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剣豪幼女と十三の呪い  作者: きー子
四章/死霊宴舞
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十八/否認

 ひうん、と一陣の風が吹き抜ける。

 カイネは翔ぶような踏み込みとともに一閃。

 先んじて前方の敵を断ち、時間差を利用して後方から迫る敵を迎え斬る――対多数に特化した型、ベルンハルト礼刀法〝(かえり)〟。

 少女の足さばきはいつになく乱暴で、転がった魔犬の骸に地中から掘り返した土をそのまま引っ被せるかのよう。


「死んだ肉はきちんと土中に葬ってやらねばなというわけか。わかってみればなんと詮無い話よな」

「巫山戯るなッ!! 私が、この私の呪術がこのようなッ――」


 拡散――ただ切り離していくだけではネイトの呪を破れない。しかし拡散した肉体の一部分をまた別の何かと混ぜ合わせれば、それはもはや何が何やらわからぬ異物でしかなくなる。

 ネイトが怒号を上げる間にも、魔犬の群れは次々と数を減らしていく。しかも地に伏せた漆黒の泥はそのほとんどが土の下だ。

 カイネはそれぞれの魔犬を少なくとも八つに肉片に分かち、一体ごとを丁寧に葬っていった。死を迎えた肉はもはや蠢きも、ましてや蘇ることもありはしなかった。


「なぜ……なぜですッ!? 私は死んでなどいない! 私は――変わってなどいないッ!!」

「先に言うたであろうが」

「何をですッ!?」


 残り数少ない漆黒の泥からネイトの首だけが生える。

 その目はいまや青い瞳を見開き、憎悪を満たしてカイネを見据えていた。


「あまねくこの世に斬れぬものなどありはせん――うむ、実にもっともだ。借り物のことばに過ぎんがの」

「うびゃゲッ」


 カイネは彼の生首を脳天から串刺しにする。靴先で土を浅く掘り返し、漆黒の泥を滲ませる血と骨と肉を埋めてしまう。

 その時また別の生首が、カイネから数歩先の地面にごろりと転がっている。


「……それだからあなたは愚かだというのです、娘よ」

「遺言はそれでよいのだな」

「この私が不変にあらずとも……それは不変不朽たる女王陛下をなんら否定するものではありません。あの方は――」

「『カイネ』が一度斬った相手よ。斬れぬはずがなかろうさ」


 カイネは淡々と告げ、生首のかたわらに歩み寄ろうとする。

 その時、後方から足音が聞こえた。

 数にして数十――あるいは百にも届こうかという足音。


「勝ったとでも思われましたか」

「……勝ちを捨てたのはおまえさんであろう。やけにでもなったか」

「私の不変性はかくて維持されるということです――」


 カイネは後方を一瞥して、予想した通りのものが迫りつつあることを確信する。

 ジョッシュらを追うために差し向けていたであろう魔犬の群れ。

 いよいよ危機を悟ったネイトは追跡から引き上げさせ、使役者の元に帰還を命じたのだ。


「実に涙ぐましい努力でしたよ、娘。私に『死』をもたらすとはいやはや驚嘆に値する執念ですが、全く殺し切るなど端から不可能だったということです」

「そのわりにはずいぶんと焦っておったようだがの――」


 ネイトはまた糸のように細い目をして、滝のような汗を流しながらも安堵の滲む表情で帰還する魔獣の群れを見つめている。

 一方カイネは目を眇め、群れのそのまた向こうから聞こえるかすかな音に耳を傾けた。


「来おったか。……あやつめ、ずいぶんと気の早い……」

「……何を言っているのです?」

「……魔犬(やつら)は気づけておらぬのだな」


 カイネはひとり得心し、ネイトは依然として怪訝そうな顔をしたまま。なぜ自分が斬られていないのかもわからないかのよう。

 無論カイネには彼を捨て置いたままでいる理由がある。

 ネイトが『自己』と認識するものからの蘇生を試みた場合、他の事物から同時に蘇生を試みることはできない――つまり今のように魔獣の援護が訪れた時、下手に斬ることで彼を偏在する状態にしてしまうのは悪手であった。


 それは馬蹄の音とともにやって来る。

 魔犬の群れから付かず離れず、いつでも仕掛けられるように万全の態勢を整えて迫るもの。


「……っ……ま、まさか……」

「片が付いてから迎えに来とくれ、と言うておったというのに」


 カイネは思わず笑みを零し、

 高らかなる宣言が彼方から聞こえた。


「ことごとく捕らえよッ! ――――〝血束の鎖界〟ッ!!」


 馬車の後ろから尾っぽのごとく伸びた真紅の鎖がぐるりと弧を描いて乱れ飛ぶ。

 魔犬どもをまともに直撃したそれは、群れの足並みを一挙に混乱に陥れた。

 鎖に絡め取られた十匹以上の魔犬が宙空に吊るし上げられる。統制を乱した群れはもはや煮るも焼くも思うがままである。


「カイネッ、悪いが追いながらじゃ殲滅が追っつかねえッ! 挟み撃ちにできねェか!?」

「いや、よい。そのまま連れてきておくれ」

「このままか!? ……生きたままそこまで追い立てろって?」

「うむ。ここら辺りがちょうどよいな」


 カイネは剣先で少し離れた地面を指差す。

 そこにはちょうど土塊にまみれた死肉が散乱しており――御者席に腰掛けたジョッシュが「うげ」と眉をひそめるほどの惨状を晒していた。


「あ……あなたは、なにを――なにをかんがゲッ」

「虱潰しにやっておっては埒が明かんな。……ちょうどよい」


 ネイトの髪を引っ掴んで生首を持ち上げる。首から下が再構成を試みようとうごめいており、カイネは串刺しにするように白刃を貫き通した。

 カイネの歩みに馬車が続く。


「ぐっ……くッ、食い散らかせッ! もろともに喰らい合うのですッ!!」


 ネイトの命に応じ、まだ束縛されていない魔犬の群れが一斉にカイネへ飛びかかる。


「ジョッシュ、火種になるものはあるかの?」

「灯り用の油ならたんまりあるが……っておい、何する気だ。援護しねェでもいいんだな?」

「うむ、なんだ、死んだ肉を葬ってやるだけのことよ」


 しかしカイネはジョッシュと言葉を交わす片手間に魔犬の突進を躱し、いなし、足元を掬って転ばせる。隙だらけの側横から腹を蹴り上げ、あるいは首根っこに体重をかけて地に組み敷く。

 刀を封じられたところでお構いなし。カイネは自らを囮にして魔犬の群れを目標地点へと誘い込む。


「……み、見え透いた罠をッ!!」


 もちろんネイトがそれを看過するはずもなく、魔犬の群れはカイネとの距離を置いたまま円状の包囲を敷いた。

 そこにまた迫る真紅の鎖が無数。鎖の先に備わった楔は杭のごとく魔犬を貫き、その黒い血肉を目標地点に墓標のごとく縫い付けた。


「感謝するぞ、カイネ殿。脚を止めてやればこうも狙いやすいものだとはな」

「感謝するのはおれのほうだとも。おかげでずっと楽に済みそうであるからの――」


 少女は先頭を行き、二頭の一角馬に牽かれた馬車が数十という魔犬を捕らえたまま後に続く。

 カイネが足を止めたところでジョッシュは一旦馬車の荷台に駆けていき、小さめの樽を脇に抱えて戻ってきた。


「……なぁカイネ、そいつ……まだ生きてやがんのか?」

「『まだ』ではないッ!! 私は生き続ゲッ」

「こやつがこやつである限りは生きておるようだからの。こやつではなくなるところまで追い込むには、葬ってやるのが手っ取り早かろう」


 カイネはネイトを串刺しにしていた刃をするりと抜き、地に落ちる上半身を掬うかのごとく剣先を跳ね上げる。

 ネイト本体の肉はたちまち真二つに分かたれてごろりと地に転がった。


「……これっぽっちもわかんねェが、とにかくやりゃあいいってことだな?」

「うむ。ここらにぶちまけとくれ」

「この者どももまとめて焼いてしまうとするか――」


 ばしゃんっ、と。

 したたかな音を立てて地に打ち付けられた樽から大量の油がこぼれ出る。

 アーガストはすかさず鎖を伸ばし、油が広がった円域に全ての魔獣を縛り付けた。


 それはさながら墓場か処刑場か――

 土の下には踏みにじった肉塊が埋もれていることからも、やはり墓場と言うのが相応しかろう。

 カイネはその一帯から飛び退き、馬車上のアーガストを振り返る。


「アーガスト殿。火付けは頼めるかの」

「すまんのだがその手の術式はさっぱりでしてな――」

「こいつでやっちまいな。巻き込まれんなよ?」


 ジョッシュは荷台から持ち出したのであろうたいまつに手早く火を付け、カイネに差し出す。

 うむ、とカイネは頷いて受け取ったそれをそのまま油の近くに放り込んだ。


 ぼんっ、と空気の爆ぜる音がした。

 火の粉がたちまち燃え上がり、火勢を増した炎が地を舐めるように広がっていく。

 魔犬は束縛から逃れようと身を焼かれながら必死にもがくが、一分もしないうちに動かなくなる――漆黒の血肉を燃料として炎がさらに大きくなる。


 カイネは死肉を葬る炎を眺め、少し不安げに眉を垂らす。


「……しもうたな」

「どォした。不安でも?」

「森に燃え移らんかの。思ったよりよう燃えおるわ……」

「そこは先に考えとけよ……!」

「……任せたまえ。私が結界を敷こう」


 アーガストの詠唱と同時、炎を取り囲むように真紅の鎖が走る。

 ほぼ真四角に張られた鎖は一方通行の結界――外から内へ空気を取り入れつつ、内から外に火の手を伸ばすことは禁ずる機能を果たしていた。


「すまぬ、世話をかけるな」

「貴殿の補佐が私の役目ですからな。これで片付いたのなら幸いだが……」

「……どうしても火じゃなきゃ駄目だったのか?」

(これ)でもわからん、というのが正直なところかの」


 他の案としては細切れにして埋めるか、鳥や獣の餌にするか、あるいは川にでも流してしまうか。

 土中に埋めるのが有効であることは確認済みだが、数が数だけに手間がかかる。

 餌にするのは確実性が低い。ともすると再生速度が消化速度を上回るかもしれない。

 川に流すのも微妙なところだ――人体の大部分が水であることを鑑みれば、水は異物と認識されない可能性が高い。


 消去法で残された案は、火葬。

 カイネは漆黒の死肉が骨まで焼かれながら炭と化す様を眺めている。

 これでも蘇生を可能とするならば、また別の手を考えなければならないところだが――


「ハシレ〝狗神〟ッ……!!」


 ガキン、と鈍い音がした。

 真紅の鎖の一辺を真っ向から断ち切る音。

 そうせしめたのは火に巻かれ、刀身をこぼした白銀の曲刀。

 その一振りは誰の手に握られることもなく宙に浮いており、使い手たる男は棺桶から這い出した亡者のごとく地にうずくまったままうめき声を上げていた。


「……嘘だろオイ。あれで生きてるってのか?」

「呆れた再生力よの……」


 ひとりでに振るわれるネイトの刀もまた魔獣、あるいは使い魔の類と見るべきであったか。

 ネイトは焼け崩れた肉体の断面を絶え間なく蠢かせ、ただその質量を繋ぐためだけに無秩序な肥大化を始めていた。

 顔面だけは先ほどまでと同じだが、胴体は彼が跨がっていた魔狼――巨躯の獣に近い。

 炎の真っ只中という極限状況において、魔獣(いぬがみ)と自己を同じくする認識が彼我の境を失わせたのか。


「死なぬッ……私は……私が、このような些細な変化などで……私は……私は私なのですッ、娘よッ!!」

「何を言うておる」


 ひとりでにさまよう曲刀がカイネの眼前で跳ね上がる。

 カイネは難なく刃を受け止め、捌き、結界の外に這い出ようとするネイトを炎の中に蹴り戻した。


「ぐゲエッ」

「どうする、カイネ殿。これはもう我々では……」

「あと一押しであろう。ちと行ってくる」


 カイネはネイトの後を追うように結界の中――すなわち炎燃え盛る煉獄に脚を踏み入れようとする。

 その手首を慌てて掴んだのがジョッシュである。


「……ジョッシュよ、この手はなにかの?」

「なんだと聞きてえのは俺の方なんだけどなァ!?」

「案ずるでないよ。ちゃんと試してからにするとも」


 カイネはジョッシュの手からするりと逃れ、刹那、剣光が瞬いた。

 ひゅっ、と風が吹きすさぶ。

 燃え盛る炎がばっと左右に割れて道を開ける。

 少女はそのまま止める間もなく結界の内部に踏み込んだ。


「――気難しい娘を持つというのは大変なようですな」

「……冗談がきついですよアーガスト殿。俺は妻帯もしてねェんです」


 カイネの背後で交わされる二人の言葉はどこか間が抜けている。アーガストが平静を保っていられるのは、カイネにかけられた〝永劫不変〟の呪いを知るがゆえか。

 唖然としたのはジョッシュのみならず、渦中にあるネイトも同じことだった。


「はっ……ははっ、理解しかねますな愚か者のしでかすことは! いやはやこれは気狂いとでも呼ぶべきですか、愚昧なる娘よ――」


 カイネは風の道が閉ざされるより疾く剣光を瞬かせた。炎が少女の衣を舐めながらもその身を灼くことはなく、ネイトの首は火中に転がり落ちた。


「自分で自分の姿は見えぬのだからな。誰かが見せてやるほかあるまいよ」

「……何を言っているのです? 私は何も変わってなどいません。ただあなたにその形を加工されただけのことで――」

「あれを見よ」


 カイネは白銀の刃をネイトの視線に晒した。透き通るような剣身には、人面の輪郭だけを再構成した獣身が映り込んでいる。


「あれが……どうしたのです? あれは魔獣で……つまりは、私の」

「否、あれこそがおぬしだ。おぬしの首はあれに繋がっていたのだ」

「……え?」


 ネイトはその一言で明らかにうろたえだした。炎に巻かれているにも関わらず、それとは一切無関係に見開かれた瞳が急に不安そうに泳ぐ。


「な……なにかの間違いでしょう。つまらぬ謀りはよしなさい、娘よ――」

「おまえさんにあのデカブツを維持しておく理由が他にあるのなら間違いかもしれんがな。……おまえさんが蘇らせようとしていたものが何か、自分でもわかっておろう?」


 ネイトの生首がぶるぶると震え出す。首なしの胴体は、もはや彼の意志から切り離されてしまったように動かない。

 カイネの剣先は円の軌跡を描いて炎を払い、そして獣のごとく四足を突いた胴体――それだけで七尺もあろうかという巨躯を指した。


「見よ。あの身体が、おぬしだ」


 ネイトは絶句し、おそるおそる視線を獣身に向ける。決して直視したくないのに、それでも見ずにはいられないというように。

 彼は業火に焼き崩される躯体を視界に収め、言った。


「違う」


 たった一言。

 その一言を契機にして、漆黒の泥の蠢動が完全に止まる。


「これは――――私ではない」


 瞬間、胴体が突然内側から発火したように燃え上がる。

 今まで抑え込んでいた熱が一気に噴き出したかのよう。

 カイネはひゅんと刃を振るい、風の通り道を作る――その先にネイトの生首が転がっている。


 その目の光は完全に消えていた。

 ネイト・クロムウェルは死んだ。

 後はただ灰となり野に還るだけ。


 カイネは早足で結界の外に出る。

 身体を焼かれることは免れたにしても火の熱気までは避けようがなかった。抑え込んでいた汗が全身からどっと噴き出す。ちいさな身体はまるで熱でもこじらせたような火照りを帯びている。


「待たせたの。片付けてきたぞ」


 カイネは音もなく刃を鞘に納め、二人をそっと見上げる。

 アーガストは「ご無事で何よりだ」と言いながらそっぽを向き、ジョッシュはぎょっとした顔ですぐに軍服の上を脱ぎだした。


「……どうしたジョッシュ。おまえさん先ほどから妙ではないか?」

「どうしたもこうしたもねェよ! 自分の格好わかってるか!?」

「格好? …………む」


 カイネは額に浮いた汗を手の甲でぐいっと拭い、服の袖がえらく貧相になっていることに気づく。

 否、服の袖だけではない。

『自分で自分の姿は見えぬ』と訳知り顔で語った端からこれなのだから世話はなかった。


 ――カイネの制服やスカートは、炎に巻かれたせいでボロボロになっていた。


「とりあえずこれ着ろ。着替えあるから」

「う……む、相わかった。かたじけない……」


 ジョッシュにあてがわれた上着をそっと羽織る。火照った肌に伝わるかすかなぬくもりの残滓――少女の白い肌が黒の軍服にすっぽりと隠される。

 道理でアーガストに目をそらされてしまうわけだ。カイネは得心しながら歩き出し、ふと後ろを振り返る。


 燃えるものをあらかた焼き尽くした炎はすでに勢いを落としていた。

 ネイトを形作っていた漆黒の泥はもう跡形もなく――犬神憑きの曲刀だけが、その場にぽつねんと残されていた。

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