くない? 八科は何バーガー?」

「バーガー限定ですか?」

 私は、貴女方とならどこでも構いませんが。

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