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剣豪幼女と十三の呪い  作者: きー子
四章/死霊宴舞
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十七/看破

 カイネはとん、と地面を蹴立ててネイトに肉迫する。

 彼の冷や汗は拭われるも間もなく顎まで伝っており、次の瞬間にはその素っ首ごと地面を転がった。


「何度繰り返そうとも無駄なことです、愚かな娘よ! 無駄だと言っ――――デッ」

「やるからには徹底的にやらねばな」


 カイネの足裏が転がった頭を踏み潰す。

 それは瞬く間に黒い泥へ溶けていくが、構わずに返す刀で左肩を撫で斬った。


「……あなたはここで足踏みしていなさい。今に我々が獲物をゴボッ」

「行かせると思うてか」


 泥から産まれ落ちる魔犬すらも見逃さない。迷わず脚で踏み躙り、黒い毛皮に覆われた脳天へと切っ先を突き立てる。魔獣が産まれ落ちた端から冥府へと送りこむかのごとき所業。

 刹那背を向けた少女にネイトの胴体が斬りかかり、


「焦るでない。今すぐにやってやる」


 カイネはくるりと身を翻して刃を躱す。円を書くような腰のひねりとともに一閃が振り放たれ、残った右腕を斬り落とす。

 言うまでもなく左腕や頭部の再生はすでに始まっていたが――


「ふん」

「ガッ――アガッ」


 カイネはそちらに構うことなく、肋骨の隙間を縫うようにネイトの胸を掻っ捌いた。

 蘇ろうとする部位を逐一潰すのではなく、次から次へと仕掛けてはネイトの身体を切り分けようという算段だ。


「どれ。ここらへんかの」

「アガッ――アギャッ、ガッ」


 カイネは一度刃を引くとともに貫手を放ち、心臓を鷲掴みにする。

 臓物という臓物も手当たり次第に引きずり出す。

 それらはおよそ人間の器官とは思われぬ黒い泥と化していたが、部位や形状はおおよそ人間のそれを模しているようだった。


「奇妙なものよの。これだけいかれた身体をしておいて人を離れることはできぬか」


 ネイトはもはや物も言わない。胴体が小刻みに震える。

 肉体の再構成はいつの間にか衰えている――いや正確に言うなれば、カイネの切り分ける疾さに対して再構成が追いついていないのだ。

 汚泥のような血肉が応急的に内臓を形作り始めたとき、カイネの白刃はすでに男の胴体と腰を切り離している。


「アッ、ギッ――――グゲッ」

「こうなれば魚をおろすも人を刻むも変わらぬものよな――」


 長きに亘るカイネ・ベルンハルトの記憶の中にも人体を細かく切り分けた経験などは無い。彼はそれほど悪趣味な男ではなかった。

 カイネは地面に転がった黒い泥から産まれいでようとする魔犬をことごとく踏み潰し、串刺しにして仕留める。一匹たりとも逃すまいという透徹とした意志、徒労では決して無いという確信がちいさな身体に疲労を忘れさせる。


「……ふむ」


 地に転がった上半身と下半身のうち、再構成を始めたのは上半身の方だった。

 なぜ同時に再生しようとはしないのか――思考するよりも疾くカイネは男の上半身を掴み、ぽんと宙空に放り投げる。


「な――なに、ヲッ」


 ひうん。

 と、風の嘶きをつれて銀の剣光が瞬いた。

 ネイトの上半身を中心に交差した軌跡が走り、カイネはゆっくりと手を下ろす――剣身はすでに振り終えた後。

 刹那ネイトの胴体は四つの肉塊に解体され、ぼとぼとと地に落ちる。


「うっ……ぐ、ヴッ」

「こりぬやつよの。おまえさんも」


 次にネイトは下半身から再生を始めようとする――その時すでにカイネの剣先はそちらへと向かっている。

 右足と左足が腰から切り離され、腰そのものも股から真っ二つに分かたれる。

 辺りに散らばった肉片は、漆黒の泥のような物体を溢れさせていることを差し引いても人体としての面影を残していなかった。


 カイネは鋭く瞳を眇め、周囲をぐるりと見渡す。

 肉塊は小刻みにうごめき、隙あらば再構成を始めようとしていた。

 細切れの肉塊と化してなお――ネイト・クロムウェルは生きていた。


「……少しは蘇生も遅うなりおったか?」


 ここまで細かく解体してやれば再生力も落ちるということか。


「ふ、む……」


 辺りに静寂が満ちる。

 カイネは刀身に付着した(ちにく)をそっと拭い、音もなく刃を鞘に納める。

 その時少女の背後に横たわっていた肉塊から漆黒の泥がぞわりと伸び、


「見逃すとでも思うてか」


 カイネの靴がすかさず肉塊を踏みつける。

 ぐりぐりと足裏で押しつぶすように踏みにじる。

 肉塊はまた声もなく沈黙した。


 ――刀を納めてみせたのは、ネイトの狙いを確かめるために誘いをかけただけのこと。

 カイネが気を張っている状況では、再構成してもすぐに斬り刻まれるだけ。死んだふりをして好機を待つのは妥当な選択だろう。


「……かくておまえさんは無数の肉片に拡散したわけだ。どこからでも蘇りうるということは、おまえさんはこれらの肉片全てに偏在しておるということでもあろうが……」


 やはりというべきか、その肉片全てから同時に再構成を行うことはできないようだ。

 実際にそうなればカイネの手が回りきらなくなるのは明らかであるというのに。


「……偏在しうる範囲は限られておるのかの。さもなくばわざわざおれの傍らに再構成をしようとするわけもなし」


 淡々と語りかけるカイネの声に、無数の肉片はぴくぴくと小刻みな微動を繰り返すばかり。

 このままでは千日手となろうか。

 カイネは静かに瞑目して相手の出方をうかがい――


「……何を調子に乗っているのです、愚かな娘よ」


 不意に、カイネの間合いの外側まで浸透した漆黒の泥から魔犬の群れが同時に産まれ出る。

 数はゆうに十匹を下らない。それらは今度という今度はジョッシュの駆る馬車を追うのではなく、包囲したカイネに牙を突き立てようとしていた。


「なんだ。諦めておらなんだか」

「いやはや、呆れていただけですよ。あなたがどれだけ私の限界を見積もろうとも、結局のところ私が不滅であることに変わりはありませんというのに」


 魔犬どもがネイトの言葉を口にする。

 カイネはそれらにいささかの注意も向けず、ただ黒月の柄尻に白い指を絡める。


「……確かにのう。不死身を騙るやつは他にもおったが、おまえさんには到底及ばなんだ」

「結局のところ、どれだけ腕が立とうともあなたは人の身に過ぎないのですよ。どれほど威勢よく根比べと意気込もうと、先に音を上げるのがあなたであることは必定――ッ!」


 魔犬の一匹が一喝すると同時、群れは一斉にカイネ目掛けて飛びかかった。

 カイネは風に吹かれたような足取りで魔犬どもの隙間をするりと抜け、ひそかに人体を形成しようとしていた肉片の一つを的確に踏み潰した。


「――――ぐっ!?」

「見え透いておるよ、ネイト」


 振り返りざまに抜剣。

 背中から襲いかからんとしていた魔犬を抜き打ち、また再構成を始めようとする別の肉片を見極める。カイネの常軌を逸した集中力と観察力は、次にネイトがどこから出現しようとするかをほぼ正確に読み切っていた。


 ――カイネの立ち位置から最も遠い場所。

 ――複数の魔犬が密集する足元。

 ――新たな魔犬が産まれ出た場所とほぼ同地点。


 手を変え品を変え現れようとする復活の端緒をカイネは見逃さない。

 ひとつひとつを丁寧に潰しつつ、嵐のように迫る魔犬の群れをすり抜けていく――刻一刻と増えていく群れの規模は二十匹に届きそうなほどだったが、カイネは邪魔なものを的確に斬り捌いていくことで一瞬一瞬を凌いでいた。


「いつまで――いつまでこのような真似を続けるつもりですかね、小娘よッ!?」

「おまえさんが諦めるまでだ」

「それがあり得ないというののですよッ! 長引けば長引くほど先に音を上げるのはあなただッ! 私にしてみればただ待つだけで勝ちの拾える楽な戦い――いやいや戦いですらないッ!」


 ネイトは人体のないままに、人の体を得ることを許されないままに叫ぶ。

 その言葉はおそらく強がりでも、偽りでもなんでもない。ただ事実を話しているだけなのだろう。

 だというのにその声はどこか悲痛で――恐怖に震えているような色を帯びている。


「知らんよ。おれはおまえさんを斬るだけだ」

「それが無意味だと言っているのです! 私は何度でも――」

「おまえさんが何度蘇ろうともおまえさんである限りは斬り続ける、と言っておるのだ」


 ある時を境に魔犬の群れの数が増加を止めた。

 あまりに数を増やしすぎると、人体を再構成するための漆黒の泥(ちにく)が足りなくなってしまうのだろう。

 カイネは前方をふさぐ魔犬を斬り伏せ、振り返りざまに飛びかかってきた魔犬の首を刎ね飛ばす。

 瞬間、少女が通り過ぎたばかりの足の高さで漆黒の泥がうごめいた。


「……狂っていますね。あなたは……あなたはやはりまがい物です。真物のカイネ様でしたら、このように破滅的な所業に出ることなど……」

「のう、ネイトよ。おまえさんはどこまでのものをおまえさんだと見なせる?」

「……何を言いたいのです?」


 カイネは最大数の魔犬に取り囲まれながらも歩みを止めない。

 ネイトが復活の起点にしようとした肉塊を串刺しにしていく。貫かれたそれらは瞬時に動きを止めた――剣という異物を突きこまれたものは『自己』として認識することが難しいのか。


「おまえさんはこの肉片ひとつひとつを自己と認識しえるようだがの――これが、おまえさんと同じものとでも?」

「戯言ですね。魔獣(いぬがみ)こそが私であればこそ、些細な変化など問題ですらないのです」


 変化という言葉の定義そのものが異なれば、不変のものなどいくらでも存在し得るという極めて簡潔な論理。

 一歩踏み違えれば魔犬の凶牙に血肉を食われる死の宴舞――カイネはそれをなんでもないようにいなし、躱し、斬殺しながら一瞬たりとも歩みを止めない。

 

「砂にまみれ、土にまみれ、鉄の粉もこびりついておろうにな。それも些細な違いに過ぎぬと?」

「無論です」

「ほう。ならば、極限まで細断された肉片はもはやこびりついた土の方が多かろうが――さて、土はおまえさんの血肉かの?」

「……些細な違いに過ぎませんね! 量だの割合だの問題ですらない――どれほど土にまみれてもそれは私の血肉なのですから!」


 ネイトは魔犬の口を借りて叫ぶ――その声はかすかに震えている。

 カイネの剣に貫かれた血肉が現に機能していないように、それは決して確信をともなった言葉ではないのだろう。


「まぁ、確かめてみればわかることではあるがの」

「……確かめ……何を言っているのです?」


 ネイトの怪訝そうな声。

 カイネは迫る魔犬の首を落とし、寸刻みにした肉塊を足蹴にして、言った。


「気づいておらなんだか」

「……つまらぬはったりは止めるのですね。今さら分が悪いことに気づかれましたか?」

「おまえさんの言うところの『些細な変化』ではあるからな。気づいておらなんでもおかしくはないか――」


 辺りに散らばったネイト・クロムウェルの肉片のうち、いくらかはそれこそ小指の先ほどにも満たない大きさに細断されている。

 それらの中には砂や土埃にまみれ、鋭い石が食い込み、あるいは土中に埋もれているものもあった。

 それらはひとつの例外もなく――カイネの剣が貫いたままのものと同じように蠢動を止めていた。


「のうネイト。おれがわけもなくおまえさんの肉を踏みにじったりなどすると思うてか?」

「は――――」


 蠢きを止めて『死んだ』小さな肉片は、カイネがその靴裏で必要以上に踏みにじったものだった。

 それらの一つ一つは、省みるに値しないほど微量な『死』に過ぎないのだが――


「おまえさんである限り蘇るということは、おまえさんでなくなれば死ぬということか。なるほど明瞭よの」

「――――やめッ、止めるのですッ!!」


 それはネイトの不死性を否定するのに十分な変化。

 魔犬の群れがまたぞろ一斉に襲いかかるも、カイネのなすべきことはすでに定まった後だった。


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